福澤先生が初めてアメリカに渡ったのは1860(安政7)年のことだ。それから130年後の1990年に慶應義塾ニューヨーク学院は開設された。前年の1989年にベルリンの壁が崩壊し、1991年にソビエト連邦が解体されるという国際政治が大きく展開した時期で、日本経済はバブル景気の最終局面にあった。
石川塾長は学院の開設にあたり、慶應義塾は「独特の気風を守り続けてきた」、「ニューヨーク学院高等部の開設も、このような慶應義塾の伝統と考え方の延長線上にあるもの」だとし、「将来、豊かな国際感覚を持ち、国際的な相互理解を促進しうる人材を必要といたします。慶應義塾がニューヨーク学院の生徒諸君に期待する第一のものは、まさにここにあるのであります」と開設式典で述べている。そして、「バイリンガルな授業、バイカルチュラルな教育」を方針として立てた。
単にアメリカに所在する日本の学校ではおもしろくない。通常の科目は英語で教えながら、日本語の授業も行うというバイリンガル教育を実践し、それを通じて、アメリカ文化と日本文化の両方を学ぶ。教室棟の廊下には習字の額が飾られ、教室内の掲示板にはたくさんの英語の書き込みがある。
私は2021年8月にニューヨーク学院の理事長に就任し、9月から12月までの4カ月間は学院長代行も務めた。9月はじめ、教職員会議で呼びかけた。「これまで学院はバイリンガル、バイカルチュラルでやってきた。しかし、これからはトライカルチュラルで行こう。」バイ(bi-)は「二つの」という意味で、トライ(tri-)は「三つの」という意味だ。アメリカ文化、日本文化、そして慶應義塾の文化を意識的に学ぶ学校にしたい。アメリカに所在する日本の学校であるだけでなく、慶應義塾の一貫教育校であることを強調したかった。
しかし、ニューヨーク学院の教育は、他の世界中の学校と同じく、新型コロナウイルスの影響を受けた。2020年はじめにアメリカで感染者が増え始めると、各国の国境が閉じる前に生徒たちは自宅へ戻り、ニューヨークから配信されるオンライン授業に参加した。9割以上の生徒が寮に入るボーディング・スクールであるニューヨーク学院にとって、いわゆる「三密(密閉・密集・密接)」の回避は難しい。寮生活の醍醐味を味わえない期間は、生徒にとっても教員にとってもつらい日々だった。
ほとんどの生徒がキャンパスに戻ってきた2021年9月の入学式の前夜、複数生徒の感染が分かった。生徒たちのほとんどはアメリカ政府のルールに従ってすでにワクチン接種を受けていたが、ブレークスルー感染が起きたのだ。入学式は急遽オンラインに切り替えざるを得なかった。しかし、いったん収束した後はなんとか対面の授業を行うことができた。
そして、生徒たちが年末にいったん帰省し、2022年1月に学院に戻ってきたとき、アメリカはオミクロン株感染のピークにあった。一時は一日の感染者が100万人を超えることもあった。それから1ヵ月遅れの2月3日に日本の感染者は初めて10万人を超えるが、その10倍の規模の感染がアメリカでは見られた。念のため学院到着後に生徒たちは隔離に入っていたが、その隔離が終わった瞬間、感染が学院内で広がった。生徒たちは寮や提携先のホテルでの隔離に苦しみながら授業を受けることになった。2月中旬に学院内の感染は収まり、3月中旬にどうにか学期を終えることができた。
生徒、保護者、教職員の誰にとってもこれが良い経験だったとは決して言えない。避けることができれば是が非でも避けたかった経験だ。
この過程で日米の文化の違いを思い知らされた。その時アメリカではすでに新型コロナウイルスとの共生に舵を切っており、ゼロ・コロナ政策には意味がないと多くの人たちが考えるようになっていた。しかし、日本ではとにかく感染者を最少化する方針がとられていた。日本の学校では教職員が職掌を超えて協力し、必要とあれば残業も惜しまない文化がある。それに対し、一般的にはアメリカの教員は自分の職掌の中で動くことを原則としていて、それを超えて動員されることを当たり前とは思わない傾向がある。子供たちを心配する日本の保護者の気持ちも痛いほど分かるが、かといってアメリカの学校では簡単にできないこともある。
隔離中の生徒たちと遠隔会議を行い、福澤先生のウェーランド経済書講述の話をした。1868(慶應4)年の戊辰戦争の最中でも福澤先生は経済学の講義を止めなかったという逸話である。「危機においても授業を続けるのが慶應義塾の伝統だ。」隔離で苦しむ生徒たちには空しく響いたかもしれない。しかし、教員たちはできる限りの努力をしてくれた。その姿に、一般的なアメリカの教員イメージとは違う何かが確かにこの学院にはあることを感じた。
福澤先生も最初にサンフランシスコに降り立ったとき、強烈な違和感を覚えたことだろう。アメリカ人の家庭で妻ではなく夫がお茶を入れたことに驚く。当時の日本人には理解しがたい文化だった。その違和感が福澤先生の知的好奇心を刺激した。
福澤先生の関心は文化から文明へと向かっていく。文化は土着のものであり、その土地独特の何かに根ざすものだ。空港に降りたって感じるにおいのようなものだ。しかし、文明はより普遍性を持つもので、他の社会に移転可能なものだろう。
例えば、自動車は文明の利器だ。世界中のどこでも道路と燃料があれば走ることができる。しかし、車をピカピカにしておかなくてはならないと考える人が多いのは日本の文化だ。アメリカ人の多くはそれほどこだわらない。Googleの検索エンジンは世界中の多くの国で使える。しかし、どんな検索ワードを入れるかは、各人が置かれた文化的な影響を大きく受ける。文明は学びやすい。しかし、文化は、その中に入ってみないとわかりにくい。
そして、文化は異なるものだからこそおもしろい。新型コロナウイルスのパンデミックによってグローバリゼーションは大きな打撃を受けたが、文明化を追求するグローバリゼーションの流れはいずれまた戻るだろう。グローバリゼーションが進む中で文化は変化し続けるだろうが、それでも文化的な差異は残る。他の文化を完全に理解することもまた難しい。だからこそ、外国で学ぶことに意味があり、他者を理解するための相対的な視点を得ることができる。
一貫教育校というシステムは日本独特の制度であり、諸外国ではあまり例がない。一定の学業成績を収めれば、慶應義塾大学に進学することができる。より多くの時間を自分の興味の追求に使うことができる。そして、ニューヨーク学院の生徒たちは、アメリカに滞在し、英語で学び、寮生活を通じて一生の友人を得るという他の慶應義塾の一貫教育校にないメリットを享受することができる。
ニューヨーク学院が、単にアメリカにある日本の学校であって欲しくはない。慶應義塾のスピリットを身につけながら、アメリカの文化と日本の文化を学ぶ場所であって欲しい。2021年5月に就任した伊藤公平塾長は、2025年までの慶應義塾アクションプランの基本概念として「未来の先導者、グローバルシチズンとしての理想の追求」を掲げた。慶應義塾ニューヨーク学院はその一翼を担うことができるはずだ。