日々のニュースを見渡すと、SNS上での「炎上」や企業の不祥事バッシングなど、誰かが誰かを「正義に反する」と非難しています。でも、そこで振りかざされている「正義」や「道徳」は、本当に正しいのでしょうか? 集団の空気に流されて、疑問を持つこと自体をやめていないでしょうか? 慶應義塾大学商学部の杉本俊介教授が専門とする「倫理学(道徳哲学)」は、まさにこうした、私たちが妄信しがちなルールに対して「本当に正しい根拠はあるのかと問い、筋道を通して、誰もが納得するやり方を探す」学問です。「経済×哲学・倫理」の後編では、人一倍タフで理屈っぽい、異色の研究者が提示する「世界の見方を変える問い」に迫ります。
プロフィール
杉本 俊介(すぎもと・しゅんすけ)
教員・研究者/慶應義塾大学 商学部 教授2006年3月、早稲田大学第一文学部総合人文学科(哲学専修)卒業。2008年3月、名古屋大学大学院情報科学研究科博士前期課程修了、修士(情報科学)。2010年1~12月、オックスフォード大学哲学部。2011年3月、京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。大阪経済大学経営学部准教授、慶應義塾大学商学部准教授などを経て、2025年4月から現職。京都大学大学院文学研究科応用哲学・倫理学教育研究センター研究員、国立研究開発法人産業技術総合研究所研究員。
プロフィール
杉本 俊介(すぎもと・しゅんすけ)
教員・研究者/慶應義塾大学 商学部 教授2006年3月、早稲田大学第一文学部総合人文学科(哲学専修)卒業。2008年3月、名古屋大学大学院情報科学研究科博士前期課程修了、修士(情報科学)。2010年1~12月、オックスフォード大学哲学部。2011年3月、京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。大阪経済大学経営学部准教授、慶應義塾大学商学部准教授などを経て、2025年4月から現職。京都大学大学院文学研究科応用哲学・倫理学教育研究センター研究員、国立研究開発法人産業技術総合研究所研究員。
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■「何が正しいか」ではなく、「どうあるべきか」
杉本教授が力を入れているテーマの一つが、「組織の徳倫理学」だ。
倫理学は知っているけれど、「徳」が頭に付くのは初めて聞いた。そう思った人もいるだろう。
徳倫理学とは、「どのような行為が正しいか」ではなく「どのような人(行為者)であるべきか」に焦点を当てる考え方だ。規則や結果よりも、誠実さや思いやりといった個人の「徳(優れた性格)」を重視し、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの思想をルーツとする。
もともと伝統的な徳倫理学は、個人の生き方に偏りがちだった。しかし、企業や組織が大きな影響力を持つ現代のビジネス社会において、杉本教授は「組織の徳」という新しいカテゴリーに発展させ、組織の不祥事を倫理的に評価するための独自の枠組みとして提案する。
「たとえば環境問題を考えるとき、一人ひとりが紙を無駄遣いしないようにすることは重要です。ただ、それ以上にやるべきことがあるのに、私たちはあまり注目してこなかったのではないか。そんなふうにずっと思っていました。環境を大事にするためには、組織のデザインやコーポレート・ガバナンス(企業統治)をしっかり考えなければならない。そういったことに注目するのが組織の徳倫理学です」
組織の徳倫理学を理解する上で、二つのポイントがあると杉本教授は言う。
一つが「組織は、単なる個人の寄せ集めではない」ということ。学生たちに説明するとき、杉本教授はアイドルグループ「AKB48」の話をする。初期メンバーが全員卒業して、中の人が100%入れ替わったとしても、「AKB48」という一つのアイデンティティーを保ち続ける。私たちの細胞の多くが少しずつ入れ替わっても同じ人間であるように。
これは、不祥事を起こした企業でも同じだ。
