慶應義塾

【特集:一貫教育確立125年】座談会:「同一の中の多様」が育む豊かな教育とは

登場者プロフィール

  • 那須 規子(なす のりこ)

    その他 : 株式会社国際協力銀行常勤監査役法学部 卒業

    塾員(1990法)。女子高等学校から慶應義塾で学ぶ。1990年日本輸出入銀行(現在の㈱国際協力銀行)入行。2010~14年ニューヨーク首席駐在員、17年執行役員を経て、22年より現職。

    那須 規子(なす のりこ)

    その他 : 株式会社国際協力銀行常勤監査役法学部 卒業

    塾員(1990法)。女子高等学校から慶應義塾で学ぶ。1990年日本輸出入銀行(現在の㈱国際協力銀行)入行。2010~14年ニューヨーク首席駐在員、17年執行役員を経て、22年より現職。

  • 斎藤 慶典(さいとう よしみち)

    その他 : 名誉教授

    塾員(1980文、87文博)。博士(哲学)。中等部から慶應義塾で学ぶ。助教授を経て2001年より本塾大学文学部教授。07~12年本塾中等部長を務める。23年より名誉教授。専門は哲学。

    斎藤 慶典(さいとう よしみち)

    その他 : 名誉教授

    塾員(1980文、87文博)。博士(哲学)。中等部から慶應義塾で学ぶ。助教授を経て2001年より本塾大学文学部教授。07~12年本塾中等部長を務める。23年より名誉教授。専門は哲学。

  • 牛場 潤一(うしば じゅんいち)

    理工学部 教授

    塾員(2001理工、04理工博)。博士(工学)。幼稚舎から慶應義塾で学ぶ。専任講師、准教授を経て、2022年より現職。専門は神経科学、医用工学。

    牛場 潤一(うしば じゅんいち)

    理工学部 教授

    塾員(2001理工、04理工博)。博士(工学)。幼稚舎から慶應義塾で学ぶ。専任講師、准教授を経て、2022年より現職。専門は神経科学、医用工学。

  • 河野 文彦(こうの ふみひこ)

    一貫教育校 志木高等学校教諭

    塾員(1987法、89文、96文修)。中等部から慶應義塾で学ぶ。1993年本塾志木高等学校教諭。2009~13年主事。2000年本塾ニューヨーク学院教諭を経て、15~19年同学院長を務める。

    河野 文彦(こうの ふみひこ)

    一貫教育校 志木高等学校教諭

    塾員(1987法、89文、96文修)。中等部から慶應義塾で学ぶ。1993年本塾志木高等学校教諭。2009~13年主事。2000年本塾ニューヨーク学院教諭を経て、15~19年同学院長を務める。

  • 山内 慶太(司会)(やまうち けいた)

    その他 : 常任理事(一貫教育校担当)

    塾員(1991医)。博士(医学)。2005年より本塾大学看護医療学部・大学院健康マネジメント研究科教授。2008年から本塾横浜初等部開設準備室長を経て2013~15年横浜初等部長。21年より本塾常任理事。

    山内 慶太(司会)(やまうち けいた)

    その他 : 常任理事(一貫教育校担当)

    塾員(1991医)。博士(医学)。2005年より本塾大学看護医療学部・大学院健康マネジメント研究科教授。2008年から本塾横浜初等部開設準備室長を経て2013~15年横浜初等部長。21年より本塾常任理事。

2023/10/05

慶應義塾との出会い

山内

今年は今に至る慶應義塾の一貫教育の仕組みが確立して125年という年になります。しかし、慶應義塾は草創の時から幅広い年代の塾生が混然一体となって学んでいて、その後、年齢に応じた仕組みを徐々に整えていったという経緯もあります。

創立以来の慶應義塾の歴史そのものが一貫教育の歴史ではありますが、今日は一貫教育の特色や意義について、それぞれの経験の中で考えてきたことを出し合って、確認したいと思います。

今日お集まりの方々は、一貫教育の課程のどの段階から入ったかもそれぞれですので、ご自身にとっての慶應義塾との出会いからお話しいただければと思います。

牛場

慶應との出会いは幼稚舎からになります。幼稚舎では、ケヤキの下や自尊館の裏を駆け回りながら育って、5年からはラグビー部に入って、夏休みの合宿では立科山荘で楕円のボールを追いかけました。

その後、普通部に行きました。私の普通部卒業時が湘南藤沢中・高等部の創立3年目で中学からの進学者がまだおらず、普通部や中等部から大勢入れる最後の年でした。当時、コンピュータと英語がすごく進んでいるというので、湘南藤沢高等部に行きました。

大学の進路はずいぶん迷いましたが、理工学部に進み、そのまま教員をやっています。

山内

中学段階から加わった方が斎藤さんと河野さんです。

斎藤

私の場合、中等部からということになります。それから塾高、大学の文学部、大学院文学研究科へ進みました。その後はいったん外へ出て8年ほど別の大学に勤め、それから、今から27年前、文学部の哲学専攻に戻り、今年の3月で定年を迎えました。

それとは別に、2つほど別の形でご縁がありました。1つは、大学学部の後半から大学院にかけての頃、中等部のクラブ活動の1つである器楽部の指導を任されたことです。都合8年ぐらい、コーチという資格で音楽のクラブを指導しました。

さらに、2007年から12年までの5年間、思いもかけず中等部長を務めさせていただきました。

河野

私は中等部に入学し、すぐ柔道部に入りました。実家が古くから柔術・柔道の道場を経営しており、将来は後を継ぐつもりでした。しかし、慶應から受けたカルチャーショックで、その考えがガラッと変わります。中学生になって初めて「自由」という言葉を知ったかのようでした。それまで躾が厳しかった家の生活が一挙に変わりました。

中等部3年間、その後、塾高でも柔道をやり、大学は法律学科に進みましたが、体育会で柔道を続け、学業のほうは留守がちでした。

大学柔道部での4年間が終わり、柔道ばかりでこれはちょっとまずい、今度は学業に専念しようと腹を決めて文学部中国文学専攻へ、そして大学院は国文学専攻に進みました。そのような中で、志木高に縁ができて大学院生のまま就職し、「半学半教」という慶應の特色に触れ、大変楽しく有意義な教師生活を始めました。

