慶應義塾

ヨットで単独大西洋を横断 探究心に突き動かされて続く挑戦

登場者プロフィール

  • 高原奈穂(たかはら なほ)

    外洋ヨットセーラー

    2022年経済学部卒業。在学中は、1957年創設のヨットサークル「慶應クルージングクラブ」で活動。卒業後、株式会社みずほ銀行入行。2022年から「外洋ダブルス日本選手権」3連覇を達成。2024年、自身初の1 人乗りヨットレース「ミニカルバドスカップコース3」で3位に。同年8月、霞ヶ関キャピタル株式会社に転職すると同時に休職。2025年9月、「ミニトランザット2025」に日本人女性として初出場し完走を果たす。2026年2月、復職。会社員とヨットレーサーの二刀流で次なるレースに挑む。「自分の経験を次世代に還元したい」との思いから、4月より自身のセーリングプロジェクトを鈴木寛研究会で取り上げることが決定している。

    高原奈穂(たかはら なほ)

    外洋ヨットセーラー

    2022年経済学部卒業。在学中は、1957年創設のヨットサークル「慶應クルージングクラブ」で活動。卒業後、株式会社みずほ銀行入行。2022年から「外洋ダブルス日本選手権」3連覇を達成。2024年、自身初の1 人乗りヨットレース「ミニカルバドスカップコース3」で3位に。同年8月、霞ヶ関キャピタル株式会社に転職すると同時に休職。2025年9月、「ミニトランザット2025」に日本人女性として初出場し完走を果たす。2026年2月、復職。会社員とヨットレーサーの二刀流で次なるレースに挑む。「自分の経験を次世代に還元したい」との思いから、4月より自身のセーリングプロジェクトを鈴木寛研究会で取り上げることが決定している。

ヨットの“いろは”を学んだ慶應クルージングクラブ

-高原さんとヨットとの出会いについて教えてください。

高原

初めてヨットに乗ったのは3歳の頃です。神戸で生まれ育ったのですが、家族みんながアウトドア好きで、大阪湾で釣りやバーベキューをしたり、淡路島に行ったりと、“水上キャンピングカー”のような感覚でヨットを楽しんでいました。私もメンテナンスに付いて行って、父にネジを手渡しするお手伝いをするなど、準備や後片付けも含めてヨットが好きでしたね。一方で、船上は危険も伴うこと、常に自分で考えて行動しなければいけないことなどは、幼い頃から厳しく教え込まれました。

-中高生時代はどんな生徒でしたか。

高原

「ディベート甲子園」に出たり、ニューヨークでの「高校模擬国連国際大会」に日本代表として出場したりと、課外活動に打ち込んでいました。勉強はおろそかになっていて、第一志望の東京大学は不合格。当時の私にとっては大きな挫折でしたが、慶應義塾に行くと、キラキラした才能を持った人がたくさんいて……。学歴偏重の価値観に凝り固まっていたので、衝撃を受けたのを覚えています。

-大学1年の終わりに、「慶應クルージングクラブ」に入部しました。

高原

当時、部員は1人だけだったのですが、ヨットのカルチャーを愛するすてきなOB・OGが大勢いらっしゃいました。創設70周年に向けて歴史をつないでいきたいという熱い思いにも感銘を受けて入部。先輩方の手厚いサポートのもと、船の動かし方や整備の仕方など、ヨットの“いろは”を教えてもらいました。みんなで船底に付いた貝をガリガリ削ったり、つなぎ姿で船をペイントしたりしたのも楽しい思い出です。クルージングを自分で計画するのも初めての経験でした。例えば、「伊豆諸島の新島(にいじま)に行く」と決めたら、まずは夜間セーリングの練習をするところから。その後、ルートを作成し、時間・距離を計算し、装備を整えて……。誰かと競うのではなく、自分のペースで一つひとつできることを積み重ねていったこの日々が、ヨットを心から好きになれた原点だと思っています。

慶應クルージングクラブでの様子(2019年当時)

