新入生の皆さん、慶應義塾大学へのご入学おめでとうございます。
慶應義塾は皆さんを心から歓迎します。
先にお知らせしたとおり、慶應義塾大学は、新型コロナウイルス感染症が拡大する状況を踏まえて、春の学部入学式、大学院入学式をやむなく中止とし、代わって、秋学期入学式に春学期入学の皆さんも参加する形で式典を実施することを検討しています。
新入生やご家族の皆様は、一堂に会して入学を祝う日を、さぞ楽しみにされていたことと思います。また、今年、卒業50年を迎えられる1970年三田会の皆さんは、新入生を歓迎し入学を祝うべく、1年以上をかけて、記念事業の準備を進めて来られました。
さらに、今年は日吉記念館の建て替え工事が終わって、入学式は新年度初めての公式行事として盛大に行われる予定でしたから、慶應義塾の関係者全員が大変残念に思っています。
現在、新型コロナウイルス感染症の爆発的な拡大が懸念される中で、学事日程も変更になり、新入生の皆さんは戸惑っていることと思います。特に、地方から上京し、あるいは海外から入学した諸君は、生活の変化も重なって不安な日々を過ごしていることでしょう。新学期開始に向けて、慶應義塾は学部・研究科を中心に教職員が一体となって、皆さんが安心して学問に専念できる環境を整えるためにさまざまな対策を講じているところです。
しかし、事態は刻々と変化しています。奇しくも東京オリンピック・パラリンピックの年に、新型コロナウイルス感染症は五輪旗が象徴する五大陸すべてに広がり、世界が新型コロナウイルスとの苦しい闘いを続けています。日本でも政府や自治体がさまざまな対策を打ち出していますが、有効な治療法が確立されていないこともあって、今後については予断を許しません。
従って、感染拡大を防止するためには、市民一人一人の自覚と良識ある冷静な行動が求められます。誤った情報に惑わされてパニックに陥ることなく、何が正しい情報であるかを見極め、適切に行動する。このことは課題の本質を見極め解決法を創造する学問の作法にも通じることです。新入生の皆さんもこれから学問を志す者として、不安を克服し、為すべきことを為す勇気を持って下さい。
1946年4月、戦災の瓦礫の山が残る三田キャンパスで開かれた入学式で、戦時中に負傷して体調を崩していた小泉信三塾長に代わって式辞を述べた高橋誠一郎塾長代行は、「諸君は、慶應義塾がきわめて諸君に対し冷たい学校である、との印象を抱かれるであろう。諸君の及落に関する重大事でも本塾では掲示一本でしか諸君に通知しない。今迄の学校でのように、クラス担任や事務局から電話その他で直接諸君が受ける連絡を期待することは出来ない。自ら足を運んで掲示を見逃さぬよう努めねばならない。そうした六年間(※旧制予科・本科)を通して諸君は、自ずから、福澤先生のいわれた独立自尊という建学の精神を体得せられるであろう。」と話して式辞を終えました。
これを式場で聴いていた塾生の一人で後年文学部教授となった中山浩二郎はのちに当時を振り返り、「『冷たい学校』、何と苛酷な響きを持った、それでいて清々しい自信に満ちたことばであることか。それ以来、私は、慶應義塾に学ぶこと―それは一個の大人として、紳士として扱われることを意味した―に大きな誇りと喜びを持ち続けることが出来たのである。」と述懐しています。高橋誠一郎は福澤諭吉の門下生で、経済学部教授、のちに文部大臣も務めました。
月去り星移り、時代は変わりましたが、慶應義塾の教育理念は不変です。慶應義塾の創立者である福澤諭吉は、封建制の名残で人々が上からの指示や命令に従順で、主体的に行動する習慣を持たないことを憂い、学問を修め、世の中の流行に惑わされず、主体的に行動できる独立自尊の精神を持った市民の育成をめざしました。
他者の指示や命令を待つのではなく、自ら考え自らの責任で行動できる市民の存在は、一国の成熟度を測る物差しでもあります。
慶應義塾は1858(安政5)年の創立以来、理念を共有する有志の協力による民間私立の学塾として、幾多の混乱を乗り越え日本を代表する総合大学に発展してきました。危機のたびに義塾を支えてきたのは塾生(学生)、塾員(卒業生)、教職員からなる社中協力の力です。
新入生の皆さんは、今日から独立自尊の精神を重んずる慶應義塾社中の一員となりました。皆さんが、慶應義塾の自由で大らかな気風の中で学問に励み、学術やスポーツ、芸術、社会活動などさまざまな体験を積み重ね、豊かな学生生活を送ることを期待します。