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慶應義塾が輩出した
オリンピック・パラリンピック選手

オリンピック・パラリンピック大会には、これまでに慶應義塾から多くの塾生・塾員が出場しており、日本としては2回目の参加となった1920年の第7回アントワープ大会では、塾員の熊谷一弥君がテニスで日本人メダリスト第1号になりました。その後も数々の大会で塾生が活躍し、近年では陸上の山縣亮太君(総合政策学部卒)ら若手選手が活躍を続けています。

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