登場者プロフィール
鈴木 康裕(すずき やすひろ)
その他 : 国際医療福祉大学学長医学部 卒業塾員(1984医)。医学博士。大学卒業後厚生省(当時)入省。世界保健機関(WHO)事務局長補、厚生労働省保険局長等を経て2017~20年厚生労働医務技監。21年国際医療福祉大学副学長。22年より現職。
鈴木 康裕(すずき やすひろ)
その他 : 国際医療福祉大学学長医学部 卒業塾員(1984医)。医学博士。大学卒業後厚生省(当時)入省。世界保健機関(WHO)事務局長補、厚生労働省保険局長等を経て2017~20年厚生労働医務技監。21年国際医療福祉大学副学長。22年より現職。
土居 丈朗(どい たけろう)
経済学部 教授1993年大阪大学経済学部卒業。99年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。特選塾員。慶應義塾大学経済学部専任講師、准教授を経て2009年より現職。専門は公共経済学、財政学。
土居 丈朗(どい たけろう)
経済学部 教授1993年大阪大学経済学部卒業。99年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。特選塾員。慶應義塾大学経済学部専任講師、准教授を経て2009年より現職。専門は公共経済学、財政学。
春田 淳志(はるた じゅんじ)
医学部 医学教育統轄センター教授2004年旭川医科大学卒業。15年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。博士(医学)。日本プライマリ・ケア学会認定家庭医療指導医。地域の市中病院で総合診療医を担い、20年准教授を経て、23年より現職。
春田 淳志(はるた じゅんじ)
医学部 医学教育統轄センター教授2004年旭川医科大学卒業。15年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。博士(医学)。日本プライマリ・ケア学会認定家庭医療指導医。地域の市中病院で総合診療医を担い、20年准教授を経て、23年より現職。
秋山 美紀(あきやま みき)
環境情報学部 教授塾員(1991政、2005政・メ博)。2017年より現職。博士(医学)、博士(政策・メディア)。専門は公衆衛生、ヘルスコミュニケーション。19~23年厚生労働省中央社会保険医療協議会公益委員。
秋山 美紀(あきやま みき)
環境情報学部 教授塾員(1991政、2005政・メ博)。2017年より現職。博士(医学)、博士(政策・メディア)。専門は公衆衛生、ヘルスコミュニケーション。19~23年厚生労働省中央社会保険医療協議会公益委員。
中村 洋(司会)(なかむら ひろし)
経営管理研究科 教授1988年一橋大学経済学部卒業。96年スタンフォード大学博士課程修了。Ph.D.(経済学)。2005年より現職。専門は産業組織論、経営戦略。17~23年厚生労働省中央社会保険医療協議会公益委員。
中村 洋(司会)(なかむら ひろし)
経営管理研究科 教授1988年一橋大学経済学部卒業。96年スタンフォード大学博士課程修了。Ph.D.(経済学)。2005年より現職。専門は産業組織論、経営戦略。17~23年厚生労働省中央社会保険医療協議会公益委員。
2023/07/05
新型コロナ対策の問題点、評価すべき点
日本のみならず世界中が3年あまりの「コロナ禍」を過ごしたわけですが、その間、様々な医療体制・医療政策に対する指摘や問題点もあり、またそこから学んだことも多かったと思います。今日はそれぞれの分野の専門家の方にお集まりいただき、コロナ禍を経てのこれからの医療政策・医療体制のあり方について考えていきたいと思います。
最初に、見えてきた課題と、日本の医療のあり方が比較的よかった点をお伺いしたいと思います。鈴木さんからいかがでしょうか。
私は3年前に厚生労働省医務技監として引退したのですが、その年の1月に新型コロナが流行し始めたので、最初の半年間ぐらい対応を担当させていただきました。その時期は、当然ですがワクチンもないし、治療薬もない。病気の本質もよくわかっておらず、非常に大変でした。特にその時に私が課題だと思ったことがいくつかあります。
1つは「平時と有事の切り替え」です。日本は、平時は地方分権で、それぞれの地方の特色を生かしてしっかり医療をやっておられますが、有事に一定の号令一下、パッと国全体がまとまるということになかなか対応できない。
特に私が課題だと思ったのは、重症者の定義が国と東京都で違っていたことです。重症者数の比較をする際、東京都だけ違う基準になっている。もちろんいろいろご意見はあるとは思いますが、やはり有事には、症例の定義などは揃えていかないといけないし、国全体として対応していくことに共通性がないといけないと思いました。
2つ目は、保健所に代表される公衆衛生の機能です。結核が相当克服され、感染症もごく限られたものしか基本的には対応しないということで、どんどん機能が縮小されてきたわけです。しかし、このようなパンデミックが起こった時に保健所は限られた人数と限られたキャパシティだと当然限られたことしかできない。
今回のコロナでは症例の発見から、患者の移動、病院の特定から検査など、全部保健所がやらなければいけないという建て付けだったので大変なことになりました。パンデミックの時、例えばアプリを使うとか、他の機関に依頼するとか、民間の機関にやってもらって保健所は全体を見るようなやり方にしないといけない、と思いました。
最後にサプライチェーンの問題です。覚えておられると思いますが、最初の半年ぐらい、マスクがない、医療用手袋がないという事態が起こりました。費用対効果の点では安くて丈夫なものはやはり輸入品です。しかし世界的なパンデミック下では工場が止まったり、国外になかなか品物を出さないということになる。
