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第189回福澤先生誕生記念会年頭の挨拶
「独立自尊のチームで飛躍の1年に」

2024年1月10日

慶應義塾長 伊藤 公平

あけましておめでとうございます。本日の福澤先生誕生記念会には福澤家を代表して福澤博之(ふくざわひろゆき)様、塾員を代表して評議員議長の岩沙弘道(いわさひろみち)様、記念講演者として昨年12月に『福翁夢中伝』を早川書房から刊行された荒俣宏(あらまたひろし)様にお越しいただいています。ありがとうございます。

能登半島地震の被災地支援

さて、今年のお正月は能登半島地震から始まりました。13年前の2011年3月11日、私はたまたま東北大学の招きで仙台におり、東日本大震災を経験し、現地の方々の電気・ガス・水のない状況の大変さを目の当たりにしました。3月の仙台でも寒かったのですから、1月の電気・ガスのない北陸の寒さは想像を絶するものであり、胸が締め付けられる思いです。そして翌2日には救援に向かう海上保安庁の方々が羽田空港の事故で犠牲になられましたが、余震も続く寒さの中で救援活動に従事される方々へは最大限の尊敬の念を抱かざるを得ません。

自衛隊も大活躍です。防衛省の事務次官、増田和夫さんは法学部卒業の塾員で、應援指導部のご出身の方です。慶應義塾の応援から、日本全体の応援団長の1人として、今日本のために活躍されているということです。また、日本航空の執行役員・運航本部長の立花宗和さんも塾員で、庭球部出身の私の親友であり、事故で炎上したJAL機からの全員生還は彼らのこれまでの努力の賜物であることを実感しているところです。災害義援金といえば日本赤十字社。今日もご多忙の中、この会だけはとお越しくださいました、元塾長の清家篤さんが社長として陣頭指揮をとってくださっていることをとても頼もしく思い、私も早速義援金の協力をさせていただきました。

慶應義塾の対応ですが、大学では塾生の安否をシステムで確認しながら、被災された塾生たちには安全を優先して無理をして大学へ向かわなくてもよい特別措置をとること、経済的支援の申請ができること、心のケアに関する相談窓口があることを早速に伝えてあります。石川県三田会にも今日お越しいただいている評議員の三谷充さんと連絡をとりました。幸いお知り合いの方々は皆、ご無事のようですが、石川県、そしてその周辺地域は大変なご様子であると伺っております。

また、今年4月からの入学を目指す受験生に対しては、能登半島地震も含めて2023年度中に震災等の天災で保証人を亡くされたり、家屋の全壊・半壊の被害に遭われた方々に対する入学検定料・入学金、また授業料を免除する特別措置も発表しています。一貫教育校のそれぞれにおいても適切に対応していることを確認しております。

このような中で慶應義塾としては3つのお願いを皆様にこれから発信致します。1つ目は被災塾生・被災受験生を経済的に援助するための寄付のお願いです。基金室ホームページにてすでに寄付の募集を始めており、クレジットカードやインターネットバンキングで簡単に寄付ができ、寄付金控除の対象にもなるものとしています。2つ目は慶應義塾がこれから独自に設置する義援金への寄付のお願いです。社中が協力して現地の復興支援をするということで、慶應義塾の指定口座への振込が皆様の税控除になるように工夫し、集まった全額を日本赤十字社にお渡しする予定です。3つ目は三田会を通してお願いしますが、救援物資の提供による被災地の支援であります。以上の全容は義塾のホームページに載せますのでどうぞよろしくお願い致します。

世界情勢が不安定化する中での義塾の役割

さて、日本の正月は天災で始まってしまいましたが、世界ではウクライナとロシアの戦争が2年近く続き、昨年10月からはイスラエル・ハマスの武力衝突が始まり拡大しています。これらは紛れもない人災であり、強い恨みを伴い、国際法という考え方が無力化され、その波及効果によって軍備増強に各国が走り、世界平和の均衡が著しく損なわれていく事態に世界は直面しています。この中で慶應義塾はどのように考え行動するべきでしょうか?

