慶應義塾

『高峰譲吉──トライ、トライ、アゲイン』

公開日:2026.08.24

執筆者プロフィール

  • 木村 昌人(きむら まさと)

    東アジア文化交渉学協議会理事経済学部 卒業

    1975経

    木村 昌人(きむら まさと)

    東アジア文化交渉学協議会理事経済学部 卒業

    1975経

高峰譲吉(1854~1922)は、強力消化剤の「タカジアスターゼ」と副腎ホルモン「アドレナリン」結晶化に世界で初めて成功した発明起業家で、米国で百万長者になった。


高峰について関心を持ったのは40年ほど前になる。日露戦争後の日米民間経済外交について博士論文を執筆するため、ニューヨークの日本倶楽部やジャパン・ソサエティで資料を読むうちに、高峰が米国民の日本への理解を深めさせ、日米関係が悪化するのを防ぐために、様々な民間外交を展開していたことを知った。セントルイス万博の日本館の一部をニューヨーク郊外の別荘地に移築し、「松楓殿(しょうふうでん)」と名付け「民間の迎賓館」としたことには驚かされた。なぜ高峰は莫大な資産を投じて日米親善に尽くそうとしたのか。これが最大の疑問であった。


その後渋沢栄一研究を進めるにつれて、高峰の支援が無ければ渋沢の米国各界に関する情報収集やニューヨークでの財界人や教育研究者との幅広い交流は不可能であったことが明らかになってきた。2010年頃、米国から日本へ戻る飛行機の中で、日米親善の象徴となっているポトマックの桜の誕生にも高峰が深くかかわったという映画を見ながら、いつか「民間外交家」高峰の評伝を書きたいと思い始めた。


2024年から本格的に資料調査を始めた。国内では高岡、金沢、長崎、海外では英国のグラスゴー、米国のシカゴ、セントルイス、ニューヨークなどを歴訪し、高峰の足跡をたどりながら資料収集を進めた。


米国とどのように付き合っていけばよいのか。ペリー来航以来今日に至るまで悩ましい課題である。米国婦人と結婚し30年以上米国社会に居住した高峰が、米国をどのようにとらえ、日米友好親善に尽力した理由を明らかにできた。その結果、民間人の立場から日米関係を経営する舞台装置を作り上げたのは、渋沢栄一と米国在住の高峰譲吉であったことが確認できた。高峰にとっても渋沢は、理化学研究所と国際通信社などの構想の実現に欠くことのできない存在であった。本書を通じて、渋沢と高峰がウィンウィンの関係にあったことや高峰の日米親善にかける強い思いが伝われば幸いである。


高峰譲吉──トライ、トライ、アゲイン
木村 昌人(きむら まさと)
ミネルヴァ書房 280頁 3,080円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。