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塾生が気になる塾長の素顔~紙面では載せきれなかったエピソードも公開~
2025/12/25
塾生がコンテンツを企画・制作する慶應義塾Web連載「Keio LIFE」が2026年度から始動します。これに携わる塾生編集部4名が伊藤塾長の素顔にせまるべく、率直に質問しました。
『塾』 WINTER 2026(NO.329)の紙面では載せきれなかったエピソードも含めて、完全版をお届けします。
※学年はインタビュー当時
Q 塾長にも失敗談はありますか?(西出君)
塾長:いきなり厳しい質問ですね(笑)。もちろんあります。塾長就任以来、多忙な日々が続いていますが、あまりにも忙しいときなどにリモート会議の予定を忘れてしまう。特に車で移動中のリモート会議が危険で、実はこれまで3回ほど忘れてしまい、関係者の方にはたいへん申し訳ないことをしてしまいました。
なぜ忘れてしまうのかと言えば、移動中の車の後部座席は私にとって思索のスペース。塾長として、慶應義塾が直面している課題の整理を行うこともありますし、塾生たちのために慶應義塾がどのように進化していくべきかなど、さまざまな「思考実験」に没頭していることもあります。良いアイデアが思い浮かぶと、面白いように次々と思考が進んでいきます。そして考えることに夢中になっていると、あっという間に時間がたち、気がつくと会議の予定時間が過ぎている……。言い訳のように思われるかもしれませんが、決して自分自身のことにかまけていたり、単なる不注意ではないことを申し添えさせてください。もちろん、ご迷惑をおかけした方には、あらためてこの場を借りて深く、深くお詫びしたいと思います。
西出:そのような失敗をされることもあるのですね、驚きました。
塾長:こうした失策を防ぐために、すべての職務を自分でこなそうとするのではなく、教職員の方々やいつも私を支えてくださっている慶應義塾の理事の方々の力をできるだけお借りするようにしようと心掛けているところです。
かつて理工学部長だった頃、私はすべて自分が引き受けねばならないという気負いがあったと思います。ところがよりによって忙しい入試シーズンに病気で入院することになりました。どうなることかと心配したのですが、学部長が不在でも、その年の理工学部の入試は問題もなくスムーズに終わりました。そのとき、私はあらためて仲間の存在のありがたさを身にしみて感じたのです。同時に心の底から仲間を信頼し、感謝する気持ちが湧き上がってきました。ちなみにこの仲間の中にはプライベートでいつも私を支えてくれる家族も含まれています。
Q:最近面白かったエンタメ作品は?(宮家君)
塾長:映画や読書は大好きです。映画館に足を運ぶこともありますし、飛行機での出張時には機内で映画鑑賞するのが大きな楽しみになっています。アカデミー賞受賞作品などもできるだけ見るようにしていますね。
思い出深い映画作品を一つ選ぶならば『フォレスト・ガンプ 一期一会』かもしれません。ハンディキャップを抱えながらも優しい心と人並みはずれた俊足を持つ主人公フォレスト・ガンプの半生が、アメリカ現代史と重ねて描かれるコメディタッチのヒューマンドラマです。1994年に公開され、アカデミー作品賞など6部門を受賞しました。塾生の皆さんが生まれる前に作られた作品ですが、機会があればぜひ一度鑑賞してみてください。
最近の映画では『ミッション:インポッシブル』最新作や大きな話題となった『国宝』がとても楽しめました。先日は友人である石黒賢さんが主演した舞台『反乱のボヤージュ』を鑑賞しました。こちらは小説が原作で、大学の学生寮の存続運動をめぐるストーリーです。目の前で人間が演じる舞台は映画とはまた違った面白さがあります。以前、アメリカに出張したときは空き時間をつくってブロードウェイでミュージカルを満喫しました。
宮家:小説で面白かった作品はいかがですか?