2000年から04年まで国語科教員としてニューヨーク学院に赴任しました。ちょうど10周年を迎えた学院の現場に立った時に初めて教育の原点と向き合ったような気がしました。親元を離れて寮生活をする生徒たちと昼夜、また教室の内外を問わず、ともに学び合う。まさに発育の現場でした。大いに影響を受け、鍛え直されました。

その後、志木高に戻りましたが、再び渡米し2015年から19年までニューヨーク学院長を務め、今はまた志木高に帰ってきております。

山内

高校から加わったのが那須さんです。

那須

私は慶應女子高から慶應というものに初めて触れ、その後は家族ぐるみで慶應が好きになりました。野球が好きだったこともあり、女子高ではソフトボール部で部活動に励みました。また、生徒会活動にも参加して生徒会長などを務めた経験もあります。

高校時代には留学というチャンスをもらいました。大学は法学部法律学科に進みましたが、ここでも塾の交換留学で留学させていただきました。お蔭で海外への関心が強くなり、海外と接点のある日本輸出入銀行、今の国際協力銀行に就職することになりました。

就職後は海外業務を続け、30年を超えました。パリのOECDに出向したり、2010年から14年はニューヨークに駐在して首席駐在員を務め、この時にはニューヨーク学院にかかわる機会を得ました。どこに行っても慶應を忘れることのない人生です。

「さん」づけの伝統

山内

河野さんは「カルチャーショック」とお話になりましたが、具体的にはどんなことでしたか。

河野

まず、中等部では伝統的に先生を「さん」づけで呼びなさいと言われます。教室には教壇がなく、先生は生徒と同じ目線で語ります。それがショックでした。また、中等部は校則がないと言われています。中等部生らしい行動をしなさい、と言うだけでした。お金も自分で管理しなさい、と言われたのも中学1年生にとっては大きなカルチャーショックでした。

山内

斎藤さんはいかがでしたか。

斎藤

私も中等部で慶應に入ってある種のカルチャーショック、こんなに違う世界があるのかとびっくりしました。中等部のどこが違っていたのか、私なりに整理してみますと、1つは生徒が先生を「さん」づけで呼ぶという習慣。これは本当に徹底していて、皆、例外なく先生を「さん」づけで呼びます。

慶應義塾は、もともと福澤先生以外は全部「君」で呼んでいたということがあります。中等部長の時、生徒に話したのですが、福澤の本意は、別に自分だけが先生と呼ばれたかったわけではない。自分も含めて全員が、学ぶということでは等しい立場にある。だから、なにも「先生」とことさらにつける必要はないという精神だと思います。

中等部の創設に大きくかかわられたのが、国文学者の池田彌三郎さんです。その彌三郎さんが自分なりに理解した慶應の塾風を、戦後新しく発足した中等部で生かすにあたって、お互いを「さん」づけで呼び合うという方針を徹底されたのではないか。

これはどういう狙いがあるかと言えば、ただ平等というだけでなく、教員が生徒を子ども扱いしないということだと思うのです。生徒は子どもだけど独立した人格の持ち主。この点で生徒も教員も一緒であって、その発展上に個人の自主性がある。そのようにして、1人ひとりを独立した人間として見てくれているということだと思います。

子どもはそのようなところに敏感なので、自分がそう扱われていると思うと、ちゃんとしなければ、と背筋が伸びるようなところがある。お互いが人間として同格で信頼でつながっているのであって、上下関係でつながっているのではないし、教える立場と教えられる立場でつながっているのでもない。このような考え方なのかと思います。

もう1つは「自由」ということです。河野さんが言われたように中等部は校則がないことになっています。申し合わせ事項みたいなものはありますが、そうしなければならないのではなく、場合によってはどうしてそうなのかと聞いたり、変えることもできるような非常に緩い扱いでした。

また、自由というのは、すごく難しいものです。自由だから何でも勝手にやりたいことをやっていいわけではなく、同時に自分のことに責任を持つことでもある。では、何をやってよくて、何をやってはいけないのかをどこで、どうやって決めるのか。それはまず本人が考えないといけない。考えた上で自分なりに行動や言葉で表してみる。すると、本人は自由だと思っていても、それは単なる手前勝手だ、と言われてしまうこともあります。

私は中等部の生徒によく話しましたが、われわれは喉が渇けば水を飲むし、おなかがすいたらご飯を食べる。これも自分の自由だと思いがちです。しかし、これは全然自由ではない。喉が渇いたら水を飲むのは、生き物として生きていくためにそうしなければいけないので、本能が水を飲めと命じているわけです。これは、本能によってそうさせられているという状態で、自由ではありません。

それだけではなく、われわれは社会生活を営む中で、自分が好きにやっていると思っていても、実は何かによってそうさせられている、ということは多くあります。巧妙なコマーシャルによって誘導されていることもあります。

すると、「自分は本当に自由なのか」ということが常に問われるべきで、最初から自由である、などということはないんですね。中学生であっても中学生なりに試行錯誤していく中で、自由とは人間にとってとても大事なことらしいけれど、同時にすごく難しいことなんだと、自分自身、朧げに感じたことをよく覚えています。

山内

子どもの頃から独立した個人として尊重されるということは、私も確かにそうだと思います。私自身も幼稚舎生の頃、担任の先生から呼び捨てで呼ばれたことは一度もありませんでした。みな、「君」づけ、「さん」づけで呼ばれ、常に丁寧な言葉で話されていました。また、授業の時の先生方の服装も、ネクタイにスーツ姿が当たり前でした。

「自由」については、これは中等部だけではなく慶應義塾のキーワードだと思うのです。幼稚舎時代は、自由の意味を考える機会は多く、福澤先生の「自由は不自由の中に在り」という言葉を使いながら先生が話して下さりました。あるいは、当時は、幼稚舎でも普通部でも、池田潔さんの『自由と規律』の一節をいろいろな先生が読んで下さりました。先生方にとっても、自由をどう捉え、どう伝えるかというのは常に大切な課題だったのだと思います。

