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第182回福澤先生誕生記念会年頭の挨拶
「相対的に考える」

2017月1月10日

慶應義塾長 清家 篤

変化のときに

あけましておめでとうございます。今年も1月10日の福澤先生のお誕生日を、皆様とともにお祝いできますことを、まことに有り難く思っております。きょうは福澤家を代表して福澤武様にもご出席頂いております。

さて昨年は世界で多くの予想外のことが起きました。ヨーロッパではイギリスがEUからの脱退を決めましたし、アメリカでは次の大統領にトランプ氏が選ばれました。また中東やアフリカの一部などでは戦火が止みません。そこから派生するテロなどが、中東のみならずヨーロッパでも頻発しています。

一方日本国内に限って見れば、政治的、経済的な情況は比較的安定しているように見えます。私の専門分野である雇用・労働市場に関しても、直近の失業率は3.1%とほぼ完全雇用に近い低水準となり、有効求人倍率はすべての都道府県で1を超え、全国平均では1.41、つまり求職者100人に対して求人141件と、人手不足の状態となっています。ただし昨年には年間出生数がついに100万人の大台を割るなど、少子化はさらに進んでおり、中長期的には少子高齢化に対応した社会保障制度や財政などの構造改革は待ったなしです。団塊の世代の方々が全員75歳以上の後期高齢者となる2025年くらいまでに、改革の目処をつけておかねばならないでしょう。

今年の慶應義塾

そうした中で慶應義塾は、やはり同じように激動の時代に、学問によって社会に貢献するために慶應義塾を作られた福澤先生の建学理念を、今日に実現すべくその歩みを進めております。その基盤となる義塾財政は、教職員の協力や塾員社中のご支援によって順調に回復しており、塾生の奨学金や施設設備投資のための積み立てに回す原資となる、基本金組入前収支差額も、昨年度約110億円となりました。奨学金は様々な形の給付型奨学金を給付総額で約11億円、延べ2,700人の塾生に給付していますが、今年度そのための基金を新たに40億円積み増しましたし、また同じように塾生の福利向上のため、現在約1100室ある地方や海外からの塾生のための学生用宿舎も、2017年度に150室規模の宿舎を2棟、計300室程度増やす予定です。

また施設設備投資という面では、すでに皆様ここにお見えになる際にご覧になったかもしれませんが、三田では重要文化財である図書館旧館の改修・耐震工事を開始しておりますし、同時に正門横には義塾の広報、社会・地域連携の拠点となる施設を建設中であります。また日吉では先月、慶應義塾高等学校の新教育棟建設の地鎮祭が行われました。そしていよいよ日吉記念館の建て替えの建設計画を予算に組み込み、工事がこの秋から始まります。また湘南藤沢中等部・高等部では、2019年に横浜初等部の第1期生が卒業して湘南藤沢中等部に進学して来るのに備え、教室の増築工事をこの春から開始します。

さらに今年慶應義塾は、いくつかの大きな節目を迎えます。医学部はいよいよ開設100年となり、その記念式典が5月13日に開かれ、新病院棟本体部分も2017年度中に完成します。新病院棟の建設は、単に新しい建物を建てるということではなく、その中でこれまで以上に患者さん本位の、医師・看護師・薬剤師・コメディカル一体となった最先端医療を実現する、新しい病院機能を実現するためのものです。

慶應義塾大学病院の医療水準は歴代病院長の下で着実に向上し、昨年には日本で8病院しかない、臨床研究中核病院の承認を受けるまでになりました。問題はそうした高いレベルの医療水準と老朽化した病棟とのミスマッチであり、新病院棟建設は義塾にとって長年の懸案でありました。しかし一方で新病院棟建設は巨額の費用を要する投資であり、財政の制約のなかでそれを決断するのはなかなか難しかったのも事実です。さいわい教職員の協力と塾員社中の支援のおかげで義塾財政も順調に回復し、また2009年度以降、病院収支も一貫して黒字を計上するようになりましたので、私どもの執行部において、新病院棟の建設を決断したわけであります。

また今年は、慶應義塾体育会が創立125年を迎え、4月23日の義塾開校記念日に記念式典を開催します。昨年はリオ・デ・ジャネイロのオリンピック・パラリンピックに、塾員の山縣選手、高桑選手、塾生の棟朝選手、土居選手が出場しましたが、皆さんしっかりと学業に励みながら競技にも精進されるという文武両道を貫いての活躍だっただけに、その価値はひとしおでありました。ちなみに慶應義塾日吉キャンパスは、2020年の東京オリンピックにおいてTeam GBといわれるイギリス・オリンピック・ティームの練習場に選ばれており、慶應のアスリート、さらには多くの塾生がTeam GBとの交流から触発されるものと期待しています。

