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2025年1月10日
慶應義塾長 伊藤 公平
皆様、あけましておめでとうございます。本日の福澤先生誕生記念会には福澤家を代表して福澤達雄(ふくざわたつお)様、塾員を代表して評議員会議長の岩沙弘道(いわさひろみち)様、記念講演者として杉山伸也(すぎやましんや)名誉教授にお越しいただいております。ありがとうございます。
昨年の本会においては能登半島地震への慶應義塾の対応をお話しいたしました。そして「被災塾生、被災地からの受験生へのご支援」をお願いして皆様から多大なご支援を頂戴しました。さらに日本赤十字社義援金を慶應義塾として設置し支援を呼びかけたところ、昨年9月30日までに880万円を超える多額のご寄付を頂戴いたしました。誠にありがとうございます。皆様からの善意が能登の復興のお役に立つことを願っています。
さて世界に目を向けますと、ウクライナとロシアの戦争が続き、イスラエルとハマスから始まった中東の衝突が拡大しています。そして多くの国で自国中心主義が台頭し、地球の平和が脅かされています。また、AIや生命科学を含めた科学技術の急速な進歩に対して社会制度の整備がなかなか追いつかず、科学技術を使える国や人と、使えない国や人との間での格差が広がっています。このように「安全保障上の不安が増し、自国中心主義が台頭し、科学技術により社会が一気に変革し、その結果として分断が進む時代」をどのようにして正しく乗り切っていくのか? どのようにして次世代のために健全な地球環境をバトンタッチしていくのか? この挑戦に立ち向かうための指針を福澤先生は様々な形で残してくださっています。本日のご講演者・杉山伸也名誉教授は昨年、『近代日本の「情報革命」』と題した大著を上梓され、本日はその第七章「福澤諭吉『民情一新』と『文明の利器』」についてお話しくださいます。科学技術の急速な発展によって明治時代の人々が狼狽する世情は今の私たちの社会に重なります。
福澤先生の素晴らしいところは、世界の動向を常に学び続けることから、ダイナミックに変化して行く社会情勢を的確に捉え、政府や民衆の立ち振る舞いを観察しながら、日本社会が正しい方向に向かうよう、信念をもって、すなわち、場合によっては批判されることも覚悟で、最も相応しい発信を歯に衣着せぬ言い回しや文章でされたことです。この福澤先生の行動を、私は、「福澤先生と社会のディベート」と呼んでいます。一部から批判されても実証科学に基づき論理的にわかりやすく反論する。社会のダイナミックな変化に応じて柔軟に考え方を進化させるのも福澤先生の特徴でした。凝り固まらないのです。その変化は、時には変節と非難されるのですが、それは言葉尻だけを捉える人の浅学であって、福澤先生の首尾一貫した信念は全社会を先導するという一点のみで、その躬行実践(きゅうこうじっせん)こそが私たちが見習うべき立ち振る舞いです。
さて、昨年より、私は文部科学省・中央教育審議会の高等教育の在り方に関する特別部会の委員として、今後の日本における大学の在り方を提言しています。大学に入学する18歳人口は60年前の約250万人をピークに下がり始め、現在は110万人程度と、60年前の45%まで減り、半分以下になっています。どうりで人手不足なわけです。そして、今から15年後の2040年には18歳人口は77万人、すなわち今よりもさらに30%減少し、60年前から比べるとなんと7割減となってしまうわけです。
これは強烈な人口収縮といっても過言ではありません。ここまで人が減りながら、昭和の日本の復活を目指そうというのはナンセンスです。日本の次のステップを根本から考え直していかなければいけません。福澤先生は、江戸幕府から明治維新への大変革を経験されたことを「一身にして二生を経るが如し」と『文明論之概略』に記されていますが、急激な若者減に直面する今、現行システムの改善を積み重ねる程度では茹でガエル状態です。だからこそ、私たち社中は、日本社会に必要な変革の在り方を提案し、躬行実践していかなければなりません。今の若者たちが、「一身にして二生を経る」経験ができるよう、私たちには社会システムを変革する責務があります。