そうすると輸入は途絶えてしまい、需給ギャップが生じてすごく品薄になってしまう。これは、石油のような戦略物質として医療に必要なものを一定の備蓄をするとか、何かあった時に最低限は作れるように日本国内の業者を支援するようなプランBをちゃんと持っておかないと3年前のようなことが起こってしまう。そういうところはやはり反省すべきかと思います。
日本の政策で評価すべき点はいかがでしょうか。
人口当たりの死亡者数を見ると、日本はアメリカやイギリスの5分の1ぐらいなのです。これはいろいろな理由の複合だと私は思っています。1つの仮説は、通常われわれがいままで冬にかかっている風邪の3分の1ぐらいがコロナウイルスだったということです。Covid-19とは違うコロナですが、東アジアではそれが結構流行っていて、日本人を含む東アジアの人は以前似たようなコロナにかかっており、一定の免疫があったのではないか。これはかなり強い仮説です。日本だけではなく、韓国や中国、シンガポールでもやはり死亡率は低いですから。
もう1つは行動変容です。プロスペクティブな調査と言って、罹患した後、誰に会ったかを調べ、広げないようにする調査がある。これは各国やりましたが、日本はレトロスペクティブな遡り調査もやりました。罹患する1週間前にどこで何をしていたかを調べる。それでいわゆる3密の場所が特定でき、それが行動変容につながって一定の予防効果になったのではないか。
韓国よりも日本のほうが死亡率は低いんです。同じようなワクチン接種率で、医療レベルもほとんど違わないことから、やはり日本の公衆衛生政策に一定の効果はあったのではないかと思っています。
プライマリ・ケアの現場における地域差
春田さんは総合診療専門医として地域医療にかかわってこられました。そのお立場からいかがでしょうか。
私自身プライマリ・ケア医として現場で働いていますが、コロナが始まって以来、全国のプライマリ・ケア医に継続的にインタビューをしており、地域でどんな問題があったのか、その知見からお話しさせていただきます。
鈴木さんから平時と有事の話がありましたが、今回、有事の場面での対応に明らかに地域差がありました。都内近郊で見られたのは救急車の受け入れが困難となったことです。病院間でどのぐらいベッドが空いているかという情報がほとんど共有されず、うちの病院が受けなくてもどこかが取ってくれるだろうと皆が思っていたと推測されます。
100件以上重症者を取ってくれないこともありました。それは東京だけではなく、近隣の横浜や埼玉などでも同様に起こっていました。受け入れられない事情は、病院内でのスタッフも含めた感染者のクラスター発生が一因としてありました。それを公にすると、初期は風評被害があったので、公にできない事情がありました。
一方で、地域によっては、情報共有が上手くいっているところもあったのです。軽症者の療養の場となったホテルや情報のハブとなる保健所でどんなことが起きていたのか。それを徹底的に調べた地域の中核病院の医師たちがいました。結果、ホテル・保健所・病院での情報共有・指揮系統がシステムとして機能してないということがわかったので、それを明確にしました。
そうやってホテル・保健所・病院の患者受け入れのインフラ整備をすると、コロナ感染者の受け入れが円滑に機能し始めた。そして、それを継続することで、医師がいなくてもシステムが回るようになったのです。施設を超えた働きかけの違いが地域の患者の受け入れの差として出た例の1つです。
また、コロナの発生が増加すると、内科を中心としたスタッフが発熱外来を担うようになり、同時に入院患者も診なければいけなくなりました。新たな受け入れシステムや治療プロトコールを作りながら自分たちも最前線にいなければなりませんでした。結果、身体的・心理的に疲弊していきました。
一方、例えば保健所にこういう情報を提供してほしい、と内科系医師から外科系医師に言ったところ、「それ私の仕事ですか?」と言われたことがあったと聞きました。内科系と外科系が「縦割り」で互いのタスクが見えないことによる対立であり、平時は互いのタスクが見えなくても問題となっていなかったのが、タスクの偏りが顕著となった有事で、皆で協力すべき状況になった時に上手くいかなくなったのだと推測できました。
全体が見えている管理者と現場のスタッフ間でも同様のことが生じていました。有事では、医師の専門性や立場によって見えているものが異なるので、対立が発生しやすく、これを予防するには平時からの関係が重要なのだと思いました。
また、介護施設が悲惨なことになっていました。施設全体でクラスターが起きた時に、どこをレッドゾーンにするかの判断を迫られました。認知症の方などは、廊下にアルコールを置くと、それを飲んでしまうこともあり、感染予防も通常通りにはできません。そういう中で、誰が指揮を取ってどういう決断をするのかが迫られます。
介護施設は病院と違うので、外から助言者として医療者が入ることが多いのですが、医療的な制限ばかり強いると日常生活ができなくなってしまいます。それを理解した上で、施設全体をレッドゾーンとするとか、ある階全てをレッドゾーンにするという形で、全体の移動制限をお願いし、生活と医療を両立させなければいけませんでした。医療あるいは介護現場に合わせて問題解決をするということの必要性が浮き彫りになりました。
国と地方の連携の難しさ
上手くいった地域といかない地域の差は、何か特徴があるのでしょうか。
30万人から100万人ぐらいの規模の都市で、ある程度病院が限られ、使えるホテルも決まっていて、保健所のトップと病院のトップ、あるいは病院間の管理者が顔見知りという関係があると、有事の迅速なシステムを作る際には、トップダウンで動きやすかったのかもしれません。