そして今年は塾長の改選期にもあたっております。塾長の任期は最長2期8年までという規程に従って私は退任し、新しい塾長が5月28日に就任します。この規程は私の執行部の1期目に評議員会に提案してお認め頂いた義塾規約改正によるものであり、私自身その改正規程の適用を最初に受ける現職塾長として、次の塾長にバトンを渡すことのできることを、大変に嬉しく思っています。任期までは精一杯務め、その後に塾長職の円滑で確かな移行を図れるよう、万全を期したいと考えております。

福澤先生の公智

さて、以上申しましたような慶應義塾の運営上の要諦は、慶應義塾の持っている資源を、どのように塾内各部門の活動に適切に配分するかという意思決定です。その際に私共が常に心掛けているのは、福澤先生の言われた「公智」、公(おおやけ)の智であります。皆様よくご存知の通り『文明論之概略』の中心部分をなす第6章「智徳の弁」において、福澤先生は、その時々の状況に応じて、ものごとの軽重大小を判断し、重大を先に、軽小を後にする「公智」こそ、なによりも大切だと述べておられます。

その大前提は、物事は全て相対的なものであり、絶対的なものはないということで、この福澤先生の基本的な考え方は『文明論之概略』冒頭に次のように明快に述べられています。すなわち「軽重、長短、善悪、是非等の字は、相対(あいたい)したる考えより生じたるものなり。軽あらざれば重あるべからず、善あらざれば悪あるべからず。故に軽とは重よりも軽し、善とは悪よりも善しと云うことにて、此れと彼と相対せざれば軽重善悪を論ずべからず。斯(かく)の如く相対して重と定まり善と定まりたるものを議論の本位と名づく。」これに続いて福澤先生は「背に腹は代えられない」「小の虫を殺して大の虫を助ける」という諺を引きながら、例を挙げて次のように説明します。人の体で言えば、腹は背中よりも大切なので背中に傷を負っても腹を守らなければならない、また動物のことで言えば、鶴は鰌(どじょう)よりも貴重な動物なので、鶴の餌に鰌を用いる。そこで同じように日本という国のことを議論するとすれば、封建の時代から明治になって、藩に養われていた大名藩士は、藩が無くなって困るようになったが、これは政府が闇雲に大名藩士の財産を奪ったようだけれどもそうではない。日本国と全国の藩とを比べれば、日本国は重く、諸藩は軽い、という議論の本位に基づいた判断として、背に腹が代えられないのと同じように国のために藩を廃止し、鰌を殺して鶴を養うように大名藩士の禄を奪った、というのです。封建の制度を倒して近代の日本を作ったのは、封建が絶対的に悪いからでも、また近代が絶対的に良いからでもなく、その時の日本の事情を勘案すると、封建よりも近代を選ぶ方が良いという相対的判断となるという認識です。このように福澤先生は常にものごとを両面から眺め、相対的に選択する視点を持ち続けましたが、これこそまさに「公智」から生ずるものの見方であります。

ですから、福澤先生は時に、近代化のために捨てるべき対象であった封建の時代を評価することもあります。日本でようやく国会が開設されることになった際、西欧諸国から日本では封建の時代が長く、議会政治など無理だろうと言われました。これに対して福澤先生は1890年の「国会の前途」という論説で、江戸時代に百姓が一種の投票である「入れ札」を行って庄屋を選んでいた地域があったり、各地に「村役人」と称する民費で賄われた役職者がいて政府と人民の間で働いていたなど、実は近代の素地になる自治の精神が江戸時代から養われており、日本人は国会をきちんと活用できると国民を励ましました。

晩年に至って人生哲学を説かれた『福翁百話』の第100話でも、「今の世界の人類は開闢以来、年尚少(なおわか)くして、文明門の初歩、次第に前進する者にこそあれば、その経営中固(もと)より絶対の美を見るべからず。」と、文明の「初歩」に過ぎない人間社会で、絶対に正しいということなどないのだと述べておられます。

