登場者プロフィール
渡部 康羽(わたなべ やすは)
京都大学大学院工学研究科材料化学専攻助教、慶應義塾大学訪問研究員(2025年度まで)。専門は分子生物学、生物工学。元慶應義塾大学先端生命科学研究所高校生研究助手2期生(2010-11年)。渡部 康羽(わたなべ やすは)
京都大学大学院工学研究科材料化学専攻助教、慶應義塾大学訪問研究員(2025年度まで)。専門は分子生物学、生物工学。元慶應義塾大学先端生命科学研究所高校生研究助手2期生(2010-11年)。岩崎 由香(いわさき ゆか)
理化学研究所生命医科学研究センターチームディレクター政策・メディア研究科 特任准教授塾員(2006環、08政・メ修、11政・メ博)。博士(学術)。専門はゲノム生物学、分子生物学、RNA生物学。
岩崎 由香(いわさき ゆか)
理化学研究所生命医科学研究センターチームディレクター政策・メディア研究科 特任准教授塾員(2006環、08政・メ修、11政・メ博)。博士(学術)。専門はゲノム生物学、分子生物学、RNA生物学。
玉木 聡志(たまき さとし)
株式会社MOLCURE代表取締役CEO兼CSO環境情報学部 卒業政策・メディア研究科 卒業塾員(2009環、18政・メ博)。博士(政策・メディア)。専門はシステムゲノム科学、生命、健康、医療情報学。
玉木 聡志(たまき さとし)
株式会社MOLCURE代表取締役CEO兼CSO環境情報学部 卒業政策・メディア研究科 卒業塾員(2009環、18政・メ博)。博士(政策・メディア)。専門はシステムゲノム科学、生命、健康、医療情報学。
前橋 和毅(まえはし かずき)
Dr.JOY株式会社院内メディア事業部責任者執行役員政策・メディア研究科 卒業塾員(2022政・メ修)。損害保険ジャパン株式会社との革新的人材育成事業により同社在籍時の2020-24年、慶應義塾大学先端生命科学研究所にて研究に取り組む。
前橋 和毅(まえはし かずき)
Dr.JOY株式会社院内メディア事業部責任者執行役員政策・メディア研究科 卒業塾員(2022政・メ修)。損害保険ジャパン株式会社との革新的人材育成事業により同社在籍時の2020-24年、慶應義塾大学先端生命科学研究所にて研究に取り組む。
湯澤 陽子(司会)(ゆざわ ようこ)
先端生命科学研究所特任准教授塾員(1999環、2001政・メ修、2004政・メ博)。博士(学術)。東京大学特任助教、ローレンスバークレー研究所博士研究員等を経て2025年より現職。専門は疾患ゲノム、現在はURA。
湯澤 陽子(司会)(ゆざわ ようこ)
先端生命科学研究所特任准教授塾員(1999環、2001政・メ修、2004政・メ博)。博士(学術)。東京大学特任助教、ローレンスバークレー研究所博士研究員等を経て2025年より現職。専門は疾患ゲノム、現在はURA。
キャンパスが開設されたころ
2001年に鶴岡タウンキャンパス(TTCK)と慶應義塾大学先端生命科学研究所(先端研、IAB[Institute for Advanced Biosciences, Keio University])が開設され、今年25周年を迎えました。今日は、鶴岡で研究活動に取り組んでこられた皆様と、TTCK・先端研の研究・学習環境についてお話しできればと思います。
私自身は、修士2年生の時に初めて鶴岡に来ました。今は研究施設が大変充実していますが、2000年当時はまだ最初の建物の建設工事が進んでいる状態でした。湘南藤沢キャンパス(SFC)ではできなかった本格的なバイオの実験ができると聞き、鶴岡で研究する道を選びましたが、開設当初のTTCKは、先端研前所長の冨田勝さんをはじめ教職員の皆さんは忙しく、ある種の放任主義的な状況でした。
私たちもティーチング・アシスタントを担当しながら、自分の研究を進めていました。何を研究すべきかを主体的に考える作業は試行錯誤の連続でしたが、イノベーションが自然発生する現場を目撃しているような高揚感がありました。
最初に、皆さんが鶴岡で研究に取り組む中で、どのようなことが良かったかについてお聞かせいただきたいと思います。岩崎さんが来た時の鶴岡はどんな様子だったのでしょう。
私は湯澤さんが博士課程の時に学部生で、鶴岡に行き始めた時はまだ、現在鶴岡サイエンスパークと呼ばれる地域に「ラボ棟」の小さな建物が一棟立っているだけでした。そのような中で、環境情報学部2年生の時にバイオキャンプに参加し、本格的に鶴岡で過ごしました。