東京のような1000万人以上の都市は、新宿区の病院でももっと広範囲で患者さんを診ていたりします。すると病院が何百とある中で、連携は難しいです。規模が小さめの村や離島は資源が限られているので、外とのつながりができれば、行政と旗振り役との連絡相談で上手くやっていました。
ですので、牽引者が居なくても上手くいったのは大体30万から100万人弱ぐらいの都市という感覚があります。
なるほど。日本の国と地方の関係はある種独特なものがあるんですね。90年代以降地方分権がどんどん進んできて、中央省庁の官僚の人たちが何か地方自治体側にものを言おうとすると、地方分権の趣旨に反すると言って、口出ししてほしくないと言われる。コロナが始まっても、有事なのだから中央からきちんと指示を出せば上手くいきそうなものも、自治体側は、自分たちで独自にやると言う。
では全部やるのかというと、やりたくないこと、できないことは、中央省庁で何かガイドラインを作ってくれとか指示を出してくれとか、お金も出してくれと言ってくる。ある意味、悪い癖が国・地方間であったと思います。
もう1つ、同じ県内でも、政令市と県もまた、感染者数をどちらが発表するのかという話では、ニュースで見ると県が一手に引き受けて発表していると思われがちだけど、実はそうではなく、政令市は政令市で独自に発表する県もある。対抗意識があるのですね。
最後のほうはようやくわだかまりはなくなってきましたが、初期は誰が主導権を持つのか、誰が責任を負うのか、誰がお金を出すのかというところで、県と市、国と県・市町村との間で残念ながら感染症に柔軟に対応できるような関係にはなっていなかった。行財政の研究をしている立場からすると、非常に辛いところがありました。
明らかになった日本の医療の弱点
県と市町村の関係もいいところと悪いところが明らかになりましたね。
そうですね。政令市と都道府県では、どちらが主導権を握るのかと争うことが多いわけです。政令市は大きいのでそれなりに影響力は強いわけですが、そこと都道府県が仲たがいをしてしまうと、回るものも回らなくなってしまう。
しかも政令市には3次医療圏(先進的な技術を必要とする特殊な医療に対応する区域)の中心的な医療機関があるところが多く、その市が協力してくれないと都合が悪いことになるのに知事がなかなか動かないこともありました。協力するべきところでも協力しない、ということで有事を迎えてしまうと、住民にとって不幸なケースになる例があります。
でも、感染症法は今改正されているので、有事になったら誰が責任を負うかということや、民間病院に対してどのように協力関係を築いていくかも、初期対応のまずさを反省して改善されていきました。いい方向に向かっているのではないかと思います。
皮肉な見方をすれば、日本の医療の弱点が国民に共有してもらえたことは大きいと思います。これは不幸中の幸いで、いろいろ改めなければいけないとコロナ前から指摘されていた日本の医療の弱点が明らかになってきました。
入院は、人口1人当たりのベッド数が過剰であるということが、国民皆が知ることになった。それから「かかりつけ医」という制度が整理されていなかったということもわかった。患者はこの先生がかかりつけ医だと思っていたらそうではないと言われたり、逆に、医者がそう思っていても、患者は思っていないということが起こった。いざ事が起こらないと、国民的理解が深まらないのですが、コロナに直面して理解できました。
もう1つ、出来高払いに依存し過ぎている診療報酬体系の問題もあったのかと思っています。2020年の最初の緊急事態宣言の時に受診控えが起こり、医療機関は大幅に収入減になってしまった。これで、診療報酬が出来高払いに依存していたことがはっきりしたわけで、もう少し包括払い化をしていれば、そこまで医業収入が激減しないで済んだと思います。診療報酬体系を考え直してもいい時期に来ているかもしれません。
しかも今後、2030年代にかけて患者が大きく減る地域がどっと出てくる。それに対してどういう医療提供体制で備えるのかを真剣に考えなければいけませんが、医療機関側の問題もさることながら、診療報酬の出し方も併せて工夫していかないといけない。コロナは、人口が減る地域で地域医療をどうやって支えるのかという重要な問題提起をしたと思っています。
顕著だったデジタル化の遅れ
秋山さんはいかがでしょうか。
皆さんがおっしゃるように、コロナは平時の時に見えていなかった課題や、先送りしていた重要なこと、やっているふりをしていて実はやっていなかったこと等を、様々な分野で明らかにしたと、私も感じていました。
デジタルトランスフォ―メーション(DX)の話をすると、結局医療機関や政府、自治体、公的セクターのデジタル化は、実はやっているようで使えるものにはなっていなかったことが露呈してしまったと思います。
感染が始まった当初は感染者の発生届を医師が手書きで署名して、それをファックスで保健所に送り、受けた保健所の職員はそれを手入力して集計作業をしなければならなかった。保健所の方々は感染者1人1人の状況把握や、疫学調査の役割も担い、さらに容体が急変した方の受け入れ先の医療機関を調整するなど、想像を絶する忙しさでした。そこに手入力の大きな負担がかかり、人的なミスが多く発生したことも明らかになっています。
医療とは少しそれますが、身近なところだと、10万円の特別定額給付金の申請をめぐる騒動もありました。オンラインでも紙でも申請できると言っていたのに、蓋を開けてみるとオンライン申請のほうが申請者にとっても自治体にとっても、大きな負担になるという本末転倒の事態が発生しました。