ものごとを相対的に捉える福澤先生の姿勢は徹底しており、ご自分の主張についても同様でした。『文明論之概略』や『学問のすゝめ』などで繰り返し強調された、学問の大切さについても、時に逆の見方を提示します。有名な「学問に凝(こ)る勿(なか)れ」という1890年の演説では、「元来老生は学を好むこと甚だしく、畢生の快楽は唯学問に在るのみなれども、之を好むと同時に学問に対して重きを置かず、唯人生の一芸として視るのみ。」と、学問に凝る余り、社会の実情に目を閉ざしてしまうことを戒め、「老生が常に云う学問に重きを置くべからずとは、之を無益なりと云うに非ず、否な、人生の必要、大切至極の事なれども、之を唯一無二の人事と思い、他を顧みずして一に凝り固る勿れとの微意のみ。」と述べておられます。

なにかを絶対視してしまうと、そこで思考は止まってしまう。なにかに凝りすぎてしまうと、他のものが見えなくなってしまうということです。

すべてのものにはプラスとマイナスがあり、絶対に良いということも、また絶対に悪いということもない。そのなかで少しでも良い方を選び取っていく。そこで大切なのは公智であると福澤先生は強調されているわけです。

福澤先生の実学

このようにものごとを相対的に見る福澤先生の考えは、およそ熱狂というものとは程遠いものでした。明治維新前後の「尊王絶対、幕府打倒」といった時勢には決して与しなかった方であります。自分でもよく理解していないことをただ時勢に乗じて信じ、行動することの愚かさを先生は、『学問のすゝめ』で明快に示しておられます。「真の世界に偽詐(ぎさ)多く、疑の世界に真理多し。」という印象的な書き出しで始まる『学問のすゝめ』第15編で福澤先生は、ガリレオやニュートン、ワットらの発見に言及し、彼らは「疑い」を出発点に「真理」に到達したといいます。ところが、当時の日本の世情を見ると、世のリーダーになるべき人たちが、口を開けば西洋文明を称え、一人が唱えたら万人がこれに和し、およそ学問、道徳、政治、経済、衣食住の細かいことまで、ことごとく西洋風を慕い、これを真似しようとする。あるいは西洋の事情をよく知らない者も、ひたすら古いものを捨てて、ただ新しいものを求めるようであると、深く憂えて次のように述べておられます。「何ぞ夫(そ)れ事物を信ずるの軽々にして、又これを疑うの疎忽なるや。西洋の文明は我国の右に出ること必ず数等ならんと雖(いえど)も、決して文明の十全なるものに非ず。」一般に福澤先生は、西洋化絶対を唱えた人のように思われがちですが、西洋から本当に学ぶべきことを見極める力、すなわち公智の重要性を常に強調して止まなかった方でした。

何か改革を進めようというときに、海外の事例を生半可の理解で参考にするといったことは今日でもよく見られることです。私の専門分野である雇用制度などについても、海外の制度を真似て制度を変えるべきという主張は繰り返し出てきますが、なかなかうまくいきません。それは国民性も歴史も異なる外国でうまくいっている仕組みを、日本にそのまま持ち込んでも成功するはずがないということもありますし、また多くの場合、そうした海外の仕組みについても実は多くの問題を抱えており、そのうまくいっている部分だけを紹介したものを鵜呑みにして安易に導入しようとするからです。

例えば終身雇用制度などと言われる長期雇用制度は、日本の古い仕組みで、転職や解雇のしやすい欧米流の雇用制度に変えるべきだといった議論がまま見られます。しかし長期雇用制度は日本の独創ではなく、世界中どこにでもある制度で、それは個人の生活の安定の面でも、また企業にとって従業員の忠誠心を確保できるという面でもプラスの大きい制度であることを考えれば不思議ではありません。また企業による教育訓練はコストのかかる人への投資ですから、その投資コストを後でしっかり働いて貰うことで回収できなければなりませんので、簡単に辞めてしまうような従業員には教育訓練はできません。つまり企業の教育訓練は長期雇用であるからこそ可能だというのが経済学の示すところです。

一方、そうした長期雇用制度では、転職は難しくなります。万一勤めている企業が経営不振になったり、その属する産業が衰退してしまったようなときに、個人がその持っている能力を活かせる企業に転職できないと困ります。それは経済全体にとっても、衰退産業から成長産業に人材を移動させる産業構造転換を遅らせてしまうという意味でマイナスとなります。