女子高時代のカルチャーショック

山内

那須さんが女子高に入った時にはどんなことを感じましたか。

那須

私のカルチャーショックは2つの方面から来たように思います。1つは幼稚舎や中等部を経て上がってきた同級生たちです。女子高の入学生の過半数は外部からなので本来はマイノリティーのはずですが、入学式が終わってクラスに入った瞬間から圧倒的なオーラを出していました。

下から来た同級生たちは、これまで慶應の塾風を家族からも先生からも学んできていると思います。私の隣はたまたま幼稚舎からの内部生が座ったのですが、とても自然に声をかけてくれた。私はこれで一気に学校に馴染むことができました。それ以来ずっと彼女たちの持っている塾風のようなものを私も吸収してきたように思います。

もう1つのカルチャーショックは先生方です。今、お話があったように、先生方が生徒個人を子ども扱いせず、生徒と向き合い、1人ひとりの個性を見て丁寧に対応してくれた。これが驚きでもあり、有り難いことでした。

女子高では相手の生き方を互いに尊重するという考え方が養われてきたと私は思っています。何に打ち込んでいるのか、どういう人間なのかを学び、多様性を認めて、お互いをリスペクトできるのがいいところではないかと思っています。素晴らしい成果があった時は、心から賞賛するし、難しい挑戦をしている人には皆で応援するという文化がありました。

これは女子高に入った時に感じた新鮮なことでした。そのことを誰に教えてもらうわけではなく、先生方からの影響や、内部からの人たちがそのように育ってきたものを、お互いに重ね合わせたり、ぶつけたりした結果、相手のことを正当に尊重できるような関係ができたと思います。先生も試験の結果で優劣をあまり語りませんでしたし、私たちもそれがすごいという発想にならなかった。1人ひとりの人となりをお互いに見ながら関係性をつくっていったからだと思います。

これに関連して、私が生徒会長の時に作成したオリエンテーションの冊子の「先生方よりひとこと」のページに社会科の安川国雄先生が寄せて下さった言葉がとても印象的ですのでご紹介します。「この学校はあいにくなことに、入るのが大変難しい学校になってしまいました。しかし私たちは、そんなことを看板にしたくありません。諸君もまさか、それを以て誇りとするようなことはないでしょうね」。

こういうところが私にとって一番有り難く、大事に思っていた部分です。

内部進学生が受けたカルチャーショック

山内

牛場さんは幼稚舎から進学される中で、いろいろな段階で新たな仲間が加わる面白さがあったかと思います。

牛場

幼稚舎から上がった私にとってもカルチャーショックはすごくありました。普通部に受験で入ってきた子たちは特に数学など、どうやったらあのレベルになるのだろうと思うくらいできる。この人たちは本当に同じ学年だろうかとショックを受けました。

受験勉強をきちんとしてきたので自己管理能力が高く、何となく過ごしてきた僕から見たら、すごく立派な大人が同級生になってしまったように思ったのです。自分もちゃんとやらねばと焦りました。そのようなショックは各段階の学校に上がるたびにありました。湘南藤沢高等部に入った時は帰国子女の人がとても多く、休み時間、英語でペラペラしゃべっている。また、価値観も欧米的な雰囲気で、全然違うカルチャーに驚かされました。

振り返ってみて、すごくいいショックをたくさんもらったと思っています。慶應の良さは、各段階で過半数が外部から入ってくることで、お互いにカルチャーショックを受けるところにあるのではないでしょうか。その中で1つのコミュニティをつくろうとお互いの違いを包摂し合ってワンチームになっていく。そのプロセスそのものが慶應の多様な、皆を受け止める素地になっているのではないかと思います。ここが僕の慶應の一番好きなところです。

山内

志木高は受験で入ってくる生徒が多いとはいえ塾内進学者もいます。河野さんは、この混じり合う部分をご覧になっていてお感じになるところはありますか。

河野

そこは教員としても一貫教育の醍醐味であると感じている部分で、われわれ教員も生徒たちから学んでいるところです。

塾内進学者の中には学業はそれほどでもないかもしれないが、スポーツ、友人関係等、学業以外の生活面に関しては、高校から入った生徒たちが塾内進学者に頼って学んでいるところがある。互いに学び合い、持ちつ持たれつ、卒業の時にはなかなか得難い信頼関係を構築しているのが現状です。

斎藤

一貫教育校は各段階で必ず新しい血が入ります。結果として、これがとてもいいのではないかと思うのです。

外から入った子から見れば、中の子たちの存在感に圧倒されることがあるかと思いますが、逆に中から上がった子から見ると、入学試験を突破した学力で言えば外から来た子たちのほうが圧倒的に高い。子どもたち同士はお互いに、自分と違うものを持った人がいることにびっくりするわけです。友人同士のリスペクトも、各段階で新しい血が混じることでより生まれやすくなっているような気がします。

外から入った生徒は、内部から来た人たちの、もともと持っている、試験では測れない才能に驚かされることがあります。これはちょっと勉強したから身につくというものではない。そういう才能に驚かされた経験が、私自身にもあります。そのように相手の才能や能力に対する敬意が自然に生まれてくる環境だった気がします。

「同一の中の多様」

山内

同じ慶應といっても学校ごとにそれぞれに個性もあります。各学校間で共通する部分と個性についてはどのように見ていらっしゃいますか。

河野

これについては「同一の中の多様」という言葉が浮かびます。どの学校も慶應のDNAを受け継いでいるといった誇り、自負に近いものを持っています。他方で、どの学校にもそれぞれの建学の精神というものがあり、それがその学校の個性になっているのだと思います。

例えば志木高は前身が農業高校で、いまだに文化祭は「収穫祭」、その始めには収穫式を行います。これは、全志木高生の見守る中で収穫祭実行委員長がキャンパスに実った柿をもいできて食べるという儀式です。こういうことは志木高生のアイデンティティーをつくっていると思います。

一方、ニューヨーク学院は文化が全く違います。学院では「先生には尊称をつけなさい、つけないことは先生に対してディスリスペクトな行為です。よく注意しなさい」と指導が行われます。

