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(2025年4月掲載)
吉澤奏さん
慶應義塾湘南藤沢中・高等部教諭
2025年2月26日~3月4日、ドイツの首都ベルリンにて5泊7日のドイツ研修旅行が行われました。この研修は、本校初の「第二外国語での学びを軸とした」海外研修となります。
本校の第二外国語教育では、ドイツ語・フランス語・スペイン語・中国語・朝鮮語から希望する言語を選択し、同一言語を継続して2年間学びます。元々は6年生のみが履修する授業でしたが、2020年度からは5年生時より授業を始めることとなりました。言語をとりまく歴史や文化も含めて第二外国語をより深く学ぶことができるようになったことをきっかけに、第二外国語での学びを軸とした海外研修が企画されました。
今回の研修では、プロイセン王国から、ナチス・冷戦時代に至るまでの足跡をたどった後、2泊のホームステイを実施しました。語学研修に留まらない、ドイツの歴史と文化への理解を深める体験ができるプログラムとなっています。訪れた全ての場所で、華やかな時代、暗く冷たい時代を生きた人々の息づかいを捉え、伝統と反省を受け継ぎながら今を歩むドイツの人々の暮らしに触れる研修となりました。
参加した生徒たちの声を、一部抜粋してご紹介します。
*これまで歴史として紙の上で学んできたことが、実際に目の前にあり、当事者の方と暮らしている。そしてそれに関連する博物館やモニュメントもいたるところでその事実の存在を主張している。まるで不思議の国に迷い込んだアリスのように、夢にでも入り込んだのではないかと思う体験でした。ですがこの夢は現実で、触れることも関わることもできます。そして現実は、なによりも鮮やかに記憶にしみつく体験をもたらしてくれます。
*ホストファミリーの方と一緒にいて強く感じたのは、第二次世界大戦でドイツが行った行為に対する、ドイツ国民としての強い自覚だ。ホストファミリーの方とベルリン市内を回った際、「ストルパーシュタイン」、日本語で「つまずきの石」と呼ばれるホロコーストによる犠牲者の名前、生没年、死亡した場所などが刻まれた10cm四方のプレートを見て回った。つまずきの石は犠牲者が最後に自分の意思で選んだ住まいの前の石畳に埋められており、街中の多くの場所で見かけた。このプレートに関して説明をしてくれているときの主語が「私たちが」だったことに驚きを覚えた。当時のドイツと自分達を切り離して説明するのではなく、「私たち」という一緒にした形で説明しており、そこに大戦後のドイツの戦争との向き合い方が表れているように感じられた。
*私のホストファミリーは普段から様々な国の学生を受け入れているファミリーで、各国に対する好奇心が旺盛で、日本のことについてたくさん聞いてくださり、ドイツのことについてもたくさん教えてくださった。このような自分たちの国に関する会話の中で、ホストファミリーの父が「ドイツは自動車のブランドが世界的に有名かもしれないが、現在ではEV競争にひどく遅れをとっていて心配だ」とおっしゃっていた。それを聞いて私は日本の自動車メーカーの状況に似ているのかもしれないと思った。
1992年の開校以来、英語教育を柱に据え、全校生徒の4分の1が帰国生である本校では様々な海外研修プログラムが実施されてきました。開校から約30年の時が経ち、今の生徒たちが生きるのは急速に発展しては複雑に問題が絡み合う国際社会です。その社会で「未来の先導者」となるべき彼らには、一部の国・地域に限らず広い視野で多角的に世界を見つめることが求められます。第二外国語での学びを軸とした海外研修は、自らが果たすべき社会的責任を自覚する機会になると確信しています。2025年度以降も順次研修の実施を予定していますので、ぜひ多くの生徒たちの参加を願っています。
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