雇用の安定という長期雇用制度のプラスの部分と、転職が難しいというマイナスの部分は、もともと表裏一体のものですから、マイナス部分を改善しようとする変革は、プラスの部分を弱めることにもなります。マイナス面を改善するためにプラス面の大きな長期雇用制度そのものを壊してしまっては、生活の安定や企業への帰属意識が失われ、なによりも人材の育成が細ってしまいます。そこでは長期雇用制度のプラスをできるだけ守りつつ、もう少し転職しやすくなるようにどう雇用の仕組みを修正していくかが鍵となるでしょう。長期雇用制度のプラス・マイナスについて労働経済学の観点から整理するとこのようになるということで、これはひたすら雇用流動化を推進すべしといった時流に乗った議論とはかけ離れたものです。

こうしたことは多くの分野にあることで、いずれにしても大切なのは、実態を良く観察し、論理的な説明を組み立て、それが正しいかどうかを誰もが納得するように確認し、その上でそれにもとづいて改革を行うということです。福澤先生が義塾創立25年目の1883年の『慶應義塾紀事』という冊子の中で「本塾の主義は和漢の古学流に反し、仮令(たと)ひ文を談ずるにも世事を語るにも西洋の実学(サイヤンス)を根拠とするものなれば、常に学問の虚に走らんことを恐る。」と言っておられるのは、まさにそのことを指しています。誰かの言ったことを信じるのではなく、自ら分析し、確認して、その上で行動することが重要だということでしょう。

知的強靭性を持つ

このようにものごとを相対的に、冷静に見るという福澤先生の態度は、先生の時代とはまた違ったかたちでポピュリズムの跋扈しだした今日において、とりわけ大切なことではないでしょうか。人々の言うことを無批判に前提にしてものごとを判断する傾向はむしろ強まっているようにも思います。「改革」といった呪文を聞いた途端に、それを信じて行動を起こすといった短慮は、福澤先生のもっとも戒められたことでありました。なにかを固く信じ、目を吊り上げて猛進するというようなことを、福澤先生は善しとされなかったのです。むしろ例えば『福翁百話』の第13話で「人間の心掛けは兎角(とにかく)浮世を軽く視て熱心に過ぎざるに在り」と言っておられるように、世の中のことにこだわらず、熱中しすぎないことを説きました。このように言えば、何事も冷淡に見て力を尽くす人がいなくなるように思われるかも知れないが、そうではないと福澤先生はおっしゃいます。むしろ「内心の底に之を軽く視るが故に、能(よ)く決断して能く活発なるを得べし。」と「浮世を軽く視る」ことで「心の働き」は活発になるのであり、肩の力を抜き、よく周りを見渡し、余裕をもって行動することを勧めておられます。

なにか一つのものを極端に重く見ると、それ以外のものは目に入らなくなってしまいます。これでは思考は停止し精神の活発さは維持できません。

福澤先生はまた極端にストイックな生き方も勧めてはいません。やはり『福翁百話』の第100話の中で、「十善十誠の清僧」、つまり何もかも素晴らしい行いをするお坊さんが、「無情無欲、一身恰(あたか)も木石の如くにして衆生(しゅじょう)を法(のり)の門に導く」、つまり自分というものを滅して人々に仏教の教えに導くのは素晴らしいことだけれども、「若(も)しこの衆生が真面目に教えを奉じて文字の如く善男善女に化し去らんには、一国は坊主と尼との群集にして……衣服飲食の物より風流遊楽の事に至るまですべて顧みる者なくして、人は唯生まれて死を待つのみならん」、つまり本当にみんなが僧侶の言うとおりにストイックな生き方をしたら、この国は「坊主と尼との群集」になって、みんな生まれて死ぬのを待つだけの、まことにつまらない生き物になってしまうと言うのです。しかし人間とはそういうものではないと先生はいいます。衆生は、容易にお坊さんの言うことに従わず、「信ずるが如く疑うが如く、或いは自身の煩悩をかこちつゝ円満に至るを得ずして中途に彷徨(ほうこう)するこそ幸いなれ」と書いておられます。皆が聖人のようになっては世の中は成り立たず、聖職者でない普通の人は、色々と思い悩みつつ俗な生活を送る、精神の活発な人生とはそれで良いのだ、と言っておられるのです。

人が色々と思い悩むのは、世の中に絶対に良いことや絶対に良くないことはめったに無く、多くのものにプラスとマイナスがあり、しかもあちらを立てればこちらが立たずという、二律背反の関係にあるからです。その中で少しでも良い方へと、ぎりぎりの選択をする力こそ、福澤先生の最も大切にされた公智です。そして、俗世間の中で最大限、公智を発揮して、進歩していくのが良い生き方だと福澤先生は考えられました。これは知的強靭性を必要とする生き方です。

