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第188回福澤先生誕生記念会年頭の挨拶
「比類なき先導者教育」を行う義塾へ

2023年1月10日

慶應義塾長 伊藤 公平

皆様、あけましておめでとうございます。本日、福澤先生誕生記念会が開催できますことを大変嬉しく思います。本会には福澤家を代表して福澤克雄(かつお)様、塾員を代表して評議員議長の岩沙弘道(いわさひろみち)様にご挨拶いただきます。また、記念講演者として津田塾大学学長の高橋裕子(たかはしゆうこ)様にお越しいただいています。ご多忙中、どうもありがとうございます。

未来を変えていくために必要な「学問」

さて皆さんにとって昨年はどのような1年だったでしょうか? 一人一人で印象が異なることは当然ですが、世界的に共通するのは大事件の1年だったということかと思います。2月24日にはロシアのウクライナ侵攻という信じ難いニュースが飛び込んできました。ウクライナ侵攻が泥沼化してもプーチン大統領を排除できないロシア。ロシアの核の脅威に怯える世界。この1年間、私が教育機関で働く者としてもっとも危機的だと感じ続けてきたのが、トランプ前大統領のMake America Great Againやプーチン大統領の帝政ロシアの復活といった復古主義的な考え方です。覇権主義に終始して、世界レベルでの未来への責任を感じることができない人、隣人を愛することができない人が権力の座に居座るということの恐ろしさです。この恐ろしさに対峙しながら未来を変えていくために必要なもの、それこそが学問です。まさに現代版の実学が必要ということになっているわけです。

昨年は『学問のすゝめ』の初編刊行から150年の記念すべき1年でした。慶應義塾では「ガクモンノススメ」プロジェクトを発足し、様々な講演会やイベントを企画し、今年、そして来年も継続するつもりです。三田キャンパス図書館旧館2階の慶應義塾史展示館では、特別展示「福澤諭吉と『非暴力』-学問のすゝめ150年」が開催されました。『学問のすゝめ』について語り尽くす動画も慶應義塾公式ウェブサイトで順次公開してまいります。すでにその第1回目として、タレントの櫻井翔さんをゲストに迎えて収録した動画が現在、義塾ウェブサイトで公開中ですので是非ご覧ください。そして、これからの動画にもご期待ください。慶應大阪シティキャンパスでは福澤研究センターが中心となり「『学問のすゝめ』150年」のオンライン聴講が可能な講座を開催中です。今からでも申し込めます。多くの新聞やメディアでも「学問のすゝめ」特集を組んでいただきました。

これらのイベントを通じてよく受けた質問は「『学問のすゝめ』の中で一番好きな箇所はどこですか?」というものです。しかし、これほど難しい質問はありません。ご存知の通り、『学問のすゝめ』という本は、編をまたがる形で縦横無尽に私たちの心に響く教訓を浴びせてくるからです。しかし、今日というタイミングで敢えて2カ所を選ぶとすれば、1つ目は十編の初めに出てくる次の文章です。

「人たるものはただ一身一家の衣食を給し、もって自から満足すべからず、人の天性にはなおこれよりも高き約束あるものなれば、人間交際の仲間に入り、その仲間たる身分をもって世のために勉(つとむ)るところなかるべからず」

私流に訳すと、「衣食住を備えるという自分の生活や欲を満たすことだけで満足してはいけません。人の天性にはこれより崇高な約束があります。グローバル社会の仲間に入り、その仲間、メンバーという立場を大いに活用して、世界の発展に寄与していきなさい」ということかと思います。

2つ目に選ぶのは、五編での文章です。

「大凡(おおよそ)世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして瀦滞(ちょたい)する者はあるべからざるの理なり」

と説きます。そして進むために何が必要かといえば、常に学び続けて仲間と協調する実力と人格ということになるわけです。繰り返しますと、1つ目はグローバル・シチズンとして世界の発展に寄与するという高い志、先導者としての天との約束を仲間達と一緒に実行するということ。2つ目は、前進をしないと必ず後退するので、進み続けるために学び続ける、学問に励み続けるという不断の努力が必要ということであります。

新しい学びの試み

では、ここで昨年の慶應義塾を少し振り返ってみたいと思います。慶應義塾の三大事業「教育」、「研究」、「医療」の順にお話し致します。

1本目の柱である教育における昨年の大きなテーマは、ポストコロナを見据えた学びの環境整備でした。「学びを止めない」、まさに「学問のすゝめ」を実践する場の整備でありました。大学では、4月からの春学期において9割以上の授業が対面で行われるようになりました。実に頼もしいのが、これは私たち執行部が示した指針ではなく、全学部の代表の教員たちが集まり、何度も会議を重ねた結果の結論だったということです。教員魂ここにあり、ということだと思います。

