登場者プロフィール
川島 真(かわしま しん)
東京大学大学院総合文化研究科教授1997年東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学。博士(文学)。2015年より現職。専門はアジア政治外交史、中国近代外交史。著書に『中国のフロンティア』等。
川島 真(かわしま しん)
東京大学大学院総合文化研究科教授1997年東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学。博士(文学)。2015年より現職。専門はアジア政治外交史、中国近代外交史。著書に『中国のフロンティア』等。
岩間 一弘(いわま かずひろ)
文学部 教授塾員(1995文、98文修)。2003年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。千葉商科大学教授等を経て2015年より現職。専門は中国都市史、食の文化交流史。編著書に『中国料理と近現代日本』等。
岩間 一弘(いわま かずひろ)
文学部 教授塾員(1995文、98文修)。2003年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。千葉商科大学教授等を経て2015年より現職。専門は中国都市史、食の文化交流史。編著書に『中国料理と近現代日本』等。
加島 潤(かじま じゅん)
経済学部 教授2010年東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻博士課程修了。博士(文学)。横浜国立大学教授等を経て、2021年より現職。専門は中国近現代経済史。著書に『社会主義体制下の上海経済』等。
加島 潤(かじま じゅん)
経済学部 教授2010年東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻博士課程修了。博士(文学)。横浜国立大学教授等を経て、2021年より現職。専門は中国近現代経済史。著書に『社会主義体制下の上海経済』等。
鄭 浩瀾(てい こうらん)
総合政策学部 准教授塾員(2006政・メ博)。1998年中国復旦大学国際政治学部卒業。博士(政策・メディア)。フェリス女学院大学准教授等を経て2015年より現職。専門は中国近現代史・農村政治史。著書に『中国農村社会と革命』等。
鄭 浩瀾(てい こうらん)
総合政策学部 准教授塾員(2006政・メ博)。1998年中国復旦大学国際政治学部卒業。博士(政策・メディア)。フェリス女学院大学准教授等を経て2015年より現職。専門は中国近現代史・農村政治史。著書に『中国農村社会と革命』等。
小嶋 華津子 (司会)(こじま かずこ)
法学部 教授塾員(1993政、99政博)。博士(法学)。筑波大学人文社会系准教授等を経て2012年慶應義塾大学法学部准教授。19年より現職。専門は現代中国政治。著書に『中国の労働者組織と国民統合』等。
小嶋 華津子 (司会)(こじま かずこ)
法学部 教授塾員(1993政、99政博)。博士(法学)。筑波大学人文社会系准教授等を経て2012年慶應義塾大学法学部准教授。19年より現職。専門は現代中国政治。著書に『中国の労働者組織と国民統合』等。
2021/08/05
習近平体制による社会の管理
世界がコロナ禍に見舞われ、すでに1年半近くが経過しました。このパンデミックの中、多くの国が国民からその統治能力を問われ、内政の危機に直面しています。そして、内政の危機は、しばしば強硬で威勢のいい対外政策を導きがちです。
2018年頃より貿易面で顕在化してきた米中の対立も、コロナ禍を経て一層全面化の様相を呈し、また激しさを増しつつあるように見受けられます。国家の安全保障に対する意識が高まり、サプライチェーンの見直しがなされ、軍民両用技術に関わる分野でデカップリングの動きも進みつつあります。
さらに、欧米を中心とする諸外国の非難は、新疆ウイグル自治区や香港の人権問題へと向けられています。コロナ後の秩序構築を巡る議論は、統治体制やそれを支える価値規範に関わる緊張や対立を伴いながら展開していくことになるでしょう。
このような国際政治の局面にあって、私が少なからず懸念しているのは、世界とりわけ日本の言説空間が反中国か/親中国か、民主主義か/権威主義か、国防か/経済かという、過度に単純化された二元論に陥り、それがコロナ後の国際社会の秩序構築に向けた建設的かつ現実的な議論を損ねてしまっているのではないかということです。
今こそ必要なのは、中国という国とそれを突き動かしている力、そして個々の事象に見られる中国の論理を的確に捉え、その上で中国と共存しながら日本の国益を守り、世界の秩序を構築する方法を探る試みではないでしょうか。
ちょうど、この7月に中国共産党は建党100周年を迎えますが、今日は中国の動向を、党中央や国家、さらには地域、民間、社会、そして市場の織り成すダイナミクスとして捉え、時間軸を長くとって論じたいと思います。
まず、社会の状況を把握することが不可欠です。鄭さんは、今回のコロナ禍に対する党や政府の対応、それに対する人々の受け止め方をどのように見ておられますか。
コロナ防疫体制はご存じの通り、アメリカ等の国と比べれば、中国政府はかなり社会をコントロールしていると思います。その背景には、習近平政権の下で「社区」(数千世帯から成る居住区域)レベルで党組織の建設を強めてきたことがあります。この党組織建設の流れというのは、かなり毛沢東時代の遺産を基にしています。
毛沢東時代、特に1950年代に社会は全面的に国家の力、行政の力によって組織化されるようになりました。具体的に言えば、中華人民共和国成立以前の中間層の部分が、地域の有力者も含めて、特に朝鮮戦争以降、徹底的につぶされていきました。
