慶應義塾

森 弘之:AI翻訳は理系論文の「外注先」ではなく「相棒」である

公開日:2026.08.05

執筆者プロフィール

  • 森 弘之(もり ひろゆき)

    東京都立大学理学部物理学科教授理工学部 卒業理工学研究科 卒業

    1985理工、87理工修

    森 弘之(もり ひろゆき)

    東京都立大学理学部物理学科教授理工学部 卒業理工学研究科 卒業

    1985理工、87理工修

理系の基礎科学分野の共通言語は英語である。多くの理系分野の学術論文は英語で書かなければならない。私の専門である物理学を志してきた者たちも、若い頃から論文を英語で書く訓練を積んできた。私もその1人であり、その経験を踏まえ、大学院生に科学英語を教える授業を長く担当してきた。


この授業では、学生たちに論文を書くことを想定したお題(いかにも英語表現を誤りそうな引っかけも仕掛けられている)を出す。学生が提出した英文は教室のスクリーンに映し、目の前で添削していく。そんな授業を10年近く行ってきたのだが、数年前に「もう限界か」と思って大きく方針転換した。生成AIの登場がそのきっかけである。学生がレポートをAIに書かせてしまうというのは教育現場共通の問題になっているが、科学英語の授業も例外ではなかった。しかしよく考えてみると、これは悪いことではないのかもしれない。


便利な道具が出てきたのに、本当にこれからも論文を書くのに外国語である英語をひーひー、ふーふー言いながらひねり出し続けることを学生に強いる必要があるのか。電卓があるのに何桁もの計算を懸命に練習する必要があるのかというのと同じ疑問がわいてきたのである。いっそのこと「どんどんAIを使おう。節約できた時間はほかのことに使おう」と割り切ってしまえばいいのではないか。そう思い至って以来、授業方針を大きく変えて、「AIを使って英語の論文を書こう」という立場の授業を行っている。


間違ってはいけないのが、これは「AIに論文を書かせよう」ではないというところである。AIを実質的な著者にするには、少なくとも時代がまだ熟していない。新しい授業で意図しているところは、「日本語原稿を自分で書き、AIの助けを借りて英語化しよう」である。これならみんな、すらすらとネイティブレベルの英文が書け、英語の論文もあっという間にいっちょう上がりだ。なんと学生に優しい授業なのか。


いやいや、そんな簡単なものではないのだ。

ボタンを押せば済むわけではない

最近、AI翻訳に関する本を上梓した*1。この本で最も伝えたかったのは、AI翻訳は「ボタンを押せば終わり」の技術ではないということである。とくに強調したのが、用意する日本語原稿の質に注意することと、AIが出力した英文の推敲に十分な時間をかけることである。その意図を順番に説明しよう。

日本語で「論理」を書く力

AI翻訳が英語を書く労力を大幅に削減したことは間違いない。しかしそれは、翻訳作業の出発点である日本語原稿を書く力まで不要にしたわけではない。むしろその逆だ。AI翻訳の品質は、入力する日本語の品質にそのまま依存する。稚拙な日本語を入れれば稚拙な英語が出てくるし、論理の通っていない日本語からは、論理の通っていない英語しか生まれない。


理系の学術論文に求められるのは、実験や理論の内容を正確に、一義的に、過不足なく伝えることである。これはつまり、「論理」を書く力の問題である。英語力以前に、考えていることを筋道立てて日本語で書ける力がなければ、どれほど優秀なAIを使っても、論文として通用する英文にはならない。AI翻訳は思考の代行をしてくれるわけではない。「日本語さえ書ければ英語論文が書ける」は半分本当で、半分誤りなのである。


日本語には構造的な曖昧さが潜んでいる。主語の省略はその典型だ。「観察したところ、温度が急激に上昇していた」という一文は日本語として自然だが、英語にする際は「誰が」観察したのかを明示しなければならない。AIが文脈から推測してくれることもあるが、長い原稿の一部を切り出して翻訳にかけると、誤った主語を補うこともある。「これ」「それ」といった指示代名詞の多用も、AIが指示対象を誤解する温床になる。


語句の係り受けの曖昧さも見過ごせない。私が実際に遭遇した例として「塗膜の破壊を伴う検査」という表現がある。これは「『塗膜の破壊』を伴う検査」なのか「塗膜の『破壊を伴う検査(非破壊検査の逆)』」なのか、前後の文脈なしには判断がつかない。著者には明確な意図があっても、AIは黙って片方を選んで訳し、それらしい英語になっているがゆえに気づけないことも多い。こうした「見えにくい誤訳」を防ぐには、日本語の段階で曖昧さを取り除いておくしかない。


