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2018年度大学卒業式式辞

2019年3月25日

慶應義塾長 長谷山 彰

2018年度ご卒業の皆さん、おめでとうございます。

ご家族の皆様にも心からお慶びを申し上げます。

またこの場をお借りして、卒業生を熱心に指導し、見守って下さった教職員の皆様にも厚く御礼を申し上げます。

今、皆さんは慶應義塾の塾生として送った学生生活のさまざまな場面を思い出していることと思います。皆さんが在籍した数年間、慶應義塾にとっても歴史に残る数々の出来事がありました。特にここにいる多くの人が入学した2015年は、慶應義塾大学部開設125年の記念すべき年でした。

1890年、福澤諭吉の依頼に応えてハーバード大学のエリオット総長が派遣してきた3人の教員を主任教授として、理財科、法律科、文学科の3学科で大学部が発足しました。現在では、慶應義塾は10の学部と14の研究科をもつ総合大学に成長しています。

また2015年には湘南藤沢キャンパス(SFC)が開設25周年を祝い、滞在型教育施設を核とする未来創造塾の建設がスタートしました。

同じくSFCではこの年、健康マネジメント研究科が開設10周年を迎えています。海外では、ニューヨーク学院が創立25周年を祝ったのも2015年でした。これほど多くの周年行事が集中する年も珍しいですが、注目すべきは、慶應義塾の中に、100年を超える伝統ある学部と新しい学部や研究科、一貫教育校が混在していることです。

このことは、慶應義塾が伝統を守る努力を続けながら、伝統に安住することなく、時代の変化に応じて、新しい教育研究の実践に挑戦してきたことを反映しています。

2015年の沢山のトピックスの中から代表的なものを拾ってみると、大学部開設125年における文学部の記念事業の中で、2年後にノーベル文学賞を受賞するカズオ・イシグロ氏を招き、文学を語る会が開かれていますし、オランダのマーク・ルッテ首相来日を記念する「高齢社会における財政の持続可能性-年金の将来像と民間セクターの役割」と題するセミナーが開かれたり、キャロライン・ケネディ駐日米国大使が来塾して「米国留学のススメ」という講演を通じてメッセージを塾生に伝えてくれたりしました。

そのほかにも、慶應義塾が所有している学校林「慶應義塾の森」など、宮城県南三陸町の約1300ヘクタールの森林が、世界基準で見て良質であることを示す国際森林認証(FSC認証)を同県で初めて取得するなど、実に多彩な事柄があったことがわかります。

皆さんの中にはこうしたイベントなどに参加した経験を持つ人もいると思います。そんなイベントは知らなかったという人も多いでしょう。しかし、キャンパスに於いて常にこのように多様な学びの機会が提供されていた慶應義塾の風土は、知らず知らずのうちに皆さんの塾生としての気風を養うことに役立っていたはずです。

慶應義塾の気風とは何かを一言で表すことは難しいですが、自由でおおらかな気風の中で多様な人材が育つことだと思います。

そして、皆さんの慶應義塾在籍最終年度となった2018年もまた記念すべき年でした。2018年は、世間では明治維新150年ということが言われましたが、明治元年は改元前が慶應4年で、その時に元号の名称をとって慶應義塾と命名されましたから、明治維新150年は慶應義塾命名150年の記念すべき年でもありました。

その2018年に、医学部開設100年記念事業の柱である信濃町の新病院棟が開院。北里柴三郎が開設した看護婦養成所に始まる慶應での看護教育が100年を迎え、薬学部が共立薬科大学との法人合併による学部開設10周年を祝いました。人生100年時代を迎え、医学部、看護医療学部、薬学部の3学部合同によるライフサイエンス分野の研究の発展が期待されています。また複雑化する社会システムを研究するSDM(システムデザイン・マネジメント研究科)、未来をデザインするKMD(メディアデザイン研究科)も開設10年を祝いました。

出来事でいえば、体育会野球部が東京六大学野球リーグ戦で2シーズン連続優勝、日吉の慶應義塾高等学校が春夏連続甲子園大会出場、第18回アジア競技大会では塾生・塾員が5個の金メダルを獲得するなどの目覚ましい活躍もありました。

義塾での学生生活の最初と最後に、これほど多くの記念行事や大きな出来事に遭遇する学年は珍しいと思います。義塾発展の追い風を受けて、皆さんのこれからの人生も豊かなものになると予感します。