塾長:たくさんありすぎて、キリがありません(笑)。そうそう、2025年は三島由紀夫の生誕100年、没後55年の節目でした。三島は『仮面の告白』『金閣寺』、遺作となった『豊饒の海』4部作などの重厚な純文学作品で知られていますが、実は『夏子の冒険』『命売ります』などコミカルな娯楽作品も残しており、興味がわいたら、ぜひ読んでみてください。今の若い世代でも楽しめると思いますよ。
ご質問のエンタメではありませんが、終戦80年ということで歴史学者・加藤陽子さんの戦争に関する著作を読み直してみました。第二次大戦中、慶應義塾大学は空襲で大きな被害を受け、学徒動員された多くの塾生が戦地で命を落としています。若い皆さんを預かる教育機関の責任者として、また一人の教育者として、戦争について思索を深めることはとても大切なことだと考えています。
Q:今、行ってみたい国や地域は?(𠮷岡君)
塾長:これまで仕事や観光で多くの国を訪れましたが、世界にはまだ行ったことがない国がたくさん残っています。例えば「トルコ」がそうですね。機会があればぜひ訪ねてみたい。
なにより妻が伝統装飾美術のモザイクが好きなので、本場のトルコモザイクを一緒に見たいと思っています。トルコ南東部、シリアとの国境付近に世界最大といわれるモザイク博物館があるのですが、現在は治安が悪いので、もし安全が保障されるようになれば訪れてみたいです。
また私はウインタースポーツではスキーが好きなので、スイスなど欧州の広大なスキー場で1週間ぐらいゆっくりとスキー三昧の日々を送ってみたいという夢があります。ただ、いずれも塾長の任にある間は難しいと思いますので、将来の楽しみとしてとっておきます。
𠮷岡:海外での食生活で好き嫌いはありますか?
塾長:ありませんね。海外旅行に日本食や醤油などの調味料を持って行かれる方もいらっしゃいますが、私はどこの国の料理もおいしくいただけるので、むしろ現地グルメに舌鼓を打つことが海外旅行の大きな楽しみになっています。
大学院時代に米国西海岸に留学した際も、若かったこともありますが現地の脂っこい料理を存分に楽しんでいました。ただし、年を重ねて大きな病気も経験しましたので、最近は脂質のとり過ぎや栄養バランスを考えた食生活を心掛けています。やはり、健康管理というのも塾長としての大切な仕事ですから。
そうそう、海外でのグルメの楽しみの話をしていてふと思い出しました。最初の質問の「失敗談」がドイツを訪れたときにありました。本場の瓶ビールを味わおうと思ったのですが、なんと栓抜きを持っていなかったのでその場で泣く泣く購入を諦めたことがありました。あれは大きな失敗で、今でも思い出すたび後悔の念が湧いてきます(笑)。
Q:なぜ研究者の道を選ばれたのですか?(𠮷岡君)
塾長:もともとはビジネスマンになる予定で、高校3年生のときには経済学部に進学するつもりでした。ところがそのことを父に相談したら、「経済学は大学院から学んでも遅くない。まずは学部で技術について学びなさい」とアドバイスされました。
確かに理工系の専門教育は若い頃に受けておいた方が良いかもしれない、と迷いながらも理工学部に入学しました。理系科目も嫌いではなかったですし……。そんな父の助言を受けての学部選択でしたが、いざ4年生になって本格的に研究に取り組むとたちまち夢中になってしまいました。その後はもうビジネスマンになることなどすっかり忘れていましたね(笑)。
最先端の研究をしようと大学院はカリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)に留学し、修士と博士の学位を取得。固体物理、そして次世代コンピュータとして注目されている量子コンピュータの研究者としての道を歩んできました。そんなわけで「なぜ研究者の道を選んだのか?」と問われると、やはり「好き、楽しい、面白い」と答えるしかなく、それが研究者になった最大の動機です。
𠮷岡:素晴らしいですね。就活生にとってはたいへん勇気づけられるお話です。
塾長:就職活動を始めるにあたって不安に思われている塾生の皆さんも多いかもしれませんが、今の就職市場は完全な売り手市場です。自信を持って自分が好きなことに熱中して、自分が心引かれる道に進むことが何よりもの「就活」だと私は思っています。私の場合、決して計画的な人生ではなく、その時々で心惹かれる道を選んできました。その結果が現在の私であり、自分自身ではそれで良かったのだと思っています。
Q:AI時代を生きるために必要なことは?(西出君)