学院には、世界各地から様々な文化的背景を持った生徒がやってきます。生徒は、服装・食事・生活習慣など千差万別です。1万円札の肖像画を知らなかった生徒もいます。学習面ではレベル別の授業で対応しています。日本と違って学問的背景が異なる生徒を教えるのは根気のいることですが、こちらも文化的背景が様々な教員がよく生徒に付き合います。

新入生は、入学式前に入寮し、学院におけるマナーと学習方法を身につけます。その中にケイオウフィロソフィ&カルチャーというレクチャーがありました。彼らは、真の国際人であった福澤先生の生涯とその考え方を参考にして、異文化との付き合い方を学ぶのです。こうした学院生活に根差した福澤精神は多種多様な機会において応用され、文化の差を超えて学院生の心の拠り所となっています。

学院生が他の一貫教育校と全く違うのは、90%以上が寮生活をしていることで、寮生活の中で寝食を共にするところから発する、ルールを超え本音をぶつけ合う強靱な関係がルームメイトや教員との間にできあがります。本当に親しくなると互いにファーストネームで呼び合うようになり、尊称をつけなくてはならないなどということは乗り越え、寮生活に裏づけされた信頼関係の構築がなされるのです。

山内

以前、ニューヨーク学院を訪ねた時に、福澤研究会の活動に参加したことがあります。『学問のすゝめ』を輪読していたのですが、学院生達は様々な年代でアメリカに移って来た時の異文化体験等をもとに、「独立」を語り合っていました。国内の学校では余り聞けない議論の展開に、学院の貴重さを強く実感したことを思い出します。

牛場

私の場合、幼稚舎から普通部に上がる時に中等部か普通部かという選択があり、普通部に行きました。同級生が何人か中等部に行きましたが、彼らは都会のなかで男女共学で過ごしているので、高校で再会した時には、ずいぶんあか抜けた感じになっている気がしました。

高校は大勢が塾高に行きましたが、私はSFCに行って皆から離れ、大学で日吉に戻ってきて同級生に再会すると、風体も大人っぽくなって変わっていて、お互いに驚くわけです。

しかし、違う一貫教育校のカルチャーを身にまとって何となく雰囲気が違う感じはあるけれど、通底して慶應ボーイ、慶應ガールっぽいところがある。これは何かと考えると、先ほどからあるように、自分のことを人として見てくれている、人としての面白さに興味を持って会話をしてくれる、という姿勢が皆に共通していることに気付かされます。これが気持ちいいわけです。

一貫教育校の中で過ごしていると、「こいつ、すげえな」と思わず嘆息してしまうような、一芸に秀でた友達の存在や成長を目の当たりにして、僕は将来何になりたいのだろうと、はたと考えを巡らす瞬間がある。

そうした時に、「人としての面白さに興味を持ってくれる」仲間の存在によって、自分が大切にしたい人間らしさや生きることの豊かさとは何なのか、子どもなりの感性で考え始め、それを追求し始める子も多い。一見するとマニアック、ニッチなものでも、真剣に掘り下げて取り組んでいる様子を周りが認め、面白がるから、本人も気にせず打ち込める。

一貫教育校で学ぶ子たちは、このように共鳴しあいながら、人間らしさや豊かさを無意識に追いかけあっているように感じます。次第に人としての姿勢が似てくるというか。だから、久々に会ってもいつも同じ学舎に学ぶ仲間だなという感じがする。そこが安心感だったり、1つの仲間だという感覚につながっているのだと思います。

那須

私は自分が留学して外に出た時期がありましたので、離ればなれになっていた同級生が結構多いのです。でも、社会人になって会うと、一瞬で女子高時代に戻ってしまいます。

お互いに何の余計な説明もなく、すっと戻れる感じです。これは一緒に時間を過ごしてきて、価値観を共有している結果かと思います。今、コロナを機に女子高の時の友達と毎月、オンライン飲み会をやっていて、楽しくて、やめられなくなっています(笑)。

大学に進学してからは、留学で学年がずれたこともあり、友人の数では、大学から入学してきた友人の方が圧倒的に多くなりました。初めは、私が女子高に入った時と同じように、外部からの友人達からは、内部生というと特別な目で見られたことも確かですが、授業やサークル活動などを通じて、内部生といってもステレオタイプばかりではないとわかってもらえるようになり、早慶戦の応援などを通じて、自然と慶應に愛着を感じてもらえるようになっていったのを見て、嬉しく感じたことを思い出します。

共通の基盤を持つ安心感

山内

「同一の中の多様」というのは、各校は、共通する価値感があり、それに加えて歴史的な経緯によってそれぞれの時期にその時の問題意識と理想をもって創られたことから生じている。

生徒1人ひとりは、個性のある各学校の中で、しかし同時に「自由」を大切にする環境の中で自分の個性を育みます。そして中学、高校、大学と進学する各段階で、受験での入学者も含めて混じり合っていきます。そこで、先ほどカルチャーショックという話がありましたが、言わば化学反応が起こっていく、その機会を大切に思います。

その意味でも各校の個性は大切ですし、それぞれの学校で今も大事にされています。

斎藤

塾内各校の個性の違いはどこに由来するかというと、おっしゃたように、それぞれの学校の出自にかかわる部分が多いと思います。様々な歴史的な経緯が、その学校の個性を形づくっています。それぞれの学校がその意味ではいいライバルだと思います。

私はたまたま中等部に入りました。当時、慶應のもう1つの中学校だった普通部は長い伝統を背負い、慶應の中学と言えば普通部と言われていた。だから、同じ中学だけど、中等部のおまえに何ができるんだという目で見られ、だからこそ「見せてやるぞ」というようなライバル心が生じた。事あるごとに、スポーツでも中等部と普通部がいろいろな対抗戦をやりますが、お互いにライバルとして高め合ういいチャンスだったと思います。

基本的に慶應義塾全体が福澤に由来する「天は人の上に人を造らず」と言われる意味での平等と、個人の独立という意味での自由。この2つが基盤にあるということは、各学校一緒です。そのような共通の基盤を持っていることの安心感が、社会に出て同じ慶應義塾で学んだ人と出会った時、この人とは安心して話ができるという感じになるのではと思います。社会人になって初めて会った人同士でも、お互いに義塾出身だと知った途端に急に親しくなってしまうようなところがありますね。