そして1950年代の半ばより、社会主義建設運動の結果として、党組織が社会の末端レベルまでつくられるようになりました。また、農村では、土地の集団所有制がつくられました。この3点が、制度的には習近平政権の下での「社区」建設を支えていると思います。
特に今の社会の末端レベルを見ますと、農村ではどこに行っても村民委員会とその下の村民小組があります。これは以前の人民公社体制の中の生産大隊と生産隊レベルに相当するものです。基本的には土地の集団所有制の下で行政的なまとまりのある村が生まれ、それを基盤として党組織が農村社会を治めています。
都市社会においては、「街道」(都市における区政府の下部機関)とその下の居民委員会もしっかりつくられています。このような体制も基本的には1950年代に形成されたものです。
では、習近平政権はどういうところが新しいのかと言いますと、この1950年代にできた行政組織を基盤にグリッド管理(中国語:網格化管理)を行っているところです。農村では行政村とその下の村民小組レベル、都市では居民委員会とその下の団地、さらに個々の「楼」、つまり建物のレベルにまでグリッドをつくり、各グリッドの責任者を決めるとともに、グリッド間の連携関係を強化する管理体制がつくられています。このような管理体制の下で新型コロナの防疫活動が行われています。
つまり統制の度合いが強まっているのです。もう1つは、改革開放以降、新たに出現した社会団体や民営企業などに対するコントロールを強化し、党組織建設の範囲が全方位、全部門、全領域に拡大したことだと思います。
社会の側の受け止めですが、防疫体制の面については、民衆からかなりの支持があるのではと思っています。習近平政権は、特に民生問題の解決という方針を全面的に打ち出しており、そのあたりは民衆からの支持があります。貧困脱却キャンペーンもそうですし、反腐敗キャンペーンもそうです。
毛沢東時代に社会の末端にまでつくられた党組織が、習近平政権の下でさらに拡充しているということですね。非常に興味深いのは、そうしたグリッド化により、団地一棟一棟にまで細分化された社区管理が打ち立てられたからこそ、中国はコロナ蔓延の封じ込めに成功し、それが、習近平政権や体制に対する民衆の信用や信頼をもたらしたようにも思われることです。
このような見方について、鄭さんはどのようにお考えでしょうか。
これは難しい問題です。他の対抗勢力が生まれない限りは体制への支持に結びつくと考えてもいいのかもしれませんが、もう1つの重要な視点は生活者の視点だと思います。
つまり末端レベルの党組織の活動を見ると、党組織は決して一方的に抑圧をする装置ではなく、むしろ生活をガバナンスする主体にもなっているのです。新農村建設を見ても、貧困脱却キャンペーンを見ても、基本的には民衆から「サービスをしてくれている」と受け止められている部分があり、そこには国家と社会の融合関係があると思います。
例えば今回、コロナ対策で非常に大きな役割を果たしたものとして、健康コードのアプリの活用が挙げられますね。自らの行動や健康の記録がデータベース化され、データによって管理されることへの警戒心は、人々の間にどの程度あるのでしょうか。
近年の通信技術の発展により、人々の日常生活の行動に対して、監視の目が届く状況になってきています。このあたりの受け止めについては、おそらく社会階層や教育を受けた程度によってかなり違うのではないかと思います。
2020年9月に中国インターネット情報センター(CNNIC)が発表したデータによれば、ネット・シティズンのうち、高校およびそれ以下の学歴の人は8割ぐらいを占めています。それに対して、大学およびそれ以上の学歴を持つ人は、1割未満です。多くのネット・シティズンはこういった管理体制を受け入れ支持しているのではないかと思います。現在の管理体制の問題を指摘している知識人もいますが、世論への影響は、かなり限られていると思います。
習近平の社会管理と民衆の活力
鄭さんのお話からは、コロナ禍という危機に対応する中で、習近平政権の社会に対する統制管理が強化されてきたことが窺えます。こうした状況について岩間さんはどのように見ていらっしゃいますか。
今、鄭さんが中華人民共和国以降の話をされたので、それ以前の社会と比べてみたいんですが、長いスパンで見ると、中国の人たちは一方でとても自由奔放な社会に生きているところがあると思います。
それは民国期以前(1949年以前)もそうですし、現在でも、孫文が「散沙」(ばらばらな砂)と語ったような社会があるわけですね。一方でお話があったように行政力がとても強いのですが、伸び伸びと生きている人たちを強い行政力で統治していくという組み合わせが、歴史的には連続していて、コロナ対策でもこれが見られたのかなと思います。
一方、日本のコロナ対策はまったく違い、社会の同調圧力がとても強い中で自粛自重が求められてきました。中国ではそういった自粛や自重ではなかなか上手くいかない。歴史的背景を見ても、おそらく今回のようなやり方でなければやれなかったでしょう。
さらに、中国は監視社会のツールが発展してきているので、そうしたIT先進国のような新たな一面が今回、発揮されたという印象も持ちました。
近代中国では、欧米の植民地や租界が防疫・衛生のモデルでしたが、今回のコロナ対策では、中国が欧米に対して自信を取り戻したのだと思います。
一口に中国社会と言っても地域ごとに特色がありますね。こうした地域性は、社会統制の強化に伴って希薄化していくのでしょうか。例えば、岩間さんがフィールドとされている上海はどうですか。
基本的に上海の人たちはこうした管理を結構喜んで受け入れている印象が強いですね。個人情報の問題もわかっている人たちが多いのですが、それ以上にメリットが大きいと思っている人たちが、私が話を聞く限りでは多いように感じます。
