慶應義塾

吉川 龍生:映画が映し出す、中国の社会と文化

公開日:2026.11.06

執筆者プロフィール

  • 吉川 龍生(よしかわ たつお)

    経済学部 教授

    吉川 龍生(よしかわ たつお)

    経済学部 教授

2025年、中国映画界は特需の年だった。いわゆる抗日戦勝80年に絡めて、『731』(趙林山監督)や『南京の写真館』(申奥監督)といった映画が公開され、かなりの観客動員があったためだ。その状況は日本のメディアでもさかんに取り上げられて話題となった。しかし、年間でどのような作品が興行的に成功していたのかなど、中国映画全体の状況を伝える情報は、日本では乏しかった。実際のところ、『ナタ 魔童の大暴れ』(餃子監督)というアニメが圧倒的な興行収入を記録し、抗日作品の中で評価も良く年間成績4位だった『南京の写真館』の5倍近くに達した。

近年、日本で中国映画が話題になるのは、「抗日」「プロパガンダ」「検閲」など、日本とは異なる映画文化の特徴がフィルターにかかった場合が多い。それらの特徴は、中国映画のみならず中国の政治体制の問題点として、あまり好ましくない文脈で語られることも目立つ。しかし、確かに問題点もあるにせよ、フィルターバブルの中で近視眼的な捉え方をしているだけでは見落としてしまう部分も多い。

そのため本稿では、ここ30年ほどの中国映画のターニングポイントとなった出来事を概観し、2025年から2026年夏頃までの話題作に触れつつ、中国映画の現状と映画が映し出す社会と文化について紹介したい。

中国映画のグローバル化──WTO加盟という黒船

文化大革命が終結し改革開放の時代に入っていた1980年代以降、いわゆる第5世代の監督の作品を中心に、世界の映画祭で高く評価される中国映画が現れた。それらの作品や監督は、中国映画の世界的認知度を劇的に上げたことは確かだが、制度として中国映画がグローバル化していくのは、1990年代末を待たねばならなかった。

中国が政府主導で映画業界のグローバル化を進めた背景には、WTOへの加盟(2001年12月)があったと言われている。中国映画界にとっていわば黒船であったWTO加盟という脅威に備えるため、国営の会社だけに制限されていた映画製作や配給などを民間にも開放し、なおかつそのレベルを上げることが求められた。配給会社から製作会社へと民間企業の参入が進み、それに対応して検閲を経て上映許可を得た作品には「龍標(ドラゴンシール/ドラゴンマーク)」が作品冒頭に入るようになる。主旋律映画という言葉がよく聞かれるようになったのもこの時期で、映画製作を民間に開放する代わりに、党・政府の政策や主張に沿った主旋律映画を確実に製作していくという体制になった。

娯楽映画は私営企業が製作することが多く、お正月映画が定着したり、日本を含む外国資本の入った合作映画も製作されたりするようになったが、完全な外国資本の作品には年間20作という輸入上限が定められた(現在は、分配方式で34作)。また、2000年代に入ると、デジタルの機材が普及し、高性能化と低価格化が進み、さまざまな背景の人々が映像作品を撮るようになった。それらは独立映画(インディペンデント映画)と呼ばれるようになり、劇映画(フィクション)もドキュメンタリー作品も作られたが、検閲を通さないことが多かった。アート系の作品や、生々しい中国社会の現実を映し出した作品もあり、中国国内では上映できずに、国外で評価を得るような作品もあった。

WTO加盟以降の中国映画界は、イデオロギーに関わる部分は主旋律映画で政府が抑えをきかせつつ、外国資本も入れた大バジェットの娯楽映画と、小規模で多様な独立映画という大まかな構成になっていた。

「映画産業促進法」が方向づけたこの10年

2016年に制定され、2017年から施行された「映画産業促進法」は、前述のような中国映画の製作体制に大きな影響を与えた。国内の検閲を経ずに国外の映画祭に出品することに対する罰則が強化されたことで、新しい表現にチャレンジする作品も多かった独立映画の製作が激減する結果となった。

中国映画を考えるときに、自明なことのようでいて見落とされがちな点として、中国映画マーケットの大きさに由来する製作予算の潤沢さがある。よく知られるように、現在の中国は鑑賞人口やスクリーン数において世界最大級の規模を誇る。はじめからそれだけの規模のマーケットを前提として製作を行うということは、必然的に製作予算も大きくなる。世界をマーケットにするハリウッド映画が莫大な予算を誇るのと同じ道理だ。

奇しくも2016年は、中国がスクリーン数でアメリカを上回った年でもあったが、本来低予算だったインディペンデント映画においても製作予算が高騰してきていた。検閲を通さず国外の映画祭などで賞をとり、才能を認められて潤沢な予算で次の作品を撮るというのが、若手監督がのし上がっていくための主要ルートになりつつあった。社会問題などのデリケートな話題を扱うことも多かった独立映画の有力なキャリアパスが潰れたことで、業界の産業構造に大きな変化が起こったわけだ。