その原因は、そもそもマイナンバーカードの普及率が2020年の半ばで17%ぐらいと低かったことに加え、カード保有者であっても、マイナポータルで世帯構成員や振込先の銀行の口座情報などを、いちいち手入力しなければいけなかったことです。その際の誤入力や重複申請が後々問題になりました。多くの市区町村では、さらにそれを目視で住民基本台帳と照らし合わせて確認しなければならず、本当に現場に負担ばかりかかっていました。
これらの背景には、日本の根本的な問題だと思うのですが、省庁の縦割りや、リーダーシップ、旗振り役の欠如、現状維持のままで改革はしたくないという組織の体質、また国民の個人情報やプライバシーへの漠然とした不安など、いろいろな要因があったのだと思います。特に医療のデジタル化に限って言うと、厚生労働省の中での局の縦割りもあったと思うし、省内にITの専門知識を持った方が不足していたことも一因だったように思います。
それを象徴していたような、COCOAというアプリの開発をめぐる混乱もありましたね。COCOAはもともと民間のボランタリーなエンジニアたちがオープンソースで開発したプログラムがもとになっていました。最初から完璧なものを作るというより、不具合があったら皆で改善し、必要な機能をみんなが追加していきましょう、という性質のものでした。
今回のような非常時に国民が多く使うアプリにおいては、そのような考え方は国としても受け入れがたいものだったと思います。厚生労働省が開発を主導すると決まったのが2020年の5月でしたが、突如としてお金は出すから3週間後には完璧なものをリリースしてくれとエンジニアたちが言われたと聞いています。有志でやっていた開発者にしてみると大きな混乱だったようです。
結局いろいろな不具合が起きて非難を受ける中で、当初期待された役割を果たせないままでお蔵入りしてしまいました。
おっしゃるとおりで、もちろん事前の準備があればよかったのですが、そうではなく短期間でスレッショルド(閾値)の高いところを達成しなければいけなかったのですね。
もう1つ、これは私の理解ですが、われわれは究極の選択を今まで直視してこなかったところがあった。例えばCOCOAがもしBluetooth が使えて、自分の近辺1.5メートルぐらいに陽性の人が来たら、どの人なのかがわかる仕組であれば結構使われたと思うのです。ただ、誰かはわからないけど陽性の人はいる、と言われても対策としてはなかなか使えない。
自宅にいて例えばGPS等で位置を管理できれば、別に毎日保健師さんが電話をして場所を確認する必要もないわけですが、有事の時に、一定の自由を制限できるという議論が事前にないと、あの皆が忙しい大変な時期にそういうことを議論できないと思います。
私も非常に忸怩たる思いがあって、毎日、厚生労働省が全国の感染者数を発表したのですが、どうやって発表していたかというと、各県の発表を聞いて、電卓で足して出していた。しかも各県の発表の時間が違うから、厚生労働省の地下に30人ぐらいバイトを雇って、電卓でやっているという目茶苦茶アナログな世界で、これはやはりまずいなと思います。
それからもう1つ、私が現場の人に聞かれて返答に詰まってしまったのは、ECMOという体外人工肺が1台しかない場合に3人必要な人が来た。誰に付けるかという話です。それはその場にいる医者が1人で決めてはならず、どういう人を優先するのかという議論がないといけないわけです。ところがそういう議論は今までタブーとされ、現場に任されてきたところがある。その議論も本当は平時にやらなければいけなかったと思います。
国民全体の利益のために個々人の自由をどこまで制約していいのかといった議論も、今まで全く行われてきませんでしたね。
コロナを機に進んだこと
よかったこともあります。中村さんと私はちょうどコロナが始まった時に、診療報酬を議論する中医協(中央社会保険医療協議会)の公益委員をしていましたが、中医協の会議はオンライン開催になり、傍聴席を設けない代わりにYouTubeで毎回の会議のライブ配信をするようになりました。
それまでは傍聴するために厚労省の会議室前に長い列ができたこともあったのですが、関心がある方はYouTubeにつなげば議論が聞けるようになりました。実際に地方の医療関係者や患者団体の人からも、オンライン傍聴しているという声を聞いています。コロナでやむをえず試行したおかげで情報公開が進んだり、医療について関心を持つ人が増えたりと、結果的にベネフィットになった面もあったかと思います。
もう1つ進んだのは、オンライン診療です。オンライン診療は、コロナ以前は、診療できる疾患も非常に限られ、初診はできないなど、いろいろな制約がありました。新型コロナウイルス感染拡大による時限的、特例的対応ということで、初診から許されるようになり、昨年度の診療報酬改定から正式な制度として恒久的に初診からオンライン診療ができるようになりました。もともと規制改革推進会議などが言っていたことですが、コロナが追い風になり、大臣間の合意というトップダウンで急速に進展しました。
それ以外にも、コロナにより平時のしきたりや非効率が改善されたことがいくつかあります。入退院時の多職種カンファレンスが昔は対面が原則でしたが、今はオンラインでも診療報酬がつくようになりました。病院から在宅へと患者さんの治療の場が移る際に、様々な組織に所属する多職種がカンファレンスに参加しやすくなることは重要で、情報共有の改善につながると思います。他にも薬剤師のオンライン服薬指導に報酬がつくなど、日常的な医療におけるオンライン活用が広がっています。
台湾や韓国は日本よりもデジタル化が進んでいるというイメージを持っている日本人は多いと思います。一方で、韓国、台湾の研究者との議論の報告を聞くと、死亡率が低いなど、日本の取り組みを高く評価していました。
その背景には、地方での頑張りが大きかったと思います。地方によって差があるという話でしたが、コロナ禍前から医師や看護師などの医療従事者の間のみならず、様々なレベルの地方行政とコミュニケーションができている地域は、それなりにコロナ禍への対応ができていたと思います。
