執筆者プロフィール
倉方 俊輔(くらかた しゅんすけ)
大阪公立大学大学院工学研究科教授、東京建築祭実行委員長倉方 俊輔(くらかた しゅんすけ)
大阪公立大学大学院工学研究科教授、東京建築祭実行委員長
東京建築祭の概要
「東京建築祭」は2024年に筆者の提唱で始まった。普段は立ち入れない建築に年に1度だけ足を踏み入れることができる、従来の東京にはなかった類の催しである。初回は小規模に実施したが、それでも約6万5000人が訪れ、2025年にはのべ11万人が参加した。
2026年も基本的な仕組みは初年度に考案したものを踏襲している。5月第4週の土日(5月23・24日)を建築が一斉に開くメイン期間とし、第3週の週末を含む5月16日(土)から24日(日)までの会期中に、ガイドツアーやシンポジウムなどを開催する。のべ13万5000人の来場を想定し、準備を進めている[図1]。
3年目を迎え、大きな流れとなりつつある東京建築祭について、まずはその概要を確認しておきたい。
初回の2024年は、日本橋・京橋、大手町・丸の内・有楽町、銀座・築地を対象とした。2025年には上野・湯島・本郷、神田・九段、港区エリアを加え、2026年はさらに渋谷へと広がる。参加建築は過去最多の151件に達した。東京建築祭で可能な体験は、大きく3種類に分けられる。
1つは、無料で申込不要の「特別公開・特別展示」である。2026年は計70件に上る。特別公開では通常非公開の建築を自由に見学でき、特別展示では通常公開されている場所で会期中に特別な展示が行われる。初心者にも愛好者や専門家にも新たな発見がある。
2つ目は、原則有料・事前申込制の「ガイドツアー」だ。こちらも通常非公開の建築が中心で、解説者は日常的にその建物を使う人、設計や施工に関わった当事者、地域に詳しい専門家など多様である。人と出会い、建築の背景にある工夫や蓄積を知ることで、まちの見え方が変わる。毎年高倍率の抽選となるが、より多くの人に機会を届けるため、2026年は全120コース(計257回)に拡充した。
3つ目は「イベント」である。内容はさまざまで、隅田川から神田川へ抜ける船から建築を楽しむリバークルーズ、建築に関する個別のテーマをめぐって専門家が対話するシンポジウム、小学生が知見を言語化する対話型建築鑑賞などが並ぶ。このように新しい建築体験に導く試みも含めて、単なる建物公開を超えた、建築の「祭」となっている。あわせて、特別公開・特別展示の解説を事前にも当日にも聴ける無料オーディオガイドや、現地で建築の説明を行う「建築ナビゲーター」といった見学サポートも充実させ、見学の間口を広げている。
参加者の属性を見ると、昨年のアンケート(回答998件)では、約83パーセントが建築を専門としない層だった。初回参加者と新規参加者はほぼ半数ずつである。性別では女性が約73パーセント、年代は50代を中心とした緩やかな山型を描き、居住地は1都3県が約87パーセントを占める。建築を訪れる行為が、専門家のものではなく、日常の延長に位置づくものへと変化している。その状況を、東京建築祭は可視化したといえる。
人びとを誘う
東京建築祭は、建物公開にとどまらないイベントである。公開は、無料・申込不要の特別公開・特別展示(原則週末2日間)と、原則有料・事前申込制のガイドツアーによって構成され、のべ10万人以上が参加する、日本では初めての規模の建築イベントとなっている。
以上の概要を踏まえたうえで、ここからは特別公開・特別展示の建築を具体的に論じ、今回の特集テーマである「歴史的建築」について考察したい。催しの全貌に関しては、東京建築祭の公式サイトに掲載されている開催レポートをご覧いただければと思う。すべてのプログラムやアンケート結果、協賛や収支に至るまで75ページに収めている。また、先行する建築公開イベントとして、2014年に開始された「イケフェス大阪」や2022年に始まった「京都モダン建築祭」などがある。これらと東京建築祭との関係は既往の拙稿をご参照いただきたい*1、2。
2026年に特別公開・特別展示を行う建築のうち、国の重要文化財に指定されているものに、たとえば《旧近衛師団司令部庁舎》がある。1910年竣工の煉瓦造で、1977年以降は東京国立近代美術館工芸館として使われてきたが、2020年の移転後は非公開となっている。この建物に、週末の2日間に限り立ち入ることができる。エントランスホールから階段を上がり、2階中央の休憩室へと至る動線が開かれる。階段や壁柱の装飾は繊細で、窓から差し込む光が室内に陰影を与え、明治期の官庁建築の品位を伝える。工芸館への転用時に加えられた照明器具には、改修設計を担った谷口吉郎好みの意匠も見られる。
