慶應義塾

岸本 泰士郎:「病院の真ん中」から社会へ──CRIK信濃町が切りひらく医療・ヘルスケアの社会実装

公開日:2026.10.06

執筆者プロフィール

  • 岸本 泰士郎(きしもと たいしろう)

    研究所・センター 医学部医科学研究連携推進センター教授

    岸本 泰士郎(きしもと たいしろう)

    研究所・センター 医学部医科学研究連携推進センター教授

研究成果を社会へ届けるために

慶應義塾大学医学部は、わが国を代表する医学研究拠点の1つです。医学分野のTop1%ジャーナルへの論文掲載率は国内大学で第1位、Life Sciences & Medicine分野の論文1本当たりの被引用数でも国内第2位となるなど、国際的にも高い研究力を示しています。しかし、優れた研究成果が生まれ、論文として発表されても、それだけで患者さんや社会のもとに届くわけではありません。


研究成果を新しい診断法や治療法、あるいはヘルスケアサービスとして実装するためには、研究に加えて、知財戦略、臨床研究・治験、規制対応、事業開発など、多様な専門性を持つ人々との連携が必要です。その過程には、多くの時間と試行錯誤が伴います。


1人の研究者がこれらすべての知識や技量を身につけることは現実的ではありません。また、必要となる専門家や企業を自ら探し出し、1つひとつ関係を築いていくことにも限界があります。優れた研究成果を速やかに社会へ届けるためには、多様なリソースにつなぎ、社会実装までを一貫して支える仕組みが必要です。


こうした課題に応えるため、「CRIK(Center for Research and Incubation, Keio University)信濃町」が2024年に設立されました。病院、研究室、企業、スタートアップなどをつなぎ、研究成果を学会発表や論文化で終わらせることなく、知財化、PoC(概念実証)、事業化へとつなげていくことを目指しています。


過去20年で、社会が大学に求める役割も、大きく変わってきました。2005年、中央教育審議会は、教育と研究に加えて、産学官連携などを通じた「社会貢献」を大学の「第3の使命」として位置づけました。そして現在、その要請はさらに一歩進んでいます。政府は「産業競争力強化に貢献する新たな研究大学群」の形成に向けた検討を進めており、大学が知の創出から共同研究、実証、事業化、社会実装までをつなぐことを求めています。


研究成果を社会へ届け、未来の医療を創り出す仕組みを大学の中に持つことは、これまで以上に重要になります。CRIK信濃町は、まさにその使命を実践する拠点の1つとして、今後の慶應義塾大学にとって重要な役割を担うものと考えています。

CRIK信濃町とは

CRIK信濃町は、慶應義塾大学イノベーション推進本部と医学部が共同で運営する共創拠点であり、2024年、慶應義塾大学病院2号館9階の1フロア約2,500㎡を全面的に改装して開設されました。フロアには、31室の賃貸オフィス、26席の専用デスク、ラウンジ、コミュニティスペース、会議室、テレカンブースなどが設けられています。大学病院の中に、スタートアップ、企業、研究者など、多様な人々が日常的に行き交う空間がつくられています。


利用者のステージや目的に応じて、複数の会員制度を設けています。「賃貸オフィス会員」は、家具を備えた個室型のオフィスを利用できます。「専用デスク会員」は、起業準備段階や小規模なスタートアップにも利用しやすい固定デスク型のプランです。さらに、ラウンジを活動拠点としてコミュニティに参加する「ラウンジ会員」も用意しています。賃貸オフィス会員と専用デスク会員では、オプションとして法人登記も可能です。


また、CRIK信濃町では、単にスペースを利用する企業や起業家だけでなく、その活動を支える企業や専門家にもコミュニティに加わっていただいています。


さらに、慶應義塾大学の研究成果や知的財産を活用する企業、大学との共同研究を進める企業については、利用面での優遇措置を設けるなど、大学との研究・産学連携を促進するための仕組みも取り入れています。

「挑戦する人」を支えるCRIKの機能

CRIK信濃町の大きな特徴は、「リサーチ」と「インキュベーション」を一体的に担い、研究成果を新たな価値へと結び付ける支援機能を備えていることです。その中心となるのが、スタートアップや起業家の事業成長を支援するインキュベーションマネージャーと、慶應義塾の研究者と企業をつなぎ、共同研究や研究開発を支援するサイエンスリエゾンです。知財・技術移転、臨床研究、統計・データ解析などを担う学内の専門部門とも連携し、研究開発の段階や課題に応じて、研究から社会実装までを一体的に支援しています。