福澤先生が生涯を通じて最も大切にされたこと、それは「独立」だと思います。「一身独立して一国独立す」の通り、あらゆる決定を国のみに任せるのではなく、一人ひとりが学問を修め、自ら考え、その結合が家族の独立、地域の独立、国家の独立につながるということであります。そのように独立した国家であれば、まるで自分や家族と同様に大切であるので、主権が他国に侵されるようなことがあれば、命がけで国を守ることが国民の義務であると福澤先生は説いています。大切なことは、国の方針どおりに国民が仕えるという、一方通行のトップダウンではなく、両側通行の対話が必要ということです。そこで大切になるのが、個人の独立を国の独立にまでつなげるシステムの構築です。

福澤先生は『文明論之概略』の中で、一人ひとりが優れていても、その人たちが建設的に協調しなければ総合的な力にはならないと指摘されています。しかし日本では、元来、お上が下々に徒党を組むことを許していないこと、また、先輩後輩、男子女子、新参古参、本家末家といった主従関係や権力の偏りが存在していることを冷静に分析されています。そのうえで、そのような主従関係や権力の偏りを乗り越えて、ミドルクラス、つまり中流階級が奮起して協調することの大切さを説いています。

ミドルクラスとはすなわち、それほどの権力や資産や既得権を持たない人たちなのですが、その中でも特に智力を有する人たちが協調することが、人民が真の国民になる道であり、国家独立の道であると説いています。建設的な多事争論によって社会を正しい独立の道に導いていく、そのような仲間を増やしていく、これこそが福澤先生がsociety という英単語を「人間交際」と訳された本意でないかと私は思うわけです。今ほど、私たち慶應義塾に建設的なチームワークが求められている時代はありません。

数々のオピニオンリーダーの来塾

さて、昨年2023年の慶應義塾ですが、いろいろなところでチームワークが発揮されました。慶應義塾高校野球部の甲子園優勝、大学野球部の六大学秋季リーグ優勝と明治神宮野球大会優勝(日本一)は大変な盛り上がりでした。さらに大学では庭球部男子、自動車部男女、水上スキー部女子、航空部などがチームとして大学日本一になりました。個人では世界レベルで活躍している選手もたくさんいて、一貫教育校もさまざまな活躍をしてくれました。

また昨年は多くのオピニオンリーダーが慶應義塾を訪れ、塾生との対話に応じてくださいました。北大西洋条約機構(NATO)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長は「ウクライナは、明日の東アジアかもしれない」という岸田首相の言葉を引用し、主権国家の独立を保つための有志国での協調と、ウクライナ国民への人道支援が大切なことを訴えました。一方、国連総会議長のチャバ・コロシ氏は、9年前にSDGsを国連総会全会一致の採択に導いた立役者だけに、特に温暖化の阻止に関する2030年目標を達成するためには、単なる向上ではもう無理で、大きな変革が必要という現状と危機感について臨場感を共有してくださいました。ここでは国境、すなわち、国家安全保障は障害であり、地球と人間の安全保障が大切なことを訴えられました。韓国のユン・ソンニョル大統領は、日韓の協力が極めて大切で、そのために日本に何かを望むのではなく、まずは韓国としてできることを考え、そのために日本を、そして慶應義塾大学を訪れたと力強くおっしゃいました。OpenAIのサム・アルトマンCEOは、次の次元に進むAIを使いこなせる今の時代の若者ほどエキサイティングな立場はないと強調されました。

この他にも国際通貨基金(IMF)のアントワネット・モンショー・セイエ副専務理事や各国の在日大使による講演会が開催され、世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチ氏によるコンサートも三田キャンパスで開催されました。さらに、ここでは紹介できないほどの数々の学術・文化講演会やセミナーが様々なキャンパスで開催されました。まさにポストコロナを迎えたということであります。

さて、なぜ世界のオピニオンリーダーが慶應義塾を選んで訪ねてくださるのか? それは、彼らが尊敬し、訪ねたい学者が慶應義塾にいるからです。そして、その学者たちが、まさに今必要とされる社会を変革するためのチームワークを発揮しているからです。

NATO事務総長講演会は、昨年設立された戦略研究や国際情勢分析に関する大学シンクタンク、「戦略構想センター」がホストとなりました。国連総会議長講演会は、SFCのxSDGコンソーシアムの主催で、慶應義塾全体でもSDGsも含めたサステイナビリティに関する調査とアクションを行う新しいセンター「Keio STAR」を近々立ち上げます。OpenAI CEOの受け入れは、昨年末の「慶應義塾生成AIラボ」の開設につなげることができました。これは日吉キャンパス入口の協生館に大々的なスペースを確保し、ここで塾生と義塾AI研究者とAI先端企業が一体となってAI活用とAI開発を行うことになります。すなわち安全保障、サステイナビリティ、AIに関する建設的な多事争論の場、チームワークにより社会を変革する場がタイムリーに用意できたということは、仲間の皆さんに心から感謝しているところであります。