そのような共通の基盤は一貫教育校だけではなく大学にまで共通する福澤精神で、互いの間のリスペクトという意味での自由・平等・友情といった関係が育まれているのではないかと思います。

課外活動が持つ役割

山内

共通の基盤の中でお互いにリスペクトするような人間関係をいつの間にか持てるようになるという意味では、学校の授業だけではなく、部活動や生徒会など、授業以外の部分が大きな役割を果たしているように思います。

河野さんはずっと柔道をされてきましたが、部活動を通じた人間関係についてお感じになることはありますか。

河野

体育会では、互いに本音でなければ話せない。寝食も一緒ですので隠しようがない。そういった付き合いの中で、裸になったら一緒じゃないかという気持ちが、最も大切なものの1つでした。そこに至るまでの時間が長い人もいれば、短い人もいますが、体育会における一番の教育はそこで、この濃密な人間関係を通じて心身ともに鍛えられるのでしょうね。

山内

斎藤さんは音楽をずっとなさってきて、高校、大学とワグネルで活動されました。高校時代は女子高や志木高も一緒に活動していく面白さをお感じになられたのではと思いますが。

斎藤

おっしゃる通り、塾内の他の学校と一緒になる機会がクラブ活動では非常に多いのも、慶應の一貫教育の恵まれたところだと思います。

違う個性の学校に入って学んでいる生徒とクラブ活動で一緒になると、同じ学校にいる仲間から受けるのとは違う刺激を受けることは確かにあります。私の場合、普通部の友人たちに中等部の私から見て、音楽的にものすごい才能のある人が何人もいることを発見して、太刀打ちできない、すごいなと驚嘆したことをよく覚えています。

山内

那須さんは生徒会長をされていて、女子高時代、学校を超えた活動はいかがでしたか。

那須

生徒会同士で横につながりました。志木高や塾高の会長と意見交換会をしたり、お互いの文化祭にお手伝いに行くことが楽しくて。相手の学校のことがよくわかるんです。その時に仲良くなったお蔭で卒後何十年経っても、連合三田会の当番年には当時のメンバーで集まって活動しています。

縦糸のネットワークと包摂性

山内

一貫教育校では、早い段階から大学の専門的な学問に触れる機会もあります。牛場さん、いかがでしょうか。

牛場

私は慶應の縦糸のネットワークにすごく影響を受けて、自分の今の仕事につながることをたくさん教えてもらったと思っています。

幼稚舎の時、まだパソコンが一家に一台もない時代に、先生がパソコンを4台も5台も教員室の横の空き部屋に置いてくれました。そして、その先生が塾の理工学部卒だったご縁で、理工学部の研究室の大学院生が、毎週水曜日の放課後、2、3人ずつその部屋に来て教室を開いてくれたのです。

友達に誘われ、恐る恐るその部屋に通っていたのですが、ある時、その大学院生に「何の研究をしているんですか?」と聞いたら、「会話をして頭がどんどんよくなるAIの研究をしているんだ」と言われてびっくり仰天。「研究を見せて下さい」と言ったら、翌週プログラムを入れたフロッピーディスクを持ってきてくれて、なぞなぞをやってどんどん賢くなるAIを見せてくれました。

大学院生ってこんなふうに世の中を変えるものを作ることができるんだ、とショックを受けました。それで僕はコンピュータをやりたい、AIをやりたいと親に頼んで、パソコンを買ってもらって、それが今の研究につながっているわけです。

SFC高等部の時も、隣の大学のキャンパスの授業に背伸びして潜り込んだら、たまたまゲストが坂本龍一さんの講演会だった。高校生も入れてくれるおおらかさもあって、大学のいろいろなところを背伸びして覗いてみることができ、すごく刺激を受けました。

これは学校の授業だけではわからないことで、憧れの「すごい人」が目の前にいる、同じ空気を吸っている、触れ合える、という経験ができたことはよかったです。大人になった今、今度は自分がそういう体験を生徒たちに与えられる存在になりたい、今、何ができるだろうかと考えるきっかけになりました。縦の絆の中でたくさんの豊かな経験をする機会があったことに感謝しています。

山内

私自身を振り返っても、大学に出入りする機会が早くからありました。

普通部の労作展では、私は図学、コンピュータグラフィクスをやっていましたが、普通部の先生が紹介して下さって工学部機械工学科の佐藤豪先生に助言を頂いたり、あるいは日吉の情報科学研究所に通って、大学院生たちに混じって連日夜中まで大型計算機を回し続けることもさせてもらいました。

また、高校からは福澤研究センターや福澤諭吉協会で三田の教職員の方々に随分お世話になりました。

先生方は同じ学校だけではなく、各学校や大学の各学部の先生とも信頼関係、つながりがあって、この生徒にはこういう先生に触れさせるのがよいのでは、と紹介して下さったのだと思います。

牛場

スポーツも、音楽も、学術も、多感な思春期の頃から様々な人と触れ合える機会が自然とある。若ければ若いほど、文理の垣根も、年代の垣根もない。やりたいという子に「おいで」と言ってくれる包容さもある。今、多様性や包摂という問題について、社会の皆が頭を悩ませていますが、大きなヒントが慶應の一貫校の伝統の中にたくさんあるような気がします。

人として認め合う。人はどこから仲間になっても仲間だと認める。このことは別に慶應の中に限らず重要なことであるはずです。誰であってもそのビジョンに共感したら一緒にやろう、と包摂していくことはとても大事です。

慶應の閉鎖性みたいなことが言われがちですが、そんなことは全くない。いろいろな人を無限の縁で全部包摂していけるようなメンタリティー、価値観を自然と育くむ装置が慶應義塾の一貫教育だったのではないかと思っています。

那須

女子高ですと、学内でそれぞれ専門性の高い先生方が普通の担任をやって下さったり、校長先生として来て下さったりしています。若い時に専門性の高い先生方の指導を受けられることはすごくよいことでした。

興味のあることについて専門知識をお持ちの先生方に質問したり、語り合ったりすることができました。高校時代からそのようなことができたのは非常に恵まれた環境だと思います。

