当たり前のように使われ、信じられている「多数決」。でも、それは本当に「民意」を正しく反映しているのか。そんな根源的な問いに、数理経済学を用いた「メカニズムデザイン」の手法で答えを導き出そうとしているのが、慶應義塾大学経済学部の坂井豊貴教授です。演劇の世界から経済学の分野へ転身した「直感」の研究者は、多数決の欠陥を世に問い、予測市場やブロックチェーンを通じて、どんな未来の社会像を描くのか。「経済×哲学・倫理」の前編では、研究と実践の双方から社会のアップデートを試みる、その思想の深層に迫ります。
プロフィール
坂井 豊貴(さかい・とよたか)
教員・研究者/慶應義塾大学 経済学部 教授1975年広島県生まれ。ロチェスター大学経済学博士課程修了(Ph.D.取得)。2011年から慶應義塾大学経済学部准教授、2014年から現職。専攻はメカニズムデザイン。(株)エコノミクスデザイン取締役、プルデンシャル生命保険(株)社外取締役、(株)デューデリ&ディール・チーフエコノミストをはじめ多くの企業役職を兼務。主著『多数決を疑う』(岩波新書)は高校国語の教科書に所収。著書はアジアで10件翻訳、発明者として特許7件。
プロフィール
坂井 豊貴(さかい・とよたか)
教員・研究者/慶應義塾大学 経済学部 教授1975年広島県生まれ。ロチェスター大学経済学博士課程修了(Ph.D.取得)。2011年から慶應義塾大学経済学部准教授、2014年から現職。専攻はメカニズムデザイン。(株)エコノミクスデザイン取締役、プルデンシャル生命保険(株)社外取締役、(株)デューデリ&ディール・チーフエコノミストをはじめ多くの企業役職を兼務。主著『多数決を疑う』(岩波新書)は高校国語の教科書に所収。著書はアジアで10件翻訳、発明者として特許7件。
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■多数決は「文化的奇習」なのか
多数決で決めるのが公平だ、多数決で決まったものは正しい――そんなふうに、あなたは思い込んでいないだろうか。
「実は多数決は、少数意見はもちろん、多数意見さえも反映できていないことがあるのです」
坂井教授は、2015年に出版したベストセラー『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』(岩波新書)で、多数決を当たり前のように「正しい制度」として受け入れてきた私たちに根本的な問いを突きつけた。
たとえば、ある選挙で候補者Aの得票率が49%、Bが48%、Cが3%だったとする。勝者はAだが、仮にCの支持者の大半がAよりもBを支持していたらどうだろう。Cが立候補していなければ、3%の票がBに流れて、AとBが逆転していたかもしれない。
選挙において、政策や支持層の似通った候補者が複数立候補することで、本来その陣営に入るはずだった票が分散してしまう。こうした「票割れ」は、衆院選の小選挙区や参院選の1人区でよく起こり得ると坂井教授は言う。
「多数」決なのに、多数派が望む結果にならない。ならば、多数決とはいったい何か。坂井教授はあえて、「非常に性能が悪い、文化的奇習にすぎない」と言い切る。
「単純でわかりやすく、誰もがルールを知っていて、集計も簡単というのが、多数決のメリットです。昔はそこに合理性がありましたが、票の読み取り機やインターネットが普及している現代社会において、その合理性はすでに失われています」
それに代わる投票制度の一つとして、坂井教授が挙げるのが「ボルダルール」だ。
「投票を配点式にして、1位に3点、2位に2点、3位に1点と、細かく点をあげるようにすると、より多くの有権者に受け入れられる候補者が当選しやすくなります。あるいは、もっと優れたものとしてマジョリティー・ジャッジメントというやり方もある」
マジョリティー・ジャッジメントは、各候補者に絶対評価をつけ、その中央値で勝者を決める仕組みだ。立場の似た候補同士で票が割れにくく、極端な評価にも左右されにくい特徴を持つ。
民主主義の本質が「多数派のためだけのものではなく、万人のためのもの」であるならば、全員の好みの度合いを総合的に集計できるボルダルールやマジョリティー・ジャッジメントのほうが、単純な多数決よりもはるかに民主主義に適している。坂井教授は私たちにこう問いかける。
「人々の意思を集約するルールが変われば、結果は変わります。私たちが『民意』と呼ぶものは、あらかじめ存在しているわけではなく、集約ルールを通じて初めて表れる結果にすぎないのです」
坂井教授の専門である「メカニズムデザイン」とは、一言で言えば、社会制度の「ものづくり」だ。私たちは社会制度を、山や海のように最初から存在するものととらえがちだが、坂井教授は「社会制度は人間が作ったものだから、人間が変えられるはずだ」と説く。