時が流れ、当事者たちが全員退職しても、組織としての賠償責任や社会的責任は残り続ける。それは、問題の根源が個人の心ではなく、「組織というシステムそのもの」に宿っているからだ、と。
「組織の不祥事が起きると、直接の問題を起こした個人に責任を負わせる『トカゲのしっぽ切り』がよく起こります。でも、組織の仕組みがおかしかったのではないかと、個人ではなく、組織そのものに問う姿勢が重要なのです」
もう一つのポイントが、「組織には徳を発揮できるような心はない」ということだ。
「私は『企業に心(人格)がある』という、これまでのビジネス倫理学の安易な法人格論には反対です。会社に心などあるはずがありません。しかし、だからこそ『経営者を疑う』『システムを点検する』というガバナンスの仕組みを組織の内部に物理的に埋め込んでおく必要があるのです」
■認識されない構造的なわなを暴く
現実のビジネスで、その仕組みが機能していなかった事例に、2024年に発覚したテレビ局の問題がある。
元タレントによるテレビ局の元女性社員に対するハラスメントや人権侵害をきっかけに、テレビ局側の不適切な対応や隠匿ともとれるガバナンスの欠如が大きな問題になり、社長や会長の辞任に発展した。
この問題を考える上で重要なキーワードが、「認識的不正義(Epistemic Injustice)」だと杉本教授は言う。それは、現代の哲学・倫理学で最も注目されている概念の一つであり、言い換えれば、社会の構造的な不正義が、私たちの「認識そのもののゆがみ」に直結する状態を指す。
「テレビ局側は、意思決定の場に男性しかいませんでした。そのため、『何が倫理的に問題か』ということ自体がそもそも見えない、認識されないという構造的なわなに陥っていたのです。健全な組織であるために男女比をある程度そろえることは、少なくとも報道機関において大事だったのに、残念ながらそうなっていませんでした」
日本の職場で、構造的な不正義のために認識できていない問題はハラスメントだけではない。日頃から社内の意思決定の場におけるジェンダーバランスや、マイノリティーの声が自然と反映される「システムとしての認識的正義」を設計しなければならない、と杉本教授は語る。
「組織の徳」を考え続ける中で、杉本教授はある「違和感」を抱くようになる。
これまでの欧米中心のビジネス倫理学は、個人の道徳や個人の「徳」ばかりが強調されてきた。でも、日本や東洋に固有の「徳」を見過ごしてきたのではないか。
それをあぶりだそうと、杉本教授が目をつけたのが、日本企業の「経営理念」だった。
数値化しにくい膨大な文章データを、デジタル分析ツールを活用し、上場企業の7割にあたる2828社の経営理念を分析した。導き出された結果に、自身も驚いた。
西洋では主な徳とされる「正義」という言葉は、日本の経営理念にはほとんど登場しなかった。その代わり、断トツで多かったのが「社会貢献」だった。
「国内外の研究でビジネスの徳は正義であると語られてきましたが、実際にはそうでもなさそうだという一つの証拠を示すことができたと思っています。日本では『正義』という言葉に対して、『ある人の正義は、別の人にとっては不正義である』といった、争いを誘発するような、あるいは悪い意味での強権的なイメージを抱いて、敬遠してきた傾向があるのかもしれません」
■コンビニの現場で知った、机上の倫理学の限界
「とにかく、理屈っぽい子どもでした」と、杉本教授は自身の幼少期を振り返る。いつも「なんで?」と考え、食卓で「なぜ人は道徳的でなければいけないの?」と親に尋ねたことも。
大学受験の小論文対策で学んだ「生命倫理」にはまり、哲学の道へ進む。「世界は本当に存在するのか」といった純粋な問いに没頭し、学会に通い詰めるほど熱中した。
転機は大学3年のとき。会社員の父から「おまえが勉強しているようなことは、社会人なら働きながら学んでいる」と言われ、リアルなビジネスの現場にある哲学を体験しようと考えた。
「ビジネス倫理」を学ぶため、コンビニでアルバイトを始める。現場は忙しく、倫理や善を考える余裕などない。理不尽な客の対応やマニュアル外の判断に追われた。大学のレポートに、「アリストテレスの倫理学は、コンビニの現場では1ミリも役に立ちませんでした」と書き、指導教授から高い評価を受けた。
