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2018年度大学入学式式辞

2018年4月2日

慶應義塾長 長谷山 彰

2018年度に慶應義塾大学に入学する新入生の皆さん、おめでとうございます。

別会場で式の様子をご覧頂いているご家族の皆様にも心からお祝いを申し上げます。

例年、入学式は慶應義塾創立100年事業として建設された日吉記念館で挙行されてきましたが、創立150年記念事業の一つとして、昨年秋から建て替え工事に入っているため、今年は臨時にここパシフィコ横浜で行われています。初めてのことでご参加の皆様にはご不便をおかけしますが、ご容赦頂ければ幸いです。

しかし、よく考えてみれば、ここ横浜も慶應義塾にはゆかりのある地です。江戸で蘭学塾を開いていた福澤諭吉が桜木町に近い山下の「外国人居留地」を訪れて、オランダ語が全く通じないことに驚いたエピソードは有名です。福澤は、これからは英語、英学の時代であると見抜いて、江戸に戻ると早速英語教授を探し歩き、ジョン万次郎から基本を習ったりしましたが、殆ど独学で英語を学んで、蘭学から英学への転換を実行しました。福澤諭吉25歳の時です。若さのもつ柔軟さ、失敗を恐れない勇気のなせるわざだったといえるかもしれません。

この目の前にある現象の本質を見抜く知恵、想定外の事態に対応できる柔軟さは、学問研究にも必要とされるものです。

幕末の段階から一貫して、福澤諭吉は著書である『西洋事情』や『学問のすゝめ』などで実学の必要性を強調しました。江戸時代には庶民は読み書き算盤を一通り覚えれば商家に雇ってもらい、一生食べていけるといわれていましたので、当時、福澤のいう「実学」も生活に役立つ実用の学と理解されることもありました。しかし、それは福澤の意図するところではありません。

『福翁百話』の中で、福澤は実学について、「唯事物の真理原則を明(あきらか)にしてその応用の法を説くのみ」と記しています。人文学であれ、社会・自然科学であれ、事実を丹念に分析し、根拠となる証拠に基づいて、実証的に結論を導き出し、社会に応用してゆくことこそ、実学の真髄といえます。

幕末だけではなく、変化の激しい時代には、それまでに得た知識では解決できない想定外の事態が起こります。その時には、事態の本質を見抜き、解決方法を考案する創造的な力が要求されますが、それこそが実学によって養成される能力です。

そして、実学の実践に当たって、福澤が重視したのは専門的な職業教育ではなく、リベラルアーツ的な全人格教育でした。

150年前、明治元年(慶応4年)にそれまでの福澤塾が慶應義塾と命名され、近代的な学校としての体裁を整えましたが、明治2年の「慶應義塾之記」によると、開講科目は経済学、歴史学、地理学、窮理学、算術、文典、修身論です。この中で修身論が開設されているのは注目すべきことです。

修身論はフランシス・ウェーランドのモラルサイエンスを翻訳したテキストですが、ウェーランドといえば上野の彰義隊戦争の時に福澤が世の中の騒ぎをよそに塾生を励まして授業を続け、講述したのがウェーランドの経済書でした。福澤は西洋文明を取り入れる際にその有形の学術だけではなく、西洋文明の精神を取り入れる必要があると主張していました。論語に代わる西洋の文明を背景とする倫理の書として修身論を採用したといっています。ウェーランドの経済書と修身論の二つを並行して導入していることは慶應義塾の教育理念を象徴するものといえます。

ちなみに、慶應義塾よりも少し遅れて誕生した政府や民間の学校に目を向けると、明治6(1873)年、東京大学の前身である開成学校が設立されましたが、そこでの開講科目は、法学、化学、工学、鉱山学でした。同年、東京外国語学校が創設。翌明治7年には東京医学校、陸軍士官学校が開校されています。

同時期の民間、私立の学校に目を向けると、明治13年、法政大学の前身である東京法学社が開校、明治14年には明治大学の前身である明治法律学校、そして、明治15年に早稲田大学の前身である東京専門学校が政治・法律を教える学校として開設されています。

このように、官私を問わず、当時の学校が日本の近代化にすぐに役立つ専門職的な人材の育成をめざしたのに対して、慶應義塾は創立の当初からリベラルアーツ的な色彩の濃い全人格的教育を実践してきました。そのようなカリキュラムでめざしたのは、学問を修め、職業を持ち、世の中の流行に惑わされず、主体的に自分自身の人生や社会の進むべき方向を考える人材の育成であり、これを「独立自尊」の人材育成と言い換えることができます。

明治政府が政府、官の強化による近代化を進めたのに対し、福澤諭吉は民の強化による近代化をめざしました。一人一人の国民の能力が向上してこそ初めて国全体が向上する。すなわち「一身独立して一国独立」という発想です。また、福澤は、慶應義塾そのものが「独立自尊」の学校であることを強く望み、明治10年代から、門下生と相談して、私財を義塾に移し、慶應義塾の理念に共鳴する民間有志が、財産や労力を提供して会社組織を作り、社中が協力して慶應義塾を守る体制を整えました。自分自身は檀家に依頼されて寺を守る住職のつもりであるといっています。

