登場者プロフィール
高橋 哲史(たかはし てつし)
日本経済新聞社上級論説委員兼編集委員法学部 卒業塾員(1993政)。計10年以上に及ぶ中華圏での駐在経験があり、2017年から4年間中国総局長。経済部長を経て24年より現職。ラジオNIKKEIポッドキャスト「中国経済の真相」パーソナリティー。
高橋 哲史(たかはし てつし)
日本経済新聞社上級論説委員兼編集委員法学部 卒業塾員(1993政)。計10年以上に及ぶ中華圏での駐在経験があり、2017年から4年間中国総局長。経済部長を経て24年より現職。ラジオNIKKEIポッドキャスト「中国経済の真相」パーソナリティー。
鈴木 隆(すずき たかし)
大東文化大学東洋研究所教授法学部 卒業法学研究科 卒業塾員(1996政、99法修)。博士(法学)。専門は政治学、中国政治。愛知県立大学准教授等を経て、2023年より現職。著書に『習近平研究──支配体制と指導者の実像』等。
鈴木 隆(すずき たかし)
大東文化大学東洋研究所教授法学部 卒業法学研究科 卒業塾員(1996政、99法修)。博士(法学)。専門は政治学、中国政治。愛知県立大学准教授等を経て、2023年より現職。著書に『習近平研究──支配体制と指導者の実像』等。
江藤 名保子(えとう なおこ)
学習院大学法学部教授経済学部 卒業法学研究科 卒業塾員(1999経、2009法博)。スタンフォード大学国際政治研究科修士課程修了。博士(法学)。専門は中国外交、日中関係、東アジア国際情勢。著書に『中国ナショナリズムのなかの日本』等。
江藤 名保子(えとう なおこ)
学習院大学法学部教授経済学部 卒業法学研究科 卒業塾員(1999経、2009法博)。スタンフォード大学国際政治研究科修士課程修了。博士(法学)。専門は中国外交、日中関係、東アジア国際情勢。著書に『中国ナショナリズムのなかの日本』等。
伊藤 亜聖(いとう あせい)
東京大学社会科学研究所准教授経済学部 卒業経済学研究科 卒業塾員(2006経、09経修、12経博)。博士(経済学)。専門は中国経済、アジア経済、新興国経済。2017年より現職。著書に『デジタル化する新興国』等。
伊藤 亜聖(いとう あせい)
東京大学社会科学研究所准教授経済学部 卒業経済学研究科 卒業塾員(2006経、09経修、12経博)。博士(経済学)。専門は中国経済、アジア経済、新興国経済。2017年より現職。著書に『デジタル化する新興国』等。
小嶋 華津子(こじま かつこ)(司会)
法学部 教授塾員(1993政、95法修、99法博)。博士(法学)。専門は現代中国政治。2019年より現職。慶應義塾大学東アジア研究所現代中国研究センター長。著書に『中国の労働者組織と国民統合』等。
小嶋 華津子(こじま かつこ)(司会)
法学部 教授塾員(1993政、95法修、99法博)。博士(法学)。専門は現代中国政治。2019年より現職。慶應義塾大学東アジア研究所現代中国研究センター長。著書に『中国の労働者組織と国民統合』等。
「強い中国」と「弱い中国」
今日は「大国・中国のゆくえ」というテーマで、それぞれ異なる角度から中国を見てこられた皆さんに討論いただきます。
今、世界では、WTOを中心とする自由貿易秩序、多国間主義、主権の相互尊重といった、戦後の国際秩序を支えてきた原則が大きく揺らいでいます。米中の対抗、戦略的な競争が続いており、経済と安全保障の境界も非常に曖昧になっています。戦争や制裁、輸出管理、サプライチェーンの分断が企業や市民の日常にも直接影響を及ぼす時代になってきました。
そうした中で中国を見ると、2つの対照的な像が現れるわけです。一方では、EVや再生可能エネルギー、AI、ロボット、宇宙などの技術分野で存在感を高め、国家が長期目標を立て、戦略的に資源を投入する「強い中国」がある。他方では不動産不況などに見られる内需の弱さ、地方財政の逼迫、高齢化、社会的な信頼関係の揺らぎなどに直面する「弱い中国」がある。
しかし、これは「強いか弱いか」という二者択一の問題ではなく、おそらく同じ構造から2つの側面が生まれてきているのだと思うのです。そこで今日は、こうした強さと弱さを併せ持つ現在の中国が、どのような構造の下にあるのか、また、われわれは何に着目していくべきなのかを伺えればと思っています。
まず、伊藤さんに中国経済について伺います。最近出されたIMFの報告書は、中国経済について、さまざまなショックに対して高い強靱性を示してきたと評価する一方、内需の弱さや、不動産不況、デフレ圧力、さらには高齢化や過剰生産といった問題があると指摘しています。
経済成長率も政府の想定ほどには伸びていないという見方が広がっています。しかし、その一方で、同じ中国ではめざましい技術革新が進み、ハイテク製品の輸出も大きく伸びています。こうしたマクロ経済の弱さと、技術、産業の強さが同居する状況をどう捉えたらよいでしょうか。
7月に中国の四川省成都の郊外に行ってきました。成都は約10年ぶりでしたが、様変わりして、景気は悪いにしても、総じて豊かになった中国の生活を強く感じました。
中国の大学は、まさにAIブームで、いろいろな大学にAI学院やAI学部が大量発生しています。政策的にある方針が出されると、皆そちらに向かって組み替えが起きる。そのスピード感は引き続きあります。
一方、街を歩いてみると、人はいるんですが、皆、あまり買い物はしていない。雑駁な観察ではありますが、統計データにも現れている民間消費の弱さというのは感じました。
ご指摘のあったマクロの弱さとミクロな産業レベルの強さという、ある種のパラドックスは、おそらく10年以上前から見えつつあったものですね。マクロの構造問題は2000年代からの古い問題です。ちょうどその頃、オリンピック前の北京に留学していましたが、すでに過剰投資が問題になり始めており、大きな意味ではそこから問題は解消していない。