塾長:「学び続けること」。月並みかもしれませんが、それに尽きると思います。
福澤諭吉は19歳で蘭学を学び始め、幕末~明治期の激動の時代の中で30代までひたすら学び続け、日本の近代化のために自分が果たすべき役割を探す日々を送っていました。それから約160年後、AI革命というやはり激動の時代を生きる若い世代の皆さんも、福澤のようにぜひ「学び続ける」意志を持ち続けてほしいと私は願っています。
確かにAIの目覚ましい進化は私たちの日常に大きなインパクトをもたらしました。この数年であっという間に生成AIが普及し、今では塾生の皆さんも当たり前のようChatGPTなどを使いこなしています。歴史をさかのぼってみるとそのインパクトはかつての産業革命に匹敵するでしょう。私たちも教育機関として「AI革命」後に社会で活躍する世代を見据えた教育・研究環境の整備も今後継続的に取り組むべき重要なテーマと認識しています。ただしAIはあくまでもツールであり、文明の主役は私たち人間です。
西出:確かにおっしゃる通りです。
塾長:でしょう? 「人間」そのものは有史以来大して進化していません。江戸時代の人間も現代の人間も基本的な知力・能力に大きな差はないはずです。私は「AI革命」後の未来を見据えつつも、そうした本来の「人間」を見極めることも教育研究機関として大切だと思っています。
そのためにも新しい時代のトレンドをキャッチアップしていくと同時に、総合大学としてのポテンシャルを生かして、塾生一人一人が人間として抱く多様な好奇心や探究心に応える場としての大学をつくっていきたい。授業や研究室、留学制度はもちろん、サークル・部活動などを含め、いわば大学とは「知のテーマパーク」です。その多彩な「アトラクション」を塾生それぞれの夢や好奇心に応じて存分に使い倒してほしいと思っています。質問のAIに関しても2019年よりAIを自主的に学習する「AI・高度プログラミングコンソーシアム(AIC)」を立ち上げ、大学生だけでなく中高生を含む多くの人々がAI革命の先導者となるべく学び、産学連携プロジェクトなどにも参加しています。
そして「学び続けること」は大学卒業後も継続してほしい。一度社会に出た塾生がキャリアアップや新しい道に進むために、大学院に戻って学べるようなシステムをつくっていくことも必要でしょう。学び続けようとする人を生涯応援し続ける、そんな慶應義塾大学でありたいと思っています。
Q:現代に慶應義塾が生み出せる価値とは?(森居君)
塾長:慶應義塾大学は10学部・14研究科を有する総合大学=「知のテーマパーク」ですから、生み出せる価値は幅広い領域でたくさんあります。
先ほども言ったとおり、AIはあくまでもツールに過ぎません。まだまだ進化するAIそのものの研究も大切なのですが、私自身はそれぞれの専門分野の教員がAIを利用しながらどのようにそれぞれの研究を深めていき、より良い世界をつくっていこうとしているのかを注視しています。平和な世界をつくり、私たちの生活を豊かに、便利にしてくれる先進テクノロジーはもちろん、医療や社会福祉、社会科学や人文科学分野においても社会貢献と未来を創造する多彩な研究が進められています。
森居:そうした研究について私たち塾生は、もっと知っておくべきかもしれませんね。
塾長:現在、Webサイトで一部学部の「研究者紹介動画」をリリースしています。見るたびに「こんな面白い研究をしているのか!」とワクワクさせられます。塾生の皆さんも、それらの動画を見ていただくとAIをはじめとする先進テクノロジーだけでなく、地域研究、国際交流、福祉・弱者救済など、慶應義塾大学の研究者たちが各分野の先導者として、より良い社会をつくるための多彩な研究を進めていることがわかるはずです。
とりあえず自分の所属学部学科の教員がどのような研究をしているのかあらためて調べてみてはいかがでしょうか。さらに他学部の教員にどのような研究者がいて、どんなことを目指して、どのような研究をしているのかを調べてみると面白いと思いますよ。
Q: AI時代の「人間らしさ」「教養」の価値とは?(森居君)
塾長:たいへん素晴らしい質問です。今や教員、塾生にかかわらず、これからどのようにAIと付き合っていくかを一人一人が考え、判断を迫られる時代であり、教育研究機関である大学としてもご質問のAI時代の「人間らしさ」「教養」の価値を再検討する重要性が増してきました。私自身も日々その問いに向き合っているところです。
森居:慶應義塾としての具体的な取り組みはありますか?