武士階級の出身でありながら、封建的な身分制度の打破をめざした福澤は、明治政府に請われても政府の要職に就くこともなく、勲章の授与も断り続けて、徹底して民間人であることを貫きました。著作権が未確立だった明治初期に、当時ベストセラーだった『西洋事情』や『学問のすゝめ』の偽版が大量に世の中に出回ると、自ら出版業を起こすことを考え、江戸時代以来の書物問屋仲間から、業界仲間の町人でないと組合に入れないと断られると、すぐに「福澤屋諭吉」の屋号を定め、慶應義塾出版局を設立する行動力を見せました。

そのこだわりは、皆さんがこの会場で見ている福澤の肖像にも現れています。これは福澤の生前の演説姿を描いたものといわれています。福澤の写真は、幕末には、ヨーロッパ訪問中に撮った羽織袴で帯刀した肖像写真が残されていますが、明治以降は、公式の行事や門下生との記念写真も常に袴を着けない着流し姿のものです。

翻って、現代においても、欧米をはじめ日本でも多くの大学が入学式や卒業式で大学関係者がガウンを着用しますが、慶應義塾ではそのような習慣はありません。大学や学問をあえて権威で飾ることなく、同時に、そのようなことを規則で定めるのではなく、さりげなく誰もが気風として受け継ぐというのが慶應義塾の伝統です。逆に誰かがあえてガウンを着てきても、それはそれで誰も気にもとめないでしょう。

話を戻しますと、福澤はまた明治20年代に、政治制度や官僚機構が整えられてゆくのに対して、日本における産業界が未熟であることを懸念して、門下生を意図的に産業界へ送り出しました。三井財閥中興の祖といわれる中上川彦次郎、三菱商会の最高幹部をつとめた荘田平五郎、明治生命の創業者阿部泰蔵、10代半ばにして義塾教員となり「ボーイ教師」と呼ばれ、長年にわたり義塾を支えた後に、千代田生命保険を創立した門野幾之進のほか、銀行、商社、鉄道、電力、ホテル業など多くの業種の創設に義塾出身者が関係しています。財界の慶應という伝統はその後も根強く続いてきました。イギリスのTimes Higher Education による大学ランキングの2013年版で、慶應義塾は世界的な企業のトップ輩出数で世界第9位の評価を受けました。

しかし、慶應義塾の特色は、産業界にとどまらず、今やあらゆる分野に人材を送り出していることです。例えば、義塾はスポーツに関わる専門の学部を持ちませんが、それでも、過去に義塾からは塾生塾員合わせて延べ133人のオリンピック・パラリンピック選手が出場し、金メダル5、銀13、銅9を獲得する活躍をしました。大正9(1920)年のアントワープ大会に出場した義塾の熊谷一弥選手が、テニスのシングルス、ダブルスで銀メダルを獲得しましたが、これはオリンピックにおける日本人初のメダル獲得でした。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでも義塾の学生や卒業生が活躍することを期待しています。

今年の新入生には、広報誌『塾』に掲載された「塾員山脈」の抜き刷りが配布されます。過去5年分にすぎませんが、慶應義塾には最高裁女性判事から東北の鷹匠まで、さまざまな分野で活躍している卒業生がいることに気づかれることと思います。掲載されているのはその時々の話題性を持った卒業生で、その裾野にはほかにもきら星の如く沢山の人材が控えています。

そうした卒業生の代表として、今日この場には今年卒業50年を迎える卒業生の皆さんが参列して下さっています。慶應義塾では卒業式には卒業25年、入学式には卒業50年の塾員を招待して、後輩の門出を祝って頂くのが慣例です。卒業生もまた記念行事として後輩を支援するために募金活動を展開して下さいます。このように塾生と塾員、教職員からなる義塾社中の協力こそが慶應義塾の存続基盤です。別会場にいらっしゃるご家族の皆様におかれては新入生と同じ会場で入学を祝いたいというお気持ちで一杯と思いますが、慶應義塾の伝統にご理解を賜れば幸いです。

福澤諭吉は「世の中にて最も大切なるものは人と人との交わり付き合いなり。これ即ち一つの学問なり」という言葉を残していますが、その言葉どおり、慶應義塾の卒業生は、社会に出て新しい人間関係を積極的に築きながらも、義塾を懐かしみ、三田会活動を通じて、仲間との懇親を深め、後輩を支援しています。

新入生の皆さんにとっても、先輩に見守られたこの横浜での式典は前途に明るい希望をもたらしてくれると信じます。

最後に、入学に当たって、私が皆さんに望むことはただ一つです。それは、慶應義塾での学生生活の中で、目標を見つけ、目標に向かって努力し、目標を達成することです。

それでは、これから皆さんが慶應義塾の自由でおおらかな気風の中で、楽しく充実した学生生活を送られることをお祈りして、私の式辞と致します。

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