一方、ミクロで見ると、やはり2010年代前半が1つ大きな切り替わりのポイントでした。いわゆる「イノベーションする中国」、「革新する中国」という側面が出てきました。北京、上海、深圳、それから広州、最近だと杭州が元気だと注目されていますね。
なぜミクロとマクロの乖離が起きるのか。ミクロのイノベーションというのは、人材や資金の投入で、局地的に十分発生し得ることなんです。さらにご案内の通り、産業政策によって生産面を刺激している。結果、割を食うのは家計消費です。圧倒的に生産面を重視し、企業や研究開発にお金を投下した結果、家計が蔑ろにされる。
では、ミクロのイノベーション的な突破がマクロを救うことはあるのか。経済面に絞っていくと、その問いになると思うんです。
私は杭州のAlipay(アリペイ)などを運用するテック企業、アント・フィナンシャルの本社に行ったことがあります。アリババ系列の会社ですが、もっと大きなビルかと思ったら、そうでもない。一番大きなスタートアップでも、「こんなもんか」という感じなんですね。決済インフラを整備した貢献は大きいけれど、ミクロの突破がマクロを救うのは厳しい面があります。
5カ年計画を読んでも、政府はAIの社会実装などを通じて、ミクロがマクロを救うという広がりを働きかけ、誘導したいのだろうと思います。
ミクロの突破がマクロを救うというのは、そうした産業が成長し、裾野が広がることで雇用が生まれ、所得が増え、消費主導型の経済へと転換していくというイメージですか。
おっしゃる通りです。しかし、現実に今、見えつつあるのは、AIを使うというのは、そもそも人の労働力を代替してしまうこと。雇用という意味ではリスクにつながる。これは中国に限りませんが、とりわけ中国はデジタル化とAIの利活用が進んでいるのでそういう懸念があります。
今の伊藤さんの分析は非常にわかりやすく現状を突いていると思います。先日も北京のロボット運動会の映像が世界中で報道され、1年でここまで進化するのかと、中国のイノベーションの発展に驚きました。AIの隆盛にしても、アメリカのAI企業を凌駕するのではというくらい、とにかく価格が安いので浸透している。
しかし、ミクロのイノベーション的な突破がマクロを救うのか、という命題についての否定的な意見は、私も全く同じ感想を持っています。
私も2018年に、彼らがキャンパスと呼ぶアリババの本社を取材したことがあります。あの時2万人ぐらいいるという話を聞きましたが、中国全土から天才を集めてきているわけです。
でも、2万人というのは中国の総人口からみたら、ごく一部です。ミクロで起きているイノベーションが、雇用を全く生み出しておらず、むしろ雇用を減らしていく方向に働き、マクロで見た場合、そこから取り残されていく人たちが増えることにつながる。
中国政府はミクロのすごい部分をどんどん国外に向かって見せていますが、不動産バブルの崩壊を起点として、今深刻な需要不足が起き、消費が非常に悪くなっている。不動産は関連産業も含めて中国のGDPの大体3割を占めていると言われているのに、不動産開発投資が大きく落ち込んで、ここのところ前年比でおよそ2割減っているという状況です。
内需の柱である消費も投資も全く駄目で、今輸出だけでほぼ中国経済というのは支えられている状況です。私は、これは世界経済にとっても持続可能なものとは思いませんし、過剰生産の問題も終わっていません。どんどん輸出を増やしていくことは世界経済にも大きな影響を及ぼしますし、ミクロの隆盛がマクロに及ぼす影響は限定的で、リスクも大きいと思っています。
なぜ分断が起きるのか
なぜミクロとマクロの間に分断があるのかを考えた時、ロジックがそもそも分かれているわけですね。ミクロの部分で企業を中心に見れば、ポジティブな部分がある。しかし、マクロの部分で一番の重しになっている不動産の動きが、別途に継続しているので手当てをしなくてはいけないはずなのに、そちらには十分政府が注意を向けていない。そこには政策志向をめぐる構造上の問題があると思います。
もう1つ、本質的に非常に重要なのが、やはり富の再分配が、十分に制度として導入されていないということが、消費が戻ってこない理由だと思います。企業には勝ち組が出てくるわけですが、その勝ち組に入らない人たちとの分断が広がっていってしまう。
それはAIがこれから社会に実装されていく中で、AIを効率的に使える側の人と、使われる側になる人との間で、さらに広がっていきます。あるいは雇用そのものがAIに置き換えられてしまうことでもあります。
例えばギグワーカーについて、中国ではフルタイムの正規雇用ではない非正規雇用者数が2026年には3億2000万人に達すると推計されています。例えば自動運転が浸透すると、このうちの配達員やタクシー運転手らは職を失っていくわけです。こうした未来が予想される中で、期待値が上がらず消費が戻らないというのは、社会保障システム上の欠陥が見えている状況なのだと思います。
けれども、その欠陥に手当てをするのではなくて、強いところをより強くしていくのが、今の習近平政権の選択です。なぜそれをするのかというと、アメリカとの競争があり、「中華民族の偉大な復興」の目的があるからです。
アメリカに比べて中国の強いところは、やはり「製造能力×AI」です。もともと中国製の生成AIは安く使えるので普及力と利便性に勝る。中国製AIをインフラ化した上で製造能力を掛け合わせることによって、フィジカルAIから先のエンボディードAI、あるいは科学AIといったものに展開していき、圧倒的な勝ちパターンを国際経済に埋め込んでいく。こうしたビジョンを持っているのでしょう。
こうした戦略ビジョンを形成する政治システムが機能しているのが、中国の強さの源泉です。ただしそのビジョンの中で、強いところは強くするけれど、自分たちが抱えている構造の狭間に落ちている人たちには手を差し伸べないという選択をしている。これが、中国経済の弱さの根源にもなっていくということだと思います。
米中の競争での中国の強みとは?