岩間さんは、中国の食文化に造詣が深くていらっしゃいますが、公費を用いた接待の禁止や、フードロスの禁止など、習近平政権による、食文化にまで踏み込むような統制の強化に対する人々の反応はいかがですか。
皿を空にしてフードロスをなくすという「光盤行動」は2013年に始まっており、今年の4月に反食品浪費法が制定され、日本でもニュースになっています。習近平政権のこういった政策を人々が一体どう考えているのかは、私も興味を持っていました。
日本から見ると、強権的に環境問題、あるいは食料安全保障のことを考えて、政権が新たな習慣を押し付けているようにも見えますが、実際はそうではないようです。民間でも注文する料理の数を減らしたほうがいいよね、食べ残しをパックして持ち帰ったほうがいいよねという動きが、段々と成熟してきて、そのほうがあまり無駄遣いしないでホストの面子も立てられるので、ある種、合理的な習慣となっているようなんです。それを政権が後押ししたぐらいなのかなという印象を持ちます。
コロナ禍が経済に与えた影響
次は加島さんに伺いたいと思います。今回のコロナ禍では、健康コードの開発や運用など、社会の効率的な管理や人々の生活の維持において、「BATH」(中国の4大IT企業: Baidu[百度]、Alibaba[ アリババ]、Tencent[ テンセント]、Huawei[ファーウェイ])を始めとする企業が大きな役割を演じました。コロナ禍は、政府と国有企業、あるいは政府と民間企業との関係に、なんらかの変化を生じさせたのではないかと思います。
コロナ禍は、中国経済にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。また、国家と企業との関係に、どのような変化をもたらしたのでしょうか。
私自身の専門は経済史研究なので、現状について確たることを言うのは難しいですが、今回のコロナ禍が中国経済あるいは中国政府の経済政策の大筋の方向性に与えた影響はそれほど大きくなかったのではないかと考えています。
皆さんが指摘されたように、中国国内のコロナ対応は、外から見ている限りは相対的に速く順調に進んだようですし、おそらくマクロ経済指標で見ても、その回復は速いと思われます。ですので、結果的にはコロナ禍の中国経済への影響は少なく、それよりも米中関係のほうが長期的かつ大きな問題ではないかと考えています。
中国の全般的な経済政策の方向性、あるいは中国経済の変化を、中華民国期、またはそれ以前から現在までをつなげて見ると、大きな流れはあまり変わっていないという印象です。例えば、政策目標として、経済成長を重視してGDPでアメリカを追い越すことを目指すとか、あるいは1次産業が中心であった産業構造を第2次、第3次産業中心へと高度化させていくといった点です。
経済史の研究者としては、目の前の変化も興味深いですが、ゆっくり、しかし確実に変わっていく部分をきちんと指摘していくことが重要と考えています。
ゆっくり変わりつつある部分について少しご説明いただけますか。
例えば、19世紀の後半から近代化や工業化が進んできましたが、中華人民共和国が成立した時点では第1次産業の就業者の割合は8割程度でした。それが2000年前後に50%となり、最近ようやく25%程度まで下がってきました。
こうした就業構造の変化は、先進国はどこも経験しているのですが、中国の長い農業国としての歴史から見ると、一見緩慢に見えて非常に重要な変化だと思います。
加島さんは、ご著書の中で、上海の経済は、改革開放以降も、計画経済体制期の遺産によって大きく規定されたと分析していらっしゃいました。
今、習近平政権が市場経済化を推進しようとしているのか、むしろ逆行しつつあるのかについては、論者により様々な見解があります。中国が計画経済体制の遺産を引きずりながら市場経済化を進めていく過程の中で、現状をどのように位置付けていらっしゃいますか。
市場経済化か計画経済かという軸だと、現在の状況はなかなか理解しにくいと思います。現状から計画経済に戻ることはおそらくないと思いますし、国内のあらゆる経済主体を直接的に政府がコントロールすることは、コストから見ても現実的ではありません。市場経済にベースを置きながら、全体として核となる産業についてはコントロールを行う、例えば大きな企業に対する統制を強めたり、緩めたりしながら進める形は変わらないと思います。
民間企業に対して、管理を強めたり弱めたりする際には、どのようにバランスをとるのでしょうか。
なかなか難しいですが、絶対的な基準があるというよりは、その時々での政治的な判断、例えば技術開発や経済活動が活発になっていく段階で、トップリーダーが政治的な安定性の観点から見て危険だと思ったことに対してはブレーキをかけるのではないでしょうか。
一方で、アメリカをGDPで抜きたいと考えているわけですので、持続的な経済成長を実現していかなければならない。その点で企業に自由にやらせたほうがポジティブな効果が出ると判断すれば、手綱を緩めたりするのだと思います。
外交の一元化と強硬化する言葉
続いて川島さん、これまで党・国家と、社会や民衆、企業の織りなすダイナミクスについて触れてきましたが、習近平政権がそれをどのように受け止め、それが「戦狼外交」とも称される中国の対外行動にどのような影響を与えているとお考えでしょうか。
まず前提として、今回のコロナ禍は革命的な変化を世界全体にもたらしたというよりも、これまで起きている変化を助長したり、あるいはすでに生じていることを顕在化させたりしているのだと思うのです。
グローバリゼーションという観点で言うと、コロナは人の移動の部分に非常に大きな影響を与えた。感染対策のため人の移動を制限するなど、各国は基本的人権を相当に抑制しました。中国だけでなく、フランス、台湾、韓国、多くの民主主義国でも法に基づいて、移動の権利などを抑制して事態に対処しました。これは世界的な現象で、中国だけが特異ではないという面もあるのです。
