「一人の子を産めば一人だけの苦労を増すと共に歓びをも亦増し、二人三人次第に苦楽の種を多くして半苦半楽、詰る処は人生活動の区域を大にするものと云う可し」
先生は「家族団欒は至極楽しきことなれども」、それは労が伴う「苦楽の交易」であると記している。家族のこととはいえ、情に寄りかからずに、合理的な考えを大切にする先生らしい言葉である(いずれも『福翁百話』)。
福澤先生の9人の子供たちのその後は、長男の一太郎は教育者となり義塾社頭に、次男の捨次郎は時事新報社長になった。里、房、俊、滝、光の5人の女子はそれぞれ結婚したが、長女の里は夫が早世した後、福澤家で過ごした。三男の三八は義塾で数学者として教え、四男の大四郎は実業家となった。