そうですね。少し整理すると、中国はミクロの面では非常に強いけれど、その強さは熾烈な生存競争によって生み出されている。次々と新しい技術が生まれる一方、競争に敗れた企業や個人は取り残され、それを支える十分な再分配機能も働いていない。
つまり、中国政府は本来、税制改革も含めて再分配を強化すべきなのに、それを先送りし、ある意味では、国民の生活を犠牲にしてでも、アメリカとの競争に勝つことを優先している、ということだと思うんですね。
そこで次に伺いたいのは、国際標準やAIインフラといった最先端技術の基盤づくりで主導権を握ろうとする中国の強さと、国内に抱える弱さを、どのように両立させていけるのか、ということです。
まず、その前提として、アメリカとの技術力や製造能力をめぐる競争で、中国は現在、優位に立っていると考えてよいのでしょうか。重要鉱物についても、中国は多くの品目で生産・精製の大きなシェアを握っています。そうした点から米中の交渉を見ていても、中国がかなり有利な立場にあるように感じるのですが。
おそらくアメリカも中国も、両方とも時間を稼ぎたいのでしょう。時間を稼げば自分たちがより有利に動けると両方が思っていると思います。
なぜかといえば、強みのポイントが違うからです。例えばAIで言うならば、アメリカのAIはやはり技術力が高い。特に軍事産業におけるAIの導入レベルが中国よりずっと高いので、軍事面で今年のベネズエラやイランへの攻撃を見て、中国はあれに追いつきたいと考えていると思います。
この8月、中国側が購入を控えていたNVIDIAのH200というGPUを、バイトダンスとテンセントが1万個ずつ納入しました。これが示唆することは、GPUを国内製に変えていくという全体の政策的な流れは変わっていないのだけれど、「今は自分たちの競争力向上のスピードを上げないといけない」という時間軸の問題が、おそらく強烈に認識されているのです。
米中双方の競争のスピードがエスカレートしている一方で、トランプ政権中は、「休戦」で合意をしています。この間に有利なポジションを取って勝ち続けるゲームの基盤を作ろうと、双方がしている状態なのでしょう。
ただし、繰り返しになりますが、私は中国側の強さの本質は、レアアース独占や技術開発のスピード感よりも、その重要性を冷静に認識して政策に転換できる政治構造にあると思います。それが典型的に現れているのは、今年になって人民元の国際化を限定的に進める動きが起きていることです。
中国は人民元をバスケット制でずっとコントロール管理してきました。人民元の自由化は到底あり得ないという考えが継続しています。しかし、自由化はしないけれど、人民元を決済で使えるように国際化を進めていこうとしている。今まで2国間通貨スワップ協定や、CIPSという人民元の決済システムでやっていました。さらにオフショア人民元取引を拡大しようとしたり、国内のデジタル人民元ネットワークの参加機関を3倍に増やしたり、今年に入りどんどん展開させています。
これはなぜか。イランやロシアを見て、やはり金融制裁におけるドル通貨基軸の強さには勝てないということを強く認識しているが故に、弱さを補填しているのでしょう。
これができるのは情勢認識が正しいからだとも思います。人民元高と低金利が追い風になっている。そのなかで中国は経済政策において、自分たちが競争に勝つためのシステムづくりを着々とすることができる。この計画性があるということが、中国の競争戦略を理解する上で極めて重要なポイントだと思います。
今、江藤さんが大変重要な指摘をされた人民元についてですが、去年の秋頃からいろいろな動きが出ています。今年に入り、アメリカがベネズエラとイランで戦争を起こした当初、中国は衝撃を受けていたのかもしれませんが、今は自分たちに有利な状況ができていると判断していると思います。
つまり、今までアメリカがずっと支配してきた、いわゆるペトロダラー体制が崩れ始めているわけです。イランはもうドルが使えなくなっていますので完全に人民元に移行していますし、注目すべきは、サウジアラビアも「もうドルでやっていたらまずい」と感じ始め、CIPSを使って人民元決済を増やしているという話があるのです。
ある意味、アメリカが戦争を起こして勝手にコケてくれたことで、中国は今非常に有利な状況にあり、今までやってきたことを進めていけば人民元を使ってくれるようになっている。
もう1つ注目すべきは、先日、上海協力機構(SCO)開発銀行創設に向けた準備を加速するというようなことがあり、そこでも人民元を使っている。次々と手を打っているところは気を付けて見る必要があると思います。
習近平体制の政策の特徴
習近平政権のこの10数年を振り返りますと、発足当初から反腐敗闘争が進められ、党中央への権限集中と習近平個人への権力集中が進んできました。これによって、党中央が決めた政策を全国で一斉に展開する力も、制度的に強まってきたのでしょうか。
一方、これまで議論してきたマクロの弱さとミクロの強さも、習近平政権の下で一層際立ってきたように思います。こうした点を踏まえて、鈴木さんは現在の中国の政治体制をどのように捉えていらっしゃいますか。
習近平の目からみると、国家に対する経済の役割は2つの側面があるのだと思います。1つは、「国家のパワー」の側面として経済のあり方。もう1つ、これは「国民の福祉」、ナショナルウェルフェアの側面です。
ところで、中国の政治経済システムの現状は、私はそれほど長いスパンで準備されてきたものと理解すべきではないと思っています。
確かに中国の政策というのは、江藤さんがおっしゃるように中長期的な計画で、ある種の予測可能性と政策的な長期性を見通して実行力を伴った政策を行っていくという側面もあるのですが、一方で、結構場当たり的なのではないかと実は思っています。
つまり、短期的な問題解決と対応の中ででき上がってきた飛び石みたいなものをつなげると、いくつかの大きな筋が見えてきた。そこでそれをもう一度政策としてまとめ直した時に、ある種の中長期的な方向性が見えてくる。そのようなことを、今の中国の政策担当者はやっているのではないか。
そう考えると、今のマクロ・ミクロの強さ弱さの問題というのは、やはり2017年の第2期政権以降、とりわけ2022年の3期目以降の話ではないかという感じはします。おそらく彼ら自身がそれに自覚して取り組んだのがここ5、6年かなと思うのです。
確かに第1期トランプ政権の経験から、中国は米国との長期対立を前提として、覇権競争の勝利を目指し、国家のパワーの側面を強化してきました。習近平はこの部分に非常に注力している。おそらく彼が政権を続ける以上、ここは基本的には変わらないでしょう。なぜなら特に第2期トランプ政権以降は、自分たちが有利に立っているという現状認識を持っているからです。
今年採択された第15次5カ年計画で、自分たちがやってきた道筋を振り返り、「俺たちはこういうことをやってきた。だから向こう5年、10年、きちんとした方向性を出すことができる」と気付いたと思います。
私は、現在の中国が目指している国家像をとりあえず兵営国家と呼んでおきますが、例えば、15次5カ年計画では、食糧とエネルギーに関しては他の成長目標とは違い拘束目標、つまり数値目標を出していて、これを達成できない地方指導者は出世できないんです。
それに比べて指導部は、口では内需拡大や消費振興と言っていますが、身近な国民の経済生活には興味がないという感じがします。したがっていいものをたくさん作っても、どうしても外需に依存することになる。
でもそれでは国民の間には不満が高まりますよね?