その上で、中国をどう考えればいいのか。先ほど中間団体の話がありましたが、おそらく現在、中国では国家と基層社会との中間的存在が崩され、国家や党による直接的な統治が強化されています。
近現代中国の歴史を見た場合、民国期には政府の統治が緩まり、国家と社会との間に中間団体がたくさん出てきたわけです。そして、鄭さんのお話にあったように、1950年代は社会主義建設が進められ、その際には中間団体がつぶされました。ところが、改革開放期になると国家の社会に対する管理統制が緩んで中間団体が増えたのですが、習近平政権がまたそれをつぶしたということになるのでしょう。ただ、習近平政権は民間を弾圧したのではありません。官と民を明確に弁別した上で、官が民を直接コントロールする状態をつくろうとしている、ということです。
民間の活力は必要です。民間の代表である百度、アリババ、テンセントらは必要だけれど、官がコントロールする。ここでは加島さんがおっしゃった難しい塩梅が大切になります。技術面で民間が主導しつつも、統治に必要な領域では、官と民とのバランスが一層重要、かつ困難になっています。これが1つ目のポイントです。
2点目に、鄭さんから民衆からの支持、岩間さんからも社会が管理を受け入れているという話がありました。これはとても重要です。つまり、国家の社会への管理統制強化を、民衆が必ずしも拒否しているわけではなく、実は社会の側から国家の側への肯定感が決して低くないのです。
新型コロナ対策にしても防疫は比較的上手くやっているし、経済は戻ってきています。それに岩間さんが言われたように、様々な政策は押し付けのように思われながらも、実はこれまで社会の側で行われていたことを後押しするような面もあるわけです。
対外政策への影響については、どのようにお考えですか。
一帯一路がまさにそうですが、中央が一元的に管理しているようでありながら、実は個々の国有企業や地方政府が各々でやっているプロジェクトが無数にあります。それらも含めた総体が「中国」の外との関わり方でした。
ところが、このコロナ禍でその多様性が抑制されたのです。そうすると、やはり中国政府による「外交」の理念や考えが前面に出て、その言葉と実態が近づいているように見えます。その言葉と実態との相違、あるいは多様性がコロナ前には広汎にみられたのですが、それが変化したのです。これが1つ目の特徴として挙げられます。
2点目ですが、今年は共産党建党100年で、来年は党大会で総書記が延長、または党主席への就任、再来年に国家主席の延長かという政治的に敏感な時期になります。習近平だけでなく外交官も政治的に振る舞うことになります。だからこそ多様な利害関係があまり反映されず、言葉が政治的に、単純化します。それがおそらく「戦狼外交」(中国外交官がとる高圧的な外交スタイル)に結び付くのだろうと思います。
一点付け加えると、中国的な統治モデルがコロナの抑制成功を受けて世界に広まっていくのではという話があります。しかし、それはないと考えています。鄭さんがおっしゃったように、街道弁事処から居民委員会、さらに小区、楼レベルまでやっている管理や監視システムを持っている新興国はほかにほとんどないからです。
また、再び人の交流が戻ってきた時に、小嶋さんが冒頭におっしゃった二元論的言論空間に縛られてはいけないというのは、その通りだと思います。ただ、中国の場合、今、申し上げたように、2021年から2023年に政治的に敏感な時期が到来し、加えて、なかなか政権は自分を否定しませんので、今現在陥っている外交上の言行一致状態が長く続くかもしれません。そうなると、中国外交が自縄自縛になり、逆に苦しい局面に直面する可能性もあると思っています。その時に、国際社会がどのように中国を受け止めるかが課題かと思っています。
習近平政権は、特に2期目に入り、自分たちの統治体制に自信を持ち、それを推し進めるのだと、内外にアピールしてきました。このコロナ禍を比較的上手く抑え込んだことが、「西側」の標榜するリベラル・デモクラシーに対する一党支配体制の優位性に説得力を与え、習近平政権の自信を鼓舞し、外交における中国の攻勢を助長するということはないでしょうか。
今年の3月、習近平が政治協商会議の分科会で、これからの若い人たちは、世界を仰ぎ見ないで、世界と同じ視線で世界を見られる、と言いました。その言葉を上手に受け止めた楊潔篪(ようけつち)が、「アメリカには高いところから中国を見下して話をする資格はない。中国人はその手は食わない」と言い放ち中国国内で喝采を浴びました。これも、自己肯定感の象徴なのでしょう。
香港についても国家の安全の論理を優先させて、カラー革命(民主化運動)が香港、そして中国本土に入ってくるかもしれないという強迫観念を前面に出して、国家安全維持法を制定して運動を抑え込んだわけです。
しかし、習近平が、「世界から愛される、信頼される中国」(5月の中央委員会での発言)と言わねばならなかったように、世界の国々の対中感情の悪化は顕著です。これは先進国だけではなく、ASEANなどでもそうです。しかし、習近平のこの言葉は、方針は変えないが方法を考えろと言っていて、自己批判はしていません。
中国に見る「普遍的」な課題
これまでは、コロナ禍や米中対立の中で浮き彫りになった党・国家、社会、民衆、企業などのダイナミクスについて、中国特有の論理とはどのようなものかを念頭にお話しいただきました。しかし、内憂外患とも呼べる状況下での中国の対応の中には、中国特有の論点ばかりではなく、われわれが今後コロナ後の秩序をつくっていく際に考慮すべき人類全体の普遍的なテーマも見出せるのではと思っています。