このような状況で私には15年後の高等教育の在り方を提案するというミッションが与えられたわけですが、そのときにも一番頼りにしたのが福澤先生でした。福澤先生が幕末の1858年築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内に蘭学塾を開かれたのが第一の人生とすれば、それから10年後の慶應4年に名称を慶應義塾として日本の高等教育を先導されたのが第二の人生のステージのスタートでしょうか。
それにしても福澤先生と慶應義塾の、明治維新後の挑戦と苦悩は大変なものでした。例えば、当時の慶應義塾の教員の給料を比較すると、1877年に設立された東京大学教員の年収は慶應義塾の教員の約10倍もあり、そして経費も慶應義塾の10倍以上という違いでした。税金の力です。さらに官立大学に進学すると徴兵制においても優遇されるなど、慶應義塾に対する冷遇は悪化の一途をたどっていました。しかし、その中においても、福澤先生と慶應義塾は、発見や発明の多くは、政府による主導ではなく、民の自由な発想と研究から生じることを主張し、その実践にこだわりました。「教育は私なり」と発せられ、政府に教育から手を引くよう主張されたこともありました。その本旨は、高い視座から日本全体の長期的な発展、官立と私立のバランスの是正を利他的に提案するものであって、決して利己的に慶應義塾だけを守ろうとしたものではありませんでした。このような最高の手本が存在するということが私たち社中の何よりもの宝なのです。
そこで私が提案している15年後の高等教育の在り方ですが、「質」(クオリティ)、「規模」、「アクセス」という3つの視点から次の内容を提案しています。
1番目の「質」は、日本社会全体の智の総和(合計)を増やすことが目的です。簡単に言えば、一人ひとりの智(能力)が変わらない状況で人数が減れば、社会全体の智(能力)の合計が減っていってしまうということです。よって総合力を増やすためには、教育を変革して一人ひとりの能力を上げていかなければなりません。特にジョブ型という専門性が要求されるハイレベルな仕事に就くことを目指す学生には、文系では修士課程、理系では博士課程を卒業するのが当たり前の社会を実現していく必要があります。学部と大学院の教育を大胆に変革させて、生涯を通じてあらゆる挑戦を、学びの力で乗り切れる卒業生を送り出さなければなりません。
よって、高度専門人材としての活躍を望む学生が進学するような大学は、文系・理系問わずに大学院卒を標準化する。例えば、文系でも今より1年増やして5年間で学部と修士をまとめて卒業することを標準化することを提言しています。理系では4年の学部に加えて5年間の修士・博士課程をまとめるのがよいと提案しています。
このような制度をハイエンドの大学群で徹底する一方、もう1つ大切なことが広く多くの大学生の教育を底上げすることです。私は偏差値という指標は好まないのですが、あえて使うと、その観点から大切になるのが、平均的な、偏差値50前後の学生が最も日本の大勢なわけですね。その偏差値50前後の学生、すなわちボリュームゾーンの学生たちが日本を一番支える人たちであるわけですから、その人たちが一生胸を張って社会や産業の発展に貢献できる大学教育を作りあげていくことが必要になるわけです。このようなボリュームゾーンの学生が通う大学群では、これまで通りの四年制の大学教育を続けるところが多くて構いません。ただ、さらに上を目指したい学生は大学院に進学すればよいのです。
しかしながら、現在の日本の産業界は、いまだに昭和を引きずっているところがあるようで、学部3年生という最も勉学に励むべき学生たちを競うように就職活動に走らせています。これは収穫時期よりずっと前に野菜や果物を収穫して食べているようなものです。これではレベルは上がりません。しかし、大学には世界のどこよりも美味しい野菜や果物を育てる義務があることを忘れてはいけません。大学にはどうせ美味しいものが作れないのだから先に収穫してしまおうとする企業の姿勢や、どうせ美味しいものに育ててもらえないのだから先に食べられてしまおうという学生のマインドセットを変えるために大学――そしてこれは初等・中等教育も含まれますが――の自己変革が必要です。これが質の向上に関する内容です。
