事の始まりは1899年の秋。当時、大学部理財科で英語講師を務めていた英国人のE・B・クラークは、気持ちの良い季節にもかかわらず無為に過ごしている学生を見てラグビーを教えようと思いついた。早速、自分と同じケンブリッジ大学で学んだ田中銀之助に通訳兼コーチとして協力してもらい、学生たちにラグビーを教えた。
初めての試合はその2年後の1901年、横浜の外国人クラブYC&ACと対戦し、35対5のスコアで大敗した。体格や知識に大きな差があり、ラグビースパイクを着用していたのはクラークと田中の2人だけというハンディがあったが、クラークは歯がゆさから試合中に「You employ JUDO !(柔道を用いよ)」と叫んだと伝えられている。その後、クラークを部長とした蹴球部は体育会に正式加盟。YC&ACに大敗してから7年を経た1908年、フォワードの「セブンシステム」という独自の戦術を考案し、見事に12対0のスコアで雪辱を果たし、歴史的な初勝利を手にすることができた。