執筆者プロフィール
坂本 達哉(さかもと たつや)
名誉教授坂本 達哉(さかもと たつや)
名誉教授
私の思想史研究は、野地洋行先生のご指導に始まり、学部卒業論文、修士論文、博士論文ともに「イギリス最大の哲学者」デイヴィッド・ヒュームの社会思想を主題とした。博士論文は『ヒュームの文明社会』(創文社、1995年)として出版され、『ヒューム 希望の懐疑主義』(慶應義塾大学出版会、2011年)はその深化・発展だった。
幸い、両著は学界の高い評価に恵まれたが、ある重要問題を論じ残していた。「共感(シンパシー)」論を核とするヒュームの道徳論がそれだ。とりわけ私は、アダム・スミスの道徳論との比較研究という根本問題から逃げていた。それから約15年、紆余曲折と悪戦苦闘の末、その成果を世に問うたのが本書である。新書という体裁ながら、本書は私の思想史研究の集大成となった。一般読者はもちろん、専門家の吟味にも耐える内容を目指している。
「経済学の父」として知られるスミスは『国富論』(1776年)に先だって、『道徳感情論』(1759年)によって学界デビューし、名声を確立した。同著におけるスミス最大の目標はヒュームの「共感」論を継承する一方、その「功利主義」を乗り越えることだった。ヒューム、スミスの比較研究は欧米では確立した分野だが、日本ではヒュームは哲学者、スミスは経済学者という先入観のためか、2人の道徳論を内在的に比較する研究は希であった。本書はその空隙を埋める野心作である。
ヒューム、スミスの「共感」とは人間の社会的本性を表す概念だ。「功利主義者」のヒュームも、「経済人」の祖スミスも、これまで「啓蒙された利己心」論の系譜上に理解されてきた。これに対して本書は、大胆にも、彼らが啓蒙思想の利己主義に反対し、隣人・同胞への利他的な「共感」に発する「公益」や「祖国愛」が人類の平和と秩序を導く可能性を論じたと主張している。
世界中で戦争とテロリズム、殺人が絶えない今日、利己心を超える「共感」の可能性を追求した2人の言論は強烈な言葉と論理で私たちの胸に迫る。ヒュームが没しスミス『国富論』が世に出て250年、幅広い読者の「共感」が得られれば、これにまさる喜びはない。
『「共感」の思想史──ヒューム、スミスから現代へ』
坂本 達哉(さかもと たつや)
岩波新書 264頁 1,100円〈税込〉
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。