例えば、個人データをどう活用するのか。行政の効率化や民生の向上のためのビッグデータの活用と、プライバシーの保護とをどう両立させるべきか。秩序を維持するための自由の制限はどこまで許容されるべきか。党・国家は、イノベーションや経済発展を支える企業との間にどのような関係を築いていくべきか。これらはいずれも中国のみならず、われわれも同様に直面している問題です。中国の対応を批判することは簡単ですが、批判する側も答えを持ち合わせていないのが実情なのです。
果たしてわれわれは、中国とともに秩序を構築していくことができるのか。これらの論点をめぐって、中国と対話する余地はどの程度あるのか。皆さんに伺いたいと思います。
今までの経済発展の流れを見ると、孤立した状態では中国の経済の発展はないと思いますので、対話をしていかざるを得ないと思います。
確かに今、党の主張は中国の独自性を全面的に打ち出しています。しかし今後、どういう要素が中国経済の発展を牽引していくのかを考えると、少子化と高齢化によって、もはや人口ボーナスに頼ることがほとんどできなくなると思います。さらに、高齢化によって公的財政支出は膨大な数字になるでしょう。そうなると、国外との経済協力関係が、中国経済にとって今後一層重要になると思います。
2点目ですが、今の習近平政権の下での反腐敗キャンペーンや最近の管理を見ると言論統制が強まっていますが、一方で、政権が唱えている社会主義核心的価値観の内容を見ると、対話をする余地が残っているのではないかと思っているんです。
社会主義核心的価値観は、国家が目標とすべき価値として、「富強、民主、文明、和諧」をあげている。社会で大事にすべき価値は、「自由、平等、公正、法治」。個人が守るべき価値は「愛国、敬業、誠信、友善」となっています。そこには情勢の変化に応じて各国と対話する、共同で何かを行う可能性があるのではないかと思います。
3点目ですが、先ほど私が申し上げたグリッド管理には膨大な財政的支出が必要になってくるはずです。党員の活動経費は勤務先および政府の財政負担となりますし、貧困脱却キャンペーンも、膨大な費用がかかっただろうと思います。このキャンペーンでは、総計300万人の幹部を動員し、25.5万個の工作隊(臨時的に編成・派遣された仕事チーム)を村に派遣しました。さらに、現在、習近平は民生問題を重視しているので、公共衛生の面では、国民の9割以上がすでに健康保険などでカバーされています。高齢化の進行により、その負担も増していくと思います。
一方で、地方の債務の問題が依然として深刻です。1980年代に郷鎮企業(郷鎮・村レベルでの農村企業)への投資から始まった地方債務は、1990年代の土地開発によってさらに深刻化し、2000年以降も解決されたとは思えません。
さらにもう1つの問題として、情報の分断化という問題があげられます。情報化が進展することは必ずしも多様な情報が皆に伝わるということを意味しません。現在の体制の下では地方の幹部はかなりのプレッシャーの下で働いています。よい党員になり、よいサービスを提供し、党に忠誠心を尽くすために、地方の末端レベルで発生した問題をどこまで中央のレベルに反映させるのか、という問題があるはずです。
情報の分断化はまた、歴史との対話の不十分さによってもたらされています。例えば、近年はプロレタリア文化大革命を擁護するような極左的な言論が出ています。その言説を抑えているのが政権ですが、どのように歴史と対話するのかという問題が残っています。
社会主義を前面に掲げる習近平政権ですが、その内容は比較的柔軟で、普遍的な価値に立脚しており、社会の極左的な動きを抑制する役割を果たしているということでしょうか。
そうですね。ただ、このように管理されているような状況では、社会からの大きな反乱は起こらないでしょう。集団的な抗議が生まれても、他の団体と連携して反政府的な活動に転化していくことはほとんどできないのではないかと思います。
根付かない「文化相対主義」
岩間さんのご見解はいかがでしょうか。
難しい問題ですが、中国は現在、自文化中心主義に対する批判精神が少し乏しいかなとは思っています。文化相対主義と言われる考え方で、これは日本や韓国では1980年代ぐらいからはある種の常識になっていて、学校でも教えられます。要するに、文化の価値はそれぞれ平等だから、外部から上下・優劣をつけることはできない、といった考え方ですが、まだ中国では常識的にはなっていないようです。
もう1つ、多文化主義があります。異なる民族文化を尊重して共存共栄していこうという考え方です。これは中華圏でもシンガポールや台湾では1990年代頃から定着していますが、大陸中国では、やはり少し影が薄い気がします。中国は20世紀を通して、基本的には「中華民族」という枠組みで国民国家建設をしてきた歴史があって、それが強いイデオロギーとして今も支配しており、そうした考え方が新疆のウイグル族に対する政策にも出ている。同化主義的な傾向が強いですよね。
しかし、だから中国はこれらの考え方を全然理解していないかというと、そうではなくて、中国政府は実はすごく世論に敏感で、新しい考え方も取り入れている。鄭さんがおっしゃったように、過激な世論を鎮めるという動きを中国は巧みにやってきているところがあります。
近年だと大漢民族主義が再び台頭しているんですね。大漢民族主義というのは要するに、少数民族を差別して、漢民族を中心に考えるというものです。それは毛沢東を始め、中国の指導者たちはずっと批判してきたことで、近年でもそれが肯定されることはない。例えば漢服運動という純粋な漢民族の服装を復興させようという運動が盛り上がっている。しかし、そういうものを中国政府は肯定しません。
また、広州のアフリカ系の人たちが多いような地域では「文化共融」といって、ある種の多文化主義みたいなスローガンも見られました。