牛場

プロフェッショナルな方が本当に多いですよね。普通部の音楽の教室に行ったら、苦悩に歪む真剣な顔で譜面に音符を1人書き殴り続ける音楽の先生の姿を見てびっくりしたり。本気でクリエーションをしているプロの姿を見てものすごいショックで、印象に残っています。

女子高で得られたもの

那須

女子高は一貫教育校の中で唯一の女性だけの学校ですが、それによって得られるものは非常に大きいと感じます。あの年ごろは異性の目を一番意識する年頃ですが、異性の目や既成概念、役割意識みたいなものを全く考えずに、1人の人間としてやるべきことをやり、難しいプロジェクトに取り組み、文化祭の大きな演し物(だしもの)のために力仕事も自分たちでやる。

これを一式全部こなして卒業すると精神的な自立もでき、将来的に経済的にも自立できる人間になれると思います。依存しないで生きていくことをこの3年間でたたき込まれることが、他の学校にはない特色だと思います。

山内

女子高出身者には様々な分野で面白い活動をしている人が多くいます。那須さんは男女雇用機会均等法ができて最初の世代で、比較的塾員の少ない組織に入り、海外でも仕事をされてきましたが、仕事の中で女子高時代に得たものを感じることはありますか。

那須

相手を大事にしながら仕事をするという基本の精神は変わりません。社会に出てからあまり順調でないこともありましたが、相手を大事にする、尊重するという気持ちであれば、業務上もわかり合えると思っています。また、他人からの評価に頼らず、自分は自分であるという信念や自己肯定感を女子高時代に培いましたが、このことは、仕事で難しい課題に立ち向かうときに、ぶれることなく頑張れるという点で非常に役立っています。

それから、女子高時代に得たものというわけではありませんが、仕事で出会う方々が、慶應出身者ということだけで、一定の価値観が共有され、信頼感が一気に醸成されて、距離が縮まる経験を何度もしており、ネットワークの広がりにはとても感謝しています。

また、少しお役に立てたかなと思うのは、ニューヨーク駐在時代に、ニューヨーク学院の高校生たちが大学の学部を選ぶ際の参考にしてもらうために、ニューヨークにいる塾員数名が呼ばれて、生徒の前でお話しする機会をいただきました。その時、冒頭の自己紹介で「私は女子高出身で」と言った途端、ニューヨーク学院の生徒たちは自分事として考えることができたようで、ブレイクアウトセッションでは活発な質問をいただきました。日本から離れているニューヨーク学院の生徒たちが、内部から進学した人はどのように社会で活躍できるのだろうと、漠然と抱いていた不安な気持ちに対して、何らかの参考になったのではないかと思っています。

一貫教育校の教員の特質

山内

先ほど河野さんが「半学半教」と言われましたが、一貫教育校の教員についてどう感じておられますか。

河野

教員も慶應義塾大学出身の教員、一貫教育校出身の教員もいます。大学院生が非常勤講師をやるケースもあります。また体育や音楽、美術の教員は慶應義塾ではなく専門の学校からという方も多く、多種多様です。

ただ、教員は、長らく同じ学校にいるとその学校だけの常識がいつの間にかできあがり、それだけが正しいと思い込んでしまう、場合によっては客観性が乏しくなってしまうこともあります。最近は一貫教育校間の人事交流が盛んになって様々に行き来が行われています。教員の中からも、新しい血を常に求め、互いに刺激し合い、学び合うことが必要であると感じています。

山内

一貫教育校の教員は生徒の在学中だけでなく、卒業後、例えば中学の先生であれば、生徒が高校生になっている段階、大学生の姿、社会人になってからの姿と、かなり長い時間、1人ひとりの生徒がどのように育っていくかを見ることができる。受験中心の学校のような目先の成果を気にしないでよいのは私たちにとって幸せなことですが、同時に長い時間軸で教育を考えることができます。これは教える側としては大変な勉強の機会になっているのではと思います。

河野

それを一番感じるのは生徒の進級や進学の検討を行う際です。その時に生徒1人ひとりその情況について、議論しますが、これはその生徒を多方面から見る最も良い機会になります。生徒の将来性を他人事ではなく自分事として捉える教員たちが披露する様々な考え方は、大変貴重なものです。生徒が小・中・高と一貫教育校を経て育つ長い間に触れ合った数多の教員たちの教育観を共有することができるからです。ここから得られる知見は、われわれ教員の活動に大きな利をもたらします。生徒が前途有為な大学生になり、やがて社会人となって世に貢献する、生徒の成長を願う教員の役目は生徒の在学中に限らないと思います。

山内

斎藤さんは大学の教員として、中等部長としてご覧になって来た中で、一貫教育校の教員にとっての大事なことは何だとお考えでしょうか。

斎藤

先ほど那須さんが、女子高の専門性の高い能力・知識をお持ちの先生と高校時代に直に話すことができたのはよかったとおっしゃいましたが、全くその通りだと思います。

子どもたちは自分が関心を持ったことに関しては知的好奇心旺盛ですし、専門性が高いことをどんどん追究したくなります。その時、それぞれの専門分野の最先端に通じている先生が身近にいるのはとてもいい刺激になります。その意味で一貫教育校の教員はそれぞれの分野の高度の専門家であるべきですし、また自分の学問も常に磨いていてほしいと思います。

山内

今までの歴史を振り返ると、各校の教員諸氏が慶應義塾の学問や文化の幅を拡げることにも貢献してきたように思います。例えば、私の幼稚舎時代の担任の桑原三郎先生は、しばしば児童文学の名作を朗読して下さりましたが、大学ではそれらの作品を取り上げて、児童文学史の講義をしていました。塾内各校の教員は、大学の専門の枠に収まらない分野に打ち込むこともできます。また、近年の大学のような業績主義に追われることもありません。そう考えると、ライフワークを時間をかけて深めることができる塾内各校の環境はもっと大切にしていかなければならないと思っています。

斎藤

慶應の一貫教育のいいところは、その意味での縦のつながりです。大学、大学院にはそれぞれの分野の最先端を研究している教員がいますので、そのような教員が何かと一貫教育校の高校や中学や小学校まで教えに来てくれるチャンスがある。これは今後もぜひ生かしていただきたいところです。

