2月3日の福澤先生の命日は「雪池忌」とも称され、塾生やその家族、塾員、教職員など、先生の墓前に手を合わせる参列者が朝から絶えることがない。
福澤先生は明治34年のこの日、三田キャンパス内にあった自邸で逝去された。満66歳、脳溢血だった。福澤先生の遺志を尊重して葬儀は義塾による塾葬とせず、福澤家の菩提寺である善福寺で行われ、霊柩は、生前の先生が自ら選定した上大崎の墓地に葬られた。この墓地は当時、本願寺が管理していたが、明治42年に芝増上寺(浄土宗)の末寺である常光寺が移転してきたため、以降、常光寺の墓地として長く親しまれてきた。晩年の先生は三田近郊をよく散歩していたが、その際、高台で眺望のよい上大崎のこの地を気に入ったようである。
しかし、福澤家はもともと浄土真宗であったため、昭和52年墓所が常光寺から善福寺に移された。常光寺の墓所跡には、記念碑「福澤諭吉先生永眠之地」が義塾によって建てられている。