-最終的にはトップリーグの強豪である株式会社東芝に就職されました。
廣瀬:東芝のラグビーチームには、大学時代の出稽古でよくお世話になっていました。チームの雰囲気がとても良くて「この人たちとラグビーができたら楽しいだろうな」とずっと思っていました。慶應のスタイルとは違った個々が動くラグビーにも共感していました。しかし、チームに加入した当初はなかなか自分のプレーが通用しなくて焦りました。今思い返すと、まだまだトップリーグで戦うためのスキルとマインドを持つことができていなかったのだと思います。
-それでもやがてキャプテンとしてチームを率いることになりました。
廣瀬:最初のシーズンは前任の名キャプテン、冨岡鉄平さんのスタイルを引き継ごうとして空回りし、チームがぎくしゃくしてしまいました。そこで2年目には自分らしさを前面に出すことに。チームみんなの話を聞きながらチームづくりに取り組んだところ、自分も、みんなも、ずっと楽しくラグビーに取り組めるようになり、その年のトップリーグ優勝につながったと思います。学生時代と違ってトップリーグでは自分よりキャリアがある選手、技術の高い選手、海外から来た選手などがいます。ただチームを引っ張るのではなく、選手一人ひとりをよく知り、言葉で相手を納得させる能力がキャプテンに求められています。監督もそうした周囲への配慮ができる人間として私をキャプテンに選んだのではないかと気付きました。
-東芝ではベテランと若い選手をペアにする「メンター制」や、トップリーグで「キャプテン会議(現・リーダー会議)」を主催するなど、チームづくりやキャプテンのあり方などについて意識的に考えられていました。
廣瀬:「メンター制」というのはメンターとなるベテラン選手が若手に寄り添うことで、なかなか自分から発言できない若手選手の声を引き出すための方策でした。これによりチームの風通しが良くなったと思います。前任キャプテンの冨岡さんが「キャプテン会議」を設立されました。トップリーグ全14チーム(当時)のキャプテンが集い、チーム間のコミュニケーションと情報共有を図るとともに、日本ラグビー発展のための方策などを話し合いました。
-東芝時代は日本代表にも選出されました。
廣瀬:やはり代表というのは特別な経験です。なにしろ日本国民の期待を背負って戦うのですから、他ではなかなか味わえない思いを抱くことになりました。
-2012年に代表監督(ヘッドコーチ)に就任したエディー・ジョーンズ氏が5年の代表ブランクがあった廣瀬さんを「これまで出会った中でナンバーワンのキャプテン」と抜擢したことも大きな話題となりました。
廣瀬:実は私自身がいちばん驚きました(笑)。監督はこれまでの日本代表の戦い方を繰り返していては世界で勝てないという認識のもと「JAPAN WAY」、自分たちのスタイルを作り上げようとチームを鼓舞しました。確かにその通りで、それまでの日本代表は強豪に負けて当たり前という甘えがあったことも事実です。私はキャプテンとして、どのように監督の強い思いを選手につなぐかという課題に向きあうことになりました。エディーさんは私が出会った監督の中で最も厳しい人で、当時はつらい思いもしました。でも、思い返すとラグビーについてほんとうに多くのことを学ぶことができたと思います。やはり偉大な監督でした。
-代表キャプテンとして臨んだ強豪ウェールズとのテストマッチで見事な勝利を飾ったことは日本のラグビーファンを大いに沸かせました。その勝利は2年後の、ラグビーワールドカップ2015南アフリカ戦での感動的な勝利につながったのではないかと思います。
廣瀬:私自身もそう思っています。キャプテンがリーチマイケル選手に代わった後も、日本代表は確実に強くなっていきました。ワールドカップ2015で、私はベンチ入りできませんでしたが、応援ビデオを上映するなど選手たちのモチベーションアップのために何ができるかを常に考えていました。