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2019年度大学学部学位記授与式塾長式辞

2020年3月23日

慶應義塾長 長谷山 彰

卒業生の皆さんご卒業おめでとうございます。ご家族の皆様にも心からお慶びを申し上げます。

また、これまで卒業生を熱心に指導し、見守って下さった教職員の皆様にもこの場をお借りして厚く御礼を申し上げます。

先にお知らせしたとおり、慶應義塾大学は、新型コロナウイルス感染症が拡大する状況を踏まえて、参加予定の方々の健康と安全、感染拡大防止を最優先に考えて、学部卒業式、および卒業25年塾員招待会等の関連行事を中止することに致しました。

卒業生やご家族の皆様は、一堂に会して卒業を祝う日を、さぞ楽しみにされていたことと思います。また、1995年三田会の皆様は、卒業生の門出を祝うべく1年以上をかけて、記念事業の準備を進めて来られました。加えて、今年は日吉記念館の建て替え工事が終わって、卒業式は新記念館での最初の公式行事として盛大に行われる予定でしたから、慶應義塾の関係者全員が大変残念に思っています。

そこで、式典に代わって、慶應義塾公式ウェブサイトから動画配信する形で、卒業生の晴れの門出を祝うことにいたしました。

今、この場には、卒業生の姿はありませんが、各学部の学部長をはじめとする教職員の代表、祝辞を頂戴する塾員代表、38万人の塾員が組織する連合三田会の代表、さらに卒業25年を迎える1995年三田会の代表の方々が参加しています。

慶應義塾は1858(安政5)年の創立以来、民間有志の協力による私立の学塾として、幾多の困難を乗り越え、日本を代表する総合大学に成長してきました。長い歴史を通じて慶應義塾を支えてきた社中協力の精神を体現する塾員の参加は、今日から塾員となる卒業生にとって良い応援メッセージになると思います。

さて、21世紀に入ってから世界共通のキーワードとして流布した「グローバル化」は、ヒト・モノ・カネが国境や地域を越えて流動する現象と説明され、ボーダーレス化と言い換えられることもありました。

共通ルールによる自由で公正な競争が経済発展を促進し、世界から飢餓や貧困が消滅するという期待もあって、グローバル化は急速に進行しましたが、この数年、イギリスのEUからの離脱、自国の国益こそ最優先と唱える指導者の出現、気候変動に対処する国際協調のほころびなど、グローバル化への揺り戻しとみえる動きも生じています。

そして今回の新型コロナウイルス感染症の世界的な流行はついにパンデミックと認定され、人類は感染症に国境がないことを思い知らされました。新型コロナウイルスの拡散は皮肉にもあらゆるものが国境を越えて流動するグローバル化の負の側面を露わにしています。

ところで、皆さんの多くが入学した2016年はちょうどブラジルでリオデジャネイロオリンピックが開催された年でした。閉会式で次回開催地の東京が華やかに紹介され、五輪旗が小池東京都知事に引き渡されたことはまだ記憶に新しい出来事です。

実は、リオオリンピックの頃、ブラジルはジカ熱の感染症拡大に苦しんでいました。2016年2月、中南米でのジカ熱の感染流行を受け、WHOは緊急事態を宣言し、結局、ブラジルでは約150万人、コロンビアでは約2万人が感染する事態に発展しました。不幸な出来事でしたが、その時、感染拡大地域は中南米に限定されていました。

それから4年後、東京オリンピックの年に、開催国日本は感染症対策に追われています。感染拡大は地球規模に広がり、多くの国が入国制限や国境封鎖を決め、今や南極大陸を除き世界が鎖国に向かっているとまでいわれています。

ここで確認しておきたいのは、感染症の世界的流行は決して想定外の事態ではなかったということです。歴史上、人類は中世ヨーロッパのペスト、16世紀の南北アメリカでの天然痘、20世紀初頭のスペイン風邪の流行など過去に何度か大規模な感染症流行を体験しました。人々が広範囲に移動するグローバル化が感染症流行のリスクを高めることはすでに警告されていましたし、感染症の問題だけではなく、グローバル化にはマイナスの側面があることは早くから指摘されていました。

例えば、グローバル経済の効果で世界の貧困人口が減少したという見方がある一方で、過度の競争によって経済格差が拡大し、新たな貧困地域が生まれたという批判があり、そのほかにも、気候変動や水資源の枯渇、不平等の拡大など地球規模の課題が明らかにされつつあります。