私が中等部長の時に現在の伊藤公平塾長が保護者としていらっしゃり、伊藤さんと、大学の一線の教員が中等部生に話をする講座をつくりましょう、ということになりました。中学3年生の選択授業の時間に伊藤さんをオーガナイザーに、毎回理工学部を中心とした大学の教員に自然科学の最先端の話をしてもらい、生徒と自由に意見交換する授業をしてもらいました。伊藤さん自身も量子コンピュータや量子力学の話をして下さいました。

これは子どもたちに本当にいい刺激になった。その時、伊藤さんは、原子力の問題については専門家としてあくまで中立的な立場でお話しします、と断ってお話しされましたが、授業が終わった後、中等部生がやって来て、中立の立場で話すとおっしゃったけれど、原子力のメカニズムについてこのような形で一般に向かって話すこと自体がもう中立ではないのでは? と問われてドキッとした、と言われました。

教員にとっても生徒とのやり取りを通して、ついやり過ごしていたところに改めて目を向けさせられる。お互いにとっていい刺激になるのではないかと思いました。

那須

大学のリソースを使わせていただけるという意味で、素晴らしいと思ったのは、女子高の春休みに、三田の大教室で開催された数日間のコンピュータプログラミング講座に参加させてもらったことです。大学が企画して、内部の各学校で参加したい人は誰でも参加できるというものでしたが、当時まだパソコンが珍しかった時代でしたので、今振り返っても、非常に貴重な機会をいただいたと思います。私自身はこれをきっかけとして、コンピュータに興味を持つようになり、銀行に就職した後、当時最先端だったインターネットを導入するというプロジェクトに携わることができました。

様々な年代に教える経験

山内

縦のつながりの中で、普段と違う年齢の低い生徒たちに話すのは非常に面白い、勉強の機会でもありますね。

私自身も横浜初等部長の時に初等部の1、2年生にいろいろな話をしましたが、例えば福澤先生の話をするにしても、大学生に話をするほうがよほど楽です。子どもたちには難しい言葉でごまかすことができませんので、すべてわかりやすい言葉で話さなければいけません。相当勉強しなおさないと話せないのです。逆に、どんな年齢の生徒でも、こちらが努力すればどんなに難しいことでも伝えられる。そんな理解力を子どもたちは持っていることも実感しました。

牛場さんもいろいろな世代の生徒、学生、塾生に接することがあると思いますが、いかがですか。

牛場

毎年、一貫教育校向けの夏休み研究体験というのをやっています。脳のことや、AIのこと、医療のことなどを大学院生が一生懸命教えています。

その時、彼ら一貫教育校の生徒は、同じ慶應でも行っている学校が違うし、最初は自分とは違うタイプだと思ったけれど、3日間同じ場所で同じ目的を持って先輩たちに教えてもらううちに、横のつながりも深まってすごく仲良くなった、と言うのです。

それを見て自分自身が、幼稚舎の時に大学院生のお兄ちゃんみたいになりたい、という刺激を受けたのと同じシチュエーションが目の前で繰り広げられている感覚がありました。これが、ボトムアップで生み出されている縦糸と横糸の編み目の豊かさ、ふくよかさだろうと思います。

誰から言われるわけでもなく、ルールで決まっているわけではないけれど、「やってあげたい」という無償の愛のようなファミリー感。これは一朝一夕ではできない、伝統のなせる技だと思います。そのようなところで育った自分としては、今度はそれを提供する機会をたくさん持ちたいと考えています。コロナもようやく収束しましたし、幼稚舎生のためのコンピュータ教室を今度は僕が開きたいと思っています。

「甘え」と「安心感」

斎藤

今まで、一貫教育のいいところばかり述べてきましたが、もちろん改めなければいけない面もあります。その1つは、あまりに恵まれた環境にあるので、「まあ、何とかなるだろう」とつい甘えてしまう傾向があるところです。慶應の一貫教育の中で流されていけば、大抵のことは何とかなってしまうのは事実です。その意味での甘え、緩さ、自分に対する厳しさが欠ける。よほど気をつけないと誰でもそうなりがちです。

環境に身を委ねてしまう、身を預けてしまう、流されてしまうケースがなきにしもあらず、これは事実です。教員の立場から、それでは結局、自分のためにならないということをどの段階で、どれだけ本人にわからせるか。それは試行錯誤でしたが、いろいろ考えさせられたことがありました。

那須

女子高は、とにかく「自由」でした。私が入学する前の年までは、試験監督を置かずに、定期試験が行われていました。また、日々の宿題がなく、高校3年の3学期は卒業セミナーと言って、まるで大学のようにすべての授業が選択となって、多岐にわたるテーマから自分の関心のある授業を取ることができるなど、勉強に関しても生徒の自主性を重んじていました。

ところが、カンニングをする生徒や、卒業セミナーに出席しない生徒が出てくるなど、束縛のない自由を求めるばかりで、自由に伴う責任を果たさない生徒が見られるようになったことから、自らの力で、女子高生の意識を変えていかなければいけないと危機感を感じ、生徒会が全校集会を開催したことがありました。先生に怒られたから行動を改めるのではなく、どうあるべきかを自分たちで考えて行動することが大切だと考えた結果ですが、普段あまり真面目にならない女子高生に耳を傾けてもらうのはとても大変だったことを覚えています。

山内

皆さんのお話の中で何度か「安心感」という言葉が出てきました。この安心感は実は大切だと思っています。

しかし、それは斎藤さんが言われたような甘えのほうへ流れてしまう安心感ではなく、戻る場所があるゆえに、逆に思い切ってチャレンジしていける安心感でなければなりません。そのためには、那須さんの話のように、生徒にもある種の心構えが必要です。また、かつて一貫教育を担ってきた教員諸氏がそうであったように、「自由」や「独立」の意味を若き塾生たちと共にしっかりと問い続けることが不可欠です。