実は私にとって、最初の大きな決断は進学先にSFCを選んだことでした。受験のために取り寄せたパンフレットの中で、冨田さんが「コンピューターとバイオを結びつけて新しいサイエンスをやる」といった趣旨のことを謳っており、「この先生の研究室に行きたい」と思いました。偶然のような出会いでしたが、そうしたきっかけから学部1年の秋には冨田研に所属し、早い段階から鶴岡で研究したいと希望していました。
冨田さんは「サイエンスは究極の遊びだ」という姿勢を大切にされる、カリスマ的な存在で、学生の主体性も尊重してくださいます。私が、当時の研究室では誰も研究対象にしていなかった小分子RNAを研究したいと言い出した時に、丁寧にサポートしてくださったのが金井昭夫さん(現名誉教授)や研究室の先輩方でした。そこに同期や後輩も加わり、皆で切磋琢磨しながら研究する環境が私にはとてもフィットしました。
自主性が鍛えられる環境
玉木さんもSFCからTTCKに来られ、鶴岡で起業されました。鶴岡の環境をどのように見ていたのでしょう。
僕が所属していた研究グループはSFCにあったので、鶴岡に本格的に移住したのは博士課程からです。それまでは春季や夏季の特別研究プロジェクト(春プロ、夏プロ)の機会に時々行くくらいでしたが、鶴岡の先生方には親しくしていただき、学部生の頃からすでにいろいろな関係性を築いていました。
実は僕も、大学受験のパンフレットで鶴岡のことを知りました。受験生の頃から情報系の研究がしたいと考えていましたが、情報以外の領域にも興味があったのです。この時に、生物とITを繋ぐ「生命情報科学」の領域があることを知りました。入学後、指導教員の荒川和晴さん(現先端生命科学研究所所長)がSFCにいたため、すぐに鶴岡に行くことはありませんでしたが、荒川さんも春プロや夏プロの機会によく鶴岡に滞在していました。
僕は博士号を取得するまで、先端研でゲノムやRNA、プロテオームといったバイオサイエンスの中心的な領域で研究に取り組んできたのですが、そうしたことが可能だったのは5つの研究グループを転々としながら研究できたからです。そんな人はあまりいませんが、こうした経験ができたのはSFCと先端研の特殊性があったからこそだと思います。
湯澤さんの言うとおり、先端研には放任主義にも似た主体性を尊重する気風がありますが、自分からアクションを起こすとそれを受けとめてくれる人がいます。自主性が鍛えられる良い環境です。マイペースな性格の僕にも辛抱強く付き合ってくれる先生方がおり、自由な環境で知的好奇心を満たしてくれる環境は世界的にも稀有なのだと思います。
前橋さんは損保ジャパンとの革新的人材育成事業で、社会人大学院生として鶴岡に来られました。鶴岡の自由な気風は、社会人の方々にとって大変な面もあったのではないでしょうか。
そうですね。当時、私が勤めていた損保ジャパンでは、先端研と包括連携協定を結び人材育成する取り組みが2018年にスタートしました。私はその二期目となる社会人大学院生でした。
損保ジャパンが当時こうした取り組みを進めていたのは、今後の発展のために"尖った人間"を育成する必要が感じられていたからではないかと思います。第一期の取り組みはテレビ番組で紹介され、「全社員が見るように」と通達されましたが、私は自分には縁がないと思っていました。ところがその半年後、「君にも鶴岡に行ってもらう」と言われ、とても驚きました。
一期目の先輩たちからはあたかも人材育成のメニューが用意されているかのように聞いていたのですが、実際に行ってみると、何をしてよいかもわからず、他の企業から来ている同じ社会人大学院生も一様に試行錯誤していました。辞令が出てから1カ月半後には研究計画書を提出しなければならない状況で、「そもそも何に興味があるのか」というところから考えることになりました。
マイペースな研究者が多い環境で、前橋さんは常に積極的に研究を推し進めてくださっていたように見えました。
後から聞いたところによると、冨田さんは「バイオの研究者は大勢いるので他の研究をしてもいい。鶴岡に違う風を吹かせてほしい」とおっしゃっていたそうです。何をやってほしいということはなく、むしろ「ミッションを与えないことがミッション」とされていた。これもある種の放任主義かもしれませんが、私は、PS(政策形成とソーシャルイノベーション)分野の研究グループに入りました。