なので、中国なりの多文化主義や文化相対主義が模索されているという感じも受けるんです。ただ、やはり徹底していないというか、少なくとも他の東アジアの国々に比べると認識が弱いところはある。こういった議論が深まっていくと、少し変わってくるのかなと期待しています。
文化相対主義は、新疆や香港の人権問題に直結する価値ですが、中国で根付かないのは、社会の特質でしょうか、それとも政策によるものでしょうか。
そこは何ともわからないんですが、もしかしたら、愛国主義教育の影響もあるのかもしれません。でも、民主化しなければ文化相対主義や多文化主義が根付かないとは言えないと思うんです。シンガポールはそうですし。知識人には自文化中心的なものを批判的に考えている人は結構いるので、もう少し学校で教えるなどして、認知が広まるといいかなという気はします。
国際経済から受ける恩恵をどう考えるか
加島さんはいかがでしょうか。
現在、国際経済の中で中国の影響力は非常に大きくなっていますし、どこの国も中国との関係を無視して考えることはできないと思います。
一方で、中国の側から見ると、19世紀後半以降の中国経済の近代化や工業化の流れのなかで、中国は国際経済から多くの恩恵を受けてきましたし、特に1978年の改革開放政策以降はそうです。もちろん国際経済も中国から恩恵を受けてきた側面もあります。そのことは、中国共産党のリーダーも十分わかっていると思います。
ポイントは、共産党のリーダーが、国際経済との協調的な関係からこれまで得てきた恩恵と、対外的に強硬に出る必要性を天秤にかけ、後者に恩恵を失うほどの価値があると判断するかどうか、あるいは、どのくらいまでなら恩恵を失っても問題ないと考えるか、にあると思います。
外交の面では、昨日言っていたことと今日言っていることが変わる可能性はあります。1970年代の米中接近なんて世界の誰も想定していなかった。その直前まで中国はアメリカ帝国主義云々と批判していたわけです。
失われるメリットが非常に大きいと認識すれば、すぐにスタンスを変える柔軟性を持っているのが中国共産党で、そういったダイナミックな方針転換も可能なのが強さの1つだとも思います。
一方で、現在の中国共産党のリーダーが、国際的な経済関係から受ける恩恵が減少しても、自国の経済発展を維持していける、と考える可能性もあると思います。それが成功するかどうかはわかりませんが、動向を左右する大きな要素の1つはやはり共産党のリーダーの判断にあると思います。
コロナ禍の中の普遍性
川島さんはいかがでしょうか。
コロナ禍で現れた論点には、コロナ後に普遍的になる論点があるのではないかということですね。
政治的な面で言うと、人権、民主・自由、多様性が抑制される部分があったわけですが、それが中国においてはウイグル問題、香港問題として現れました。中国からすれば、これは従来からある国家の安全の問題で、香港にはカラー革命が、ウイグル自治区にはテロや独立運動があるかもしれないから抑えていると言う。
岩間さんがおっしゃった文化相対主義は、確かに中国には今まであまり根付かなかったのですが、他方で、中国的な意味での多様性の論理はあって、毛沢東もそれを否定していなかったはずです。それが今回のコロナ禍の中で次第に抑制されていると思われます。これは多くの国で共通の現象なのでしょう。つまり、多文化主義であれ、プルーラリズム(多元主義)であれ、文化相対主義であれ、コロナ下で世界的にやや縮小しているのではないかと思われます。
だからこそ、上手く管理ができてコロナを制圧できたから素晴らしかった、とだけ言っていいのかということがあります。それでは多様性などないほうがいい、という話になりかねない。重要なのは、どのようにして、人権や自由を可能な限り保ち、そしてこれからいかに元に戻せるかです。
経済について言えば、人の流れが止まり、デカップリングが新たな課題を投げかけています。国際分業体制がこれだけ広がり、中国もサプライチェーンで世界と結びついていたにもかかわらず、各国はコロナ禍でマスクは自分の国で作ると言い出し、国際分業体制を放棄した部分がある。加えて米中がデカップリングをやって、国際分業体制ではなく経済安全保障の論理を強く押し出しています。それでも、経済の相互依存は強いので、簡単に全面的にデカップリングなどできません。
今後、世界経済は協力協調体制をいかにして取り戻していくのか。中国も国際経済に依存し、世界も中国市場に依存しているわけですから。これは中国にとっての課題でもあり、世界の課題でもあります。世界第2の経済大国を無視できませんから、たとえ先端産業でデカップリングするにしても、決して国際関係の中で中国と一緒になっていく可能性を放棄できません。
それから、人口の問題を鄭さんがおっしゃいましたが、もはや人口ボーナスはないし、人口で稼ぐのは無理でしょう。だからこそ、中国はこのコロナ禍においても5Gなどのハイテク分野のインフラ建設を進めたわけです。中国では社会実装が急速に進められる。スマートシティなど、ハイテクな、「効率」のいい生活空間の構築が進展していくのです。
民主主義の国々では、社会実装をする際、個人情報への配慮など、様々なプロセスを経ますが、中国ではコロナ禍も追い風にしてそうしたプロセス抜きに進められます。中国には多くのデータが集まっており、そこから学ぶべきことがたくさんありますが、その結果を先進国が直接適用することもできません。新たな「適正な」社会秩序が、数字的根拠に支えられていかに構想されるべきか、これもまた大きな問いです。
中国は社会主義だから我々とは違うと決めつけず、中国の提示する、高齢化社会における無人化、自動化社会の「便利さ」を、いかに学んでいくのかということも、このコロナ禍で一層明確になった課題だと思っています。
習近平の管理体制の課題
今、川島さんが論点を整理してくださいました。国家の統治におけるテクノロジーの適正な利用、人権や自由といった価値と文化相対主義、グローバルな市場と安全保障、これらはいずれもコロナ後の秩序を考える際に重要ですね。