一貫教育校においても、先ほどの幼稚舎生と初等部生の歌の通り、「いつものとおり授業する」に努め、遠足や宿泊を伴う修学旅行等の課外活動も再開できました。単純にコロナ前に戻るのではなく、一度リセットされた教育をオンラインとの併用も含めて、皆が工夫するようになったのが一番の成果だと思います。大学における大切な課外活動である体育会や塾公認団体(いわゆるサークル)の毎日も大いに活性化されました。SFCの七夕祭、理工学部の矢上祭、そしてここ三田での三田祭といった学園祭では、来場者はある程度は制限しましたが、少なくとも私が参加した三田祭においては、飲食の出店も復活して、人、人、人の大変な活気でありました。ただ、患者に接する立場の薬剤師、医師、看護師の卵が中心となる芝共立祭と四谷祭はオンライン開催を選択しましたが、これは責任のある立場の者として当然の判断だったと思います。

そして、新しい学びの試みも昨年始めることができました。「2022塾生会議」です。大学の全学部から選抜された80名ほどの、1、2年生を中心とした塾生が定期的に集まります。そして『学問のすゝめ』に記された、グローバル・シチズンとして世界の発展に寄与するという高い志を涵養し、先導者としての天との約束を仲間達と実行する、その場が塾生会議です。慶應義塾のみならず、日本、そして世界の健全で平和な発展に向けて、私たち慶應義塾が取り組むべきプロジェクトを提案するために、メンバーの塾生たちが相談してまとめるということです。

教員組織としては日吉の自然科学研究教育センターが担当してくださり、昨年4月にメンバー塾生の募集を開始して、約80名の半数が自薦、残りの半分が慶應義塾がバランスよくランダムに依頼した塾生で構成されました。6月からは勉強会を開始し、秋学期はメンバーたちが自由にグループを組んで様々な提案をまとめる作業に取り組み、明日、1月11日には30を超える塾生たちからの提案が塾長である私に提出されるイベントが開催されます。明日の提案受理に向けて私も大いに楽しみにしているところです。

この塾生会議の一環として、夏休みには小学校から高校までの一貫教育校からの塾生と、大学生が日吉キャンパスで一堂に会すサマーキャンプも開催されました。幼稚舎、横浜初等部の5年生から大学生までが一緒になって、SDGsの17のそれぞれのゴールに対して、慶應義塾が取り組むべき方向性を議論し提案して下さいました。これまでなかなか実現できなかった小学校から大学生までがつながる一貫教育ならではの学びの場、半学半教の場が実現できたことは、これからの一貫教育の一つのモデルケースになるのではないかと期待しているところです。

昨年は何校かの一貫教育校にとっての節目の年ともなりました。4月には湘南藤沢中等部・高等部が創立30年記念式典、11月には中等部が創立75周年記念式典を開催しました。今年は、志木高等学校の開設75年、普通部125年の年であります。それぞれの節目で私も各校の理念と歴史をおさらいし、創設に携わった方々の先見性に満ち溢れた高い理念や目標と、そして、設立から今日に至るまでの発展を支えて来られた教職員・生徒・卒業生の皆さんの努力に触れ、一貫教育校の未来に向けての責任感を関係者とともに新たにいたしました。

比類なき研究成果の創出のために

義塾の三大事業の2本目の柱は「研究」です。昨年一番の目に見えるイベントは、医学部の本田賢也教授を代表として、薬学部・理工学部等が協調して申請した「ヒト生物学‒微生物叢‒量子計算研究センター(Bio2Q)」が、見事に日本学術振興会の世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)に採択されたことです。WPIとは、第一線の研究者が世界から慶應義塾に集まり、優れた研究環境と極めて高い研究水準を誇る「世界から目に見える研究拠点」を作るという事業です。これまで採択された全17拠点の中では慶應義塾が唯一の私立大学ということになります。

また、一昨年には医学部・中村雅也教授を代表とした「誰もが参加し繋がることでウェルビーイングを実現する都市型ヘルスコモンズ共創拠点」がJSTの共創の場形成支援プログラム(COI‒NEXT)共創分野・本格型に採択されましたが、ここでは、医学部、理工学部に加えて、法学部、大学院システムデザイン・マネジメント研究科など、自然科学と社会科学の融合したプロジェクトが慶應義塾で実現しております。

このような大型プロジェクト獲得の一番の目的は、学部やキャンパスの壁を越えて協調する体制を整えることであります。学際的な協調によって比類なき研究成果が創出できます。次のステップは、慶應義塾が誇る社会科学・人文科学系研究者の間での協調を広げ、その活動を理系・医療分野などとの連携につなげていくことです。この活動に今年から慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)が取り組みます。これからの慶應義塾が誇る社会科学・人文科学研究の魅力が目に見えるように皆様に発信されていきますので、どうぞご期待ください。