近年、こうした地球規模の課題に対して世界が協調して取り組み、グローバル化の負の側面を克服しようという声が高まっています。その動きを象徴するキーワードがSDGsです。国連が定めた持続可能な開発のための目標。気候変動、飢餓、貧困、不平等、水、エネルギー、ジェンダー平等などの17のグローバル目標と169のターゲットからなる開発目標をさします。

SDGsに先行するMDGsミレニアム開発目標は途上国の問題解決を先進国が援助するという姿勢でしたが、SDGsは、先進国にも共通の課題として設定されています。

誰一人取り残されることなく、人類が平和で豊かな生活が送れるよう、世界中の政府、機関、企業が取り組むことが目標で、大学の役割にも期待がかかっています。事実、世界の大学は教育研究を通じて、早くからこの問題に取り組んできました。

2019年4月にTHEが発表した "大学のインパクトランキング (University Impact Rankings)"において、慶應義塾大学は世界91位にランクされました。義塾のほかに総合ランキングで100位以内に入った日本の大学は2大学だけですが、このランキングの指標はまさに、国際連合が提唱している17の"SDGs(持続可能な開発目標)"のうち11の目標についての貢献度でした。

慶應義塾はパートナーシップ、健康と福祉、産業と技術革新、平和と公正の各項目で高評価を得ましたが、これは人文・社会・自然科学を網羅する総合大学としての慶應義塾の活動が評価された結果です。

感染症対策は目標3の「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」に付随するターゲットの一つで、伝染病の根絶や、ワクチンの研究開発支援、医薬品提供などが掲げられています。

現在、新型コロナウイルス感染症の拡大に対して、世界中が協力して、情報を共有し、ワクチンなど有効な治療法の開発、医療体制の整備に取り組んでいますが、医療以外の分野でも、研究機関としての大学への期待は高まっています。不安を抱える市民の心身のケア、労働負担の増大と雇用の減少、経済活動の低下、法制度の整備など多岐にわたる課題について、確実な情報に基づく適正な対策の確立が求められています。

そして、情報の収集、分析、解決法の発見というプロセスは実はすべての学問分野に共通する方法論です。課題を明らかにし、仮説を立て、証拠に基づく検証によって真理を明らかにする。課題発見解決型の学習とはまさに卒業生の皆さんが大学で学んだことにほかなりません。そして、皆さんが、これから社会で活躍する際にも必要な姿勢です。

現在、新型コロナウイルス感染症の対策を模索する中で、明らかになってきたのは、医療や治療法発見の努力、政府や企業、あるいは学校による組織的対策に加えて、最良の対策は個々の市民の自覚と良識ある主体的な行動だということです。

14世紀のペストの大流行では、世界中で1億人近くが死亡したと推定されていますが、その時にもアルコール濃度の高い蒸留酒で食器や家具を消毒したり手足を消臭する習慣があったポーランドでは、ほとんど感染者が発生しませんでした。

現在に至るまで、ペストの有効なワクチンは開発されていませんが、国家による防疫体制の整備、医療の進歩、そして衛生思想の普及によって19世紀以降は世界的な大流行は抑えられています。

今回の新型コロナウイルス感染症についても、まだ有効な治療法が発見されていませんので、自分自身を守り、感染拡大を防止するためには、手洗いや、マスク着用、咳エチケットなど、市民一人一人の心掛けが重要です。突き詰めれば「感染しない、感染させない」。この原則に従って、市民一人一人が適切に行動することが、国家的対策を支える基盤になるといえます。

特に不確かな情報に惑わされてパニックに陥り、集団で買い占めなどの不適切な行動に走ることは厳に慎まなければなりません。何が正しい情報であるかを見極め、適切に行動する。このことは物事の本質を見極め解決法を生み出す学問の作法に通じます。

かつて福澤諭吉は封建制下の人々が上からの指示や命令に従順で、主体的に行動する習慣を持たないことが近代化の障害になると見抜き、学問を修め、世の中の流行に惑わされず、主体的に行動できる独立自尊の精神を持った市民の育成をめざしました。独立自尊は創立以来の慶應義塾の教育理念です。

他者の指示や命令を待つのではなく、自ら考え自らの責任で主体的に行動できる市民の存在は、一国の成熟度を測る物差しでもあります。

慶應義塾に学んだ卒業生の皆さんは、ぜひこのことを記憶にとどめてください。

これからも、長い人生の中で何度も予想外の事態に遭遇すると思いますが、皆さんが独立自尊の精神をもって困難を乗り越え、社会で活躍し、豊かな人生を送られることをお祈りして、お祝いの言葉といたします。ご卒業おめでとう。

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