これまで日本は地域包括ケアの推進など、地域内において自分たちで考え、職種や立場を超えて新しいことに取り組むことを進めてきました。その取り組みが、コロナ禍への対応力を高めたという側面もあるのではないでしょうか。
確かにCOCOAなど中央主導のデジタル・ツールについては課題が出ましたが、地方での頑張りなど、評価すべき点も見逃せません。
確かに地元でのコロナの状況は知事が記者会見などで対応する。厚労大臣ではないのだというコンセンサスが日常になったというのはありますね。
つまり県知事がちゃんと対策をやっていないとその地域の医療は混乱が起こっている、という対応関係があるということが、コロナ禍では常識になった。だから、当然それを踏まえて県知事も緊張感を持って対応していくので、なおさら地域が頑張るという面もあったのでしょう。もちろん地元の地域医療を支える方々が頑張ったことが第一なわけですが。
コロナを経て改善すべきこと
では、このコロナの経験を経て今後どのようにしていくべきなのか。構造的に工夫すべき点は何なのか、次への施策をお伺いしたいと思います。
先ほど土居さんがおっしゃったベッドの話で言うと、日本で医療が逼迫したのは、ベッド数自体が足りなかったわけではないと思うのです。つまりベッドは非常に多いけど、ベッド当たりの医師、看護師の数が非常に少なく、普段からかつかつでやっていた。そこにコロナのすごく手のかかる患者さんが一定数以上来ると、すぐに逼迫してしまうわけです。
そう考えると、ベッド数は今のままだと多いので、もう少し選択と集中をしなければいけない。ただし、イタリアやスペインくらい低くなってしまうと、まさにコロナの時にストレッチャーを廊下に置いて患者さんを治療しなければいけないようなことになってしまう。私は1つのメルクマールとなるのはドイツだと思うのです。ベッド数からすると日本とイタリア、スペインの間ぐらいです。かつ、ドイツの場合、ICU、つまり重度の人を診る病床数が多いわけです。
コロナの死亡率はヨーロッパではドイツが低い。ヨーロッパは日本と違って水際阻止は全くできないので、おそらく入ってくる数は各国同じだけど、その後の病院の対応、医療政策の対応で差がついたということです。ベッドについて、ドイツぐらいを目途に選択と集中をするようなシステム改良が必要だなと思います。
鈴木さんがおっしゃったことは財政面の観点からも大賛成で、そうしていくべきだと思っています。
病院には急性期病床をどうしても自分で持ちたいという強い願望がまだ残っている。逆に財政面から見て、役割をもっと期待したいと思っている回復期のところが、全国どこでもできているわけではない。その機能分化とか役割分担について今後の展望は何かありますか。
少しずつ病院は学んできていると思います。急性期の患者さんは減っていますから。今まで9割以上あった病床利用率がだんだん落ちてきて、コロナの時は7割ぐらいになった。これでは病床が維持できない。もう1つ、医師の働き方改革もあります。残業時間がきちっとコントロールされると、あまり急性期を増やして医師をどんどん働かせるわけにはいかない。
さらに、財務省がよくおっしゃっていますが、特に支払いの仕方が、看護師さんが患者さん当たりこのぐらいという比率に基づく支払いになってしまうと、どうしても病院の経営は高いほうに高いほうにとなってしまう。そうではなく、入っている患者さんに例えばどういうケアをして、それが結果としてどうよくなったかに着目して支払いをするようになると、まさに本当に必要な急性期の数に集約してくると思うので、支払いの仕方の工夫も必要ではないかと思います。
地域の病床をめぐる課題
これはすごく大事な問題で、人口構成の変化を考えると私も急性期を減らして回復期の病床を増やすことには賛成です。しかし、日本は私立病院が割合として多いので、国がそう言っているからといって、私立病院がすぐに改革できる構造にはなっていません。
地域の病床を制限するために、どんな働きかけをしたらよいかは、悩ましい問題だと思っていますが、何かアイデアはありますか。
誤解を恐れずに言うと、私は2つのことが非常に大事だと思っています。今、いわゆる医療法に基づく病床規制が行われています。これは病床を増やさないという点では確かに正義ではあるのですが、逆に、一旦ある地域で病床を持ってしまうと、どんなに質が悪くても、未来永劫この病床はもう自分のものとなってしまう。
そうするとイノベーションも生まれないし、経営の改善も生まれないので、サッカーの1部、2部リーグではない ですが、病院としてケアを提供できる水準を満たせなかったら、地域医療計画の病床に入っていても落ちてもらう。また、回復期の中で一部急性期をやっているところは、そこから進出を認めるとか、入れ替え制みたいなことが1つ必要だと思います。
もう1つは財務省も今やろうとしていますが、ある種の減反政策です。中小病院のオーナーは継承者がいないんです。息子は勤務医で病院の運営は嫌だと言う場合が結構多い。そのように継げなくなった病床を買い取る。これは今は金がかかるけれど、将来のことを考えると、一定の期限を区切った合理性のある政策ではないかと思います。
それは今まさに、地域医療構想として各地で議論されていますが、上手く話し合いが進んでいないようですね。
やはり否定できない圧倒的な絶対指数をいくつか作るべきでしょうね。そこを満たせなかったらもうダメとしないと、行政も恨まれるのは嫌だからなかなかそこを押し切れない。
でも、厚労省医政局で比較的関係者にハレーションを起こさないようにということですけど、病床機能報告で手術の件数などを報告させることにしましたね。あれはいかがですか。