私は荒川さんとコミュニケーションをとる機会が多かったのですが、冨田さんが主導する「未来創造鶴岡会議」とは違う形の取り組みとして、都内近郊で自分たちの活動をアピールできる場(現在の鶴岡企業セミナー)を創ったりしました。これは2023年から始めた企画で、荒川さんが主体となって継続していただき、今年で4回目になります。
鶴岡の特色は、異文化の人々を受け入れる土壌にあると感じています。鶴岡の4年間は行政や市民の方々とも触れ合える貴重な時間でした。イノベーションが起こり、多くのベンチャーが誕生するのも、こうした土壌があるからこそだと感じます。
地元の教育に寄与する
渡部さんは「高校生研究助手」のプログラムで研究助手としてTTCKに来られました。地元出身の渡部さんにはまた違う鶴岡の見え方があるのではないかと思いますが、当時どのようなことに取り組んでいたのでしょうか。
私は鶴岡市の隣りの三川町という小さな町で育ちました。地元の小・中学校を卒業後、先端生命科学研究所の隣りにある鶴岡中央高校に進学しました。2010年に二期目となる高校生研究助手に応募しました。きっかけは中学3年生のホームルームで、同じ中学の先輩が一期生として採用され活躍していることを知ったからです。そこで唯一の連携校だった中央高校に進学することを決めました。
高校時代には、「オイル産生藻類」というオイルをためる藻類や「抗がん剤の有機合成」に関する研究に取り組んでいました。学部と大学院は別の大学に進学したのですが、ポスドク(博士研究員)の時に鶴岡に戻り、荒川さんの下で4年間、クモ糸タンパク質の研究を行いました。
鶴岡に戻るきっかけは、博士課程で在籍していた北陸先端科学技術大学院大学のインターンでした。外部の研究機関でインターンを経験する制度で、普通は指導教員の知り合いの研究室にお世話になるのですが、当時の私はゲノム解析に興味があり、先端研におられる荒川さんのもとでゲノムの知識を深めたいとご本人に申し入れ、快く受け入れてくださいました。
先端研での研究はとても面白く、自然が豊かな環境で集中して取り組むことができました。3カ月間のインターンが終わった後も、ゲノム解析に関する研究に関わりたい気持ちがあり、荒川さんにコンタクトをとって博士研究員として受け入れていただきました。
キャンパスを取り巻く自然環境が研究に良い影響を与えてくれたのですね。"研究環境の先進性"という点ではいかがでしょうか。
私が高校生の頃には、「高校生研究助手」という制度がある大学は他にありませんでした。冨田さんは新しい制度づくりに尽力し実現されましたが、これこそが最も先進的な学習環境と思えます。また、先端研は山形大学や東北公益文科大学、鶴岡工業高等専門学校と連携強化を進めており、「知の拠点庄内」と呼ばれるネットワークを形成しているところにも積極性を感じます。
地域とのネットワーク
冨田さんは、地元の子どもたちの教育にどう寄与できるか、という観点で高校生研究助手の制度をつくったと思います。実際、それによって研究者の道に進む渡部さんのような人も現れました。ささやかなアイデアをすぐに実現できることも鶴岡の良さだと思いますが、前橋さんは"鶴岡の先進性"についてどのようなお考えをお持ちでしょうか。
社会人大学院生はほぼ都会の生活者です。そういう人たちが、自然に囲まれた所で「自分は何をするべきか」と黙々と考える時間が生まれる。仕事がどんどん降りかかる日常がある日突然取り払われ、研究にせよ地域活動にせよ、自分で選択しなければならなくなるのは、社会人にとって特殊な経験だと思うのです。
私が、そうした状況でもやっていけたのは周りの人たちからの影響があったからです。TTCKや先端研が開設以来築き上げてきた地元との関係を私たちは活用させていただきましたが、とくに私は行政の方との連携が必要な活動に取り組み、そうした蓄積を肌で感じることになりました。鶴岡市ととてもスムーズに連携がとれることは、大きなアドバンテージでしょう。
地域との関係性の強さは、研究対象へのアクセスの良さにも通じます。農業に着目した研究をしたいと思えば、キャンパスの外には在来作物が豊富にある。こうした条件も鶴岡の先進性を形づくっていると思います。