この国民生活の犠牲が何で許されるのか。それは当面のところ指導部が国民を恐れていないからです。客観的にはともかく、習近平指導部は国民経済を蔑ろにすることが政権の安定性を揺るがすほど怖くないと思っている。
なぜそうなのかと言えば、こういう言い方が適切かどうかは別にして、中国の国民が政治的に去勢されているからです。一般に、国民の経済生活がこれだけ停滞すれば、民主主義国家なら様々な社会の不満が政治に対して風当たりが強くなるんですが、そこに行かないんですね。
確かにコロナの時には白紙運動みたいなものが起こりましたが、社会、経済の直接的な不満が、より大きな政治変動につながることは少なくともあまりないのが現状です。例えば天安門事件の時は、経済停滞と政治腐敗と統治エリートの分裂の3点がありましたが、少なくとも習近平は、このうちの後2者にはきちんと対応している。
インフレは確かに値段が上がり、人々の不満につながりやすいのですが、今、中国はデフレなので、物価が下がっていくことは、人々を鬱々とした気分にしても街頭行動をもたらすまでは行かない。習近平は中国的な世界をよく知っている人なので、このあたりは熟知していて、「まあそんなものだろう」と、ある種の見切りがあるのではないかと思います。
少し違った角度から言えば、アメリカと中国というのは形は違えど、本来、国内の格差問題にきちんと対応しなくてはいけないのに、その不満を外部に転嫁しているという意味では同じようなことをやっている。世界経済の1位、2位、GDPの4割をつくり出す米中がそうなので困ってしまいます。
また、今の中国はもうきれいに独裁者の駄目なところが見られるようになっていて、「清々しい」くらいに「独裁者の罠」に陥っているのが現状だと思います。例えば1人に権力が集中してしまっていて、その人がいなくなると何もできなくなる。権力の継承も上手くいかない。またボスの顔色を窺うので合理的な政策形成ができない。そういうことが指導部の統治エリートの面でも政治社会の面でも続いています。
習近平政権の強みと弱み
習近平政権は、反腐敗闘争を通じて統治エリートの統合を進め、一定の成果を上げてきたという見立てがありました。鈴木さんのお話を踏まえると、習近平は統治エリートに対する統制を強め、政策の形成から実施に至るまでの掌握力を高めてきた、と理解してよろしいのでしょうか。
教科書的に言うと、安定した統治や良好な政策的なパフォーマンスを生み出すには、情報の的確な収集・把握・分析、合理的な分析に基づいた政策形成、さらには実行という3つの側面があります。しかし習近平は2012、3年以来ずっと「俺たちには実行力が欠けている」と言っている。一見すると、私たちは権威主義国家というのはとても実行力があるような気がしますが、中国は何せ広く、しかも様々な行政の層があるので、有名な言葉で言えば「上に政策あれば下に対策あり」で、てんでばらばらにやっています。
習近平はずっと「それじゃ駄目だ」と言ってきました。トップが言ったら至るところでその政策が100パーセントの意図をもって、下部まで達するような実行性を持たなくてはいけないと。この部分では、おそらく過去と比較すれば改善したと思います。
そうは言っても、中国の政策のあり方としてよく言われるのが、上層部は曖昧で、ある意味、矛盾するような指示をたくさん出し、それを現場で自分たちの状況の判断に基づきながら、比較的恣意的に自己に都合のよい解釈をして政策を実行していくことが多い。このパターンは基本的には変わらないのですが、曖昧な指示の中で自己都合で解釈できる幅はかつてより狭まり、その意味では政策的な実行力が高まったと思います。
一方で、情報の収集、分析の入力の面と、政策的な合意形成の判断という側面はかなり落ちたと思います。その理由はひとえに先ほど申し上げた「独裁の罠」ということで、やはりボスの気に入らない情報は上げにくい。また、ボスが関心のある政策はやるけれど、関心のない政策はあまりやらない、といったアンバランスで不合理な政策形成がされる可能性がより高まっていると思います。
鈴木さんの話を聞いて思い出したのが、2024年の年末に出た『ウォール・ストリート・ジャーナル』の報道です。先ほどから出ているように、中国が心配しないといけないのはデフレですが、習近平周辺の経済ブレーンが「デフレが深刻です」と伝えたら、習近平は「物価が下がるのが何で悪いんだ」と言ったと。これはたぶん本当だと思うのです。
中国共産党はインフレと闘ってきた歴史はありますが、デフレはまだ1度も経験していないのです。日本のデフレを研究してきた中国の学者は皆、「これはやばい」とわかっている。しかし、習近平に「どこが悪いんだ」と言われたら、もう言えないですよね。このように、ボスの間違った認識でマクロでの適切な処置がなされていない典型的な例なのではないかと思います。
一強体制の陥穽
それは、先ほど鈴木さんがおっしゃったように、習近平への権力集中が進む中で、専門家の意見や多様な見解が政策決定に反映されにくくなり、結果として合理的な政策判断を行う能力が損なわれるという、一種の逆説が生じているということでしょうか。
そうだと思います。もちろんいろいろな見方はあるとは思います。例えば指導部の中にどれくらい、高橋さんがおっしゃったように経済を理解している人がいるのか。あるいは集団指導体制が機能していた時には、経済を理解していなくても、複数の有力な指導者が、それぞれの業界代表としていろいろな利益を代表し、表現して政策に反映させていた。今はそういった状況はなくなってしまったのではないか。
例えば「腐敗」というのは逸脱した利益表出なのですが、必ずしも全部が悪いわけではないのです。投票や言論の自由がないところで、住民が、橋を造ってくれとか、物価を下げてくれ、業界のこういうルールを緩めてくれと訴える苦肉の策として行う「腐敗」というものも多いわけですね。
つまり政治腐敗というのは、自分たちの社会の政治的な利益を逸脱した形で表明していることも多く、これを有力な指導者たちが政策に乗せていたわけです。この人たちが皆消えてしまったので、1人の関心でしか政策が表明されないことになります。