-就職活動では悩まれたそうですね。

高原

そうですね。自分が何をしたいのか、何者になりたいのか、よく分からなかったんです。求められている答えは頭では分かっていても、それは自分の本心なのかなと葛藤したり。迷った挙句、最終的にみずほ銀行の法人営業職に決めました。多種多様な業界の人と関わり、いろいろな場所に出向いて仕事をするのは、自分に合っていると思ったからです。

-その後、やはりヨットも続けたい、と心境に変化があったわけですね。

高原

あるとき、世界一周レースを完走したクラリス・クレマーという女性セーラーを知り、かっこいいなとしびれました。偉業達成はもちろんですが、何より、ゼロから自分でプロジェクトを立ち上げて実現している姿に、「私もこういう人になりたい」と強く思いました。

右も左も分からない状態でしたが、大学4年の春、白石康次郎さんの「DMG MORI SAILING TEAM」のお問い合わせフォームにメールをしてみました。「ヨットレースについて学びたいです」と。すると、コロナ禍で人手不足だったそうで、なんとアルバイトとして採用してもらえることに。世界の頂点で戦うプロのセーリングチームに身を置き、セールの準備や船の清掃などを担当させてもらいました。チームの皆さんとお話しする中で知ったのが、外洋セーリングの登竜門レース「ミニトランザット」の存在です。クラリスをはじめ世界の名だたるセーラーがこのレースを経験していると知って、私も絶対これに出たい、働きながらヨットを続けようと心に決めました。

その後、レース出場に必要な無線の資格を取得し、シーサバイバル講習などの各種講習を受講しました。そのときに偶然出会ったのが、いまの所属チームのオーナーです。とんとん拍子に話が進み、大学卒業までの約3カ月間、真冬の海でコーチと猛練習。外洋セーリングの基本をみっちり叩き込んでもらいました。

画像:高原奈穂君

-すさまじい行動力で道を切り開いていったわけですね。卒業後は、仕事とヨットをどう両立したのでしょう。

高原

入行1年目は、金曜夜に合宿地に移動して練習し、日曜夜に帰ってくるという生活でした。2年目は、会社の「週休4日制度」を活用し、月・火・水で5日分の業務をこなし、木・金はスポンサー探しやプロジェクトの関連業務、土・日は練習、という日々でした。人事部からは当初難色を示されましたし、現場から反対意見もあったと思いますが、後押ししてくれる上司や周囲の支えがあり、両立することができました。

結果、顧客に恵まれたお陰もあって営業成績は良く、関西エリアで表彰されたこともあります。ヨットの方では、「外洋ダブルス日本選手権」で3連覇を達成。周りから不可能だと言われても、立ち止まらずに行動してみることが大事なのだとあらためて実感しました。

その後、スポンサー探しに奔走する中で、霞ヶ関キャピタルの社長とご縁があり、社員として受け入れるというありがたい提案をもらいました。みずほ銀行の中でできることはやりきったという思いもあり、転職を決意。転職と同時に休職し、フランスに拠点を移してヨット活動に専念することになりました。

約17日間に及ぶ大西洋横断完走後に込み上げた思いとは

-昨年9月、ついに「ミニトランザット2025」に出場されました。まず、レースの概要を教えてください。

高原

全長6.5メートルの小さな船(ミニ)で、大西洋を横断(トランザット)するレースです。フランスから出発し、3週間ほどかけて、約6500キロを1人乗りヨットで航行します。男女の区別も年齢制限もないフラットなレースで、予選要件をクリアした世界のセーラー90人が参加できます。今回、女性は13人で、日本人女性としては初出場でした。

-このレースに出ると決めてから約3年半、ご苦労も多かったと思います。

高原

外洋ヨットレースは「スタート前からレースが始まる」と言われます。資金を集めて船を調達する、プロジェクトを作る、予選レースに出場してマイルを蓄積する等々、すべて手探りでの準備でした。なかでも、やはり船の購入は大変でした。設定していた期日までにスポンサーが見つからなかったので、やむなく借金をすることに。親にも相談せず自分で決めました。プレッシャーで押し潰されそうなときもありましたね。