那須

今まで塾員の少ない職場で仕事をしてきましたが、一貫教育校で育った安心感は勇気を与えてくれる力になっています。万が一、何かあった時にも誰かに相談できるという思いで、外でチャレンジできるような、とても心強い存在だったと思います。例えば女子高の先生に相談に行くとか仲間と話をするとか、戻れる場所があるというのは非常に心強いです。

山内

斎藤さんは甘えの問題を重要な課題としてご指摘下さいました。安心感をどのように捉えていらっしゃいますか。

斎藤

山内さんが安心感という言葉で表現されたことは、私自身の言葉だったら信頼感という言葉で表現するかなと思いました。同じ慶應義塾の教育を受けた者として、まず人間としての基本的な信頼感が生まれるということは間違いなくあると思います。

それに支えられて、那須さんのように慶應の出身者があまりいない分野へ出ていく時、いつでも帰ってこれる支えとなることもあると思います。

私が経験した中等部の場合、とりわけ外から入ってくる女子は、学業的にも才能の面でもものすごく優秀です。彼女らを見ていて、これだけ能力のある女性たちが慶應義塾にいるのだから、この能力を社会にぜひ生かしてほしいと思っています。

ただ、専業主婦として家庭に入っていかれる方も、なお多いようにも思います。社会にとっても本人にとっても、これは本当にもったいない。那須さんは世界へ出ていかれましたが、もっとたくさんの人が出ていってほしい。これは一貫教育校出身者だけでなく、現役の女子学生の皆さん全員に改めて望みたいところです。

慶應出身者があまりいない分野にも、もっと出ていってほしい。例えば政治の分野などもそうです。女性の政治家が安心感を持って活躍する。背後に慶應義塾という信頼できる支えを持ちつつ、外へ出ていく女性に期待します。私たちも全力でバックアップしなければいけない。

牛場

間違えた時には叱ってくれる、手を差しのべてもらえる、という安心感があるからこそ、思い切って飛び出せるわけですよね。そのことを皆がもっと自覚したらいいと思います。斎藤さんがおっしゃったように、その恩恵に気づかず、ぬるま湯でエスカレーターで行けると思ってしまう子がいるのも事実です。それにどれだけ早くから目を開かせるような体験を提供していけるかは大きな問題だと思います。

今、留学も含めて、グローバルな活動が多くなっていますが、これはもっとやるのがよいと思います。それから、慶應は総じて、地方への理解については鈍い部分もある。障害の問題もそうです。そのようなことについて学んでいく体験はまだ足りていないと思っています。

さらに経済的な格差の問題。今、大学でも、勉強したいという学生がご家庭の経済的な困窮で休学を繰り返して、辞めてしまうことがあります。一貫教育校の人は総じて恵まれている家庭の方が多いから、そのようなことに対する感度が低いようにも思います。私自身も感度をしっかり上げ、こうした問題に取り組みたいと思っています。

先ほど言いましたように、慶應というのは閉鎖的ではなく、本来はいろいろなカルチャーやバックグラウンドの人を理解して、努力している人を認め、自分の仲間だといって支えていく開放性や包摂性の伝統があるはずです。その力をもっと使い、様々な問題をより自分事にして、もう一段厚みのある義塾になれればいいなと感じています。

より多様な交流・連携を

山内

将来に向けて慶應義塾の一貫教育として大切にしたいこと、あるいは課題などがあればお話しいただきたいと思います。

河野

私は一貫教育校同士の交流の機会がますます増えることを期待しています。高校と大学の授業等での連携もそうですが、高校間でも、今やリモート授業もできますので授業交換等の可能性を広げることができるのではないか。例えば、一貫教育校の5つの高校の生徒たちがある時間を共有する。志木高や塾高や女子高はその瞬間は共学にもなるわけです。生徒たちは精神的に高揚して授業を受けるといった楽しみもあるかと思います。また、中学・高校間での連携が盛んになれば、中学の生徒たちもより大きな目的意識を持つことができて、より意義のある進学ができるのではないかと考えます。

留学について言えば、欧米と日本は学期が始まる時期がずれているので学年をまたぐ場合がある。その場合、卒業年次をまたいでも一貫教育校では進学もできるということにできないでしょうか。このままどの学校も学年制だけをやっていてよいのか。単位制も導入して、自由に海外と交流できる機会を増やしていくことも考えていいのではないかとも思うのです。

もう1つ、日々生徒と対話していると家庭教育の重要性を感じることがあります。生徒はまだ家に縛られている。これはもしかすると斎藤さんのおっしゃっている甘えとつながるのではないか。生徒が大学の希望学部を自主的に決める際に、親の意見は、もしかすると家でのみ通用するものではないのかと目覚める時があります。その時に生徒は独立へ向かうのだと感じます。

山内

福澤先生自身が独立の気力ある個人を育てるには、まず家庭が重要だと言われました。そして日本全体の家庭教育の向上のためにも尽力しました。慶應義塾としても家庭に対してメッセージをどう出していくかは、大きなテーマではないかと思っています。

那須

慶應のよさをオール慶應に浸透させ、これが脈々と続き、また各家庭にもそれが伝播していくのが理想の姿だと思います。大学から入った人たちにいかに慶應の塾風になじんでもらい、またサポーターになってもらえるかが大事だと思っています。

斎藤

一貫教育の下になればなるほど、学業成績に関わる勉強とは違う経験ができる機会に恵まれていると思います。この経験がその人の懐を作ります。一貫教育は懐の深い人間を育てるのに適したシステムだと思っています。

山内

慶應義塾が今日に至る一貫教育の形を確立した125年前に福澤先生は、「学事改良の要領」という文章の中で、その課程の中で、「一種の気風を感受すべし」と言っています。そしてその塾風を解剖すれば、独立自由の精神と、もう1つが実際的精神、実学の精神からなるのだと語っています。

先生が、「感受すべし」と語った一種の気風とは何かということを問い続け、それに今日的な意味を常に見いだしていくことが、幼稚舎・横浜初等部から大学に至る慶應義塾の一貫教育を生き生きとしたものとして、これからもさらに発展させていくために大切だと思います。

その気風とは何かということを今日の座談会の中で考えることができたのではないかと思います。本日はどうも有り難うございました。

(2023年8月28日、三田キャンパスにて一部オンラインを交えて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。