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2025年4月1日
慶應義塾長 伊藤 公平
新入生の皆さん、慶應義塾大学へようこそ。ご家族、保証人の皆様にも心からお慶びを申し上げます。また本日の式典には、卒業50年を迎える大先輩方が出席され、皆さんの入学を一緒に祝ってくださっています。
まず初めに、慶應義塾の創立者・福澤諭吉が語った「慶應義塾の目的」を読み上げます。
「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」
この目的のとおり、皆さんは、気品の泉源、智徳の模範としての高みを目指し、全社会、すなわち全世界を正しい方向に先導する、リードするために、これからの大学生活において学問に励み、課外活動に精を出していきます。この大学では素晴らしい仲間に恵まれ、互いに助け合い、高め合いながらこれからの塾生生活を過ごしていきます。でもそのために大切なのが自らを確立することです。一人ひとりが自らの尊厳を保ちながら志を高める。これが独立自尊の精神です。自らの尊厳を保ち、自らの天性を「より高い志」、「より高い誓い」、「より高い約束」のために役立てる。だからこそ仲間の尊厳も尊重し、仲間と一緒に、社会の発展に尽くせるのです。一人ひとりが、つまりここにいる全員が先導者クラブのメンバーとして、力を合わせて理想を追求するという慶應義塾の考え方は、まさに民主主義の理想を追い求めるものであります。皆さんのチームワークに期待します。
皆さんの入学にあたり、慶應義塾からは『福翁自伝』をお贈りします。福澤諭吉先生の自伝です。この『福翁自伝』を読むと、福澤先生がいかに自由自在な生き方をされたかが分かります。しかし、先生の自由自在は決して与えられたものではありません。福澤先生が幼少から青年期を過ごした江戸時代の封建制度は、一生懸命に学んで、働いて、実力をつけて、成果を出す意欲的な者にとって、とてもつらい制度でした。どんなに努力しても地位が固定化されていたからです。その逆境においても福澤先生は個人の自由独立を得るための「学び」に邁進しました。幼少期から学びに励み、19歳には長崎で蘭学(洋学)に出会い、その学びを大阪・緒方洪庵の「適塾」で発展させ、1858年には江戸の中津藩中屋敷内に洋学の私塾を開きました。これが慶應義塾の始まりです。福澤先生はまだ23歳のときでした。その翌年の1859年に開港して間もない横浜を訪ねると、外国人が使っているのがすべて英語で、自分が必死に学んできたオランダ語が全く通じないことに心から落胆しました。しかし翌日には「今我国は条約を結んで開(ひら)けかゝって居る、左(さ)すればこの後(ご)は英語が必要になるに違いない」と奮起して、一気に英語を学び始められました。この瞬間的な切り替えが功を奏しました。なんと、その翌年には江戸幕府が軍艦「咸臨丸」をアメリカに送ることになり、25歳の福澤先生は、自分は英語ができるので役に立つと売り込んで、アメリカ行きを果たしたのです。その2年後の27歳では政府の遣欧使節団に通訳として同行しヨーロッパ各国を回りました。そして、これらの欧米訪問で見聞したことを『西洋事情』の初編として発表したのが31歳の時で、それに続く『西洋事情』シリーズが、日本における日本人による初めての西洋紹介の本として、海賊版が出るほどの大ベストセラーになりました。ちなみに、福澤先生はベストセラーで得たお金をどのように使ったでしょう?答えは慶應義塾の運営です。福澤先生の一番の事業は慶應義塾だったのです。幕末のころの福澤先生は固定化された封建制度に辟易(へきえき)としていましたが、1870年代になると、明治政府が身分制度を廃止し、欧米の産業革命を手本とした近代化を進めるようになったことで、福澤先生ご自身も大いに活気づきました。国民の5%程が華族や士族であったことに対し、90%以上の国民は身分制度的には横並びになり、理論的には、かつて農民や商人であった人も、努力して成果をあげれば官僚や政治家といったお上になれる時代となりました。そこで福澤先生は考えられました。これまでの日本はすべてお上任せ。お上頼り。しかし90%以上の中産階級が民としてレベルアップしなければ真の国力や、国としての独立は得られないと。そこで1872年、37歳の時から『学問のすゝめ』の出版を始められました。ひとの価値は学ぶか学ばざるかによって決まる、身分制度がなくなった今、学べば個人の自由独立も得られるし、豊かになるし、国民みなが学べば国としても発展して、国の自由独立が獲得できると、国民を鼓舞したのです。今になっては当たり前のこの考え方は、当時の庶民にとっては目から鱗で、学べば偉くなれる、自由になれる、社会も発展する、国も独立するという『学問のすゝめ』は海賊版も含めると国民170名に1人が入手する大ベストセラーになりました。そしてこの本は現代語訳されて150年以上経った今でも売れています。『学問のすゝめ』を発刊した後の福澤先生は、残りの人生を民の力で国を発展させることに捧げられました。