2番目の「規模」です。これは、今、800近くある大学の数を上手に減らすことを指します。自己変革できるか否かの違いによって、選ばれる大学と選ばれない大学に分かれていく健全な競争環境が必要です。そのためには、個人負担という観点から国立大学の学納金は文系では最低でも年150万円以上、理系などではさらに高水準に設定することを主張しました。私立大学にとっての公平な競争環境を整備するということです。国立大学は、現在の標準額が年54万円程度と低いのは、学費とは別に一人の学生あたり200万円以上の税金が国立大学に投入されているからです。このような教育費の国による補填を広く国民の税金で支援することが相応しくないということは、実は福澤先生の主張でもありました。
これに対する反論として、ヨーロッパでは大学はほぼ無料ではないか、というものがよくあります。ただ、ヨーロッパはほぼ全ての大学が国公立であり、学生全員を社会が税金で支えるというコンセンサスがあるのです。アメリカでも実は7割の大学生が州立大学に通っていて、私立は3割しかいません。そして州立大学でも200万円以上の学納金をとっています。しかし、日本で国公立大学に通う大学生はわずか2割で、8割が私立に通っています。先ほどボリュームゾーン大学が日本全体を支える、と申し上げましたが、それらのほとんどが私立大学です。その私立大学が教育に必要な資金を学納金として集めてレベルアップができるようにするために、国公立大学の不当に低い学納金をやめさせる必要があります。
こうして国公私立が公平に競争できる環境を用意すれば、最終的に生き残るのは自己変革をして学生に選ばれる大学のみということになるわけです。要は大学の淘汰が自然体で進むことになります。ちなみに、学納金という個人負担に関して公平な環境が用意できるのであれば、それに加えての資金が税金から国公立大学に潤沢に投入されるのは全く問題ありません。それは国や自治体が目的を達成するためであるわけで、その追加投資は大いにやってくださいということであります。
3番目の「アクセス」に関しては2つの切り口が大切です。まず「地域分布」と「学生別の懐事情」への対応です。先ほど述べたような国公立大学の学納金の正常化(文系では最低でも150万円)を行うと、どうしても大都市圏の大学に学生が集中し、地域から人が減っていってしまう。そこで地理的に均等な大学分布を確保するために、地域ごとに重要な大学グループを特定し、そこに進学する学生たちには学納金の減額などのインセンティブを与える必要があるでしょう。地域を振興するためではなく、地域を活用するという前向きな政策です。
一方、学生によって異なる懐事情への対応ですが、学納金が150万円水準になると、個人の負担では大学に進学できない学生が続出します。その学生たちを支援するために活用すべきなのがマイナンバーカードです。そもそも学納金は親、または家族が負担すべきか? 学生本人が負担すべきか? の議論が日本では収束していません。
親が負担するという立場に立てば、親すなわち世帯収入に応じて、該当学生に渡す奨学金は、例えば、「あなたの次女が大学に進学する場合は、これから5年間、毎年30万円の支援を国が支給します」というお知らせが、プッシュ型、すなわち申請することなしに国から連絡が届くような制度がマイナンバーカードを通じて作られればいいと思います。これはマイナンバーカードによる世帯収入の自動的把握によってできる政策です。それに対して、学納金を学生本人が負担するという立場に立てば(これは欧米で主流な考え方です)、国が学生本人に必要な資金を貸与して、卒業後の収入の状況によって返済する額を調整していくことが考えられます。収入の把握はマイナンバーカードで行います。社会に出て収入が多い人は貸与された学費を返済する。一方、経済的に困窮している人は返済が先延ばしできるということです。いずれにせよ今から15年後の構想ですので、そのころまでには国も正しいデジタル化を整備するべき、というのが私の提案です。
以上、私の長い提案内容をお聞きいただきありがとうございました。と申しますのは、大学での教育改革が必要と先ほど述べましたが、その中において、人の話をしっかりと聞く集中力、比較的長い本をしっかりと読み切る集中力を鍛えるという当たり前の教育が、今、極めて重要になっているからです。SNSでの短いやり取り、チャットだけに慣れきっている若者たちの会話を観察すると、話し手が時間をとってまとまった話をする風潮が消滅していると感じています。
