ブラッカーによると、福澤にとって当時の階層制に基づく封建主義は新しい時代には受け入れがたく、「そうした価値観は、西洋文明の最も重要な支柱であると福澤が考える『実学』や『独立』という日本に欠如している価値観に置き換える必要があった」とブラッカーは書いている。
その後、福澤はその生涯を懸けて日本人を啓蒙し近代化へと導くことを目指した。そのため1860年代から福澤の著書のテーマは広範囲に及ぶ。なぜなら「啓蒙する」ということは、新しい知識を与えるだけではなく、世の中に関する全く新しい視野を示すことだからだとブラッカーは指摘している。
1954年10月19日の紙面では、伊藤博文、渋沢栄一、福澤という明治時代の3人の開拓者を取り上げ、彼らがジャパンタイムズにとって「育ての親」の役割を果たしたと説明している。この記事は福澤について、「ジャパンタイムズが始動するために必要な資金の調達を支援した」と述べている。同様に伊藤は、1890年に彼の私設秘書であり後にジャパンタイムズの初代主筆になった頭本元貞が欧州や米国における新聞出版業を視察するために資金援助をしたことを伝えている。