そこで最後に、皆さんご自身の研究分野に関わる論点をめぐり、中国の統治がコロナ後にどう展開していくのか、その方向を規定する要因は何かということを伺えればと思います。
コロナ禍で強められた社会に対する統制管理は今後とも維持されるのか、それともある程度緩むのか。それを規定する要因はどこにあるでしょうか。
川島さんがおっしゃった、ハイテクノロジーの課題はすごく大きいと思います。管理体制を維持していくための高いコストがかかります。人口ボーナスという面がなくなる中、ハイテクノロジーの発展が、どこまで経済を牽引していけるのかということですね。
習近平の管理体制は歴史の視点から見れば、やはり毛沢東時代の遺産が大きかったと思います。ただし、毛沢東時代の遺産というのは諸刃の剣という面があり、ある程度のところで限界が来ると思います。
例えば農村の土地の集団所有という点で言いますと、この制度は、社会の安定化に寄与したところがあると見ています。この制度を基盤に、1980年代には独自なやり方、つまり郷鎮企業が牽引役となって農村経済が発展しました。90年代には土地を失った農民が出るといった不平等の問題がありますが、全体的には土地に対する農家の経営権が安定しているため、大量の流民を生み出すような状況ではなかった。土地の集団所有制は、むしろ都市で働いている出稼ぎ労働者が失業した時の受け皿になっていた。今の方針では、土地に対する農家の経営権は今後も30年間は変わらないということになっています。
一方、この方針だと、土地の規模経営や農業の機械化の進展には障害が出てくるのではないかと思っています。この問題に関しては、以前はかなり議論がありましたが、最近はあまりそういった議論がなくなっているようです。
もう1つ、党がすべての社会をカバーしている以上、その責任も大きいです。いかに党内の統一性を保つのかという問題が出てくると思います。地方レベルの幹部は、必ずしも情報を忠実に上にあげるわけではないので、情報をいかに伝達させるかが重要です。
そして何か問題があった時、日本やアメリカと違い、一党体制の下では党や政府に批判が向かいやすいので、そのあたりにリスク、不安定性が潜んでいるのではないかなと思います。
中国の持つソフトパワー
岩間さんはいかがでしょうか。
社会の問題に関しては、鄭さんや川島さんのお話に付け加えられる点はありませんので、特に文化面の話をしたいと思います。
文化相対主義的な考え方が定着するかどうかは難しいんですが、もしそういう契機があるとしたら、外国と触れ合う機会なのだと思います。
中国はソフトパワーが弱いところがあると思います。私は文学部にいますが、今年も中国史で卒論を書く学生が少ない。文学部の学生は文化への興味で研究テーマを選ぶので、今の中国はあまり人気が出ません。大衆文化、つまりドラマや音楽などは、まだ日本や韓国のほうが先進国だと思うのです。
ただ、近年、芸能界や博物館、美術館はどこが一番景気がいいかというと完全に中国で、日本とは比べものにならないぐらいの資金が流れている。また、中国はこの10年ぐらい、韓国を文化産業のモデルとしてすごく勉強しているので、華流が韓流に続くのは、意外に遠くないという感じもするんですね。
もう1つ、ソフトパワーで言うと、孔子学院の話が思い浮かびます。孔子学院と言うと、すぐ宣伝とか洗脳という話になってしまうのですが、そういったある種の文化交流機関というのは、中国以外にもブリティッシュ・カウンシルや、日本の国際交流基金だとかいろいろあるわけで、中国がすぐに宣伝とか洗脳と言われてしまうのは、やや一方的という感じがします。
しかし、孔子学院がより受け入れられるようになるためには、多文化主義や文化相対主義的な考え方が浸透して、相手国の文化を自然と尊重することが重要になると思います。外国との関わりの中で中国も徐々に中国的な多文化主義、文化相対主義の議論が成熟していくのではないかといった希望的観測も持っています。
米中対立の若者世代への影響
加島さんに伺います。中国が経済発展のために必要な改革を行うためには、例えばTPPへの加盟を目指すにせよ、ある程度の外圧が必要なのではないかと思います。どういった要因が今後の中国の経済方針に影響をもたらしていくとお考えですか。
中国経済に影響を与える要因について、全体的な見通しを示すことはなかなか難しいので、今後の中国経済を考える上で私が関心を持っている個別の論点をいくつか提示させていただきます。
まず、岩間さんがおっしゃったソフトパワーは非常に重要な点で、経済的な面ではコンテンツ産業と関連します。一般に、中国の国際企業の発展の1つのパターンとして、相対的に保護された国内市場で力を付けて、それから世界に出ていくという形があります。
その点はコンテンツ産業にも当てはまる可能性があって、中国の2021年5月の労働節休み期間(5月1―5日)の映画興行収入を見ると、5日間だけで、中国全体で16億元(約256億円)以上、1位の『你的婚礼』が6.5億元(約104億円)に上っています。
『你的婚礼』は韓国映画のリメイクのようですが、中国国内で作られた映画も多数ランクインしており、国内市場だけでそれだけの興行収入を上げているわけです。こうして国内市場を母体に力を付け、その後、優秀なコンテンツが輸出されていくという可能性はあると思います。
ゲーム産業もかなり強く、スマホやタブレットの無料ダウンロードゲームでは中国製のものも見られますし、日本の子供が知らず知らずのうちに中国製ゲームで遊んでいることもあるでしょう。こうした形で中国のソフトパワーが世界中に広まることはありうると思います。