もう1つ補足すると、高橋さんがおっしゃった、習近平の経済観念というのは、やはり毛沢東的だと思います。毛沢東は文化大革命中でも3つの闘争だけはきちんとやれ、と言っていた。階級闘争と、生産力の闘争と、科学技術の闘争です。文革の時でも科学技術の闘争で水素爆弾を造ったりしていました。
その中で習近平は、階級闘争は完全に見ないようにしています。その分、生産力の闘争と科学技術の闘争という2つの「下部構造」の闘争で、中国はアメリカに勝とうとしているのだと思います。
国家権力とイノベーションの共犯関係
伊藤さんは、習近平政権が進めてきた生産力の強化と科学技術の発展に向けた政策を、経済学者としてどのように評価されていますか。
最近、東京大学物理学専攻の准教授が香港大学に移籍し、話題になりました。今年のニュースでもう1つ、数学のフィールズ賞において2名の中国出身の学者が同時受賞しました。お2人とも海外での研鑽がありました。同時に中国国内における解析学の蓄積があって、こういう人材が出てきたという評価もあります。
鈴木さんがおっしゃった、独裁者のジレンマとイノベーションですが、通説では独裁者はイノベーションを恐れると言われています。なぜなら、権力基盤を塗り替えてしまう技術的な構造変化が起きる可能性があるからです。これは古典的な権威主義、独裁者とイノベーションの関係の仮説ですが、一方で2023年のハーバード大学のデイヴィッド・ヤンたちの論文は、ある領域では国家権力と企業というのが、ある種の共犯関係になることを示しています。彼らは、これを本当にデータで実証してしまうのですね。
画像認識AIのスタートアップ企業が地方政府に画像認識AIソリューションを売ることによって、いろいろなベネフィットを受け、その後ますます成長していくメカニズムを示しています。国家の統治への関心と企業のミクロのイノベーションがつながってしまう。ある意味でイノベーターたちには金ピカの檻の中で「この中で活躍していいよ」と土俵が設定される。
シュンペーターは「新結合」という言葉を使いましたが、経済的な新結合はいくらやってもいいですと。それから、毛沢東的に言うと、科学技術的な新結合も大いにやってよしと。しかし、政治的な新結合は禁止される。例えばジャック・マーのように政府当局の監督管理に立てつくのはご法度だと。
もちろんこのやり方にも限界はあると思います。ただ、意外にその限界の天井が高い。先ほどのフィールズ賞受賞に見えるように、中華人民共和国全体の研究能力の向上を考えると、権威主義体制だからイノベーションは起きないなんて事前に想定するのは危険です。権力がもたらす歪みも含めて、実態をつぶさに観察するべきです。
非常に面白いお話ですね。高い天井の下で、国家と企業の間には共益関係と緊張関係が同居している、ということですね。
中国の大学の研究者と交流してまず感じるのは、圧倒的な競争的環境です。今、清華大学や上海交通大学、北京大学などでは教授になるのがものすごく難しくなっています。
昔は見たことがない「長聘副教授」という肩書きがあり、これは任期なし准教授。逆に任期あり准教授が大量にいて、そのポジションから降格になったりもする。こういった環境で激烈に研究させるわけで、過酷です。
でも、その環境で生き残るために、アウトプットに圧倒的にこだわるプロフェッショナルが生まれる。自然科学の基礎研究だけでなく、社会科学の諸分野でも感じられることです。もちろん、研究が同質化したり、ある種の「内巻」(“無意味な競争”の意)にもつながっていますが。
やはり国家が大きな方向性を示す中で、企業間の競争が生み出されているということですね。中国経済を分析する際には、結局イノベーションを担っているのは民間企業ではないか、という議論もあります。しかし、実際には国家と民間企業、大学、個々の研究者が相互に作用し合っている。その関係を複眼的に捉える視点はとても重要だと思いました。
見えない倫理観
1点だけ付け加えますと、確かに清華大学のように世界と競争して伍していくような人たちもいる一方、やはりどの分野でも格差はあるのですね。長年付き合っている、中国の大学に勤めている先生がいます。地方の中堅大学で教えているのですが、「過去5年で学部の予算が3割に減ったんです」と言いました。「3割カットされたのではなく3割になった」と。
地方大学は教育部からの補助金が少なく、多くの部分を地方政府の補助金で賄っているので、地方財政の影響をもろに受けるんですよね。そういうところが、例えばAIなどに資源を集中させると、そうではない部門は資源がバッサバッサと切られ、アカデミックな世界でも格差が非常に生じている。
もう1つ、中国の科学技術を政治的な側面から見て思うことは、やはり宗教的な、あるいは倫理的な内省というものがあまり感じられない。そこが非常に気になるところです。
権威主義体制と企業が癒着をして、ある種の方向性を持って国家のパワーを強くしていくために頑張ることは、それはそれでいいと思います。しかし、頑張った先に何があるのか。アメリカでAIをつくっている人たちは、何か自分たちはとんでもなく恐ろしいものを作っているんじゃないかと常に発言している。原爆開発の父であるオッペンハイマーを思い出しますが、人類文明全体に危機をもたらすようなとんでもないものができてしまったらどうしようと恐れている。
しかし、中国のAIや科学技術の第一線にいる人たちから、自分たちが生み出すものが国家のレベルを超えて人類や文明社会にどういう影響をもたらすのかという懸念や不安は、少なくとも公開の報道を見る限りあまり聞こえてこない。そこは何か中国国家や中国共産党の政権を超えた恐ろしいものを感じます。
確かにそうした倫理的な歯止めがどこにあるのか、注意する必要がありますね。先日、中国の大学教員と意見交換をした際にも、唯物史観に立つ中国共産党にとって、物質的な発展を時に抑制するような倫理が働きにくいのではないか、という話が出ました。非常に考えさせられる指摘だと思いました。
中国型発展モデルとは?