ただ、その制度の中で生まれ育つと、疑問を抱くことは難しい。人は何かを理解するとき、別のものとの比較を必要とするからだ。
「民主主義しか知らなければ、民主主義について深く考えることはできません。既存制度の合理性を知ったうえで、それを乗り越える必要があります。『これは変じゃないか』という違和感を言語化し、昇華するのが学問だと考えています」
■少年時代の違和感が紡いだ研究の原点
坂井教授自身も「違和感」に敏感な子どもだった。小学生のとき、友人と廊下でふざけていたら、先生にひどく怒られた。さらに、教室の前に立たされて「坂井君たちは悪いことをしたかどうか」を、クラス全員に投票された。
「圧倒的多数で『有罪』になりました。でも子ども心にすごくおかしいと思ったんです。私がふざけていたかどうかは何かしらの事実認定の問題であって、投票で決めるものではないはずだって」
投票で決めてよいこと、決めるべきでないことは何か。この疑問が、研究人生の原点になった。
18歳で故郷の広島を出て、早稲田大学商学部に進学するため上京した。大学では「仕組みを設計するおもしろさ」を知る。工場の生産工程を科学的に最適化する「テイラー・システム」を学び、「工場のつくり方一つにも科学は適用できる。最適化すれば物事はスムーズに進む」という考え方に強く引かれた。
一方、大学生のときは演劇に打ち込み、学生劇団でミュージカルに出演し、その後はプロ劇団のスタジオライフにオーディションで入団した。劇団四季レジデント・ディレクターの荒木美保氏とは早大の同級生で、当時ミュージカルの主演コンビを務めたこともある。劇団スタジオライフは女性の役も男性が演じる異色の劇団で、「2.5次元の走りだったが、時代に先駆けすぎていた。BLブームもまだ来てなかった」と坂井教授は語る。萩尾望都原作の「トーマの心臓」には、主人公の母親役で出演した(下の写真は坂井教授提供)。
だが演劇でお金を稼ぐことは難しく、「自分では到底食べていけない」と大学4年生になってようやく気づいた。しかし就職活動をしていなかったため、進路がない。そこで「いままで真面目にやったことがないものに取り組もう」と勉強することにした。経済学を選んだのは「知識の蓄積がなくても、微分ができればどうにかなりそうな雰囲気があった」からだ。
環境経済学の鷲田豊明教授に師事すべく、神戸大学大学院へ進学。「僕は名前に『豊』がある人間を無条件で信用する癖があるんです」という。進学後は入谷純教授の薫陶を受け、数理経済学に励んだ。微分ができる程度だった数学力は、2年後にはブルバキの集合論を学び「1+1=2」を証明できるようになっていた。
「メカニズムデザインや社会的選択理論の論文には、論理を一つひとつ積み上げる集合論的な技法が求められます。その分析手法が、自分に向いていたんです。これは私が優れているとか劣っているとかではなく、単に適性の問題です。たぶん人間の脳にはすさまじい多様性があって、誰もが何かには向いている。自分は運よくそれに出会えた」。演劇で培った表現力も、論文執筆や学会報告に役立った。
修士論文では、将来の効用を割り引く「割引率」を用いないで、異時点間の効用ベクトルを評価する手法を分析した。この論文は高く評価されて米ロチェスター大学へ留学。1年目は世界中から集まった大秀才の後塵(こうじん)を拝して悔しい思いをした。しかし2年目からは専門分野での強みを発揮し、結局は約3年半という別格の早さで博士号を取得した。
各人が自己利益を最大化するよう行動する前提のもとで、社会的に望ましい結果を導く仕組みを作る。それが「メカニズムデザイン」の本質だ。教える立場になると、学生から質問を受けた。「優れた仕組みがあるのに、どうして世の中で使われないんですか?」
「悪い仕組みは淘汰(とうた)され、良い仕組みは使われるはずだ。そう考える人は多いですが、実際はそうではない。仕組みを変える権力を持つ人にメリットがなければ、変えてもらえない」と、坂井教授は言う。
坂井教授は「自分は人生でこれをしたと、自分にも他人にも誇れる代表作がほしかった」という。
代表作は論文ではなく、多くの人に読まれる安価な本のほうがよいと考えていた。社会を扱う社会科学で、市井の人に届かない学問は、存在しないようなものだと思うからだ。そうして30代で書いた岩波新書『多数決を疑う』はベストセラーに。高校国語の教科書にも採用され、いまも大学入試問題の常連だ。
一躍世間の注目を集める存在となった坂井教授は、多数決という「ゆがんだ決め方」を変えたいと、何百回も取材や講演をこなし、メディアや政治家にも持論を説き続けた。しかし数年後、そうした活動を縮小すると決める。
「当たり前ですが、世の中は簡単には変わりません。選挙制度を変えるには与党の賛成が必要ですが、彼らは現行の選挙制度のおかげで与党になっているわけです。変えるインセンティブはないか、非常に弱い」