私が今回の提案をまとめるにあたり、特に気をつけたことは、これまでのやり方の延長ではなく、根本から考え直し、そしてすべてをパッケージとして完成させるということです。実際の文科省の委員会では、様々な委員の発言をまとめあげて官僚が作文をするのですが、それではただの寄せ集めで、首尾一貫した政策パッケージとはなりません。自らが完成品として誇る提案をまとめて、それに対する異論、反論にしっかりと立ち向かうのが福澤先生の教えです。このような教育を私たち慶應義塾が先導してそれを日本に広めていく、世界に広めていくということが大切だと考えていています。
一方で急速に発展する科学技術、今日の杉山名誉教授の講演に即して言えば「文明の利器」の最前線に立ち続けることが慶應義塾には求められています。AIを例にとれば、1人でも多くの塾生たちが最先端のAIを使いこなせるよう、日吉キャンパスに「生成AIラボ」を昨年開設しました。AIを使いこなすことが得意な塾生たちが教師となって、他の塾生たちにツールとしてのAI活用を徹底的に伝授するという集いの場です。そしてAI開発の最先端を切り拓くための「慶應AIセンター」も昨年発足しました。AI・ロボティクス分野で世界トップのカーネギーメロン大学とパートナーシップを結び、AI研究のフロンティアを慶應義塾が切り拓いていきます。
またAIの急激な発展に対して、独立自尊すなわち人間の尊厳をどのように守っていくか? いかに豊かな社会発展を促すか、を人文学・社会科学者たちが中心となって文理融合で進めるというX Dignityセンターも昨年発足しました。医療・医学等の最先端においても同様の取り組みを進め、科学技術の発展を傍観するのではなく、慶應義塾みずからがその最前線に立ちながらも、科学技術と社会を正しく先導する活動を進めております。
また最近、慶應義塾が誇る研究者たちの3分の紹介動画の発信をホームページで始めました。教員自らがコンパクトに自分の研究の目的と面白さを語る姿は実に刺激的であり、社会的にも重要な内容ばかりです。慶應義塾というと、世間からはエスタブリッシュメントと勘ぐられる傾向があるようですが、研究者紹介をご覧になっていただきますと、実に多くの研究者が社会的弱者に焦点を当てていることがわかります。被害者家族の救済を提言する法学者、移民との共生方法を提案する社会学者、20世紀イギリスの近代化に伴う労働者層に焦点をあてた文学者、明治の日本の光に対する陰を教訓的に示す歴史学者、giving(与える)という喜びに基づく新しい経済体制を論じる哲学者、ロシア民衆の社会と文化の変化を探る地域研究者、満州国を研究する文学者、民主主義の後退を大テーマとする政治学者。これらの知見を総合すれば弱者に寄り添う社会システムが慶應義塾として提案できるのでは? と私は興奮しています。
もちろん、マーケティング、会計、経営、知的財産、法律等のこれからの社会を先導する実学に関する研究者や、物理学者や福澤研究者の発表もあります。さらに長い動画も非常に充実したシリーズとして掲載されていますので、ぜひ慶應義塾のホームページやKeio YouTubeチャンネルをご覧ください。慶應義塾の研究者たちがいかに智徳の模範を実践し、皆さんの生活を豊かで平穏なものに導いているのかを実感してください。
例年であれば、私の年頭所感は、昨年の慶應義塾を振り返り、今年の抱負を述べるものなのですが、今回は福澤先生に倣い、広い意味で、慶應義塾が力を合わせて、高等教育を変革していくという決意の表明をさせていただきました。当然のことながら初等・中等教育の先導も大切で、一貫教育についてもその決意だということを皆様にお伝えいたします。昨年の振り返りは塾員の皆さんにお送りしている広報誌『塾』の最新号や慶應義塾ホームページのニュース一覧等をご覧ください。本年もどうぞよろしくお願い致します。
(本稿は2025年1月10日に開催された第190回福澤先生誕生記念会における伊藤塾長の年頭挨拶をもとに構成したものである。)
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