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2020年度大学院学位授与式 式辞

2021年3月26日

慶應義塾長 長谷山 彰

本日学位を授与された皆さんおめでとうございます。ご家族やご関係の皆様にも心からお慶びを申し上げます。

2020年度、慶應義塾は新型コロナウイルス感染症の感染拡大で大きな影響を被りました。大学院生の皆さんも授業への影響はもちろん、論文作成に必要な資料の入手やフィールドワーク、出張の制限などで、大変苦労されたと思います。母国との往来が止められた留学生にとって、不安はさらに大きかったと思います。皆さんが苦しい日々の中で学問を継続し、学位を取得されたことに心から敬意を表します。また今日まで大学院生を指導し、見守って下さった教職員の皆様にもこの場をお借りして御礼を申し上げます。

社会では、いまだに新型コロナウイルス感染症の収束の兆しがみえていません。ワクチン接種が始まって収束への期待が高まっていますが、他方では、変異ウイルスによる感染拡大が懸念されています。市中では自粛疲れで警戒感が薄れているようにも見えます。過去の感染症流行と違って、今回はテクノロジーの進歩によって、一般市民に大量の情報が届くようになりましたが、その結果、どれが正しい情報かを判断することが難しくなっています。このときにこそ不確かな情報や世の中の動きに惑わされず、事態の本質を見抜いたうえで、適切に行動する姿勢が必要です。

かつて慶應義塾の創立者である福澤諭吉は、学問を修め、自らの判断と責任で行動する独立自尊の精神を持つ人材の育成に努めました。また学問はすべて実学であるべしと唱え、実学とは、「唯事物の真理原則を明にしてその応用の法を説くのみ」と説明しています。その文脈でいえば、人文科学、社会科学、自然科学という分類を越えて、すべての学問は実学であるといえます。そして予想外の事態に遭遇したときに、学問の力によって事の本質を見抜き、合理的な判断に基づいて、行動することが求められています。

ところで今年は東日本大震災から10年の節目の年です。震災の後、原発事故や津波被害を検証する中で、想定外という言葉がしばしば使われるようになりました。新型コロナウイルス感染症が世界中に蔓延する今、やはり想定外という表現が聞かれます。しかし、東日本大震災を振り返る中で、果たして想定外だったのかどうか疑問のある事柄もあることがわかってきました。例えば、東北地方沿岸部の津波被害は歴史上何度も繰り返されてきました。平安時代の貞観地震では現在の宮城県多賀城市にあった陸奥国国府の城下に大津波が押し寄せ、住戸多数が津波被害を受けたことが、律令国家の正式の歴史書である「日本三代実録」に記されています。近代以降でも、例えば1933年の昭和三陸地震の津波では、最大20メートルを超える津波が、三陸各地に壊滅的な被害をもたらしたことが記録されています。もちろん地元の人々がその教訓を無視していたわけではなく、宮古市の田老地区では、昭和三陸地震の後、長い年月をかけ、1958年には、海抜10メートル、総延長2.4キロの巨大な防潮堤を築造していました。1960年のチリ地震では防潮堤が津波被害を最小に食い止めましたが、残念ながら2011年の津波はそれを遙かに越えて町を壊滅させました。

つまり想定外とは想定できなかったのではなく、想定はしていたが想定を越える事態が起きたという表現が適切であり、厳しい見方をすれば、想定はしたが対策が不十分であったとも言えます。現に、原発事故では専門家が津波被害をシミュレーションし、危険性を指摘していたにもかかわらず、十分な対策がとられていなかったり、あるいは津波の後、住宅の高台移転を計画したが実現しなかった地域もあります。しかし、当事者だけを一概に責めることはできません。都会に住む人間から見ればなぜもっと高い堤防を作らなかったのか、なぜ高台に移住しなかったのかと疑問を持つかもしれませんが、あまりにも巨大な堤防は漁船の往来を妨げます。高台への移住は船と魚の水揚場、水産加工場、そして住宅が港に集中することで生活が成り立っている漁業従事者に打撃を与えます。リスクとコストのバランス、政治的、経済的理由、住民感情などあらゆる要素が絡み合って想定外が起きるのが実態です。

問題点の一つは、歴史の教訓や専門家の声が市民には十分に届いていなかったこと、また耳にしていても市民自らが行動するという習慣がなかった時代の空気にもあると感じます。東日本大震災のあと、各地で、対策を行政に任せきりにするのでなく、個人や民間の有志が活動をはじめ、被災地での町おこしや避難者のサポートに貢献しています。そのような活動が、東日本大震災から10年を振り返る報道でいくつも紹介されましたが、その中で私が注目したのは、宮城県内で津波の記憶を刻む石碑を各地に建立する活動を続けている若者の話でした。

その若者は、震災後、過去の津波の被害を記す石碑が各地にあったことに気づきました。調べるうちに石碑は神社の石段の途中や集落の丘の斜面など津波の最高到達点に建てられていたことが判明しましたが、残念なことに多くの石碑は開発の波の中で街の片隅の目立たない場所に移されていました。そこで彼は2011年の津波被害の記録を石に刻み各地の津波の到達最高点に設置する活動を自ら始めました。その新しい石碑には、津波の記録と共に、「石碑の立つ位置が津波の到達点」であること、そして「この石碑を絶対に動かさないでください」という言葉を刻みました。活動を続けるうちに仲間もでき、ちょうど2021年3月に、予定していた数十基の石碑の最後の一基が建てられるという話でした。自ら学び、自ら行動する。実学の精神に通じる行いだと感じます。

膨大な情報を丹念に分析し、問題の本質を理解し、自ら適切に行動する市民が多ければ多いほど、社会的な課題の解決は容易になります。これこそが、大学院で高度な知識を学んだ皆さんに期待される役割です。

そして想定外を想定するためには、あらゆる学問分野の協力が必要になります。新型コロナウイルス感染症の克服だけではなく、さまざまな地球規模の課題を解決する時も同じです。気候変動、災害、食糧問題など人間と自然に関わるあらゆる課題に対して、科学と人文学の垣根を越えた学問の力、事物の真理を明らかにして現実に応用する実学が求められています。

これからの人生の中で、皆さんは何度も予想外の事態に遭遇すると思います。その時に、世の中の流行や他人の言説に惑わされることなく、物事の本質を見極め、自らの責任で判断し、行動して下さい。福澤の唱える実学とはまさにこのことであり、皆さんが大学院で学んできたことに通じます。本日、皆さんは学位を取得されましたが、もちろん学位の取得はゴールではありません。学位に込められた学識をこれからいかしていく。これが、皆さんの使命です。皆さんが、学問を修め、学問によって世に立ち、学問によって社会に貢献することこそ、慶應義塾が皆さんに望むところです。

それでは皆さんが、これからさまざまな立場で学問の力を活かし、活躍されることをお祈りして、私の式辞と致します。おめでとうございます。

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