中国の技術、教育でいろいろな議論が出てきましたが、これらを引っくるめると、「中国型発展モデル」をどう考えるのかという問題に繋がると思うんですね。
まず、ナラティブ(物語)競争の問題があります。中国側はこれを「中国式現代化」と言いたいので、非常にポジティブなナラティブをたくさん発信しています。その結果、ChatGPT等の生成AIで中国外交の言葉、例えば「大BRICS協力とは何ですか」と聞くと、日本語で聞いても中国ナラティブによる回答が出てくることが非常に多い。少しややこしい状況なのですが、このことを専門家はインターネット空間が「汚染されている」と言ったりします。
中国の外交戦術を中国のナラティブで紹介してしまう形になっている。実際には、中国以外の国では「中国の」発展モデルというものを特別視しないという議論が常にあり、これは開発独裁の発展モデルであり、国家資本主義の一例だと思っている。だから、学術論文などでも「中国型発展モデル」を一歩引いた客観的なスタンスで議論します。日本を含む海外がこれを積極的に定義しないが故に、インターネット上では中国の定義が広がるという結果になっている部分もあると思います。
今お話にあったようなAI開発における倫理観の欠如に加え、こういったナラティブはエコーチェンバーを起こしてしまいます。そうすると中国国内でポジティブな自己理解が肥大し、それが波及して私たちも影響を受ける可能性があります。インターネットの言説空間が言語の壁を越えて繋がった今、相互が影響し合う状況が広がっていると思うのです。
さらに評価基準の問題があります。鈴木さんがおっしゃったように、中国では倫理的な考慮に比して科学技術に対する信奉の度合いが相対的に高いと思います。これはある種、価値観の違いですから、われわれとは違う価値観で技術発展を語っているという前提を理解しなければいけません。AIに関わる倫理問題などは、おそらくボトムラインが違うという前提で考えなくてはいけないと思います。
そうですね。こうした問題意識をもう少し広く共有していかないと、特定のナラティブが広がる中で、われわれ自身も知らないうちにそれに取り込まれてしまう怖さがありますね。
すでに取り込まれているという段階に入ってきていると思います。
戦略的かつ場当たり的
少し話を戻したいのですが、先ほど鈴木さんから、実は習近平政権の政策決定は、必ずしも戦略的とは言えず、習近平個人の関心や優先順位に左右される面が大きいというお話がありました。
政策決定には場当たり的な面があり、2022年以降にようやく政策を体系化していったというお話を踏まえると、江藤さんがおっしゃった、中国はアメリカとの経済安全保障上の競争に対して、非常に戦略的かつ多面的、継続的に対応してきたという見方とは、少し異なるようにも感じたのですが。
今言われた戦略性があることと、場当たり的であることは矛盾するように見えて、実は中国の官僚機構の特徴と表裏一体で一致しているのだと思います。
それは何かというと突発的な事案に弱いということです。その最たるものがコロナパンデミックでした。あれにどう対応したらいいのか、情報収集能力はありながらも情報処理システムにおける政治性が強いので、現場では全く判断できなかった。とにかく上に上げることが大事で、自分たちで判断してはいけないという構造があります。
さらに上げた結果、上もなかなか判断してくれないので何も動き出さなかった。事前に方針が定められていない、社会や経済の変化に迅速に対応する必要性のある領域では、政策決定が追い付かないために、ひとまず責任問題にならないように無難そうな対応をするわけです。場当たり的で、戦略性はないわけですよね。
でも他方で戦略論が形成しやすい領域、対米戦略や国家安全保障に関わるような部分では、やはりトップレベルで決めていることの戦略性・継続性は高いと思います。ここは優秀な官僚がいて、長期戦略を立てるのは上手い。
しかしこの点にもおいても、長期戦略を1度立ててしまった後、何かしら前提条件とは異なる事象が生じた時に修正できないことにもなり得ます。よく大きな船は方向転換するのが難しいと、中国政治をたとえますよね。ですので、場当たり的にやるというのは、小回りの利いた方向転換をするのが下手だからそうしてしまうということもあり、リンクしていると思います。
優秀な官僚を登用し、適材適所に配置して、戦略的に政策を立案するという能力は、現在の中国の政治体制では十分に発揮されていないのでしょうか。
さほど高くないでしょう。今は優秀であればあるほど目立たないようにするのが賢い判断だから、できるだけ頭を低く下げていたいということが多いのではと思います。
それが習近平政権の特徴ということですね。具体的には、どのような現象からそう判断されていますか。
経済官僚に当たる人たちが共産党の幹部レベルで少ないということ、そして人民銀行総裁を含め、実務を担当する人たちが従来よりも格下げの位置付けになっているということなどがあるでしょう。政策を決めるのは共産党中央であり、その下の実行部隊として官僚機構を位置付けている、ということなどでしょうか。
一時、習近平のブレーンという位置付けになった学術有識者の方たちがおられましたが、最近は意見を上げるのが難しいし、上げたところで通っているかどうかは全くわからない、という声が多くなっているように思います。
やはり、先ほど鈴木さんがおっしゃったように、習近平によるトップダウンの政策決定が強まる中で、有能な専門家から意見を集約し、政策に反映させる仕組みが十分に機能しなくなった、ということですね。
それが一番大きな要因だと思います。制度の組み替えを中央集権型にしていく中で、情報の集約が不透明になってきたのでしょう。もう1つ、劉鶴氏(元国務院副総理)の退任に伴って、人材チームが失われてしまったのも1つの転換だったのだろうと思います。