すごくいいです。
遠回しだけれど、相当効くと私も思います。急性期と看板を掲げているけれど、本当に急性期の役割を果たしているのかということが数字ですぐわかりますね。
かかりつけ医を定着させるには
春田さんは、今後どのような施策が必要とお感じですか。
私はやはりプライマリ・ケア医の立場として、かかりつけ医の定義がはっきりしなかったことが、大きな問題だったと思っています。総合診療専門医という19番目の専門医ができましたが、まだ少なく、学生も5、6%ぐらいしか選ばない状況です。
しかし、それぞれの専門科は自分たちの科の医者を減らしたくない。総合診療医は社会全体を考えた時には欠かせない存在だと思うのですが、なかなか一般住民にも医療者にもその必要性が理解されにくいのです。ですので、かかりつけ医の役割を明示し、その認定も大事になってきます。
加えて、健康相談や予防への取り組みは大事です。個人的には、何かあったら相談できる医療機関は、かかりつけ医の役割に入れていいと思っています。ただ健康相談や予防は現時点では診療報酬に入っていません。だから健康相談や予防も含めて診療報酬に入れて、「かかりつけ医とは何か」ということを国民目線でも政府レベルでも、共通理解しておくことが大事と思います。
特に今回、社会的弱者になり得る高齢者、高齢者を介護している介護者の方々が、在宅という閉じられた空間で、入院の受け入れが困難で、悲しい思いをされた方が数多くいました。私が診ている患者さんでも、コロナ陽性で結局どこにも搬送できず、酸素ボンベをつけたまま家で亡くなった方がいました。それが東京で起きたわけです。
そんなことが起きていたというリアルをもう少し知っていただき、かかりつけ医とは何か、全体として適正な医療とは何かを既得権益なしで話せる場があるといいと思います。
歩みは遅いかもしれませんが、岸田内閣の下でかかりつけ医機能の制度整備が進められているのは、今までになかった第一歩だと私は評価しています。しかし、患者の側にリテラシーがなさすぎるとも思うのです。
国民の側、患者の側が、医療のかかり方、介護サービスの使い方についての常識が確立しておらず、ただ、一方的に医療や介護に自分のニーズを満たしてほしいと言っている。言い方はよくないかもしれませんが、啓蒙のようなことも併せてしていかないと、患者の側が勝手に専門の診療科ごとに医師を選んでしまうことから抜け出せないでしょう。
1人の医師だけをかかりつけ医にするというのもおかしいと私は思っていて、複数の医師が地域の医療機関で1人の患者さんを診るという、かかりつけ医機能としてあってもいいと思っているのです。
図らずも日本の医療制度は、75歳以上で後期高齢者医療制度という独立制度になっているので、75歳以上だけを別の診療報酬体系にするということも、やろうと思えばできるのではないか。高齢者のかかりつけ医のニーズは若年者より高いので、そこで機能を整理した上で診療報酬を改定していくこともできるかな、と夢想しているんですけれども。
国民の意識変化とデジタル導入の課題
先ほど春田さんがおっしゃったように、私も予防に力を入れることは賛成です。ただ、予防の効果というのは可視化しづらいですよね。疾患の発症には社会的な背景など様々な要因が関連しますので、診療報酬のような形で予防にインセンティブをつけるのはなかなか難しいのかなと思っています。
そのような中、新しい流れとして注目していることの1つが、医療の現場でのプログラム医療機器(SaMD:Software as a Medical Device)の評価です。日本の公的医療保険に収載されたプログラム医療機器の第1号が、慶應卒の佐竹晃太先生が立ち上げたベンチャーが開発したCureAppという禁煙アプリです。これは医療機関で対面で禁煙指導するより、そのアプリを用いて指導するほうが禁煙効果が高いというエビデンスを論文として出された上での診療報酬収載でした。
ベンチャー企業がこうした分野に参入することは今まで日本では難しかったのですが、厚労省がプログラム医療機器全般の評価に関する考え方の枠組みを整理したことで、保険収載の道筋が見えやすくなりました。今後は血圧管理や、栄養指導、生活習慣病の治療全般でも、アプリやオンラインを組み合わせていくことが主流になっていくと思います。それによって重症化予防を中心に、医療が効率的で質の高いものになり、ゆくゆくは医療費の伸びを抑えることも期待できます。
国民の意識にかかわることで言えば、今まで他人事だった感染リスクや治療リスク、生活上のリスク、また死に対する認識が変わり、自分にかかわる身近なこととして捉えられるようになったことが、コロナの影響として大きかったと思っています。予防やセルフケアの意識も高まりました。
政策形成においては、いろいろな立場の方々が議論し、熟議の上で資源配分を決めることが重要です。医療の政策形成に参加するアクターは多様化しなければいけないし、実際そうなってきています。その中で、患者はもとより一般の国民がより医療制度や政策についてわが事として関心を持って議論にかかわってくださることが重要です。その点で課題を挙げれば、国や行政の政策に関する情報の出し方も改善すべき点があると思います。
例えば今、マイナンバーカードの保険証利用を進めるにあたって露見してきた不具合やリスクが議論されていますが、そもそもマイナンバーカードは何のためにそれを推進するのか。目指すことは何かが国民によく説明されないままに、ポイントがつくとか目先のメリットだけをちらつかせて推進しようとするので、国民は不信感を持っているところがあると思います。
デジタル化の大きなメリットを国民全体が享受するためには、情報と情報とが結びつくことで新しい価値を生み出すことや、ビッグデータを活用することでサービスの質が向上したり、結果としてコストが下がる、ということもあると思いますが、そうした真のメリットがちゃんと伝わってない。