昨年、この建築に約4,700人が訪れた。東京建築祭では、多くの建物で所有者や利用者の協力を得て写真撮影を可能とし、SNSでの発信についても個別に可否を決定している。旧近衛師団司令部庁舎では投稿が許可されており、訪れた人の楽しげな発信が新たな来訪者を呼び込んだ部分もある。無料かつ申込不要という仕組みが、東京建築祭の広がりを支える根幹になっている。
国の重要文化財では、通常は公開されていない《明治生命館》の7階講堂や《日本橋三越本店本館》の6階三越劇場も人気を集める。加えて、《三井本館》ではオフィス部分にあたる合名玄関やエレベーター、5階フロアが公開され、《旧岩崎家住宅洋館》では撞球室に立ち入ることができる。いずれも施設が持つ複合的な用途を示し、時代を物語る都市建築としての意味を伝える空間である。それらを幅広い来訪者が体験することは、言語を介さない建築の価値の伝達に寄与するだろう。
重要文化財の特別公開に、2026年から《東京都庭園美術館》も加わった。週末の2日間、本館中庭に入ることができ、建物全体の成り立ちを俯瞰できる。一般に「期間限定」という要素は心理に強く訴求する。開催を週末の2日間に限定する仕組みは、建築を開く側の負担を軽減するだけでなく、何となく気になっていた場所へ赴くという行動を後押しする。普段とは異なる特別な公開がなされることは、建築をよく知る層に対しても効果的だが、それよりはるかに多いであろう、軽い関心を抱く層に働きかける。東京建築祭は確かに、新たな人びとを建築に対する関心へと誘う契機として設計された側面を持つ。
善意を再編成する
所有者などの善意によって、今年の東京建築祭で特別に内部に入れる建築としては、ほかにも東京都選定歴史的建造物の《カトリック築地教会》《中央区立常盤小学校》《普連土学園中学校舎》、港区有形文化財の《旧乃木邸》などが挙げられる。加えて、個性豊かな看板建築である《江戸屋》、本格的なロマネスク様式を備えた《丸石ビルディング》、銀座・昭和通りで唯一残る近代建築《旧宮脇ビル》、収蔵庫に加えて和室を有する《温故学会会館》など、国登録有形文化財に登録された建築も含まれている。
もっとも、この催しの射程は文化財の公開にとどまらない。視点を移し、大学という単位から見てみると、歴史的建築という概念の別の面が浮かび上がる。
東京には多くの大学があり、それぞれが固有の時間を蓄積してきた場となっている。たとえば東京大学本郷キャンパスの《理学部2号館》は、文化財指定を受けてはいないものの、関東大震災後のキャンパス復興を体現する存在である。復興を主導した内田祥三(よしかず)にちなんで「内田ゴシック」と呼ばれる様式のもと、1934年の竣工時における最新技術が導入され、多くの生物学の革新が生まれる器となってきた。
しかし現在、設備の不具合や外壁の損傷、漏水などの問題が進行しており、修繕や整備に充てられる資金は十分とは言えない。第1回の東京建築祭の後、この建物の存続を望む東京大学大学院理学系研究科の教員有志から相談を受け、協力しながら昨年の特別公開を実現した。非営利の催しとはいえ、外部組織が主催し、不特定多数を大学構内に迎え入れることは容易ではない。東京大学大学院工学系研究科教授であり、キャンパス計画室長を務める建築史家・加藤耕一氏と連携し、土曜日午前に講演、午後に特別公開というかたちが整った。
当日は約5時間半で2,700人が来訪し、現地に設置したQRコードを通じて20万円を超える寄付が寄せられた。これほどの関心を集め、人びとの自発的な意志が具体的な支援として現れた事実は、学内で保存に取り組む人々を勇気づけると同時に、組織全体や社会への発信ともなり得る。東京建築祭は、人間に内在する善意を再編成するものだと考えている。理学部2号館はその一例であり、既存の関係性の再編は、実行主体が組織の内部に属さないことによって可能になっている。
続いて、東京藝術大学に移りたい。上野キャンパス内にある《赤レンガ1号館》は今年、おそらく完成以来初めて、学外の多数の人びとを内部に迎え入れることになる。1880年に教育博物館の書籍閲覧所書庫として建てられ、1978年には解体が一度決定されたが、当時同大学の助教授であった建築史家・前野まさる氏の調査と保存活動によって、1980年に活用の方針が定まった。明治初期の煉瓦造として都内でも貴重な存在だが、内部に入ることで関東大震災後の修復の跡、その後の鉄骨補強、設備更新といった歴史の層を目の当たりにできる。
建築史家として過去を眺めたとき、何が歴史的建築であるかは決して所与のものでないことに気づかされる。それぞれの時代に、残すべきであると信じ、関係者を巻き込み、実用物として再定義した人物がいたからこそ、対象を歴史的なものと捉える視座は拡張されてきた。