このことは、おそらく中国側が言う中国式民主主義──全人代や政治協商会議を通じて政策提議をくみ上げることで、人々の意見を政治に反映しているとするプロセス──が一定レベルのところで打ち止めになるということを示しています。結局、政治の採択権は常に共産党にあり、上げた提案が政策になるかどうかはトップの意向に左右される、という構造が様々な場面で浮かび上がっているのだと思います。
総じて言うなら、外交、経済、安全保障などの長期戦略は強いと思います。一方、政策としての経済的な対応などの部分は、大きな流れから逸脱しない、狭い政策選択の幅の中から選ぶので、結果として必ずしも正しくないことが出てくるのだと思います。
忘れられた政策競争
これまでは、例えばイデオロギーや安全保障は党、経済政策は国務院が中心となるなど、一定程度の役割分担があったように思うのです。伊藤さん、それが習近平政権になって党中央に集約されていくと、国務院が担ってきた政策調整や意見集約の機能が弱まっているという実感はありますか。
そうですね。近年の研究成果からも、習近平政権になってトップダウンになった結果、ボトムアップで地方からの意見を集約しなくなっているのではないかと指摘されています。
もともと改革開放というのはボトムアップで、地方でいろいろな試行錯誤があり、それを吸い上げるという柔軟さがあったんですが、それが失われているのではないかという議論ですね。そうすると、中央の省庁レベルでも、例えば今までは地方でのいい取り組みを探して、それを全国に広げようという機能が国家発展改革委員会などにはありました。それがトップダウンでよければ、地方は試行錯誤する必要はないわけです。私もそれは感じています。問題は、それがどういう副作用があるのかということですよね。
私もある論文で、李克強元総理と習近平国家主席の政策的な立場を計測し、結構距離があることがわかりました。首脳の間に政策的な距離があることがある種、政策的幅を広げる意味はあったのではないかと思うのです。逆に、現職の李強総理には独自のイニシアチブはあまり見られません。
トップレベルにテクノクラート、経済官僚が見当たらないという問題が、今すぐ何か問題となっているかというとなかなか観察しにくいです。ただ、少なくとも80年代から見た時、トップレベルで政策的立場の相違があることが、むしろ政策的論争を作り出し、ある種の政策競争が起きてきたわけです。論争がなくなることは長期的には負の影響があるかなと思っています。
今伊藤さんがおっしゃったことは重要な指摘だと思いました。確かに改革開放が始まってから国務院と党は役割分担がそれなりにはっきりしていた。私が1回目に北京に駐在したのは胡錦濤政権の時でしたが、その時は胡錦濤国家主席がいて温家宝首相、その下に王岐山副首相というラインがあって、人民銀行には周小川さんという朱鎔基さんの弟子と言われている人たちのラインが丸々残っていた。
印象的だったのは、2008年のリーマンショックの時です。あの直前まで、すべての政策がインフレ対応だったのです。これは半分以上本当だと思うのですが、王岐山さんとアメリカのポールソンさんのラインで情報が共有され、リーマン・ブラザーズが破綻した直後に利下げをやったんです。そしてその1カ月あまり後に4兆元の対策を打ってきた。
やはりあの政策対応能力は優秀な官僚がいなければできなかったわけです。経済はもうそっちに任せると。それが、習近平体制になり、「経済も全部俺がやるんだ」というわけです。李強さんは記者会見も開かせてもらえない。
李克強総理が最後の会見で貧困脱却を否定したんですよね。
李克強さんはいろいろな意味で半分は抵抗だったと思うのです。それこそ李克強さんの記者会見は私でさえ質問もできた。そういう時代から考えると、記者会見すらなくて外国人の記者が国務院総理とも国家主席とも話す機会が全くないわけです。
問われる政治的合理性
政治的な正しさ、合理性というものを、政治的な合理性と技術的な合理性に分けて考えることが大切です。確かに独裁者の下では技術的な合理性は向上しやすいですよね。それは、目的が1つだからです。政治的な民主主義、あるいは複数の有力な指導者の集団指導体制の場合は、そもそも何が必要とされていて、何が正しいかという政治的な合理性そのものが問われるわけです。
「俺がこう思っているから、こうするんだ」という独裁者の下では、政治的な合理性そのものは問われない。問われるのは技術的な合理性だけです。その部分では確かに役人というのは役に立つのです。
例えばAIや外需依存の経済は確かに習近平の考える政治的な合理性には合うかもしれないし、それに基づいて様々な技術的な合理性をいろいろな側面で考えていくことは役人にはできる。しかし、その先にあること、例えば今のようにグローバルインバランスが問題になって、EUや東南アジアから中国製品を「これ以上は買えません」と言われた時に、代替できる経済政策はないですよね。一本足打法なのです。
政治的な合理性は複数の政策選択を用意できる。技術的な合理性が優れているからといって、より長期的な利益を図れるかは、また別問題だと思うのです。
確かにアメリカの覇権と競争するためにロシアや北朝鮮と仲良くするのはいいですが、一方で、その様子を見た日本や韓国、欧米諸国が中国に対する不信感を高めていくことが、本当に中国外交にとっていいのか。これは政治的合理性の問題であり、技術的な合理性とは別に考えたほうがいい。
少なくとも習近平の一強体制では、確かに官僚が技術的な合理性に基づいて政策プランを出して、それを実行できる確度は高まりましたが、それが失敗した時、あるいは長期的に見てどういうメリット、デメリットをもたらすかは依然として不透明で、その場合の補完策というのがない。これが非常に大きな問題のような気がします。
日中関係で大事なこと
今日の議論を踏まえて、最後に一言お願いします。その際、それぞれの専門領域から、今後の中国の変化を見極める上で、定点観測すべき事象があれば、ぜひご紹介ください。
