私の専門分野は大きく言えば「社会変動論」。近現代の社会構造の変化に伴う人々の価値観や文化、政治・経済の変容を、マクロ&グローバルな視点から考察する社会学の一分野です。その中でも国境を越える人々の移動と、それに伴い多文化化する社会について、主に日本とオーストラリアをフィールドに理論と実証の両面から研究を進めてきました。
近年、「多文化共生」という言葉がクローズアップされるようになりました。私はこの「共生」という言葉が社会でどのように使われ、それがどのような帰結をもたらすのかという問題意識をもっています。
「共生」という日本語はもともと、異なる種類の生物が「相互関係を持ちながら同所的に生活する現象」を表す生物学の用語として知られていました。例えばクマノミとイソギンチャクの「共生」関係といったことです。それが1970年代頃から「自然との共生」「社会的弱者との共生」などと人文社会科学分野でも使われるようになり、2000年代に総務省によって「多文化共生」が行政用語として広く使われるようになりました。
「多文化共生」。一見、文句の付けようもない言葉ですが、日本に住む外国にルーツをもつ人々にとって良いことばかりではありません。国や自治体の「多文化共生」施策には、そうした人々に言語や文化の面で“日本人”との同化を促すパターナリズムに陥っているものもあります。「多文化共生」に限らず「共生」という言葉のあいまいさが、差別や不平等、不公正の存在を見えにくくしてしまうこともあります。