慶應義塾

ヒサクニヒコのマンガ何でも劇場〈特別編〉映画世代? 映画脳?

公開日:2026.09.04

執筆者プロフィール

  • ヒサ クニヒコ

    漫画家

    塾員

    ヒサ クニヒコ

    漫画家

    塾員

僕は現在82歳だが、子どもの時代にはもちろんテレビもインターネットもゲームも何もなかった。子どもたちは空襲の焼け跡の空き地で暗くなるまで遊びまくっていた。そんな時代のビジュアルなお楽しみは映画だった。


戦争が終わった昭和20年から昭和40年代の初めはまさに映画は娯楽の王様。全国に映画館が立ち並びロードショーから2本立て、3本立てといった看板が立ち並んだ。アメリカを中心とした洋画のロードショーはもとより大作中心だったが、邦画などは毎週2本立てで封切されるなど、まさにテレビドラマのような作り方だった。


今思い出すと小学校時代に見た映画は驚くほどよく覚えている。ターザンや無数の西部劇、中村錦之助や嵐寛寿郎(あらしかんじゅろう)、片岡千恵蔵(かたおかちえぞう)のチャンバラ映画、毎週のように映画館に通った。空き地での遊びもチャンバラごっこやガンマンの決闘だったりする。「ゴジラ」が公開された時は真冬だったこともあり、子どもたちはみな口から白い息を吐き積み木や砂場で作ったビルを蹴っ飛ばしたものだ。テレビ放映が始まり、プロレス番組が国民的人気を集め始めても映画の人気は衰えることはなかった。このころ集中的にディズニーのオールカラーアニメーションが公開されたのも子どもには大うけだった。何より家族で楽しめる。まだ総天然色映画と呼ばれた色彩にあふれた画面の美しさは格別だった。


焼け跡の日本で公開された「白雪姫」や「バンビ」、「ピノキオ」などが世界大戦の真最中にアメリカで作られたと知った時は本当にびっくりしたものだ。同じようにびっくりしたのが大作映画「風と共に去りぬ」。この映画も日本で公開されたのは戦後だが、オールカラーで戦前に作られていた。南部の大地主の家の豪華なセット、大勢の着飾った俳優や画面を揺るがす大火災、戦後の日本のモノクロの映画がやけに小さくせこく見えたことか。まさに映画のだいご味だった。


当時の小学校ではもちろんテレビやモニターなど無いから、映像を見せる教育には映画見学というのがあった。「二十四の瞳」、ディズニーの「砂漠は生きている」などが印象的だった。「砂漠は生きている」はアメリカの砂漠の自然や生き物を描いたドキュメンタリー映画でアニメの「バンビ」の実写版のような映画だったが、きれいな画面の中の動物たちや季節の変化に見とれてしまった。学校から見に行った映画で忘れられないのが原爆を描いた「ひろしま」。リアルな描写に原爆の恐ろしさが肌感覚で伝わり、真夏の入道雲にきのこ雲を連想し怖くなったほどだ。原爆で亡くなった人をまとめて埋葬したところから頭蓋骨を掘り起こし、アメリカ兵相手に土産物として売ろうとする少年のシーンも忘れられない。「パパママピカドンでハングリーハングリー」アメリカ兵に向かったセリフまで覚えている。つまらなくて覚えているのは記録映画「佐久間ダム」。ただのドキュメンタリーだった。映画としてつまらなかったけど覚えているのは、やっぱりビジュアルが印象的だったからだろう。


こうやって書いていくと、映画は娯楽中心でたまにお勉強風のものもあった印象だが、映画の凄いところというか子どもの柔軟な脳の凄いことと言ってもいいかもしれないが、「佐久間ダム」のように映画としてはつまらなくても画面の中の、ある映像だったりセリフだったり、演出の意図とは別のシーンがインプリントされることだ。延々と続く背景の景色に筋と関係のない地球の素顔を見たり、西部劇で騎兵隊に射ち殺されるインディアンの盾に描かれたバッファローの絵に惹かれたりする。「ゴジラ」では山根博士が提示する恐竜の絵が印象的だった。「ゴジラの逆襲」に登場する怪獣に「これは凶暴な肉食恐竜でアンキロサウルス、つまりアンギラスだ」と博士が説明するのだが、恐竜の名前の活用変化(?)がおかしかった。アンキロサウルスはもちろん草食恐竜だ。ゴジラの公開された年には黒澤明の「七人の侍」も見ている。大人になって再公開された「七人の侍」を見たが、ストーリーと関係ない場面を鮮やかに覚えていたりして面白かった。


基本的に映画館にかかる映画は観客動員を目指す娯楽映画だが、テーマは様々だ。無数と書いた西部劇だが、南北戦争、西部開拓の話、駅馬車、幌馬車、対インディアン戦争、騎兵隊、カウボーイ、ガンマン……中身も一様ではない。保安官にもシェリフやマーシャルがいて町の中で争っていたり、鉄道建設に中国人が大量に動員されていたり、無慈悲にインディアンが殺されたり、リンチや賭博のルールが最後は銃で決着したり、恐ろしいアメリカの一面が山ほど詰まっていた。しかしアメリカの荒野の描写は心に焼き付く景色だった。


戦争映画も数多く、「戦場にかける橋」のように印象に残るいい映画もあったけど、アメリカ製の対ドイツの戦争を描いたものの多くが、あまりに安易にドイツ兵を殺すのに辟易させられた。橋や建物を警備しているだけなのにあっけなく殺される。親や子どももいるかもしれないし、音楽や文学を好きなのかもしれない。1人の人なのだけど、ドイツの軍服を着ているだけで、西部劇のインディアンのごとく殺される。ソ連製の戦争映画もそうだった。まあ日本兵も同じように殺されるのだけれど子どものころはあまり見なかったような気がする。配給会社の思惑だったのかもしれないが。大人になって中国に行った時、現地のテレビで見た戦争映画では「オイ、カトー、バカヤロ」などと言いながらどんどん日本兵が殺されていた。


「ベン・ハー」や「十戒」など歴史スペクタルは筋よりも画面が魅力的だったし、特撮を交えた宇宙SF物は、想像力が刺激され大好きだった。ここでも宇宙船やUFO、ロボットのデザインが楽しい限りだった。ドラキュラや化け猫はビジュアルが怖くていまだに恐ろしい。


その後の西部劇やインディアンの描き方の変化、ベトナム戦争や中東問題などの取り扱い、「スター・ウォーズ」や「ジュラシック・パーク」などCGによる画期的な映画の登場が社会に与えた変化も興味深い。こうやって見ると、映画というものは画面の思わぬところまで知らないうちに脳に刻まれていることが分かる。人間が何十年もかけて知らないうちに映画から学習して自分に反映させているのは、AIが何も考えずに映画の画面をすべて情報化して学習する姿にちょっと似ているかもしれない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。