主旋律アクション大作とアニメの台頭

『戦狼 ウルフ・オブ・ウォー』(呉京監督、2017年)は、それまでの娯楽映画と主旋律映画を合わせたような内容で、映画産業の構造転換期に象徴的な作品となった。経済発展を続けた中国が、世界から一目置かれる大国になったことを印象づける内容は、多くの中国の人々を感動させると同時に、自信を与えることにもつながった。この映画にちなみ、諸外国に対して強硬な姿勢も辞さない外交姿勢に、戦狼外交という呼び名がつけられることにもなった。無敵の主人公が活躍し、愛国心を喚起するような内容の激しいアクション映画は、その後しばらく流行し年間の興行成績上位を占めたが、現在ではその勢いは失われている。当然のことだが、決まって中国が勝つ威勢の良い映画ばかりを撮っていれば済むほど、中国社会は単純ではない。

他方、潤沢な製作資金を背景にその技術レベルを大幅に上げていた中国アニメは、偶然も重なって年間興行成績で上位を占めるようになる。2018年、有名俳優・范冰冰の脱税疑惑を契機に、それまで高騰していた俳優の出演料が低く抑えられ、実力のある俳優が実写映画に出演したがらない時期があった。それによって、激増したスクリーンに対してコンテンツが不足した状態に陥り、日本のジブリ作品が劇場で積極的に上映されるようなことも起こった。

そこに登場したのが、高い完成度を誇るアニメ映画『ナタ 魔童降臨』(餃子監督/2025年興収首位の『ナタ 魔童の大暴れ』のナタ・シリーズ初回作)で、2019年の興行成績トップになった。同年には、日本でも多くのファンを獲得した『羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来』(MTJJ監督)も公開されていて、実写映画が停滞する間に、実力をつけてきていた中国国産アニメが一気に観客を獲得する状況となった。

中国国産アニメと国潮

2019年以降、中国国産アニメは、中国の映画産業において非常に大きな存在になった。中国国産アニメ映画のうち、特に製作予算の大きな作品に見られる特徴は、中国の古典小説や伝統文化に題材をとったものが多いという点である。特に、ナタ(哪吒)も登場する中国古典小説『封神演義』がいわゆる元ネタになるケースが目立っている。『封神演義』はCGを多用した実写映画も製作されていて、近年のトレンドになっていると言えよう。

そもそも、近年の中国文化全体の傾向として、国潮と呼ばれる中国伝統文化を現代的な文脈に採り入れていくトレンドがある。アニメにおいて古典文学を下敷きにした作品が多いのも、国潮の1つの表れと言えるだろう。経済や科学技術で世界のトップを争うようになり自信をつけた中国の人々は、自分たちの歴史や伝統文化にも自信を持ち、それらを再評価するようになったとも理解できる。

ただ、アニメ(映画)製作においては、単なる流行にとどまらない、別の現実的な理由もある。中国のアニメ関係者の話を聞いて浮かび上がるのは、古典文学を題材にしたものは、現代的な話題の作品に比べて、検閲が無難に通りやすいらしいということだ。アニメ映画の製作では、数百人規模のスタッフを長期間動員する必要があり、当然投入する資金も膨大になる。そのため、興行の成否以前の検閲の段階で止まってしまうことは、会社の存続に関わる。そうした状況下では、中国の人々の多くがすでに知っていて、しかもストーリーやキャラクターが観客を引きつけやすい最強IPとも言える古典文学は、低いリスクで高いリターンを狙える非常に使い勝手の良い素材なわけだ。

『封神演義』は日本人にはあまり馴染みがないかもしれないが、『史記』『三国志』『西遊記』などは、中国国内にとどまらず、日本も含む漢字文化圏や華人が多い地域でも訴求力があり、海外展開という意味でもメリットがある。アニメはもちろん、実写でも古典文学は題材としてしばしば活用されているし、唐詩の世界を取り込んだ『長安三萬里』(謝君偉・鄒靖監督、2023年)のような作品もあり、学生時代にひたすら暗記させられた唐詩の世界を映像化した作品に、特別な思いを持つ人も少なくなかった。

検閲をどう考えるか

すでに述べたように、中国映画には検閲がある。このことは、多くの人が知っている。しかし、実際にどのような検閲が行われているのか知っている人は少ない(正直なところ筆者もその一端しか知らない)。中国の検閲がすべて明文化されたシステムではなく、むしろ基準がブラックボックス化していることにより、製作側が自己検閲するように仕向けるのが、この制度のキモになっているからだ。

検閲が行われるタイミングとしては、脚本段階の検閲、ラッシュという粗編集したものに対する検閲、そして最後に技術検閲という3段階が規定されている。実際には、それらに加えて、上映する劇場の手配の段階でも、当局が介入する余地が残されている。