時代も背中を押した。2000年代前半は企業の不祥事が相次ぎ、社会的責任やコンプライアンスへの関心が高まった。卒業論文を書いた2005年には、1級建築士によるマンションの耐震偽装問題が発覚。ライブドアがフジテレビの筆頭株主だったニッポン放送株を買い占めたニュースも世間を騒がせた。株主とは何か。企業の責任とは何か。深く考えさせられる出来事が次々に起きた。
「卒論では、SRI(社会的責任投資)を題材にビジネス倫理を考えました。倫理的な取り組みが求められながら、実際は社会的責任に反している企業があり、問題を抱えている業界がある。この矛盾の原因を解明し、ビジネスは組織レベルで倫理を考えるべきだと提案しました」
その姿勢は現在の研究につながっている。
■人生の問いに対する最良の対処法とは
杉本教授がいま、特に力を入れて取り組んでいるテーマが、「人生の意味の哲学」と「徳倫理学」の関係性だ。伝統的な哲学で、「人生の意味」というテーマは長く扱われてこなかった。
「『哲学は人生の具体的な悩みを解決してくれる』というのは大きな誤解です。高校の倫理の教科書をいくらめくっても、日々の悩みへの答えがそのまま書いてあるわけではありません」
一方、杉本教授が専門とする徳倫理学は、アリストテレスの時代から「よく生きるとは何か?」という人生の意味を問いかけてきた。ところが、いつのまにかその問いは、「徳ある人は何が正しいのか」といった形に変わった。
もともと同じようなことを議論していた両者は、なぜ隔たったのか? 杉本教授はそこに関心を持って研究を続けてきたが、21世紀に入り潮目が変わった。英語圏を中心に分析哲学的手法を用いて「人生の意味」を考える潮流が生まれたのだ。
杉本教授も研究グループに参加したが、導き出された真理は「人生の意味なんて、あんまり考えないほうがいい」というシンプルなものだった。
「考えすぎると心がしんどくなって不健康になるし、世の中の魅力的な人たちほど、日々の生活の中で『生きる意味とは何か』なんて小難しいことには一切悩んでいないものです」
現代社会には、自分の仕事を社会的に無意味に感じ、「何のために働くのか」という精神的な「呪い」にかかっている人が多い。そうした「呪い」を払うことに、自身の役割があると杉本教授は考える。
「呪い」に悩む人々には、詩人の谷川俊太郎氏のエピソード(※)を話す。
「子どもから『どうして、にんげんは死ぬの?』と聞かれて、正直、答えに困りました」。ある母親から質問を受けた谷川氏は、こう答えた。「ぼくがお母さんだったら(その子を)ぎゅーっと抱きしめて一緒に泣きます。そのあとで一緒にお茶します。お母さん、ことばで問われた質問に、いつもことばで答える必要はないの。ココロもカラダも使って答えなくちゃね」
(※ウェブサイト「ほぼ日」の「谷川俊太郎質問箱 2006年8月16日」から)
これこそが哲学の、そして問いに対する究極の答え方だと杉本教授は考える。
「現実の社会では、本当に多くの人が人生について悩みながら生きていると感じます。考えすぎて頭が痛くなったら、とにかく運動して汗を流し、体を動かすことが最良の対処法です」
未来に向けて、杉本教授が提案したいのは、いまあるビジネスや企業というシステムを、全く違う角度から見つめ直す「見方の転換」だ。
人類の長い歴史から見れば、企業という仕組みは私たちが幸福になるために最近発明された、単なる「道具」に過ぎない。テクノロジーが進化する未来には、その役割を終えて消滅している可能性もある。
「超長期的な未来に思いをはせ、目の前の世界を新鮮な目で見直すこと。簡単に解決策を探そうとせず、もっと悩み、問いを深めましょう。メディアやビジネスの現場に、そう提示し続けることこそが、哲学が果たすべき本当の役割だと思います」
こうした哲学の視点がビジネスの現場に浸透して、意思決定の場に多様な視点が入り、立場が弱い人の声をすくい上げるシステムを構築できれば、テレビ局で起きたような「構造的なハラスメント」を未然に防げるかもしれない。倫理学は、企業のガバナンスを根本から強くする実践的なツールになり得るのではないだろうか。
構成:朝日新聞GLOBE+編集長 玉川透
取材・文:澤木香織
写真:山田英博