-念願のレースはいかがでしたか。

高原

スタートの瞬間は忘れられません。一艇ずつ桟橋から出ていくとき、日本から駆けつけてくれたスポンサーや関係者、周りの選手たちが、私の名前を叫んで熱く送り出してくれて……。こんなにたくさんの人に応援していただいて、この場に来られたんだなと感動しました。

レースは、途中で大型ハリケーンが発生して一部が中止になったり、重要な機器の一つが壊れたり、海藻が引っかかって船が停止したりと、トラブルもありましたが、16日10時間30分23秒で完走、全体の26位という結果でした。順位以上に「レースを通して学ぶ」という当初の目標が達成できたことに満足しています。何より、やっぱり外洋ヨットレースが好きだなと思いました。フィニッシュ直後はさすがに疲労困憊でしたが、8時間ぐらい眠ったら、「もう一回レースやりたいな」「もっとうまくできたな」と。ヨットというのは本当に中毒性のある、危ない競技です(笑)。

日本人女性初の完走を果たしたミニトランザット2025

挑戦を後押しするそよ風のような存在でありたい

-あらためて、外洋ヨットレースの魅力とは何だと思いますか。

高原

一つは、不確実性の高い自然環境下で、いかなるトラブルにも対処し、生きて帰らなければいけないという「緊張感」。もう一つは、「学ぶべきことの奥深さ」でしょうか。1人乗りヨットの場合は特に、船の適切な管理から、速く走ること、速く走れるコースを選ぶこと、気象に対する理解、メンタルコントロールに至るまで、全てを高いレベルでできなければなりません。しかもこれらは複合的に絡み合っていて、学びが尽きない。この終わりなき探究こそが、外洋ヨットレースの醍醐味(だいごみ)だと思います。

-シンプルな質問ですが、怖くはないのでしょうか。

高原

初めて出場した1人乗りレースで、夜に大きな嵐が来て、荒れた海で岩の間をすり抜けなければならない事態に陥りました。岩にぶつかったら船が沈むかもしれない。でも先を急がなきゃいけない。真っ暗闇の中、高い波でずぶ濡れになって舵を持ったとき、武者震いしたんです。「これが外洋レースをやる意味か、これをやりにきたんやな!」って。もちろん冷静に考えれば怖いんですが、こういう局面のために、メンタルコーチの力も借りて、さまざまな“What if…?”を想定しリスクに備えているわけです。

-航行中、ホッと一息つけるような時間もあるんですか。

高原

もちろんあります。夜明けは最高ですね。大西洋横断中は背後から朝日が昇るので、背中に温かい光を感じると、「朝が来たんだな、今日も地球は回ってるなあ」と感じます。夜、夢中で操作していてふと顔を上げたとき、満天の星に感動することも。あとは、食事が楽しみです。お湯を加えて食べるフリーズドライフードをよく持ち込むのですが、待ちきれずに硬いうちに食べ始めちゃうほどです(笑)。食べ切りサイズのチョコレートなどのお菓子も必需品です。

-今後の活動予定を教えてください。

高原

今年は日本を拠点に仕事をしつつ、年間の3分の1ほどは海外レースに参戦する予定です。来年以降は、もう少し大きい船にステップアップしたいという野望もあります。船のサイズが上がると、南氷洋(注:南極大陸を囲む海域)などの過酷な海にも挑めるし、レースの注目度も上がります。よりエキサイティングな挑戦をしてみたいですね。それから、私はセーリングプロジェクトに「Sail for Well-being!」というスローガンを掲げています。私の活動を通して、ほかの方の挑戦を後押しできれば理想的です。伝える活動に並行し、具体的な取り組みを形にしていきたいと考えています。

-塾生へメッセージをお願いします。

高原

「人生」と「外洋セーリング」は似ています。目的地に最短距離では行けない。外部環境に左右される。それでも、意志を持って舵を握り、少しずつ前に進んでいく……。最初から何かを成し遂げて生まれてきた人なんていません。いまできる小さな一歩を積み重ねていくことを大切に、日々を歩んでほしいですね。

-本日はありがとうございました。


この記事は、『塾』SPRING 2026(No.330)の「塾員山脈」に掲載したものです。