社会を変革するための議論という観点からは、SDGsを実現するための慶應義塾のヴィジョン・目標・ターゲットを塾生が議論し、提言をまとめあげ、塾長に提出するという通称「塾生会議」も一昨年から始まり、1期生による提言は昨年の初め、2期生による提言は昨年の終わりに私に提出されました。塾生会議には一貫教育校生も含めた皆がサマーキャンプを開催し、直近の提言にも一貫教育校生によるものが含まれています。

1期生による提言の一部、例えば、「再生可能エネルギーを導入する」「ゴミの廃棄量を削減する」といった項目は新たに慶應義塾の中期計画に追加され、その他にも、Diversity, Equity, Inclusion(DE&I)も含めた多岐にわたる項目での、慶應義塾の現状と未来社会に対する塾生たちの切なる願いが提出されました。提言の一部はプロジェクト化され、塾生たちがチームワークよく実現に向けて活動を発展させてくれています。

研究プロジェクトの進展

慶應義塾全体でも、昨年3月にU7+Alliance 学長会議を三田キャンパスで開催し、G7諸国を中心とした加盟51大学の多くから学長・副学長が集結し、G7広島サミットに対する教育に関する提言を「東京声明」としてまとめ上げることができました。その東京声明をG7広島サミット議長の岸田首相に手交し、その内容をG7のコミュニケ(最終報告書)の教育部分に反映させることができました。私たちも少しでも塾生たちの手本になれるよう、世界との協調を進めているところでございます。

研究プロジェクトに関しても大きな進展がありました。文部科学省は競争的大型研究プロジェクトとして世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)と共創の場形成支援プログラム(COI - NEXT)を二本柱として運用してきました。前者の世界トップレベル研究拠点WPIは、医学部の本田賢也教授を代表として、私立大学として初めて獲得したことは昨年のこの会で報告したところです。腸内細菌といった、人間の生命活動にとって不可欠な細菌とさまざまな臓器との相互作用を理解し、健康長寿につなげるという実に挑戦的なプログラムで、医学部に加えて薬学部・理工学部・文学部等が協調して、世界トップレベル研究拠点を形成していきます。

後者の共創の場形成支援プログラムの本格型においては、すでに採択されていた医学部・中村雅也教授のプロジェクトに加えて、昨年、環境情報学部・田中浩也教授を中心とした鎌倉市におけるゴミの徹底的削減プロジェクトが採択されました。私立大学で世界トップレベル研究拠点を有するのは慶應義塾のみであり、私立大学でこのプロジェクトの本格型を有するのは慶應義塾と沖縄科学技術大学院大学(OIST)のみで、さらに、これを2つ有するのは慶應義塾のみです。

これら大型プロジェクト獲得の一番の目的は、研究分野や学部やキャンパスの壁を越えて協調する体制を整えること、福澤先生がおっしゃったように、個々人の力をつなげたチームを形成して社会の変革を先導することです。こうなると次のステップは、慶應義塾が誇る人文学・社会科学の研究者の間での協調も広げ、その活動を理工系・医療分野との連携などにもつなげることであります。昨年、慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)にて高橋誠一郎コレクションを展示する素晴らしい浮世絵展覧会(「さすが!北斎、やるな! ! 国芳」─浮世絵のマテリアリティ)が開催され、多くの来場者を集めました。その時、私を案内してくれたのが文学部の内藤正人教授で、国際浮世絵学会賞も受賞した、浮世絵研究の大家です。その説明が実に奥深く興味深かったこと! さすがでした。

また、昨年も慶應義塾の優れた研究者が福澤賞・義塾賞を受賞しましたが、その多くが実に魅力的な人文学・社会科学研究者たちでした。このような研究者を全面に押し出して、慶應義塾らしい特色ある研究大学の姿をかたどって行きたいと願い、昨年中頃には日本学術振興会の「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業」に応募し、年末に採択していただきました。この事業は新たなフラッグシップとして文科省が立ち上げたもので、国の大学ファンドによる国際卓越研究大学への支援と並行して行われるものです。社会の変革につなげる政策の立案、経済や社会システムの構築、国際協調や外交のあるべき姿などを慶應義塾から提案する力が問われていることに加えて、豊かで平穏な人生を送るための文芸に関する研究やその発信も強化していくところであります。

慶應義塾が1900年に制定した「修身要領」の第21条には「文芸の嗜(たしなみ)は、人の品性を高くし精神を娯(たのし)ましめ、之を大にすれば、社会の平和を助け人生の幸福を増すものなれば、亦(また)是(こ)れ人間要務の一なりと知る可し」とあります。この伝統を慶應義塾は大切にしていきたいと思います。