擬音語や擬態語も要注意だ。さすがにこんな文章を論文の日本語原稿に書くことはないと思うが、極端な例を挙げるならば、「アームがピタッと止まる」は日本語として明快だが英語にはしにくい。「指定位置で正確に停止する」と書き換えてからAIに渡せば、精確な英文が返ってくる。文が長すぎる場合も同様で、主語と述語が離れた複文はAIが構造を取り違えやすい。迷ったら短く切る、それだけで誤訳は減る。同音異義語の誤変換も侮れない。日本語のキーボード入力では「異臭」と「一種」のような誤変換が起きやすいが、文として意味が通じてしまえばAIも誤りに気づかずそのまま英訳する。


翻訳前の日本語原稿を丁寧に整える作業は、一見遠回りに見えるかもしれないが、実は質の高い英語論文への最短経路である。英語の推敲より日本語の推敲のほうがはるかに速くできる上に、日本語を磨く作業は論文の論理構造そのものを磨くことに直結する。AI翻訳が普及した時代だからこそ、理系の学生に必要なのは英語の訓練だけではない。母語で論理を書く訓練こそが、AIを使いこなす土台になると、授業を通じて私は実感している。

「読む」と「判断する」が新しい英語力

整えた日本語をAIに渡せば、あとは安心かというと、そうではない。むしろここからが本番だ。AIが出力した英文を自分の目で点検する作業が待っている。これを甘く見てはいけない。


AIが出力した英文を、確認もせずに論文に貼り付けてしまうのは論外である。一見流暢に見えても、誤訳は確実に潜んでいる。AIは文の意味を人間のように「理解」して翻訳しているわけではなく、膨大な学習データに照らし合わせて、もっともらしい訳を確率的に生成しているにすぎない。「阻害(inhibition)」と「抑制(suppression)」の違い、「以上」と「超えて」の区別、「significant」が統計的な有意性を意味する専門的用法など、これらの語句は状況によってはAIには見極めが難しいことも多く、誤訳されることがある。やっかいなのが、出力される英文が文として破綻していないところにある。流暢であるがゆえに読み流してしまうリスクが高いのが、AI翻訳の誤訳が人による翻訳の誤訳より厄介な理由でもある。


AI翻訳後に人間が修正を加える作業を、翻訳業界ではMTPE(Machine Translation Post-Editing)と呼ぶ。しかしこの「ポストエディット」という言葉の響きより、実態はずっと重い。単に誤字脱字を直す「校正」ではなく、内容の正確さを原文と照合しながら確認し、必要に応じて大幅に書き直す「校閲と修正」に近い作業だ。英文として自然な体裁を保ちながら、かつ専門的内容の正確さを担保するには、相当な英文読解力と専門知識の両方が求められる。AIを使えば翻訳の手間は減るが、出力の点検に投じるべき注意力はむしろ増す、と心得ておくべきだろう。


なお、論文を投稿する際にはAI利用に関するガイドラインの確認も欠かせない。主要な学術出版社の多くは翻訳支援へのAI利用を認めているが、利用した旨の明示を求めているところもある。また未発表の研究成果をクラウドベースのAIに入力することは、情報漏洩や研究の優先権の問題をはらんでおり、最低限の自衛策を講じる必要がある。

「読む力」こそ新しい理系英語力

AI翻訳の登場によって、理系研究者に求められる英語力の重心が変わりつつある。英語を「書く」作業はAIが肩代わりしてくれるようになった半面、英語を「読む」力と「判断する」力の重要性はむしろ高まっている。AIが出力した英文を読みこなし、自分の意図が正しく反映されているかを見極め、必要に応じて修正を加える。この一連の作業は、相当な英文読解力なしには成立しない。人の書いた論文を読む力はもちろん、AIが出力した英文を読みこなせなければ話にならないというのが今日の現実だ。


専門分野の論文を読む際も、「内容を理解するための読み方」に留まらず、「なぜこの表現か、なぜこの語順か」を意識しながら文章の構造を解析する習慣が必要である。その訓練を積んで初めて、AI出力の中の違和感を察知できるようになる。私の授業でも、学生に英文を書かせる時間より、良い英語論文を読ませてAIの出力と比べる時間が増えた。読む力こそが、AI翻訳時代の核心的な英語能力だ。英語論文の執筆の重心は「書くこと」から「読むこと」へ確実に移りつつある。AIとは「英語の代わりに書いてくれる外注先」ではなく、使い手の力量があってこそ力を発揮する「相棒」なのだ。タイトルに込めたのは、そういう意味である。

〈註〉

*1 森弘之(2026)『論文から技術文書まで「AI翻訳」で書く理系英語入門』講談社ブルーバックス

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。