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2022年度大学学部卒業式 式辞

2023年3月23日

慶應義塾長 伊藤 公平

本日卒業の日を迎えた皆さん、ご卒業おめでとうございます。ご家族の皆様、関係者の皆様にも心からお慶びを申し上げます。

ご卒業にあたり、再度、「慶應義塾の目的」を皆さんと確認したいと思います。

「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」

そう、皆さんは「全社会の先導者」をめざして勉学に励み、課外活動に精を出し、生涯の友と出会ってきたのです。慶應義塾の「義塾」とは英国のpublic schoolの訳で、まさに公共の発展に尽くすという高い志をもった学生が集まる塾ということです。高い志を持ち続けること、理想を追求し続けることは、簡単ではありません。しかし人間だれにでも存在価値があります。だからこそ皆さん一人ひとりの志や尊厳は、人間社会において何よりも尊いものなのです。これが独立自尊の精神です。一人一人の存在意義を基点とするということは、民主主義の理想を追求するということです。今日卒業される皆さんは、これからどのような職、どのような役割を得ていくとしても、独立自尊の先導者としてより良い社会を作っていく役目を果たしていってください。

独立自尊の先導者になるために必要な要素は様々ですが、今回卒業される方々に贈りたい言葉は「コモンセンス(common sense)」です。日本語に訳すと「常識」または「良識」です。

私が「コモンセンス」の力を再確認したのが、今年1月のダボス会議で、ギリシャのミツォタキス首相の対談を伺った時です。司会者が、「ギリシャは10年前の財政危機からは考えられない経済成長をしているが、その秘訣は?」と尋ねると「コモンセンスに基づく政策を実行しているだけだ」という答えでした。ギリシャは、日本に似ていて、石油や天然ガス等のエネルギー資源に乏しく、地政学的に難しいところに位置しています。エネルギー資源の輸入がとまるという最悪の事態も考えなければなりません。幸いなことに、温暖な気候で、海流もあり、風も吹くので、コモンセンスに基づく当たり前の選択として再生可能エネルギーによる発電を増やし、今では、年平均にして50%近くの電気を再エネで作っているそうです。一方、地震があるので、現時点では、原子力発電は行っていません。ただし、将来的に、事故に強い小型の安全な原発システムができれば採用を考えるかもしれないそうです。また、数年前まで、ギリシャの島々に難民がボートでどんどん押し寄せたことが問題となりました。トルコに集まる難民に対して、トルコがギリシャに向けての国境を開放した結果として、エーゲ海のギリシャの島に大勢の難民がボートで渡るのですが、難民の一部は海難事故で死亡するうえに、渡るのに成功した人の半分以上がさらに他のEU諸国を目指すという状況でした。ミツォタキス首相は、海難事故死をなくす、すなわち難民の命を守る、そしてギリシャがEU諸国への難民流入の経由地になることを避けるために、ボートでたどり着いた難民を徹底的に強制送還することにしました。その一方で、ギリシャ内の労働人口を確保するために、正式なルートでの移民を増やす政策を進め、今では、国民の15%程度が移民ということです。特に農業で人手が足りないということで正式に移民を受け入れていく必要があるそうです。コロナでは、まずは国を徹底的に閉じたうえで、ワクチンパスポートという概念をミツォタキス首相自身がEUに提案し、多くの国々を説得して賛同を得ることで、ワクチン接種済みの観光客を受け入れて、ギリシャの観光業を復活させたそうです。デジタル化による効率化と透明化も進め、世界各国からの投資を呼び込み、結果として、経済成長は2021年でなんと8.4%、2022年で5.6%を記録したそうです。

