慶應義塾

鎌田栄吉・石河幹明・北川礼弼筆「独立自尊の諸解釈」

公開日:2026.08.06
明治33(1900)年  所蔵:慶應義塾図書館
明治33(1900)年  所蔵:慶應義塾図書館

「独立自尊」という言葉が、福澤諭吉の死のわずか1年前、明治33(1900)年2月に誕生したことは案外知られていない。それ以前にも福澤がこの四字を用いた例は少なくとも2回あるが、今日のように福澤の思想、あるいは慶應義塾のモットーを象徴する言葉となったのは、この時である。人はいかに生きるべきかを説く道徳綱領「修身要領」が発表された際、その根本理念として文中に繰り返し掲げられた。明治31年9月に脳卒中で倒れ、療養中だった福澤を囲み、小幡篤次郎、日原昌造、鎌田栄吉、石河幹明らが協議を重ねてまとめたものである(「三人閑談」参照)。


ところが発表後まもなく、批判が相次いだ。代表的なのは東京帝国大学の日本人初の哲学科教授を務めた井上哲次郎で、「修身要領」は個人主義に陥り人生の目的を説かず、西洋思想への服従を強い、「教育勅語」を無視・軽蔑していると論じた。これに林毅陸らが反論する一方、塾長の鎌田栄吉、時事新報社説記者の石河幹明、北川礼弼が福澤のもとに集まり、「独立自尊」の意味を改めて語り合った。これはその場でお互いに意見を書きあった記録である。


大きく豪快な筆は鎌田、癖のある丸みを帯びた字は石河、小ぶりで直線的な字は北川で、右肩には後から名前が朱書きされている。最も多く記した鎌田は、「独立自尊」とは他者を尊重し、道理のあるところに服従し、人と交わりながら所信を曲げず、報国・礼儀・信義を重んじ、他人の自立を助け、情欲の奴隷とならず、「天然の勢力」を利用し、財を散ずる道を知ることなどと記す。


石河は、「孤立自負」ではなく「衆と共に立つ」のが「独立自尊」であり「御山の大将」「傲慢無礼」ではない、「共立互尊」であると説く。最年少の北川は「独立自尊の人は守る可き紀律は人の命を待たずして自から守るの人なり」の一条を記した。


鎌田はさらに「人は自己に対し、家族に対し、国に対し、人類一般に対し、亦(また)下等動物に対し、よく其義務を尽さゝれば、真の独立自尊の主旨を貫徹したるものと云(いう)べからず」と書いた。「独立自尊」の四字が今なお未完成で、時代を超えて私たちに考え続けることを求める理念だと、改めて気づかされる。(春季企画展「福澤諭吉の臨終──『独立自尊』の誕生──」は8月29日まで、三田キャンパス慶應義塾史展示館で開催中。)


(慶應義塾福澤研究センター教授 都倉武之)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。