前橋さんは政策・メディア研究科修了後、医療ベンチャーのDr.Joyに移られました。同社では鶴岡の革新的放任主義は役に立ったのでしょうか。
役に立ったのは、放任主義よりも鶴岡の起業風土かもしれません。私は2024年に損保ジャパンに戻りましたが、その1年8カ月後に転職を決意しました。もともと起業やベンチャーに縁がないと思っていた私が決断できたのは、先端研の方々が挑戦に人生をかけている姿を見たことが大きいと思います。
会社に戻った後、40歳を迎える頃に「もっとチャレンジしたほうが人生は楽しいはず」と感じたのは、鶴岡に行ったからこそだと思います。
研究者間の交流が生まれる気風
鶴岡の環境が前橋さんの背中を押したというのは何よりです。玉木さんは、バイオインフォマティクスの研究の中でどのようなところに鶴岡の先進性を感じますか。
難しいですが、まず「ごはんが美味しいところ」ということは言っておきたい(笑)。というのも、研究において日々のモチベーションを維持することは重要だからです。研究は長期戦ですし、研究者は皆引きこもりがちになるので、美味しいごはんを食べて「また研究をがんばろう」と思える環境は大事です。
もう一つは、キャンパスや研究所の中でいろいろな専門性の方が一堂に会していて、しかも、みんな仲がよいことでしょうか。「あの先生は違うフロアにいるから訪ねて行くのはためらわれる」といったことは"研究者あるある"だと思いますが、鶴岡ではそういうことがありません。気になることがあれば誰でも訪ねて行けますし、異なる分野の先生ともコミュニケーションがとりやすい。自主的に動くほど情報が集められ、自分の学びに生かせる鶴岡の環境は稀有だと思います。
先ほど渡部さんは研究助手の視点から語ってくださいましたが、年長者にとっても若い人がいる環境は大切です。若い人たちにエネルギーをもらうと、自分もがんばろうと思えますし、自分がかつて感じたワクワクを高校生が体験しているのを見ると、こちらも初心を思い出します。最初のモチベーションを振り返れる機会はとても大切なのです。
岩崎さんはいかがでしょうか。
好きなことを自主的に研究できるのは、とてもありがたい環境でした。理化学研究所で自分のラボを立ち上げた時にも、鶴岡で経験したような、学生や若い研究者が自分の興味を大切にしながら、周囲と相談して研究を進められる環境をつくりたいと思いました。
私もかつて参加したバイオキャンプでは、20人ほどの学生が半共同生活を送るので、参加者同士すぐに仲良くなれます。また、鶴岡は海も山も近く、とても魅力的な場所なので、研究以外の活動を通じて、様々な分野で研究する研究所のメンバーとも自然と顔なじみになれます。
大学院を修了してすでに十数年経ちますが、鶴岡で一生の友だちができました。今でも毎年のように集まっていて、仲間と顔を合わせるたびにとても恵まれた環境だったことを実感します。
私も同感です。鶴岡の良さについて間違いなく言えるのは、"マインドセットを整えてくれる風土"だと思うんです。自然環境の豊かさはもちろんですが、常識にとらわれることなく皆が面白いと思うものを創っていこうとするマインドがある。だからこそ、ここから多くのスタートアップが誕生しているのではないでしょうか。
玉木さんの言う「仲の良さ」もそのとおりです。私も時々、荒川さんと侃々諤々の議論を交わすことがありますが、後腐れなく翌日顔を合わせられます。激しく議論しても決定的な軋轢を生まないのも鶴岡の特徴かもしれませんね。
鶴岡の食文化を考える
ところで私は今、町内会の隣組長を務めているのですが、会費の集金で町内を回る時などに、近所のおじいさんの体調を訊いたり、庭先でとれた柿を山ほどもらったりするコミュニケーションが発生します。都会で暮らしていた時には面倒くさいなと感じるようなことが大事に思えてきます。
こうした交流がある一方で、研究所では先進的な研究を行っている。この対照が私にとって心地よいのです。鶴岡の良さを感じる時の一つは、"マインドセットされる環境の豊かさ"があり、もう一つには、研究と地域の"アンビバレントな関係"があると思っています。
ところで先ほど「ごはんが美味しい」というお話が出たように、鶴岡は"食の都"でもあります。このほどTTCKでは「鶴岡ガストロノミックイノベーション計画」が始まり、鶴岡の食文化に関するプロジェクトに取り組んでいます。地元出身の渡部さんは鶴岡の食に関する思い出はありますか?