建築は開かれることによって、文章に記されていた過去の事実が目の前の実感と結びつき、現在と関連した歴史として認識される。赤レンガ1号館のインテリアが体感させるのは、それを使い続けてきた人間の工夫と、残し続けてきた意志にほかならない。
このことは何を示すのだろうか。絵画や彫刻は完成した時点で表現が完結する。建築はそうではない。当初は特別でなかった形態や技法が時代の変化とともに意味を増したり、使われ残されてきた痕跡も含めて取り替えのきかない性格を帯びたりする。価値の源泉は、完成時に出尽くしてはいないのである。
したがって、使われ続けているがゆえに常時公開できない類の建築を特別公開することは、他の芸術における「期間限定」とは異なる意義を持つ。時間の中で価値が生成されるという、建築に固有の特質を照らし出すからである。
芸術には、ミュージアムの中で輝くタイプと、そうでないものがある。建築は後者に属する──東京建築祭は、そのことを明らかにする催しである。すでに定まった価値を期間限定で与える啓蒙的なイベントとは、一線を画する。建築という芸術の歴史的な意味を、建築史研究者と一般市民との新たな関係のもとで問い直す試みである。その行方はいまだ見えないが、本稿の末尾で言葉を続けたい。
最後に、慶應義塾である。かつて『三田評論』2021年5月号に「建築史から見たキャンパスという展示空間」を寄稿した筆者としては、その時点では影も形もなかった東京建築祭が成立し、三田キャンパスの2つの建築が参加するに至ったことは、感慨ひとしおである。
1つは《三田演説館》の特別公開である[図2]。1875年竣工と参加建築中もっとも古く、国の重要文化財に指定されている。和風の外観に対して内部は西洋的な空間であり、その対比を体験することで、明治初期という時代と慶應義塾の理念に思いを馳せることができる。専門的知識の有無にかかわらず、訪れた人が時間の流れとそこに込められた意志を直接に感じ取れるだろう。
もう1つは《慶應義塾図書館旧館》である。2021年に展示施設に生まれ変わり、現在は一般に開かれているため、東京建築祭では特別展示として位置づけた。2階の福澤諭吉記念慶應義塾史展示館には図面や資料が展示され、現在のキャンパス空間と重ね合わせながら理解を深めることができる。特別公開・特別展示に携わっていただいた慶應義塾福澤研究センター教授・都倉武之氏によれば、2023年の関連する企画展のカタログ売り上げも好調だったという。昨年の会期中には、のべ来場者数で三田演説館を上回るほどの関心を集めた。
これらの建築が示すように、大学や組織の個性を物語る場が都市の中には数多く存在する。その質の高さに比して、十分に知られていない場は少なくない。東京建築祭は、そうした場の存在を社会に伝える機会でもある。建築に触れることは市民にとって豊かな経験となり、所有者にとっても使い続けてきた矜持が社会に認められる契機となるだろう。
「建築を開く」とは、非公開部分を見せることだけを意味しない。特別展示としてその存在を発信すること、ガイドツアーで所有者の声を届け実用物としての奥深さを共有することも、その活動に含まれる。期間限定の心理的効果を活用しながらも特別公開だけを目立たせたくないのは、時間の中で育まれてきた建築の価値を、より多くの人と分かち合いたいからにほかならない。
建築を問い直す
東京建築祭は、建築という概念を社会に広げようとしているが、それは建築を深めることと同義である。所有者、利用者、鑑賞者、あるいは不動産やメンテナンスに携わる立場など、古典的な工学ないし芸術学の枠組みを超えた多彩な担い手を引き入れなければ、建築が何であり、何に使えるかを問い、深めることはできないと考えるからだ。建築は現在の使用価値だけに属するものでもなければ、永遠の美的価値だけに軸足を置くものでもない。過去から現在へと続く歴史を想起させ、他者とともにある共同性へと人を誘う。建築にはそのような働きがある。
だからこそ、東京建築祭の本義は、歴史的建築を定義したり、理解させたりする営みでも、公開すること自体に完結する催しでもない。人と建築との関わりを通じて、建築を「歴史的なもの」へと更新し続けることである。
この催しが、それぞれの建築体験から出発し、建築を問い直し、社会と建築との関係を豊かにする一助となることを願っている。物事を歴史的に捉えることは、浅慮を退け、世の中を良くするという以上に、純粋に楽しい。その喜びこそが、東京建築祭の根にある。
注
*1 倉方俊輔「全国にひろがる建築祭」『東京人』493(2025年)102~105頁
*2 倉方俊輔「日本における『建築祭』の展開とその意義──イケフェス大阪、京都モダン建築祭、東京建築祭を事例に」『都市住宅学』128(2026年)14~20頁
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。