マスメディアも本質的な問題をしっかり捉えて伝えてほしいと思うし、国民1人1人がよく考えて議論をしてほしい。そして最終的に納得して受け入れるとなったら、決めた以上は一丸となって取り組んでいく。そのように変わってほしいと思います。
まさにおっしゃる通りです。役所の側の実務的なニーズをマイナンバーカードの利用につなげたいという背景はきっとあるのだろうと思います。しかし、実務的なところは責任をもって官僚のほうでやってくれと言われると、批判が出てくるからと反対する。政治がきちんと守ってくれればできるけど、そうではないなら、今はとりあえず紙で回っているからいいやということになってしまう面もある。
税などは、税務署は全ての情報を一手に握っていると国民は思っていますが、実は税務署にとって必要ない情報は一切持ってないのです。だから誰が所得をたくさん稼いでいるかは知っていても、所得を稼いでない人の数については粗い数字しか持ってない。
コロナ禍で一律10万円給付という話の際、もっと低所得の人に重点的に配ったらという話も、情報が不完全だからそれができない。役所側も、情報がなくても日常業務はやっていけるので、税務署はマイナンバーから得る情報は必要としていませんという話になって、国民は、ますます何のためのマイナンバーカードかわからなくなる。
だから、やる気のある政治家がちゃんと出てきて責任を取ることが必要です。マイナ保険証もそうですが、きちんと政治家が企画して、その通りに役所の人が働いてくれれば責任を取ると言ってくれる政治家が出てくるとやっと進むのです。
やはり縦割りなのですね。
本当に縦割りです。
医療保険財政等の課題
また、医療保険財政をどうやって持続可能にするかは、今後ますます悩ましい問題に直面すると思います。特に今までそれを支えてきた現役世代の人たちの数が今後減ることによって保険料収入や税収入が減ると、では高齢者の方にもそれなりのご負担をお願いするという話になる。しかし、将来、高齢者になったら医療費は自己負担だけではなく保険料負担まで取られるのかと、将来不安を煽ってしまうことにもなるので、そこをどのように上手くバランスを取っていくかです。
楽観論で言えば、現役世代の人たちの給料がどんどん上がり、人口は減っても1人当たりの所得は増えていくから、その人たちが保険料を払ってくれるというのがバラ色の医療保険財政ですが、そう簡単にそれができるわけではない。そうなると、負担と給付のバランスを上手く調整していかなければいけないでしょう。
今後のことで付け加えるならば、日本には看護師の資格を持っている人が200万人います。ただ、70万人は実際には看護師として働いてない。コロナの際、病棟は難しくても、例えば保健所の疫学調査の補助やワクチンの接種ということであれば十分その方たちも働けたと思うのですね。
その方たちは働きたくない人ばかりではなくて、毎日夜勤も含めて働くのは大変だけど、限られた時間に働くのであればいいという人も多いので、研修に参加してもらうなど、一定の知識を定期的にその人たちに提供し、有事には来ていただけるような仕組みも大切かなと思います。
医師、薬剤師、歯科医師は、三師調査と言って必ずどこでどのぐらい働いているのかを国に調査されている。でも看護師はそうではないのでどこに看護師資格を持った人たちがいて活用できるかはわかってない。医療従事者は、パンデミックの時にニーズが非常に上がりますから、そういう時に少しでも手伝っていただける人たちを組織化しておくことは大きいと思います。
相手に合った伝え方
「自分事として考える」ということで、すごく難しいなと思ったことがありました。コロナの際に感染ガイドラインがたくさん出ましたが、一般の人たちから「結局どうしたらいいんですか」と複数の方に聞かれました。何が危険なのかがわかっていない人がたくさんいたということです。
インターネットにアクセスできない人は情報に辿りつけない。リテラシーの差がすごくあり、特に私が診ている地域の病院は高齢者が多いので、高齢者はパソコンやスマホの小さい字を見ても理解の差があり、守りたい人を守れないような情報の伝播の仕方があったのではないかと思うのです。
それで「先生、どうしたらいいの」と聞かれるのです。具体的にあなたはこうしたらいい、と言えばやってくれます。ワクチンの話も、打ったほうがいいと言っているけど、ワクチン反対の意見もあると高齢者は迷ってしまう。こういう時に、「打っていい」と言ってくれる信頼できる医者が目の前にいることはすごく大事だなと思いました。
先生に、最後の一押しをお願いしたいんですね。
はい。自分のことを知ってくれている先生が言うのだったら打っていいと思ってくれる。
それがかかりつけ医の役割かもしれませんね。
そうですね。学校もずっとマスクをさせて夏に運動会をさせていた。誰も取っていいと言わない。そこに地域の医師会の感染症対策の先生が、運動会も、こうすれば安全だからマスクを取っていいよと言ったら、いろいろなことができるようになりました。
医者が社会から閉じこもっていたことが今回改めてわかったので、地域の人たちに対して、オンラインの情報だけではなくて、もう少しわかりやすい形で正しい情報を伝えていかないと彼らは動かないし、自分事として感じてくれないのだろうなと思います。
相手に合った伝え方ですね。行動変容を起こしていただくカギはそこですよね。
答えのないことを知る力
コミュニケーション力を高める機会を多く提供することは、まさに大学が果たす役割の1つかと思います。医療と社会の関係について、大学における教育も含め、社会の側が整備すべきことについて意見がありましたらお願いします。