スタートアップの振興

福澤先生は経済的な独立も大切にされました。個人としての職分を全うして経済的に自立することは最低のラインであり、さらにその上を行く、実業家の育成を進められました。新産業の創出により、個人の利益のみならず、社会全体の利益を追求して、国としても独立するということです。現代の言葉では、スタートアップを振興し、そのスタートアップを実業として昇華させていくということです。

慶應義塾は2015年にベンチャーキャピタル・慶應イノベーション・イニシアティブ(KII)を発足し、すでに1号ファンド45億円、2号ファンド103億円を運用中で、昨年末には3号ファンドとして200億円を集めたことは日本経済新聞で大々的に報じられました。大学発のベンチャーキャピタルが、民間を中心としてこれほどの資金調達を果たしていることは世界からも驚かれます。

また、2年前から学内にスタートアップ部門を作り、慶應発の実業家養成に注力してきました。ベンチャーキャピタルとスタートアップ部門の掛け合わせの結果、慶應発スタートアップの資金調達総額は現在全国大学トップ、ベンチャー企業、スタートアップ企業の数でも昨年度は全国3位にまでのぼってきました。3年度前が11位、2年度前が5位ですから躍進してきたのです。

医療においては、慶應義塾大学病院は、難病患者にとっての最後の砦であり、その責任を昨年も十分に全うすることができました。また、予防医療センターを昨年秋に信濃町キャンパスから麻布台ヒルズに移転・開業し、先進的な医療機器を導入し、文字通り、世界最高レベルの人間ドックを提供する体制を整え、その診療を慶應義塾大学病院につなげることになりました。慶應医療のさらなる発展と国際化にどうぞご期待ください。

一貫教育校もやっとのことでポストコロナを迎え、4年振りに、ほぼ通常の活動に戻ることができました。小・中・高の段階では、教室での授業に加えて、給食や学食、運動会や音楽会等の行事、校外活動、宿泊行事、クラブ活動などが果たす教育的な役割は特に大きく、それらのほとんどをコロナ前に戻すことができたのは実に喜ばしいことです。逆の見方をすれば、このような総合的な活動が制限されたコロナ禍3年半の一貫教育校教職員の努力は大変なものであり、深く感謝する次第です。また昨年は一貫教育の課程が確立して125年を迎え、それに合わせて普通部125年記念式典が実施され、横浜初等部では開校10周年記念式典が開催されました。今年は志木高の開設75年記念式典と幼稚舎創立150周年記念式典が開催されます。

そして、昨年も実に多くの皆様から塾に対する支援をいただきました。ふるさと納税では、昨年末までの1年間で、1000件を超える方々から総額2億8千万円以上の申し込みをいただきました。通常の寄付も多くの方々からお申し出をいただき、今年度の寄付総額が、学校運営費総額の10%に近づくことも視野に入ってきました。現在の学校運営を、これまでどおりの方針で実施するための財源は塾生たちからの学納金で確保できるのですが、新しい校舎の建築や旧来の校舎の修繕、先に紹介した時代の要請に即した新しいセンターの設置、塾生会議からの提言のプロジェクト化、オンラインやクラウド・AIを活用した新しい教育体制の整備、バリアフリーや災害対策の徹底、能登半島地震も含む被災塾生や受験生の支援などに向けては、皆様からの支援による追加の財源がどうしても必要です。塾生のために、引き続きのご支援をお願い申し上げます。

以上が、昨年のまとめですが、これらの成果はすべて、担当の常任理事や関係する教職員が成し遂げた成果であり、塾運営やご寄付に関しては塾員や三田会の皆様の寄与が実に大きく、私としては、ただただ素晴らしい社中の仲間に恵まれていることを日々感謝しているところです。

飛躍の1年へ

さて、今年2024年ですが、慶應義塾の飛躍を徹底的に議論する1年にしたいと思います。「慶應義塾の目的」の結び、「居家処世立国の本旨を明にして之を口に言ふのみにあらず、躬行実践以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」にある通り、慶應義塾社中が一丸となって、日本と世界の発展のための指針を示す必要があります。そのためには、学者仲間でのチームワークが必要です。また、塾生のための比類なき教育体制を発展させることも大切です。要は慶應義塾の特徴は根拠にもとづく楽観性をもって明るく進むことであり、研究、医療、国際化に関しても、高い志に基づく議論を進めます。社中のみならず社会一般の皆様からの、引き続きの慶應義塾に対する応援をどうぞよろしくお願い致します。

今年、2024年が皆様と世界にとりまして良い1年になりますことを心より祈念して、私の年頭の挨拶を終わります。本年もどうぞよろしくお願い致します。

(本稿は2024年1月10日に開催された第189回福澤先生誕生記念会における伊藤塾長の年頭挨拶をもとに構成したものである。)

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