一方の日本はどうでしょう?デジタル化、年金改革、医療制度改革も含めて、コモンセンスにまかせて実行するべきことがたくさんあるのに、なかなか進まない。確かに気候が温暖なギリシャと違い、日本の気候は寒暖差が厳しいので、再エネには向かないところはありますが、次の世代に向けて、これからの社会を作っていこうとするときに、コモンセンスの観点からは取り組むべきことでも、既得権を守りたい少数の反対だけで進めなくなることがあります。例えば少子化が進み、就労人口がどんどん減っていくことが明らかでも、移民を増やそうとしないなどということです。ちなみに、ギリシャにおいても、石油などの発電に従事していた人たちは再エネ発電の極端な振興に反対でしたし、トルコからの移民を送り返す方針には今でも人権団体等が反対しています。しかし、大切なことは、これからの国や世界の発展、これからの若者たちと、次の世代と、さらにそこに続く世代が豊かで平和な暮らしを送るため、コモンセンスに基づき、今やるべきことをリスト化し、仲間の支持を得て、それを実行するという、明確な説明力と実行力を、皆さんが行使することです。地球温暖化対策もそうでありますが、コモンセンスに基づき当たり前のように進めるべきことなのに、進められないことが数多くあります。先導者、リーダーというと、難しい革新的なことに取り組む必要があると思われがちですが、実は、当たり前のことに取り組み、やり遂げるだけで十分なことがたくさんあります。そのときに一番大切なのが、上司や先輩も含めて、ぶれない志を持って、仲間たちを上手に説得して、コモンセンスに基づく行動に導く人間性です。それこそが義塾の精神、福澤スピリットであります。

実は福澤先生もコモンセンスということばを頻繁につかっておられます。『福翁百話』の第39話にて、「所謂(いわゆる)常識(コモンセンス)を備えて平生(へいぜい)の心掛け迂闊(うかつ)ならざれば世を渡ることは甚だ易し(はなはだやすし)」と述べられています。コモンセンスに基づき迂闊な行動をとらなければ世渡りは簡単だということです。また、明治13年に書かれたある人の推薦状では、「其人物は随分コモンセンスあるものにて」と太鼓判を押しています。福澤先生がコモンセンスという言葉を使われた背景にはトーマス・ペインによる政治パンフレット『コモンセンス』の影響が少なからずあったのではと思います。このパンフレット『コモンセンス』は、福澤先生が活躍するよりもさらに100年前の1776年のアメリカでのベストセラーで、アメリカがイギリスから独立すべき理屈と利点を、すなわちコモンセンスとして、大胆かつ平易な文章で示したものです。その半年後にまとめられたアメリカ合衆国の「独立宣言」の内容に多大な影響を及ぼしました。アメリカがイギリスから独立すべきことは、コモンセンスとして必然であり、当然の権利であることを示して、歴史を動かしました。皆さんも、福澤先生のおっしゃる「随分コモンセンスある」人間として、皆さんに続く世代のためにも、社会を正しい方向に動かしていってください。

コモンセンスに関してお伝えしたいことがもう一つだけあります。これまでの話では、現在のコモンセンスに基づき、取り組むべきことに取り組むだけでも大きな進歩が得られることを述べました。これに加えてもう一つ大切なのが、10年後、20年後、30年後といった中長期的な視点で、将来のコモンセンスとなる活動に取り組むことです。Googleが25年前にサーチエンジンの会社を立ち上げた時、人々に無料で検索をさせるのですから、一体どうやって企業としての利益につながるのか、一般には理解されませんでした。無料で検索してもらうことでデータを集める、無料でYouTube動画をアップしてもらうことでデータを集める。そのプラットフォームによって莫大な広告収入を得て、ビッグデータビジネスを展開するという、新しいビジネスモデルを確立し、それが現在のコモンセンスとなりました。私もGoogleができた25年前に量子コンピュータの研究を始めましたが、量子コンピュータが日常的に活用される日が近づいています。ビジネスや研究においては将来のコモンセンス、将来の常識を作り上げていくという創造的な活動が求められます。

以上、要するに、皆さんには、二つの目標を常に掲げてもらいたいと思います。1)現在のコモンセンスに基づき取り組むべきことを実行できる人、2)将来のコモンセンスも作っていく人。この努力を通して皆さんが世界の舞台で、社会の発展に寄与されることを願っています。

慶應義塾の伝統として、本日は、25年前に卒業された先輩方がここ日吉記念館に集まり、諸君の門出を祝ってくださっています。皆さんも25年後ここに再び集まった時、慶應義塾で学んで本当によかったと振り返ってくださることを、そして私の今日の話、25年前の話を少しでも思い出し、自分たちの努力によって、いかに日本を、世界を前進させることができたかを実感し、胸を張ってくださることを願っています。ご卒業おめでとうございます。

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