塾長:ありますよ! 2024年7月、「実践的人間学」の伝統を踏まえて、慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)に文系を軸とした領域横断研究拠点「X Dignityセンター」を開設しました。
近年のAIを含むテクノロジーの急速な進化とともに、AI(マシン)と人間、仮想と現実、国内と国際、文系と理系などさまざまな境界があいまいになり、あらゆる事物が交差=クロス(X)しているのが現在の私たちが生きる世界です。その中であらためて私たち「人間」とはいかなる存在なのか、そしていかなる存在であるべきか……その「尊厳(dignity)」を原理にさかのぼって探究することが「X Dignityセンター」の最大の目的になります。
「X Dignityセンター」の活動は人文・社会科学的なアプローチを基軸にしながらも、積極的に理系分野とのコラボレーションを図り、さらに産業界をはじめ市民社会とのクロス(X)も重視して、社会全体に「知の連環(academic chain)」を張り巡らせることも重要な使命であると考えています。AI時代における「人間性」や「教養」の価値、人間の「尊厳(Dignity)」について領域横断的な研究開発を進める「X Dignityセンター」。塾生の皆さんもぜひその活動に注目をしてください!
Q:大学生活で心掛けるべきことは?(宮家君)
塾長:たくさんのリアルな「人間」を知ることです。最近の生成AIはユーザーのご機嫌をとるようになっていますが、大学時代は従順なAIばかりと対話しないで、キャンパスでさまざまなタイプのリアルな人間と対話してください。
多くの塾生は慶應義塾大学に入学して、それまで出会ったことがないタイプの人と出会うことになったと思います。その中には苦手だと思う人や自分とはまったく異なる価値観で生きている人もいるかもしれません。人間はどうしても自分と同類と思われる友人同士で固まってしまうものです。確かに意見が合わない友人の存在はリアルでの会話でも、SNSでのコミュニケーションでも、面倒くさいし、時にはストレスにもなります。
しかし実は人間としての視野を広げて成長するためには、「相性が良くない」「意見が合わない友人」の存在はたいへん貴重なのです。というのも塾生の皆さんも社会に出れば、日々自分と異なる意見の人々との合意形成を繰り返していくことになるからです。
宮家:あえて自分と異なる意見を持つ人と対峙することが大切なのですね。
塾長:そうです。世の中の仕事の多くは突き詰めると「合意形成」、すなわち多様な意見のすり合わせによって成り立っています。学生時代、授業やゼミ、あるいはサークル・部活などで異なる意見を持つ友人とディスカッションする経験を多く持つことによって、どのような仕事でも役立つ合意形成のトレーニングをすることができる。また、異なる意見と接し、その相手を理解しようと努めることで、自分の視野の狭さを自覚することになるでしょう。そのときは落ち込んでしまったり、嫌な気持ちになったりするかもしれませんが、議論を重ねた末に獲得した新しい視野はきっとあなたを大きく成長させてくれるはずです。
私は塾生が合意形成のプロセスを経験できる教育プログラムを学部や大学院につくりたいと思っています。あるいは正規のカリキュラムではなく課外活動的なプログラムでもいいかもしれません。組織や市民社会から国際政治まで、私たちが直面する課題はだれか一人のカリスマ的存在が解決するのではなく、多くの人の知恵を集めた合意形成でこそ解決できるものだと信じています。
宮家:ウクライナやパレスチナの戦争もそうですね。
塾長:その通りですね。平和で豊かな社会・世界を築くことができる合意形成のスペシャリストを社会に送り出すことも教育研究機関としての大きな社会貢献です。慶應義塾からそうした人材を世界に送り出すことが私の夢であり、使命だと思っています。
この記事は、『塾』WINTER 2026(No.329)の「特集」に掲載したものです。
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