最後に、2022年度 一貫教育校入学式 塾長祝辞を示します。
新入生の皆さん、慶應義塾へようこそ。ご家族の皆様にも心からお慶びを申し上げます。
まず初めに、慶應義塾の創設者・福澤諭吉先生が語った「慶應義塾の目的」を読み上げます。
「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」
皆さんが、数多くある学校の中から慶應義塾を選んだ理由は様々であろうことを想像しますが、ただ今紹介した「慶應義塾の目的」はすべての新入生が共有すべき目標です。気品の泉源、智徳の模範としての高みを目指し、全社会、すなわち全世界を正しい方向に先導する、リードするために、皆さんはこれからの慶應義塾の生活において学問に励み、課外活動に精を出し、生涯の友と出会っていきます。慶應義塾の「義塾」とは英国のpublic schoolの訳で、まさに公共の発展に尽くすという高い志をもった学生が集まる塾という意味ですので、一緒に、全社会の先導者を目指し、公共の発展に尽くしましょう。
皆さんが先導者としての理想を追求するために、私が必要だと考える三つのポイントを紹介します。
一つ目は、常に挑戦をするということです。私たち市民が、現状に満足して、自分の幸せだけを追求するような社会は後退するというのが福澤先生の教えです。新しいことに挑戦して、その中で社会の先導を意識しなければならない。その挑戦を支えるのは常に学ぶ力、まさに「学問のすゝめ」です。挑戦はいつも想定どおり進むとは限りません。しかし失敗を恐れては現状維持しかできません。そして現状維持こそが相対的な劣化なのです。よって、人生をとおして挑戦を続け、そのために学びに精を出し、この学びを新たな挑戦につなげるという好循環をこの塾生生活から始めてください。挑戦というと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、まずは「背伸び」から始めましょう。決められた勉強や課外活動に取り組むことは背伸びではありません。勉強や課外活動は先導者になるための実力をつけるもので、身長に例えると物理的に背が伸びることに繋がります。そういう仕組みは学校側がしっかりと用意します。それに加えて必要なのが、自らの意志での「背伸び」です。背伸びは爪先立ちで、簡単にできるものですから、毎日、「今日はこれを試してみよう」、「今日はこれを改善してみよう」と背伸びをしてみる。この習慣が自然と大きな挑戦につながります。
二つ目はこれが先導者として一番大切なことかもしれませんが、「祝福された先導者」を目指すということです。社会をよくすることは一人ではできません。だからこそ「この人と一緒なら楽しく自然体で新しいことに挑戦できる」、「この人と一緒なら、明るい家庭、学校、会社、地域、国、世界が作っていける」と思ってもらえる人間を目指しましょう。常に前向きで、良い意味で楽観的でありながらも、高い志と誓いをもって誠実に人生を生きる。家族や友人が応援してくれるということは大切なことですが、もっと大切なのが、知らない人からも応援されるということです。簡単な例をあげると、皆さんが、ごく普通に通学をする過程において、友達同士で仲良く話している状況においても、皆さんが自然の清々しさを周辺に拡散する、慶應の学生は実に気持ち良いと感じてもらうことが祝福されるということです。この振る舞いを自然に身につけることこそが他人から信頼されるためのポイントです。清々しさ、人々から自然に応援されるという立ち振る舞いは万国共通ですから、人種や言葉の壁も超えます。グローバルシチズンとして活躍するための必須の条件です。この人と一緒に仕事をしたい、活動をしたいと思われる人。大袈裟にいうと天までも味方につける人を目指そうということです。これこそが慶應義塾が目指す気風であり、私が考える「祝福された先導者」であります。
三つ目は、世界に出るということです。自分の判断や行動が今後の全社会にどのような影響を及ぼすか?良い影響と悪い影響の両面を想像するためには、広い世界を知らなければなりません。広い世界に踏み出して、世界レベルでの知見とネットワークを有する先導者を目指しましょう。今から33年前に、私はアメリカのカリフォルニア大学バークレー校の大学院に入学しました。専門は半導体の物理だったのですが、ある日、ドイツからの有名な先生の講演において、「今日は半導体としてのダイヤモンドとシリコンの話をします。会場には女性の方もいるのでダイヤモンドの話から始めましょう」と言ったことが厳しく非難されびっくりしました。失言が責められたのではなく、そのような考え方が責められたのです。バークレーで世界中の人たちと交わることで、人間の尊厳や、人権、すなわち独立自尊について日本では不可能なレベルの深さで考えることができました。祝福された先導者になるためには、世界レベルでの誠実さと正義感、世界レベルの独立自尊が求められるのです。ウクライナ危機にしても、私は物理学者として、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランドなどに大切な研究仲間がいて、それらの国から呼ばれて交流を重ねてきて、学者同士は国籍に関係なく仲良くしてきました。それだけに今回の事態は実感として身につまされます。2月の塾長室だよりでは慶應義塾のWebサイトに、私がウクライナ国旗をかざす写真が掲載されました。プーチンによる侵攻4日目に掲示したのですが、当初は塾長が政治的なスタンスを示すのはよくないとの意見もありました。しかし、そのような行動を一番にとったのが福澤先生です。正確に述べると、福澤先生こそが、政治的なスタンスを隅において、正しいことを直球で発言されました。
今日、新入生の皆さんが揃って先導の旅路のスタートラインに立たれたことを心から嬉しく思います。これからは毎日「背伸び」をして、祝福された先導者としての立ち振る舞いを心がけ、世界に飛び出す準備を進め、世界レベルでの独立自尊の人を目指しましょう。本日は誠におめでとうございます。