医療制度も、介護制度も、時代を経るにつれて緩やかに変わってきている。かつての常識も新しいエビデンスによって覆ることもあります。学校を卒業した時までしか教育を受けてないと、そこから先はよほどきちんと自分で情報収集しない限り、知らなかったとなってしまう。
だけど特に医療や介護についてはそれではまずいということです。例えば要介護認定での要支援というのは自立支援であって、生活を丸ごとサポートしてもらえるわけではない。私はこれは国民の常識になってほしいと思うけど、現状はそうではないわけです。
だから高齢者になる前に、医療と介護の制度についての常識は国民皆が一度学んでもらうことが必要です。これからますます介護サービスが高度化し、複雑なサービスもきめ細かくしてもらえる時代になるので、受ける側もどのように上手に受けるかを心構えとして持っていただきたいと思います。
おっしゃったように、例えば医学部では24歳で大体卒業するわけですが、その人たちが40代、50代になる時、24歳までに学んだ知識はほとんど使えないと思います。
だから、われわれ医学教育にかかわる人間の使命は、知識を与えることではなく、その場にある様々な分析結果をどう総合して、それを実地に生かすかという方法論を教えるべきだと思います。生涯を通じて自分が実臨床をしながら、それをどうやって結合させて分析して、生かしていくか、終生積み重ねられるようなやり方を大学時代に教わることが必要だと思う。
これは医学部だけではなく、他の医療系の学部も同じだと思います。そうしないといけないと、大学教育に携わる者として自戒を込めて思います。
20年後の未来を見据えて、今回の医学教育モデル・コア・カリキュラムの改訂では「総合」という資質・能力が新しく加わりました。
それには全人的な視点、人生の視点、地域の視点、社会の視点で人をみて、アプローチをすることが含まれます。これは知識を得ればできるわけではなく、その視点で人や課題をみると、どんなふうに人や課題が捉えられるかを考え続ける能力です。例えばEBM(エビデンスト・ベースト・メディシン)も、エビデンスの確からしさを吟味し、その知見を目の前の人に適用できるか、その過程を批判的に吟味する。そういうプロセスがすごく大事です。
でも今の学生は、知識を大量に記憶し、解が1つある問いに効率よく吐き出すことを中高校時代からやってきてるので、情報処理能力の速い人が大学入試に勝っていく。今、医学部でもそのような訓練を受けてきた中高一貫高出身の生徒が多くなってきています。
今の受験戦争はわかっている答えにいかに速くたどり着くかです。でもわれわれの人生の中の問いはそうではない。全然答えがわからない中でどう自分なりの答えを知るか。そこが大学時代に上手くいろいろな意味で形成できているといいですね。
教育をする医学部の教員も教育の知識が足りなかったり、教え方もよくわからなかったりします。教員自身も、生涯教育として答えがない問いについて学んでいかなければいけないのですが、日々の臨床や研究で忙しいのが現状です。
社会課題に対する大学の役割
今、訪問看護ステーションや介護ステーションにBCP(事業継続計画)の策定が義務づけられるようになりました。
大災害など何か起きた時の意思決定は1つの正解がないことも多く、むしろ日常の価値感とは相容れない選択肢しかない中で、究極の選択を現場の人がしなければいけない場面が多々あります。すると、知識を教えたりマニュアルを作ることよりも、いざという時にどういう価値判断基準で優先順位を決めるのか、ということを、日頃からスタッフ間で議論するしか役に立たないように思うのです。
想定外が起きることを前提に、現場の教育のあり方も、正解を教えるのではない方向に変わっていかなければなりません。大学教育も、その問題の本質を自分自身で見極めて自分で答えを出していく力をつけていける、そんな教育ができるといいと思っています。
何をすべきか自ら考えて行動に移すためには、繰り返し学ぶことやトレーニングを行うことが重要です。また、大学を卒業した後でも、リカレント教育ということで、これまでとは違った視点で物事を見る教育も重要だと思います。
例えば、医療・介護の勉強をされてきた方が、医療・介護の現場で従事している皆さんのモチベーションをいかに高めるかを学ぶことは価値があります。特に、コロナ禍におけるモチベーションの維持・向上は大変重要でした。
また、医療現場におけるデジタル化や、経営的な視点が重要になっていく中で、医療関係者がデジタル化について学ぶ、あるいは経営について学ぶといった機会を提供することも、大学が果たす重要な役割かと思います。特に大学院は、学部での学びとは異なる分野の学びの機会を提供できます。
その通りですね。ただ、このような領域横断的な課題に対して、学部教育は縦割りが続いています。慶應も医看薬の3学部合同教育を実施していますが、1日集まってディスカッションするというイベント型の教育で終わっています。まさに、社会の課題をどうやって解決するのかを考えていく時代です。例えば、地域の課題を医療だけでなく、経済、生活、文化、歴史、地形など様々な視点で考える意味で、人文系の先生も必要かもしれません。
そういった社会課題に対する領域横断的な教育は、総合大学である慶應は実施しやすい場だと思います。社会貢献にもなるし、学生も学び合えるし、そこから私たち教員が得られることもあるのではないかと思います。
1つのテーマで、違った立場の先生方のお考えを聞くと、教員側も非常に勉強になります。高いレベルでこれができるのはやはり慶應だけかもしれません。その意味で、慶應が果たし得る役割は大きいのではないかと思いました。今日は有り難うございました。
(2023年5月22日、慶應義塾大学三田キャンパス内で収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。