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2024年度大学院入学式 式辞

2024年4月1日

慶應義塾長 伊藤 公平

新入生の皆さん、慶應義塾大学の大学院へようこそ。ご家族をはじめとする関係者の皆様にも心からお慶びを申し上げます。

まず初めに、慶應義塾の創設者・福澤諭吉が語った慶應義塾の目的を読み上げます。

「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」

皆さんが、数多くある大学の中から慶應義塾大学を選んだ理由は様々であろうことを想像しますが、ただ今紹介した慶應義塾の目的はすべての塾生が共有すべき目標です。気品の泉源、智徳の模範としての高みを目指し、全社会、すなわち全世界を正しい方向に先導する、リードするために、皆さんはこれからの大学院生活において学問に励み、生涯の友、研究者仲間と出会っていきます。

さて、慶應義塾で学ぶ皆さんにまず読んでいただきたいのが福澤先生の名著『学問のすゝめ』です。

『学問のすゝめ』が書かれた150年前は、ある側面において今日にとてもよく似た時代でした。イギリスを中心とした産業革命の時代です。蒸汽船車、電信、郵便、印刷といったテクノロジーの発明工夫によって社会システムが一変し、今日に至る近代文明が立ち上がったのが150年前でした。同時に、これを発明した人類自身が急激なる変化に遭遇して狼狽もしていました。この急激なる変化を乗り切るのみならず、その流れを正しい方向に導くためには何が必要か?福澤先生は常に学び続ける力であり、進化し続ける学問だと力説されました。現代はどうでしょう?AIといった情報技術が一気に進み、ゲノム編集に代表される生命科学などによって社会が急速に変化しています。この流れの中で社会は狼狽していますし、この狼狽は今後も続きます。ただ、150年前の産業革命と今日の流れでは決定的に違うことが一つあります。産業革命から今日に至るまでの技術革新の中心は、常に人間でした。機械やコンピュータは、結局は便利な装置・道具であって、人間が何を目的に据えるかを考え、人間が装置や道具に命令し、人間が最終判断を下してきました。ところが、今は、インターネットやSNSを通して、私たちにAIが選んだ情報が提供され続けます。こうなると、偏りなくものごとの様々な側面を捉え、真実を知り、その結果として自分で判断を下すことがとても難しくなっています。自らの意思で何かを決めていると思っていても、あなたにおすすめの情報だけに囲まれていては、客観的な判断を下していることになりません。AIに操られた人間が、自分で決めたと勘違いをしながら、ものごとが決まっていってしまうのです。だからこそ、これからの社会において、ビジネスや人生において、自らの目的や目標を定めるときに、コンピュータやスマホの背景に存在するAIなどのアルゴリズムに操られることなく、あなた自身が常に科学技術の上を行くための学びが必要なのです。例えば、生成AIはどんどんと高等な文章を作り、判断を下すようになっていきますが、そのなかにおいて、あなた自身がさらにその上をいく文章を書く力、判断を下す力、真実や真理を見出す力をつけていかなければならないのです。そのために皆さんは、今日から慶應義塾大学で学び、研究し、一生涯学問を続ける力をつけていかれるのです。

皆さんに対する慶應義塾大学の一番の自慢、それは、人間本位の最高の学者が揃っていることです。それぞれの専門分野を徹底的に究める。その作業において、学者たちは自らの頭脳をフル稼働して、あらゆる情報を、事実として信頼できる情報を集めて精査し、その中に存在する真実を見極めて社会に発表し、世界中の同僚と徹底的な議論を深めていくわけです。文学、哲学、芸術といった人文学の研究者は人間の真理を徹底的に追究しながら、私たちの人生の光と影を明らかにすることなどを通して、私たちに人生の意味や生き甲斐などを教え、苦しい時の拠り所となってくれます。社会科学者は、社会の本質をつかんで、中長期的な目線で私たちを正しく導いてくれます。理系で理論や実験に挑む学者たちは、新発見を通して、自然界の仕組みを明らかにしていきます。工学者や医学者は、人間の幸せという本質を捉えながら、新しい文明の利器や治療を生み出してくれます。要は慶應義塾の学者たちは、理系の人たちも含めて、最先端の科学技術のはるか上に存在する人間力を追求する人たちなのです。皆さん、皆さんがこれからの慶應義塾での授業、ゼミ、研究室で接していく教員はこのような学者としてのスーパースターたちなのです。皆さんが生涯にわたって人間らしく科学技術の上に存在し、社会に出ても新しいビジネスのうねりの常に上に存在する人間として活躍するための手本となるのが、皆さんがこれから接していく慶應義塾の教員であり、そのような教員たちにチャレンジできることが大学院の最高の醍醐味です。

今、日本における18歳人口の4年制の大学への進学率は57%を超えています。私が生まれた60年ほど前の1960年代、日本における4年制の大学進学率は20%程度でした。高卒の5人に1人しか大学に進学しなかったので、大学が実に特別な存在でした。しかし進学率が57%となった今は、高等教育とは呼ばれながらも、大学進学が当たり前の時代となりました。一方、大学院への進学状況はどうでしょう?日本における30歳未満の修士課程への進学率はわずか7.4%、OECD平均20.4%の1/3、30歳未満の博士課程への進学率は0.7%、OECD平均1.5%の半分で、トップのスイス3.8%の1/5未満と、極めて低いです。このことから明らかなことは、皆さんこそが真の高等教育を受ける特別な存在ということです。これまでの日本社会では、大学院に進学する人は特別というより特殊な存在と捉えられることがあったようですが、先ほど述べた様に、科学技術の上を行く人間が必要な時代だからこそ、学問の時代であり、これからは、日本社会においても大学院の学位や学者の価値がどんどん高まっていきます。その先取りをすることを決めた皆さんこそが私たちの希望であることをお伝えして私の式辞と致します。本日は誠におめでとうございます。

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