私は山菜が好きなのですが、スーパーには豊富な地元食材が毎日当たり前のように並びます。お米をはじめ、海鮮や豚肉、それらの食材を使った郷土料理も美味しいんです。
日本酒も美味しいですよね。鶴岡はだだちゃ豆が名産ですが、何を食べても美味しいのが嬉しい。
そうですね。お米は安くておいしいです。「鶴岡ガストロノミックイノベーション計画」は古来から鶴岡が大事にしてきた"食"について改めて考える良い機会かと思います。山形は四季が豊かで、とりわけ庄内は自給自足の意識が強く、在来の作物が多いと言われています。
渡部さんが言うように、地元マーケットや農協では地元食材の種類も豊富です。調べるうちに、限られた地域、季節しか獲れない特別なキュウリやナスなどがたくさんあることもわかりました。全国的にはあまり知られていませんが、そういうものが家庭の食卓に並ぶ。鶴岡は食文化の土壌がとても厚いことをあらためて学んでいます。
次の25年にむけて
TTCKが開設25周年を迎え、今度は次の25年に向けたキャンパスと研究所のかたち、あるいは成熟した研究・教育環境をいかに目指すのか、ということについて皆さんのお考えを聞かせていただきたいと思います。成熟した研究環境と聞いて玉木さんはどのようなことを考えますか。
難しいテーマですが、僕はむしろ、先端研は成熟した研究環境を目指すべきではないと思います。成熟を回避しながら業界内でプレゼンスを発揮していくことが肝心なのではないでしょうか。先端研はこれまで大きなビジョンを示すことなく来たと思いますが、これには冨田さんのポリシーも反映されているのかもしれません。
他方で、パンフレットにあった「生命と情報を融合する」といったスローガンに触発された世代は多い。そうした、皆が「これは新しいぞ」と思えるビジョンや考えをもっと打ち出してほしいとも思います。
生命情報科学は今、多くの研究者がいますが、25年前に取り組んでいたのはわずかな人たちでした。冨田さんがその一人だったことは間違いありませんが、慶應の先端研でしかできない面白い研究、将来価値が出そうだけれど誰も取り組んでいない研究を、「面白いからやってみよう」と言える環境をつくってほしい。
AIと研究との関わりはこれから避けて通れない分野です。これから10年のうちに研究のあり方も大きく変わるでしょう。研究者のあり方がどう変化するのか誰もわからない中で、私たちが進むべき道の指針を一つ打ち出せるとよいのではないかと思います。
とりわけ「異分野融合」は重要なキーワードだと思います。過去のイノベーションは分野融合領域から起きてきました。すでにその土壌を持っている先端研がこれからのテクノロジーを先導する役割を果たしてくれたら嬉しいし、僕もそこにコミットしたいと思っています。
次のイノベーションを生むために
素敵な言葉をありがとうございます。最年少の渡部さんはいかがでしょうか。
25年の歴史の中で先端研をけん引してきた領域の一つがメタボローム解析です。これからは、それに加えて、新たに世界をけん引するような技術や研究が発展していってほしいです。先端研で育った方々には自由で常識にとらわれない発想を持っている人が多く、今後はそういう人たちにもっと責任のあるポジションに就いていただき、常識にとらわれないイノベーションを生み出す空気を日本中に広げてほしいと感じます。
私も参加した高校生を対象としたプログラムは意義が大きく、他にも先端研が主催するバイオサミットも教育的価値が大きいと感じています。バイオサミットで発表した方が今、研究者となり一線で活躍しているので、先端研ではそういう人たちとの関係を継続して新しい共同研究に取り組めると面白いことが起こるのではないでしょうか。
そしてもう一つ、これは地元民としての声ですが、TTCKを含む鶴岡サイエンスパークは、鶴岡市の就労人口の1%を占める雇用を生み出しています。それだけでも十分すごいのですが、今後は実験装置を企業と共同開発するなど、研究を通して地元の産業や観光を発展させていってもらえると嬉しいです。