慶應義塾の三大事業の3本目の柱は「医療」です。医学部は6年前の2017年に開設100年、病院は3年前の2020年に開院100年を迎えました。これら100年を記念する事業として、5年前の2018年に病院1号館が開院し、昨年5月には大学病院の新しい正面玄関を完成させることができました。これにて実に10年間にわたり計画された慶應義塾大学病院の工事が終了し、「グランドオープン」を昨年迎えることができたわけでございます。また、医療現場においても、新型コロナ対応という難しい局面が続く中で、患者と家族の皆様の最後の砦としての本塾病院の使命を、スタッフ全員の努力によってしっかりと果たしてきたことを私は大変誇りに感じるところです。

国際交流の再開

昨年は国際交流も再開することができました。私も6回の海外出張を行い、世界中の大学、研究機関、産業界との議論を重ねました。その概要は、義塾ウェブサイトで公開しております私どものエッセー「塾長室だより」のバックナンバーに記した通りですが、重ねてお知らせしたいのは、今年3月には、ここ三田キャンパスにおいてU7+Alliance学長会議(U7+Allianceof World Universities Presidential Summit)が開催されるということであります。今年5月に広島でG7サミットが開催されますが、それに紐づけられるイベントで、このU7プラスとは、要はG7を中心に世界20カ国以上にわたる51の加盟大学の学長会議です。U7+AllianceのUは、Universityです。

世界を代表する51の大学長と幹部がここ三田キャンパスに一堂に会して、アカデミアからのアジェンダをG7サミットに正式に提出するというものであります。日本からは東大、阪大、一橋大と慶應義塾が参加しています。この学長会議が、G7の日本開催に合わせて、慶應義塾で開催されるということで、一同、楽しみにしております。また、『三田評論』1月号の新春対談では日系アメリカ人であり、スタンフォード大学からの交換留学生として本塾で学ばれたグレン・フクシマさんと国際化に向けた対談を行っております。ご一読いただけますと幸いです。

もう一点、国際貢献という視点からの昨年の活動を紹介します。ウクライナの学生の学びの場、学びの権利、まさに「学問を続行する場」を確保するために、昨年9月に4名のウクライナ人を大学院生の候補として受け入れました。この4名は、初めは訪問留学生として慶應義塾で研究に励み、次に慶應義塾の大学院に試験を受けて入学して、2年間をかけて修士号を取得することを目指します。この4名の受け入れに際し、塾員をはじめとする皆様から多大なご寄付をいただきました。ここに御礼申し上げます。

先導者を育てる責務

以上が、昨年のまとめですが、今年は慶應義塾の真の飛躍を徹底的に議論する1年にしたいと考えております。『学問のすゝめ』が刊行された150年前には、『学問のすゝめ』を読んで刺激を受けた若者たちが日本中から上京してここ慶應義塾の門を叩きました。今こそ、これを再現しなければいけません。日本の失われた30年。慶應義塾は確かに発展してきましたが、慶應義塾の発展が日本社会の失われた30年の回避、そしてさらなる飛躍につながってきたかというと、そこまでの効果はまだなかったと言わざるをえません。ということは先導者としての慶應義塾は、さらに前に進まなければいけないということであります。

慶應義塾の目的の結び、「居家処世立国の本旨を明にして之を口に言ふのみにあらず躬行実践以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」にあります通り、慶應義塾社中が一丸となって、日本と世界の発展のための指針を示す必要があります。そのためには、比類なき教育体制を整備することが急務です。要は「比類なき先導者教育」を慶應義塾に用意するということです。

それには、「比類なきダイバーシティとインクルージョン」も必要です。すなわち、「先導者、社会貢献力をつけたい、だからどうしても慶應義塾で学ばなければいけない」と皆が思うような環境をどうやって作っていくかということを徹底的に議論し、そのための教育カリキュラムを作り上げ、日本中のみならず世界中から慶應義塾への入学を希望する志願者が集まる状況を準備する必要があります。それでこそ慶應義塾の目的「全社会の先導者たらんことを欲するものなり」の実践となるわけであります。

そのためにはこれからの10年、50年、そして100年の世界の社会の平和で健全な発展を支える、そのための先導者とはどのような人か? その資質、リーダーシップから定義しなければいけません。こういう先導者を育てることが必要だということを説得力を持って私たちが示し、そのための教育プログラムを作り上げ、皆が日本中、世界中から慶應義塾に学びたい、という場を作るということであります。これが今年の大きな作業になるということであります。そして、教育だけではなく、研究、医療においても同様の議論、要はグランドデザインを作ることが必要だということであります。社中のみならず社会一般の皆様からの、引き続きの慶應義塾に対するご支援をどうぞよろしくお願い致します。

結びに当たりまして、今年、2023年が皆様と世界にとりまして良い1年となりますことを心より祈念して、私の年頭の挨拶とさせていただきます。本年もどうぞよろしくお願い致します。

(本稿は2023年1月10日に開催された第188回福澤先生誕生記念会における伊藤塾長の年頭の挨拶をもとに構成したものである。)

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