新入生の皆さん。本日の入学式で福澤先生の人生を紹介した理由はたった一つ。皆さんが慶應義塾に入学するということは、皆さんこそが心の内で現代の福澤諭吉を目指していることを私は知っているからです。福澤先生は、自由独立は与えられるものではなく、自分自身の努力で勝ち取っていくものということを示されました。一度、勝ち取って終わりではありません。一生涯努力を続けて自らの自由独立を維持し、そして、その自由独立を他者にも与えていくということです。そのために、福澤先生は今の皆さんと同じ歳の頃から目まぐるしい行動にでます。19歳で長崎、20歳過ぎには大阪、23歳からは江戸、25歳ではアメリカ、27歳ではヨーロッパです。皆さん、社会は福澤先生の150年前と比べて大きく変化しましたが、この間、人間の生物的な変化はほとんどありません。昔の20歳と今の20歳に違いはなく、まさに、10代後半から20代の学びと経験が人間の一生涯を決めるのです。今、日本は極端な少子化で、企業が大学生を貪るようにリクルートしてきます。そして日本の大学生や親の多くが、大学とは企業に入るための予備校と勘違いしている感があります。しかし皆さんは現代の福澤諭吉です。今から5年、10年は自らの時間とペースで、学びや社会活動や趣味や世界の見聞に勤しむことがどんなに大事なことか。大学を起点とする青春が一生涯にわたり一身独立するための学びと挑戦の期間であり、世界に目を向ける期間なのです。皆さん、青春を無駄にすることなく、是非、大学院にも進学をして、誰もが一目を置く実力と人間性を身につけることによって、世界から請われる人間となってから、社会に出ることを考えてください。これこそが福澤流の生き方です。
慶應義塾大学は、皆さんのためにしっかりと考え抜いたカリキュラムを提供し、体育会やサークルといった課外活動の機会を提供し、海外の著名人による講演会や交換留学などの国際センスを磨くプログラムなどを準備しています。よって皆さんは、大学が提供するリソースを最大限に使い倒してください。その上で、またはそれとは別に、福澤先生のようにすべての枠を超えて、さまざまな学びを貪欲に深め、世界有数の蔵書数の図書館の本を読み漁り、積極的に社会活動に参加するなど、自由自在の塾生生活を送ってもらいたいと願います。人間社会というものは実に複雑で、文字数に制限があるSNSや、単純化した議論で民衆を煽る動画で表現できるものではありません。書籍や新聞記事といった事実に基づく情報を自ら集めて、それぞれの事案に対しては実にさまざまな歴史的かつ社会的な背景が存在することを理解し、その上でそれぞれの事案への対応策をいくつも考えた上で、世界を旅しながら文化や語学も学び、長期的な視点から結論や選択結果を導いていく実力をつけなくてはなりません。若く柔軟な脳と体力と失敗しても許されるという特権を有する今だからこそ、大学と大学院の時代に本当の挑戦を続けてください。これこそが生涯にわたり学び続けていくために必要な実力です。AIの急速な発展においても、AIを使いこなす実力を常にアップデートしながらも、複雑な人間社会における重要な選択は人間が下していくという伝統を継承することが最も重要です。
さて、これまでは前向きな話でしたが、最後に一点だけ注意です。慶應義塾において絶対に許されないのは、他人の尊厳を傷つけることです。慶應義塾の目的に「気品の泉源」とうたわれている以上、慶應義塾が求める気品のレベルは非常に高いもので、他人の尊厳を傷つけるようなことがあれば、法律で罰せられないレベルだとしても、慶應義塾では厳正に対処します。自由を謳歌しながらも、社会の手本となり、広く一般から共感され、応援される人間として羽ばたいてください。
今日、新入生の皆さんが、ここ日吉の丘に集まり、皆が揃って先導の旅路のスタートラインに立たれたことを心から喜び、私からの式辞とします。大学生活をとことん謳歌してください。本日は誠におめでとうございます。
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