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2020年度 9月入学式(学部・大学院)塾長式辞

2020年9月24日

慶應義塾長 長谷山 彰

新入生の皆さん、慶應義塾大学へのご入学おめでとうございます。ご家族やご関係の皆様にも心からお慶びを申し上げます。

この春、慶應義塾大学は、新型コロナウイルス感染症の影響を考慮して入学式は延期ないし中止とせざるを得ませんでした。9月は、この春に竣工した慶應義塾創立150年を記念する日吉の記念館を会場として、4月入学と9月入学の新入生が共に参加できる形で、賑やかに式典を開催できるよう準備を進めてきましたが、依然として感染症収束の見通しは不透明です。感染防止と参加者の安全を優先して、やむなく式典の開催を断念し、動画配信の形で、皆さんのご入学を祝うことにいたしました。

新入生やご家族の皆様におかれてはさぞ残念なことと思いますが、義塾としても苦渋の決断であったことをご理解頂ければ幸いです。

現在、新学期開始に向けて、学部・研究科・通信教育部を中心に教職員が一体となって、皆さんが安心して学問に打ち込める環境を整えるために準備を進めています。春学期の経験から、オンライン型授業にも反復学習や多人数同時双方向の議論など一定の効果があることが確かめられましたが、教員や仲間とのふれ合いは人格形成の上で重要であり、教室、図書館、体育館、グラウンドなどキャンパスでの多様な学びは、正課教育と課外教育を両輪として人格の陶冶を重んじる慶應義塾の教育の根幹です。そこで秋学期は、オンラインと対面型のハイブリッドな授業を実施し、キャンパスでの色々な活動も段階的に再開してゆく予定です。

対面型授業の実施にあたっては、大学全体で、新型コロナウイルス感染症防止のために安全対策を徹底しますが、感染を防止するためには、キャンパスに集う塾生、教職員、関係者それぞれが「感染しないさせない」という強い意志をもって行動することが大事です。

実は、慶應義塾の歴史は感染症と深い関係を持っています。慶應義塾の創立者である福澤諭吉は、若き日に大坂の緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、町医者として治療に力を尽くす恩師の姿を目の当たりにしました。洪庵は、大坂でコレラが流行した際には、治療に奔走し、「虎狼痢治準」(コロリチジュン)を著して治療法の普及に努めています。福澤自身、適塾時代と慶應義塾草創期に二度チフスを患い、身をもって伝染病の怖さを体験しました。それもあってか、後年、緒方洪庵の適塾で学んだ医学・保健衛生思想を基盤として、「身体の無病壮健、精神の活発爽快」を唱え、心身のバランスのとれた人材育成を慶應義塾の教育理念の根本に据えました。

また、慶應義塾創立の年である安政5年は、江戸でコレラが流行した年でもあります。この年には、いわゆる不平等条約と呼ばれる5カ国条約も結ばれており、海外から伝染病が持ち込まれたとして、攘夷運動が盛んになる一因になったといわれています。

このような体験から福澤は生涯、医学への強い関心を持ち続け、病院設立を念願としました。その想いを受け継いだのが、日本細菌学の父と呼ばれる北里柴三郎です。北里は、ドイツに留学してコッホに師事し、そこで破傷風菌の特定、治療法開発に優れた成果を上げましたが、帰国後は不遇の中にいました。それに憤慨した福澤は北里に援助の手を差し伸べ、私立伝染病研究所の設立を支援しました。北里はその後もペスト菌の発見など大きな業績を挙げ、さらに福澤の没後、大正年間に、慶應義塾が悲願の医学部・病院の設立を計画した時には、それに応えて献身的な努力を捧げ、その結果、北里柴三郎を初代医学部長とする現在の医学部・病院が誕生した経緯があります。

現在、信濃町キャンパスでは、医学部・病院が一体となって、新型コロナウイルス感染症との闘いに取り組んでいます。この間、医学部の学生が詳細にわたる感染防止ガイドラインを作成し、それを学生団体である全塾協議会の塾生が協力して全塾生にWEB上で配信するという取り組みもありました。湘南藤沢(SFC)では、例年キャンパスで開かれている七夕祭が中止になりましたが、1,2年生中心の有志が、オンラインで先端技術を駆使したバーチャル七夕祭を実現させ、テレビ番組でも取り上げられました。

NPO法人を運営し、オンラインで学生相談を実施する塾生もいます。

苦しい状況の中で、塾生が学問を継続する強い意志を持ち、また様々なアイディアを生み出して希望をつなごうと努力していることについて私は心からうれしく、また誇りに思います。