ぎりぎりの厳しい選択を迫られたとき、往々にして希望的観測に流れたり、精神論に逃げたりしやすいものです。先の大戦の開戦前夜に宮中に参内して意見を求められた米内光政は「ジリ貧を避けようとして、ドカ貧にならないよう」と言上したそうです。日中戦争が行き詰まり、日米交渉も展望を見出せない中で、一か八かの戦争に打って出ようという当時の政治情勢への警鐘でした。

当時の政治指導者たちにもう少し知的強靭さがあれば、戦争は避けられたかもしれません。一か八かの選択というのは、遊びのギャンブルなどならいざ知らず、国民の命運をかけるような場合にあってはならないことであり、リーダーにはどんなに難しくても冷静な分析にもとづいて軽重大小を判断することが求められます。そしてその根拠となるのが、論理と実証にもとづく「実学」なのです。実学による公智という知的強靭さを、慶應義塾に学ぶ者、学んだ者は身に付けていなければならないと思います。

福澤先生の建学理念に則って

自らが「一身にして二生を経(ふ)る」といったほどの、幕末から明治にかけての激動の時代を生きた福澤先生が、あれほど学問を強調されたのは、変化の時代であればあるほど、今述べたような知的強靭性が求められるからだったと思います。

そのためには自分の頭で考える基礎となる実学を学び、それによって公智を発揮する能力を磨くことがなにより求められます。激動の時代であるからこそ、静かに学問をして考える力を蓄えることが重要だ、と福澤先生は考えました。この選択自体が大変勇気のいる、知的強靱さの良い例です。先程の幼稚舎生のお歌にもありましたように先生は慶応4(1868)年5月15日、上野の山で彰義隊と官軍が戦火を交えたときに、上野の山から芝新銭座の慶應義塾まで大砲の弾は届かないのだからと、うろたえて避難する近隣の人々を尻目に、18人の塾生を励ましてウェーランドの経済書を講義されました。今何が大切であるかを見極め、安易に時流に流されて行動したりしない、冷静な相対主義者である福澤先生の面目躍如たるエピソードです。そしてこの出来事の直前の4月には、今まで名前が無かった塾に「慶應義塾」という名前を付けられ、福澤先生は、中津藩から独立して、社中の人々と共に学問に本気で取り組む姿勢を示されました。ちなみに来年はこの慶應義塾命名から150年という節目を迎えます。

先生の時代とはまた異なるかたちでの激動の時代にある今日、福澤先生の建学の精神を、教育、研究、医療のすべての面で実現することが慶應義塾の使命です。まず教育面では、塾生に大きな変化の時代であればあるほど必要となる、自分の頭でものを考える力を是非養ってもらいたいと考えています。そのためには塾生が、幅広く多様な学問を学び、その上でまだ誰も答えを見つけていない問題を自ら深く研究し、さらに課外活動に真摯に取り組むことなどを通じて自分の頭でものを考える力を養う機会を、さらに充実してまいります。

研究の面では、高齢化、自然や地政学的なリスクの増大、グローバルな競争の下での豊かな生活水準の維持といった課題を解決するために、「長寿」「安全」「創造」の学際的教育研究クラスターなどの場における成果によって、地球社会の持続可能性向上に貢献していきます。同時にそうした学際的研究の基になる、各分野での独創的な基礎研究を進めることによって、世の中に新たな叡智を付加することにも貢献してまいります。いずれも福澤先生の実学の精神を今日に活かすということです。

また医療の面では、これまで以上の患者さん本位の医療をさらに進化させていきます。先ほどお話しした新病院棟はその良い舞台になるはずです。

このように、学問によって自分の頭でものを考えることのできる人を育て、学問を深めることで世の中に新たな叡智を与え、学問を活用することで人々の福利厚生を向上させるべく、教育、研究、そして医療などの実践活動の質を高めるための弛まぬ努力を、私ども慶應義塾は、教職員一丸となって、また塾員社中の協力も得ながら、今年もしっかりと続けてまいりたいと思います。

さて、きょうはこのあと、山内慶太君の講演が予定されております。皆さんも楽しみにされていると思います。私も山内さんのお話を早く伺いたいと思いますので、私の話はこのくらいにしたいと思います。あらためて本日は福澤先生のお誕生日まことにおめでとうございます。

(本稿は平成29年1月10日に開催された第182回福澤先生誕生記念会における清家塾長の年頭挨拶である)

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