今非常勤で、三田の経済学部で経済体制論を担当させていただいています。なぜ今慶應で現代中国を学ばねばならないのかを考えるんです。その1つは、中国型モデルなるものをどう考えるのか、という点ではないかと。
福澤諭吉の『文明論之概略』を読むと、すごくストーリーがクリアです。野蛮があって、半開があって、文明があると。そしてわれわれは文明を目指すんだというストーリーです。
このベースラインを持ってきた時、今の中国はどのように位置づけられるのか。ものすごい外れ値というか、巨大な例外になっている部分があるわけです。この巨大な例外・中国をつぶさに見ていくのが、1つのミッションなのだろうと思っています。
では、定点観測はどこだということですが、やはり主要メディアが報じないところを見ていかないといけないでしょう。情報は十分に発信されているように見えてすごく偏っている。最近だとAIロボットのニュースばかりで、私も中国に先月行って、中央テレビ(CCTV)をつけると、もうずっとロボット、AIです。
ですので、バランスを取る意味で、そこから漏れているところ、例えば県域の情報を意識的に拾っていく必要があるのかなと感じています。自分の研究でもオルタナティブデータを使って見ていますが、最後はやはり自分の目で見にいくしかない。それは難しくなっている面はありますが、可能な限り何とか現場感覚を維持していきたいなと思っています。
江藤さんはいかがでしょうか。
私は経済安全保障に加えて日中関係が専門なので、その観点から申し上げます。日中関係にはいろいろなフェーズがありますが、習近平政権下での日中関係において、日本にとって重要なのは多層的なアプローチを維持すること、中国側の計算式を複雑にすることだと思います。
中国の構造的な強さで最大のものはやはり人口が多いということで、日本の地政学的な位置付けからしても、中国と経済的に関係を断ち切るのは全く合理的な選択ではない。
けれども、安全保障上の中国側の能力の向上は極めて急速かつ意図を持って進んでいます。例えば揚陸作戦のための訓練が行われたり、東シナ海、あるいは台湾の東側で海上民兵の訓練が繰り返し行われていたりして、台湾への圧力を高めています。また西太平洋全域に戦力の投射範囲を広げていくという狙いがある。
そういった環境を中国側が作ってしまっているので、そこに必ず日本との摩擦の要素が入ってくる。関係性を維持しつつ、摩擦の要因がある時には、そうした関係をクリアにすることにはあまりメリットがありません。対中姿勢は曖昧にあり続けるべきです。
中国の重要性をわれわれはプラスにおいてもマイナスにおいても強く認識している。だからこそリスクを管理するための態度が大切で、そうしたスタンスを、どれだけ続けられるかです。あと10年は続くと思うんですね。今、民間外交が復活しようとしていますので、関係改善の意識は広く共有認識としてあると思います。要諦となるのは、日中関係をいかにバランスさせ続けることかと思います。
人としての「中国」を見る
鈴木さんはいかがでしょうか。
私が心がけているのは中国の居酒屋に行くことです。今は気軽に中国に行けなくなって一番残念なんですが、中国の居酒屋は楽しいのです。行くたびに新しい発見があって、その時々の時代と社会の雰囲気が本当によくわかるんですね。だから、メディアの方たちにはぜひ居酒屋に行って、その様子を教えてほしいと常々お願いしているんです。
もちろん『人民日報』やCCTVも一応見ますけれど、そこに映っていない人たちのほうがはるかに重要で、上海の居酒屋などでの会話のほうが、私にとって「中国」というものがよくわかるのです。「国家としての中国」は『人民日報』やCCTVでもわかりますが、「人としての中国」はやはりそこには出てこない。
私たちは国家としての中国に目を向けがちですが、人としての中国は、またもっと違う側面があって、そこはやはり見落としてはいけないと思います。
何を見ていくかでは、先ほど江藤さんも指摘されていましたが、やはり人口だと思うのです。中国の国力を考えた場合、これから急速に人口が減少する。日本は中国を心配している場合ではありませんが、中国も大変な人口減少が起こる。
4、5年前、フランスの人口学者のエマニュエル・トッドが、「将来の中国の人口減少と国力衰退は明らか。単に待てばいい」と言った。人口動態を見れば、中国はこれから衰退していくだけだから放っておけばいいんだという意見で、確かにそうだなと私も思っていたのです。
しかし、確かに人口動態を見たら中国は衰退していくのですが、それ以上のペースでアメリカが衰退するのではないかとも思うわけです。わけのわからない戦争を始めて、ミサイルの在庫がなくて戦えなくなる、なんて事態は想像できなかったですよね。
中国も衰退するけれど、もっと早くアメリカが衰退するとなれば、僕は以前衰退競争と呼んだことがあるのですが、相対的に中国のほうが浮上してしまう。この状況で、中国式の民主主義、中国式の国家統治がグローバルスタンダードになってしまう世界というのは、私は決して幸せではないと思いますので、今は本当にアメリカにしっかりしてもらいたいと思っています。
今日の議論から見えてきたのは、中国の「強さと弱さ」が、必ずしも別々のものではなく、同じ政治・経済構造の中から生まれているということではないでしょうか。習近平政権の下で政策を集中的に推進する力が強まる一方、多様な意見を汲み上げ、政策を修正する力が十分に働いているのかという問題もあります。また、国家としての中国の動向だけでなく、そこで暮らす人々や社会の変化にも目を向ける必要があると改めて感じました。
本日は熱い議論を有り難うございました。
(2026年9月7日、三田キャンパスにて一部オンラインを交えて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。