さて、今年2019年に入ってからの行事を一つだけご紹介すると、2月5日にドイツのメルケル首相が来塾して、「メルケル首相、塾生と語る」というイベントが開かれました。急な催しでしたが、200人を超える塾生、留学生が集まり、活発な質疑が行われました。首相の発言の中で一つ印象に残ったのは、「チャンスが目の前にやってきたときにためらわずに飛びつけ」というアドバイスでした。これは女性の社会での活躍が不十分な状況に対して何かアドバイスはないかと質問した女子学生に答えたものでしたが、謙譲が美徳とされる日本で育った若者が世界で活躍してゆくためには男女を問わず必要な精神だと思いました。

ところで、入学式と卒業式は長年、義塾創立100年を記念して昭和33(1958)年に建てられた日吉の記念館で行われてきました。

しかし、記念館は創立150年記念事業の一環として建て替え工事に入っているため、昨年と今年はパシフィコ横浜を会場に行われています。少し淋しい気もしますが、横浜は慶應義塾にはゆかりのある地です。若き日の福澤諭吉が桜木町に近い山下にあった「横浜居留地」を訪れて、適塾で寝食を忘れて学んだ蘭学、オランダ語が全く通用しないことに衝撃を受けながらも、これからは英語、英学の時代であると見抜き、江戸に戻ると即座に英語の学習を始めたエピソードは有名です。このとき、福澤諭吉は数え年26歳でした。若さのもつ柔軟性、失敗を恐れない勇気のなせるわざだったといえるかもしれません。

そして、翌年の万延元(1860)年、福澤は咸臨丸に乗って米国へ向かいますが、軍艦奉行木村摂津守に談判して、武士ではなく、従僕という扱いにしてもらって、遣米使節に随行することに成功しました。

チャンス到来とみるや、身分にこだわらず、何としてでもアメリカへ行きたいという強い情熱をもって希望を実現した経験がのちの福澤諭吉を創ったと言っても過言ではないでしょう。

メルケル首相のアドバイス、そして福澤諭吉のチャレンジ精神、どちらも皆さんにお勧めしたいことです。もちろん、自分の進路を考える上で色々と迷うことはあると思います。人生は選択の連続です。しかし、長い目で見れば、人生の選択に正解、不正解はないというのが多くの卒業生の人生を見てきた私の実感です。

自分の選択を正解にするも不正解にするのも、結局は自分自身の努力と気持ちの持ちようです。最も避けるべきことは他人の意見に安易に従って進路を選択し、その結果失敗だったと後悔することです。

慶應義塾は創立以来、学問を修め、経済的に自立し、世の中の流行に惑わされず、主体的に自分自身の人生や社会の進むべき方向を考えることのできる「独立自尊」の人材育成に努めてきました。

自分自身の判断と責任で行動し、失敗を後悔するのではなく、失敗を成功にかえる創意工夫をこらし、挫折から立ち直る不屈の精神を持つことで、人生における選択はすべて正解になります。このことを皆さんへのはなむけの言葉としたいと思います。

最後にもう一つ慶應義塾の伝統をご紹介しておきます。慶應義塾では、卒業式には卒業25年の塾員、入学式には卒業50年の塾員を招待して、式典に参列し、後輩の門出を祝ってもらう伝統があります。今年は1994年卒業の皆さんが駆けつけてくれました。

卒業25年といえば、皆さん社会の各分野で、中堅として活躍している方々です。ご多忙の中、貴重な時間を割いて、1年以上をかけて、塾生のための奨学基金設立など記念事業を展開してくださいました。

このように塾生と塾員、教職員が社中を構成して支え合う社中協力の精神こそ、慶應義塾を160年支えてきた基盤です。

福澤諭吉は「世の中に最も大切なるものは人と人との交り付合なり。これ即ち一の学問なり」という言葉を残しました。その言葉どおり、慶應義塾の卒業生は、社会で活躍しながら、義塾を懐かしみ、三田会活動を通じて、仲間の懇親を深め、後輩を支援しています。

皆さんは残念ながら義塾創立150年を記念する新しい日吉記念館で卒業式に臨むことはできませんでしたが、大勢の先輩に見守られたここ横浜での式典は前途に明るい希望をもたらしてくれると信じます。

そして、2020年東京オリンピックの年には、新しい記念館が竣工します。いずれ卒業25年を迎える皆さんはその記念館に塾員として招待されます。みなさんが慶應義塾の卒業生としての誇りを胸に、日々充実した人生を送り、25年後にはお元気で日吉の丘で後輩を見守ってくださることを期待して、私のお祝いの言葉といたします。

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