こうした体制の背景には、研究成果を社会実装することの難しさがあります。私自身も、これまで産学連携や医工連携、大学発スタートアップの立ち上げなどに関わってきました。その中で、社会実装を見据えた研究デザイン、共同研究契約、データ利活用を想定したインフォームド・コンセント、知財戦略、ビジネスモデルの構築など、多くの課題に直面し、専門家の力を借りながら手探りで進めてきました。これから挑戦する研究者や起業家には、必要な専門家や支援に早く出会い、研究から社会実装までをよりスムーズに進めてもらいたいと考えています。CRIK信濃町がその道筋をつくり、挑戦に伴走する存在となることを目指しています。

共創を育む「場」の力

研究成果を社会実装へつなぐには、専門的な支援だけでなく、人と人とが出会い、対話する中から新しい発想が生まれる環境も重要だと考えています。CRIK信濃町では、こうした日常的な交流から生まれる「共創」を大切にしています。


CRIK信濃町には、医療・ヘルスケア領域を中心としながらも、工学、デジタル技術、建築など、異なる分野のスタートアップや企業、研究者が集まっています。異なる分野の人々が同じ場所で活動することも、CRIK信濃町が大切にしていることの1つです。


また、CRIK信濃町では、交流や学びを目的としたさまざまな企画を実施しています。臨床現場のニーズと技術を結び付けるマッチングイベント、医療と工学の研究者が語り合うトークイベント、起業や投資について学ぶ勉強会など、その内容も多岐にわたります。スタートアップ、一般企業、研究者、医療者、ベンチャーキャピタル、公的支援機関が組織や立場を越えて出会う機会を数多く設けています。


さらに、大学病院内という立地も大きな強みです。医師をはじめとする医療従事者と、起業家やスタートアップ、企業が近い距離で活動し、臨床現場の課題に触れながら研究開発を進めることができます。こうした人々が医療現場のすぐそばで日常的に交わる環境は、決して多くありません。実際に、こうした交流から新たな研究や事業も生まれています。

「病院の真ん中」から社会へ、世界へ

CRIK信濃町に集う企業やスタートアップの挑戦は、さまざまな形で実を結び始めています。慶應義塾大学医学部の研究成果から生まれた株式会社グレースイメージングは、汗中乳酸をリアルタイムかつ連続的に測定するウェアラブルデバイスを開発し、2025年12月に医療機器「SweatWatch®」の製造販売承認を取得しました。同じく医学部発のDireava株式会社は、AIによる手術支援技術を開発し、2025年12月に「手術映像認識プログラム・キノスラ」の製造販売承認を取得。さらに外科手術に特化した生成AIの開発を進め、2026年2月には慶應義塾大学病院の実際の胃がん手術で実証試験を行いました。株式会社SMILECURVEも、放射線被ばくを伴わずに思春期特発性側弯症を早期発見する検査機器「Senaka Scan」を開発し、2026年6月に国内販売を開始しました。


成長したスタートアップが、次の挑戦者の身近なロールモデルとなることも重要です。慶應義塾大学医学部での研究を基盤に創業した株式会社坪田ラボは、2022年に東証グロース市場への上場を果たし、大学発スタートアップの成長の姿を後に続く起業家に示しています。さらに、企業の海外展開を後押しすることもCRIK信濃町の役割です。入居企業の株式会社サリバテックは、ACCJ(在日米国商工会議所)主催「Healthcare x Digital 2026 Pitch Event」で「SelectUSA Investment Summit Award」を受賞し、米国商務省主催の対米投資家イベント「SelectUSA Investment Summit」への参加権を獲得しました。


研究成果からスタートアップが生まれ、新しい技術やサービスが社会へと実装される。成長した企業が、次の挑戦者のロールモデルとなる。こうした循環こそ、CRIK信濃町が目指す姿です。「病院の真ん中」から始まった挑戦を社会へ、そして世界へつないでいく。産学連携とスタートアップ支援を通じてその循環をさらに大きくし、未来の医療を切り拓いていくことが、CRIK信濃町の果たすべき役割だと考えています。

CRIK 信濃町コミュニティスペース
CRIK 信濃町でのイベント風景

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。