こうした検閲制度や自己検閲を迫られる中国の製作環境を日本から見た場合、単純に創作上の不利益になっていると考えられがちだ。確かに、創作の幅が狭まる側面はあるし、ないに越したことはないが、制限が新たな表現を生むという側面もある。同じ土俵で論じて良いものかはともかく、日本の短歌や俳句のような短詩形文学を考えてみても、語数や季語のような制限が、逆にユニークな表現を生みだす契機になり得るのと同じ理屈である。

創作や言論に対する検閲に賛成するつもりは毛頭ないが、中国映画にかかる検閲の圧力が結果として新たな表現につながる可能性を、初めから完全に排除するべきではない。検閲システムを前にした自己検閲・自主規制もあり、中国映画には文脈や余韻、語呂合わせ、比喩などで明確な描写を補う独特の表現が見られることがある。確かに、それらを読解するには、古典の知識や、日本とは異なる政治体制のもとで積み重ねてきたさまざまな文化背景などについて学び、表現の真意を理解する技術が必要になる。しかし、単に検閲やプロパガンダを奇異なものとして話題にするだけではなく、そうした製作環境で何が語られているのか、もう1段掘り下げて考察する必要があるだろう。

2025〜2026年の動向

中国の映画興行では、集客の良いいくつかのシーズン(档期)がある。分け方は使う文脈によっても変わるが、春節(旧正月の連休)・五一(メーデーの連休)・暑期(夏休み)・国慶(建国記念日の連休)など、まとまった休日がとれる時期が有力なシーズンとなっている。

すでに述べたように中国映画界は製作予算が大きいため、日本と比べると景気が良さそうに見えるが、実は近年の映画興行は厳しい状況が続いている。旧正月こそ観客動員数が伸びているものの、かつてかなり観客が入っていた夏休みでさえ、場所によっては劇場がガラガラということも珍しくない。その意味でも、2025年の夏に『南京の写真館』『731』といった抗日作品が公開され、動員も含めて多くの観客が劇場に足を運んだことは、まさに特需であった。

特需の翌年である本年(2026年)は「映画経済促進年」とされ、中国中央テレビの番組でも旧正月に封切られる当局イチ押しの作品が盛んに宣伝されたり、映画撮影のロケ地になった観光名所の紹介がされたりした。特に大々的に宣伝されたのは、自動車レースの映画シリーズ3作目『飛馳人生(ペガサス)3』(韓寒監督)、人気マンガ原作の武侠映画『鏢人:風超大漠』(袁和平監督)、国家安全部も協力したスパイ映画『驚蟄無声 スケア・アウト』(張芸謀監督)であった。本稿執筆時点(9月末)で、それぞれの興行成績は44億元で1位、14億元で7位、13億元で8位となっている。2025年興収トップの『ナタ 魔童の大暴れ』が早々に100億元を超えたのを考えると物足りない数字と言える。

『驚蟄無声 スケア・アウト』は、国家安全部が協力していることが宣伝されているが、それは映画のリアリティを高めるようなプラス要因になるばかりではなく、検閲システムの下で劇中の公的な事物の描写に無謬性を求められるという縛りをもたらす側面もある。国家権力は常に正しくなければならず、中国の警察組織に外国勢力と結託する悪者などいてはいけないわけだ。そういう縛りの中で、スパイ映画を撮りきった張芸謀監督の手腕には感服せざるを得ないが、やはり物足りなさを感じる部分はあった。『戦狼 ウルフ・オブ・ウォー』以来の主旋律アクション映画の系譜に位置づけられるが、この手の作品に観客がやや飽きてしまっているのではないかという印象も受ける。

このごろ中国に流行るもの

2026年上半期予想外のヒットになったのは、低予算の潮州語映画『給阿マ的情書 おばあちゃんへのラブレター』(藍鴻春監督)で、本稿執筆時点の興収は20億元で5位となっている。主要な舞台はタイ、交わされる言葉の大半は潮州方言、出演者の多くが映画出演経験なしという作品が、SNSを中心に話題となりヒットにつながった。感動的なストーリーが最大の魅力ではあるが、さまざまな意味で中心や標準化されたものから外れている部分が受けたのではないかという気もする。

1つの参照点になる作品として、2026年8月に公開された『牛来』(信雨萌監督)というアニメ映画がある。あまりのクオリティの低さがSNSなどで話題となり、逆に観客動員が増えたという作品である。今の中国であれば、クオリティの高いアニメなどいくらでも製作できるにもかかわらず、低クオリティが受けるというところに、主流の価値観から外れたものに心が動いてしまう中国の人々の姿が浮かび上がるようで興味深い。SNSで好意的な口コミが広がるかが流行の分かれ目になっているのも共通点だ。

近年の中国国内における過当競争を「内巻」と呼ぶが、その内巻に疲れた人々が共感するのは、生存競争で優位に立つ強者ばかりではないということなのだろう。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。