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2021年度大学院入学式式辞

2021年4月2日

慶應義塾長 長谷山 彰

新入生の皆さん、慶應義塾大学大学院へのご入学おめでとうございます。

オンラインでご参加のご家族の皆様にも心からお慶びを申し上げます。

昨年度、慶應義塾大学は新型コロナウイルス感染症の影響で、一時キャンパスを閉鎖し、授業も全面的にオンライン型に切り替えるなど厳しい状況が続きました。大学院については、比較的少人数の授業が多いこともあって、秋学期には安全対策を徹底した上で、できるだけ対面型の授業を実施しましたが、研究活動が制限され、留学生は母国との往来が止められるなど不安な日々が続きました。

新年度は大学院における学習・研究活動をできる限り平常に近づけたいと思っていますが、いまだに感染症収束の兆しはみえていません。世の中には大量の情報が溢れ、専門家の意見も食い違うことがあって、どれが正しい情報なのか判断に迷うことも多い日々です。その結果、どうしていいか分からなくなり、自粛疲れと相まって、巷では警戒感が緩んでいると感じます。

しかし、このときにこそ、学問の力によって事態の本質を見抜き、正しい情報を伝えることが研究機関としての大学の役割であり、また自覚と良識によって正しく行動できる市民を育成することが教育機関としての大学の使命です。

歴史上、人類は中世ヨーロッパのペスト、16世紀の南北アメリカでの天然痘、あるいは20世紀初頭のスペイン風邪の流行など過去に何度か大規模な感染症流行を体験しましたが、今回の新型コロナウイルス感染症の流行には過去と大きく異なる点があります。

それは、テクノロジーの発達、特に情報通信技術(ICT)によって、感染症に関する情報がほぼリアルタイムで世界中に発信されていることです。医療現場の様子や、ロックダウンによって人々が分断され孤立する姿が映像で見られます。そしてまた、人々がオンラインによって再びつながり、新しい絆を作ろうとする動きも広がっています。

他方で、一部の人々が、SNSを通じて流される根拠のないデマに惑わされ、差別や中傷、あるいは暴力に走る事件が起きています。この両極端の動きを見るとき、テクノロジーの進歩は人類にとって諸刃の剣であると感じます。AIがチェスや将棋のプロを軽々と打ち負かすようになって、急速に進歩するテクノロジーがいずれ人類を脅かすのではないかという懸念の声も聞こえてきます。

そのような状況において、テクノロジーと人間の共生の道を探り、テクノロジーが人類の幸福に貢献できるようにすることは、大学の使命です。

慶應義塾の創立者である福澤諭吉は、学問はすべて実学であるべしと唱え、実学とは、「唯事物の真理原則を明にしてその応用の法を説くのみ」と説明しています。人文科学・社会科学・自然科学という分類を越えて、事実を分析し、根拠に基づいて、実証的に結論を導き出してゆくことが実学であり、科学と人文学の垣根を越えた学問の力が必要とされる時代において総合大学としての慶應義塾の役割は大きいといえます。

それでは、テクノロジーと人間が調和する道を探る時に要求される学問の作法とはどのようなものでしょうか。それは、「批判的思考によって常識に疑いを持ち、みずから問いを立てて、その答えを追求する」ことです。

文芸批評家で、『オリエンタリズム』の著者であり、ポストコロニアル理論を確立したエドワード・サイードは、2004年の著書『人文学と批評の使命―デモクラシーのために』の中で、グローバル化の中での新しい人文学の役割を提唱し、「批判する力」を行使し、世界の歴史的現実について「目を開いた知を蓄積し、問いかけるという実践を、途切れることなく続けるためのものなのである」と説明しています。また、不自由な体でありながら、宇宙論の分野で画期的な業績を挙げ、「車椅子の天才」と呼ばれたスティーブン・ホーキングは2018年に亡くなって、ロンドンのウエストミンスター寺院の一角にアイザック・ニュートン、チャールズ・ダーウィンという科学の巨人と並んで埋葬されましたが、そのとき、ホーキングと研究上の関わりが深く、重力波の研究でノーベル物理学賞を受賞したカリフォルニア工科大学名誉教授のキップ・ソーンは次のような言葉でホーキングを称えました。「ニュートンはわれわれに答えを与えた。ホーキングはわれわれに問いを与えた。そしてホーキングの問いそのものが、数十年先にも問いを与え続け、ブレイクスルーを生みつづけるだろう」と。

「常識を疑い、問いを立て、自ら答えを発見する」これが学問の本質であることを人文学と科学を代表する二人の言葉から読み取ることができます。

そしてまた、ホーキングは遺著「ビッグ・クエスチョン」の中で、「スーパーインテリジェントなAIの到来は、人類に起こる最善のできごとになるか、さもなければ最悪のできごとになるだろう」と警鐘をならしつつも、「私は楽天家なので、世界のために役立ち、私たちと協調してやっていけるAIを作ることはできると考えている。そのためにやるべきことは、危険があることを理解したうえで何が危険なのかを突き止め、最善の策とマネジメントを選び取り、起こりうる事態に対して十分に先回りして十分に対処することだけだ」と強調しています。この先回りするということが大学、研究者の役割です。

テクノロジーを開発し、社会に活かすためには、自然科学はもちろん、例えば、透明性と公平性を担保するため必要な法的な規制や経済的効用を考える社会科学、テクノロジーの使用における倫理的な側面を深く考える人文科学などあらゆる学問分野を総動員し、多様な分野を融合した研究が必要になります。

皆さんには、これから大学院でそれぞれの専門分野について深く学ぶと共に、将来、学んだ知識を総合して、社会的な課題の解決、あるいは気候変動、災害、人口増加、食糧問題など人類が直面する地球規模の課題にも対処できる創造的な『知』を育むことを意識して頂きたいと願っています。

依然として新型コロナウイルス感染症の収束が遠い中で、不安な気持ちが強いと思いますが、どうか学問に打ち込むことで不安を克服して下さい。慶應義塾も皆さんの学業を守るためできる限りの支援をいたします。

それでは皆さんが、これから慶應義塾の自由な学風の中で、学問に打ち込み、豊かな学生生活を送ることを期待して、私のお祝いの言葉といたします。ご入学おめでとう。

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