また、私が今回の米中対立で非常に関心があるのは、米中対立が激化する中で、中国政府が長期にわたって公式にアメリカに対する批判を展開していることが、中国の若者の心理にどういう影響を与えるのかということです。今までの中国の若者にとって、学歴としてはアメリカの大学に留学することが1つのゴールだったわけです。共産党のリーダーの子息もアメリカへ留学しています。
今後、中国の若い人たち、特にこれから大学への進学を考える小中高校生くらいの子供が、アメリカという国をどのように認識し、それと関わっていくのか。果たしてアメリカへの留学を目標とするのか。この問題は長期的に見て興味深いと考えています。
それともう1つ、IT技術の発展と中央・地方関係についてです。先ほど官の民に対するコントロールについて話題になりましたが、中国史の文脈からすると興味深いのは、デジタル化とかITを通じた統制技術の発展が、中央政府による地方官僚や地方党幹部へのコントロールにどういう影響を与えるかという点です。
伝統的に中国では中央がいかに地方をコントロールするかが統治の大きな課題となってきましたが、デジタル化による統制技術の発展は、中央政府の地方に対するコントロールを強化する作用がありそうです。そうすると、それまでの中国国内の統治スタイル、特に官の中でのコントロールにどういう影響を与えるか。これは非常に重要なテーマだと思います。
試される中国外交のレジリエンス
川島さん、先ほどお話しになった理念が前面に打ち出される外交は、コロナ後、経済交流が活発化する中で、変化していくのでしょうか。中国が外交スタイルを再び転換するとしたら、何がそのきっかけになるでしょうか。
今後の中国にとって、分岐点になりそうなことはあります。ハイテク産業にしても、エンジニアが中国に残りたいような居住環境を共産党政府がつくれるのか、ということなどです。
外交について多様性を取り戻せるかが焦点ですが、それは当面難しいでしょう。民間が多様性を取り戻すにしても、それが結果的に政府の対外行動にフィードバックされるのには時間がかかりそうです。
農業移民から各企業、地方政府に至るまで、それぞれ自らの論理で動いている以上、一定程度は中央政府に反映されるでしょう。しかし、共産党中央が硬化していると、フィードバックにも限度が生じます。
例えば先ほど岩間さんが触れた広東にいた10数万人のアフリカ人たちですが、彼らは、コロナ下で急減しました。感染対策の過程でアフリカ人の間で感染が広まっているという話が現地で広まり、広東の官憲が一気に彼らを取り締まりました。そのやり方が「乱暴」で、現地のアフリカ人からも、知らせを受けたアフリカ諸国のメディアからも猛烈な反発がありました。この件、どの程度フィードバックされたのか。
孔子学院もまた1つの事例です。孔子学院も途上国では、現地学生が中国語を学んで、中国に留学して中国語をマスターして母国に帰ると、現地の中国企業に就職できるので結構上手くいっている。ところが、それを先進国でやっても、学生たちが中国企業に行きたいわけではないので結果は出ない。ですから、先進国では孔子学院批判が噴出しました。
この件もフィードバックがどれだけされているのでしょう。習近平は、「愛される中国」になると言うけれど、そのためには現場からのフィードバックが肝要です。
外交面では、新型国際関係をつくると中国は言います。しかし、国内からの不満の声、それに諸外国からの声は届いているでしょうか。それだけの調整能力、柔軟性があるかが問題です。
政治的に敏感な2023年ぐらいまでは厳しいかもしれませんが、その後、習近平が任期を延長するならば、多少余裕が出た時に再調整できるかもしれません。そこでそれができず、社会や諸外国と認識がずれると非常に厳しいかなと思います。
中国外交がレジリエンスを取り戻せるかどうかは、何が決め手になるのでしょうか。
これがわかれば、小嶋さんが国家主席になれると思います(笑)。現在、9500万人の党員の忠誠心を確認していますが、そうした心理的圧力だけではなく、ビッグデータなりを上手に活用して、いわゆる「自発性」を引き出すよう、調整していくことが必要でしょう。
習近平の「愛される」発言も、嫌われているのはわかっているものの、「間違えた」とは言えないことを示します。こうした姿勢でレジリエンスを回復できるのか、疑問です。
今ひとつ問題となるのは、やはり鄭さんが言及した財政問題でしょう。ない袖は振れなくなってくるし、地方財政が危機に頻すれば地方政府の選択肢が減少して硬直化し、国内世論も多様性を失うかもしれない。
そして、最悪のケースは、習近平の夢と共産党の夢と中国の夢がバラバラになることです。だから、習近平としては、党の、そして社会の夢を常に把握し、それらを揃えていかなくてはいけない。これができれば、柔軟性は担保できると思います。ずれていることに気付かない、ずれていてもいいと思うのなら、もうレジリエンスは期待できないでしょう。
コロナ禍で硬い党政府がつくられ、それが共産党建党100周年の今年、政治の年を迎えてより一層硬くなっていると。けれども、皆様のお話を聞く限りにおいて、軟らかい民間社会やしたたかに生きる人々の活力は維持され、コロナ禍や政治の年が過ぎ去れば、再び動き出すと予測されます。
共産党政権に問われてくるのは、果たしてそういった活力や多様性を汲み上げて国の活力に変えていく力を持てるかどうかということですね。川島さんのおっしゃったことを私なりに解釈するならば、習近平への忠誠を求めながらも、地方が、企業が、また人々がある程度自由に夢を追える空間をどこまで確保できるか、彼らの要望にどれほど応えていけるかにかかっているんだろうと思います。内政や外交を通じてそれが確保された時、習近平の夢、共産党の夢は中国国民の夢になるかもしれません。
本日はどうも有り難うございました。
(2021年6月11日、オンラインにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。