そして坂井教授は活躍の場を、選挙や言論から、市場やビジネスに移した。株式会社デューデリ&ディールでは不動産を高く売却できるオークション方式の開発に従事、そこから多くの企業の顧問となった。
「企業はよいものを採用してくれる。それが利益になるから。採用のスピードも速い」
株式会社メルカリでは転売の可否を定めるルール「プリンシプルズ」の策定で重要な役割を果たし、いまもアドバイザーを務める。2020年には経済学のビジネス実装を行う株式会社エコノミクスデザインを共同創業した。
「そろそろ日本でも風が吹くと確信していた。日本初の本格的な経済学コンサルテーション企業をつくりたかった」
■世論調査を上回る「予測市場」の可能性
いま、最も情熱を傾けているのが「予測市場」だ。
将来の出来事について、人々が「起こるか」「起こらないか」を予測してチケットを売買する参加型のサービスで、米国発の「Polymarket」が有名だ。金銭的なインセンティブ(刺激)を通じて人々の知識や情報を集約し、未来予測の精度を高める仕組みとして学術的にも注目されている。
たとえば、「米大統領選でトランプ氏が勝利すると1ドルもらえるチケット」があるとする。トランプ氏が勝つと思う人はチケットを買い、負けると思う人は売る。多くの参加者が「トランプ氏が勝ちそうだ」と考えればチケットが買われて価格は上昇し、逆に「負けそうだ」と考えれば売られて価格は下がる。
経済学の理論やこれまでの研究データから、この「チケットの取引価格」は、ある意味で、その事態が起こる「確率」として解釈できることがわかっている。
「市場でチケットの取引価格が0.9ドルなら、当選確率は90%程度と解釈します。これが世論調査よりもよく当たるんです」と坂井教授は語る。
理由は明快だ。予測市場にはそのテーマに関心のある人しか参加せず、情報や自信を持つ人ほど大きな金額を投じる。人々が持つ分散した知識が、価格という形で可視化されるのだ。
ただしお金を賭ける予測市場は、日本では賭博罪に問われる可能性が高い。金融商品取引法に抵触する恐れもある。参加は禁物だ。
しかしコミュニティ内でのみ価値を持つ、換金できないポイントのようなもので予測市場を運営することは、合法的にできうる。たとえば社内でのみ価値を持つポイントで、社内の動向について予測市場を立てるというように。「この重要プロジェクトが予定通り年内に完了するか」のような問いに、社内予測市場を立てるのだ。
「経営陣が現場の本音を吸い上げるのは、簡単ではありません。悪い情報ほど上がってこないんです」
失敗の兆候を知る従業員ほど積極的に取引に参加するため、価格の変化から経営陣は現場のリスクを早い段階で察知できる。
「Googleなどでも類似の取り組みが行われてきました。10年後には、日本でもコーポレート・ガバナンス(企業統治)の手法として広く普及していると思います」
スポーツや金融政策、気象など幅広い分野に広がってきた予測市場。坂井教授は今後、企業経営だけでなく、社会全体の意思決定のあり方を変えると考える。
「予測は非常に大きな経済価値を持っています。ポイントだけでなく、やはりお金を賭けるほうが人は真剣になりやすい。将来的に予測市場は、賭博や金融とは別ジャンルの扱いにしていくべきだと思います。予測しやすい国と予測しにくい国では、国際競争力にも差が出るでしょう」
■他者の「不快さ」を許容する社会へ
デジタル空間における新たな経済インフラの設計にも関心を抱く。特に高く評価するのが、ブロックチェーン。暗号資産の事業にも関わっている。
「関心があるのは、中央集権的な管理主体がなく、参加者一人ひとりが自らの利益を追求しながらも、全体として秩序のあるシステムが維持される仕組みです。ビットコインは、国家や銀行のような中央の権力がなくても、自律的に動く。そこが面白いんです」
そんな坂井教授にとって、「良い社会」「美しい社会」とは何だろうか。
「自由の多さが、私の考える社会の良さの尺度です。だから、社会の自由が拡大することに貢献したい」
しかし、個人の自由をどこまでも最大化すると、社会はバラバラに崩壊するかもしれない。全員で大きな方向性を決めなければならない局面において、個人の自由はどう調和していくのか。
坂井教授は、イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミルが提唱した「危害原理」を引いて、自身の明確な考えを提示する。
「ミルの危害原理のポイントは、誰かが行うことに、他者への実質的な『危害』と呼べるほどのものがなければ、社会は制限を加えるべきではない、ということです。自分が単に『不快だ』と思っても、相手の行動を制限する根拠にはならない。この考え方が世の中で普及するといいな、と思っています。他者が勝手にやることの『不快さ』を皆が許容する。それがとても大切です」
構成:朝日新聞GLOBE+編集長 玉川透
取材・文:渡部麻衣子
写真:山田英博