ところで、今、私は三田キャンパスにある演説館から皆さんにお話ししています。明治8年に開館した演説館は、三田キャンパスの中で最古の建物であり、また、日本初の演説用施設でもあります。19世紀半ばに福澤諭吉は2度にわたってアメリカを訪問し、フリースピーチこそが民主政治の基礎であると考え、自由な言論の場として演説館を創設しました。福澤は、公の場で自分の意見を述べる習慣を持たなかった日本人に対して、演説を奨励し、自らも熱心に演説の手本を示しました。そして、演説と並んでディベイト(議論)を授業に取り入れました。人々が自分の意見を発表し、議論を重ねることで真実が明らかになり、正しい選択をすることが可能になると考えたからです。

福澤はまた、封建制の名残で、人々が事に当たって、上からの指示を待ち、命令に従順であることを憂い、学問を修め、世の中の流行に惑わされず、自分自身の人生や社会の進むべき方向を考える独立自尊の精神を持った人材の育成に努めました。

そして、学問はすべて実学であるべしと唱えています。実学というと、「実際の生活にすぐ役だつ学問」と説明されることがありますが、福澤は『福翁百話』の中で、実学について、「唯事物の真理原則を明(あきらか)にしてその応用の法を説くのみ」と記しています。人文科学であれ、社会科学・自然科学であれ、単なる思いつきではなく、事実を丹念に分析し、根拠に基づいて、実証的に結論を導き出してゆくことこそ、実学の真髄といえます。

変化の激しい時代には、一生の間に、想定外の事態が何度も起こります。その時にこそ、根拠のないデマに飛びつくことなく、学問の力によって事態の本質を見抜き、正しい道を選択することが生き延びる道です。

ところで、このコロナ禍のなかで、私達は人間の美しい心や醜い姿を交々に見せられています。歴史上、人類は中世ヨーロッパのペスト、16世紀の南北アメリカでの天然痘、20世紀初頭のスペイン風邪の流行など過去に何度か大規模な感染症の流行を体験しましたが、今回の新型コロナウイルス感染症の流行には過去と大きく異なる点があります。

それは、テクノロジーの発達、特に情報通信技術(ICT)によって、感染症に関する情報がほぼリアルタイムで世界中に伝達されていることです。新型コロナウイルス感染症と闘う医療の現場の様子や、街がロックダウンされ、人々が分断され孤立する姿が世界中に発信されています。そしてまた、分断され孤立した人々がオンラインによって再びつながり、新しい絆を作ろうとする動きも広がっています。世界中のアーティストやアスリートが人々に癒しと希望を与える動画を発信しています。多くの市民が、大人も子供も料理や工作、ダンス、楽器演奏などのパフォーマンスを撮影し、公開しています。

他方で、制約の多い日常生活の中で、デマに惑わされたり、精神的に追い詰められた人々が差別的言動や暴力に走る様子も映像で流れています。あるいは感染症にまつわる根拠のない情報がインターネットを通じて世界中に氾濫し、人々の不安をあおる現象が多発しています。多くの情報の中から、正しい情報を見分けることが必要であり、感染症の拡大を防ぎ、社会の安定を維持するためには結局のところ、市民一人一人の自覚と良識に基づく行動が大切であることが明らかになりました。

福澤が理想とした独立自尊の精神を備えた人材、すなわち他者の指示や命令を待つのではなく、自ら考え自らの責任で主体的に行動できる市民の存在は、一国の成熟度を測る物差しでもあります。

慶應義塾は1858(安政5)年の創立以来、理念を共有する有志の協力による民間私立の学塾として、幾多の混乱を乗り越え日本を代表する総合大学に発展してきました。危機のたびに義塾を支えてきたのは塾生(学生)、塾員(卒業生)、教職員からなる社中協力の力です。

新入生の皆さんは、単に学生であるにとどまらず、今日から独立自尊の精神を重んずる慶應義塾社中の一員となりました。

この動画配信による入学式では学部長・研究科委員長、通信教育部長、そして1970年三田会代表の塾員がそれぞれ新入生への応援メッセージを送ってくれます。皆さんも社中の一員として、不安を克服し、自覚と良識をもって困難を乗り越えてください。

それでは、皆さんが慶應義塾の自由で大らかな気風の中で学問に励み、スポーツ、芸術、社会活動と、さまざまな体験を積み重ねて、豊かな学生生活を送ることを期待して、私のお祝いの言葉と致します。ご入学おめでとう。

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