そうですね。バイオサミット等のイベントが、卒業生にも集まってもらえる場にできるとよいですね。渡部さんにその中心を担っていただけると嬉しいです。岩崎さんはいかがでしょうか。
私は政策・メディア研究科を修了後に鶴岡を離れ、医学部に研究の場を移しましたが、その後も鶴岡では、革新的人材育成事業や研究助手プログラムなどの新しい取り組みが始まり、ベンチャー企業が次々立ち上がるなど、常に新しい動きがあると感じていました。現状維持で満足せず、もっと新しいことをやろうというエネルギーがTTCKや先端研の強みなので、この先の25年もぜひ続けてほしいと思います。
私の学生時代から、与えられた問題を解くだけでなく、「何を問うべきか」を自分で考える「問題発見」が大切にされていました。AIの活用が広がる今こそ、自分なりの問いを立てる力がますます重要になると思います。SFCや先端研で受けた教育の意義を改めて実感します。先端研には、これからも時代を先取りするような教育や研究を期待しています。
フラットな集団がビジョンを描くには
励みになる言葉を有り難うございます。私も数十年先に必要とされる研究とは何かということをいつも考えています。前橋さんはどうでしょうか。
社会人大学院生として来た時に、冨田さんに言われてよく覚えているのは、「君たちのような人材が組織で責任ある立場になっていくことが大事なんだ」という言葉です。その意味では、研究者と同じように、鶴岡で時間を過ごした社会人同士の繋がりもまた維持されてほしいと思いました。
企業にとってこうした人材育成は、投資対効果の観点から見直され、しばしばトーンダウンしがちです。やむを得ない部分はありつつも、最初の勢いを保って大きなことができる可能性を秘めている。私はその恩恵を受けられた一人だと思いますが、これからもいろいろな企業との人材交流が行われる交差点のような場所であり続けてほしいと感じています。
鶴岡は社会人にとって、自分の進む道を勝ち取れる場所ですし、実際にその道を得た人たちは鶴岡にまた戻ってきたいと思うはずです。そういうチャンスが鶴岡という環境の中でもっと芽生えると、面白い世界になっていくのではないでしょうか。
先ほど玉木さんから「成熟は目指すものではない」という発言がありました。新しいものを追究することが原動力になる、という発想にはとても共感します。私は研究者から研究支援者にキャリアチェンジして先端研に戻ってきましたが、運営側の視点に立つと、皆をまとめるためのビジョンや指針があったほうが良いというのも同意見です。
その一方で、先端研は一人ひとりがPI(研究主宰者)として独立しているフラットな組織であるところに良さがあり、自分の意見を尊重できることが最大の魅力でもある。このギャップをどう埋めるか、というのは、運営に関わる研究支援者にとって悩ましくもやりがいのある課題です。
米国やドイツでトップを走るような研究機関は、常に生まれ変わるための模索を重ねながら、まとまりのある何かをつくっています。「壊してはつくり、また壊す」を運営の人たちが必死にやっている。人手も予算も限られる中で、私たちが世界を引っ張れる存在となるには核となるものが必要なように思います。
それでも今、鶴岡には企業との交流の中でさまざまなプログラムが発生し、そうした取り組みが20年以上続いています。慶應全体で言えば、イノベーション推進本部が誕生しました。推進本部の人たちも鶴岡を起点にプログラムをつくりたいと言ってくださっており、今年も合宿等で多くの人たちが鶴岡に来てくれました。鶴岡の魅力をさらに高めつつ、次の25年をけん引するための答えを考えていきたいと思います。
本日は有り難うございました。
(2026年8月18日、オンラインにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。