志木高蹴球部-グッド・ルーザー
この年末年始は、志木高蹴球部の活躍が多くの塾生・塾員の話題になりました。
志木高蹴球部は創部68年目で全国ラグビーフットボール大会に初出場を決め、大阪、花園ラグビー場で開催された第105回大会に出場しました。
12月27日の1回戦、青森山田高校を48対12、30日の2回戦、鹿児島実業戦を31対17で破り、元旦に三回戦に進みました。
ラグビーを愛好する人にとっては元旦を花園で過ごすというのはあこがれです。私も、二回戦、三回戦と花園で応援することが出来ました。
東花園駅からラグビー場までの一本道の電柱には、歴代優勝校の名前とジャージが描かれています。その中には、第12回(1929年)の「慶應義塾普通部」、第34回(1954年)の「慶應義塾高校」とタイガージャージと共に書かれています。塾の蹴球部、タイガージャージの歴史を感じますし、志木高がその歴史に新たな頁を開いたことを実感します。
そしてラグビー場には、大勢の志木高生、卒業生だけでなく、多くの塾生・塾員が、三々五々やって来ます。その中には、志木高蹴球部出身の、黒黄会(義塾体育会蹴球部のOB会)会長の川上純一さん、楽志会(志木高蹴球部のOB会)会長の松木弘志さんの姿もあります。志木高蹴球部の練習には大学生も、日吉の高校生も協力をしてくれています。川上さんはそのオール慶應のラグビーの環境を支えて下さっています。松木さんは、かつて全国大学ラグビー選手権の準決勝・決勝が1月1日と3日に行われていた時代、1977年、雪の国立競技場での明治との決勝(惜しくも6対7で準優勝)で6点を挙げた往年の名キッカーです。お二人をはじめとする志木高OB諸氏の姿に、志木高蹴球部の永く確かな、しかし花園には届かない苦難の歴史の上に今があることを感じます。
三回戦の相手は、近年の強豪校、東福岡高校でした。
試合は、前半は東福岡の早く広い展開で点差を広げられました。しかし、後半徐々に志木高は自分達のリズムを取り戻し、後半0対69から、後半17分、そして終了直前にトライを決めて、14対69で終わりました。
特に、試合最後は、残り時間も切れて笛が鳴れば終わるという中でのプレイ。敵陣で大切に大切にボールをつなぎ、最後は、志木高の持ち味であるモールを作り、押し勝ってトライを決めます。最後まで自分達のスタイルを信じて貫いた選手達に、応援に来た人達は、皆、感涙しながら拍手を送りました。
試合後、スタジアム前の広場に出て来た部員達を蹴球部OB、保護者、教職員、そして塾生・塾員が迎えます。主将からの挨拶の後、全体での記念写真、そして思い思いに部員の健闘を讃える輪が続いていました。40年に亘って志木高の教諭としてまた監督として指導して来た竹井章さんの、歴代のOB達と歓談しながら、その向こうにいる部員達の姿を温かな柔らかな目で見ているその表情も印象的でした。
そこにいる誰もが、部員達を讃え、いつまでも彼等と共に試合の余韻を味わっていたい、そのような雰囲気でした。私と志木高校長の河野さんは、その情景を遠巻きに見ていましたが、そのような素敵な景色を見ることのできる仕合せを感じていました。
スポーツでは、良いチームであるか、良い試合であるかは、負けた後の姿でわかります。かつて小泉信三先生は、「Be a hard fighter and a good loser」、「 果敢なる闘士たれ、潔よき敗者たれ」と塾の体育会部員に語りました。志木高蹴球部の部員達はまさにグッド・ルーザーでした。