慶應義塾

【特集:国際秩序のゆくえ】座談会:ウクライナ侵攻後 世界はどう変わるのか

登場者プロフィール

  • 大串 敦(おおぐし あつし)

    法学部 教授

    1996年獨協大学法学部卒業。2005年グラスゴー大学大学院政治学専攻修了(PhD in Politics)。13年慶應義塾大学法学部准教授。20年より現職。専門はロシアを中心とした旧ソ連諸国の政治。

    大串 敦(おおぐし あつし)

    法学部 教授

    1996年獨協大学法学部卒業。2005年グラスゴー大学大学院政治学専攻修了(PhD in Politics)。13年慶應義塾大学法学部准教授。20年より現職。専門はロシアを中心とした旧ソ連諸国の政治。

  • 細谷 雄一(ほそや ゆういち)

    法学部 教授

    塾員(1997法修、2000法博)。1994年立教大学法学部卒業。96年バーミンガム大学大学院国際学研究科修士課程修了。博士(法学)。慶應義塾大学法学部助教授を経て11年より現職。専門は外交史、国際政治学。

    細谷 雄一(ほそや ゆういち)

    法学部 教授

    塾員(1997法修、2000法博)。1994年立教大学法学部卒業。96年バーミンガム大学大学院国際学研究科修士課程修了。博士(法学)。慶應義塾大学法学部助教授を経て11年より現職。専門は外交史、国際政治学。

  • 森 聡(もり さとる)

    法学部 教授

    1997年京都大学大学院法学研究科修士課程修了。外務省勤務を経て2007年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。法政大学法学部教授を経て22年より現職。専門はアメリカの外交・安全保障、現代国際政治。

    森 聡(もり さとる)

    法学部 教授

    1997年京都大学大学院法学研究科修士課程修了。外務省勤務を経て2007年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。法政大学法学部教授を経て22年より現職。専門はアメリカの外交・安全保障、現代国際政治。

  • 神保 謙(じんぼ けん)

    総合政策学部 教授

    塾員(1996総、2004政・メ博)。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学総合政策学部専任講師、准教授を経て2018年より現職。専門は国際安全保障論、アジア太平洋の安全保障。

    神保 謙(じんぼ けん)

    総合政策学部 教授

    塾員(1996総、2004政・メ博)。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学総合政策学部専任講師、准教授を経て2018年より現職。専門は国際安全保障論、アジア太平洋の安全保障。

  • 加茂 具樹(司会)(かも ともき)

    総合政策学部 学部長総合政策学部 教授

    塾員(1995総、2001政・メ博)。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学法学部准教授、同総合政策学部准教授等を経て、2015年同教授。21年同学部長。専門は現代中国政治。

    加茂 具樹(司会)(かも ともき)

    総合政策学部 学部長総合政策学部 教授

    塾員(1995総、2001政・メ博)。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学法学部准教授、同総合政策学部准教授等を経て、2015年同教授。21年同学部長。専門は現代中国政治。

2022/07/05

ロシアの「侵攻」の目的

加茂

この特集座談会は、当初、私たちの同僚の中山俊宏先生が司会となって進めることが予定されていました。しかし、大変残念なことに中山先生が5月1日に急逝されました。あらためて、中山先生に哀悼の意を表したいと思います。

さて、2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まってから3カ月がたちました。今日は、あらためてその侵攻が国際秩序に与えた意味を考え、国際秩序のゆくえを展望したいと思います。

まずは、侵攻から3カ月たった現状をどう見るのかというところから議論していきたいと思います。なぜこのような事態に至ったのか、この侵攻が起きないようにするためにどうすべきだったのかが、これからを考える上で重要な論点なのかなと思います。ロシアがご専門の大串さんいかがでしょうか。

大串

ロシアがなぜこのような侵攻をしたのか。ご案内の通り、ロシアが公式の戦争目的として掲げたのが、ウクライナをNATOに入れさせないということ、ウクライナを非軍事化する、ウクライナを非ナチ化する。それからいわゆるドネツク、ルガンスクの人民共和国の保護、そしてウクライナ国内にいるロシア人の保護あたりが公式の戦争の目的と言えると思います。

ロシアはウクライナに対する執着が非常に強かったというのは、プーチン自身の頭の中でロシア人とウクライナ人というのは、もともと文化的にも近しく、一体なものだという考え方に基づいています。それゆえにNATOという、プーチンから見たら反ロシアに類する軍事同盟に入るのはけしからんと思ったのだと思います。

さらにウクライナを非軍事化し、ロシアに歯向かわないようにするということはさしあたり理解はできる。しかし、よく何を言っているのかわからないと言われるのが「非ナチ化」です。

2014年のマイダン[キーウの独立広場]での政変以降、ネオナチと言うかどうかは別にして、ウクライナ国内で民族主義的な傾向が強まったのは事実なんですね。特にヤヌコヴィチ政権を倒す時にかなり急進的な民族主義者が活動して暴力行為が行われました。

私は2014年の3月にキーウとドネツク州に入っていますが、その時に右派セクターといわれている急進民族主義的な若者の集団がロシアではすごく報道されていました。「こいつらはネオナチだ」と言われていたわけですが、相当程度彼らが活動した。ただロシアの報道には誇張があったと思います。

私はその時、ウクライナの有識者に、「右派セクターってそもそも何者?」と聞いたら、その人はマイダン派の学者だったので、「あれはロシアのプロパガンダだ、信用するな。フットボールのサポーター連中だ」みたいなことを言うわけです。

その時、私はフットボールのサポーター連中という言葉の文脈がよくわからなかったのですが、世界各国の強烈なフットボールサポーター集団というのは、フットボールの遠征に付いていって、現地のサポーターの連中と武装闘争を繰り広げる、ある種のギャング集団みたいな感じなんですね。彼らが実際、マイダンの政変が暴力化していく過程で活動したのは事実です。

さらにその後のドンバスの戦争で、彼らがロシアに対してかなり戦果を挙げた。ウクライナの一般市民からは、暴力的だったので当初評判がよくなかったのですが、対ロシア戦争で活躍したので、ある種のヒーローに祭り上げられ、彼らの暴力行使を許してしまう風潮となったのも事実と思います。

その中にはバンデラ主義者と言われている人たちもいます。バンデラというのは、第二次大戦の最中にウクライナ独立運動を指導したウクライナナショナリストで、非常に反ユダヤ的な傾向と反ポーランド的な傾向が強かった。この人たちはナチスが入ってきた時にユダヤ人虐殺にも協力していますし、ポーランド人も虐殺している。その後は、ソ連軍に対しても戦闘している。そして、今のウクライナの民族主義的な人たちの中にはバンデラ主義者がある程度潜んでいるのは確かです。

さらに、マリウポリで最後まで戦ったアゾフ大隊。2014年にウクライナ側がマリウポリを奪還する時に中心となったのが、この民族主義的な人たちだったわけですね。だから、今回ロシアがマリウポリで殲滅作戦的なことをやった理由の1つは、おそらくそれがあると思います。

ウクライナ側は、アゾフ大隊を国軍化する際には思想調査をやって、過激なネオナチと言われる連中は全部排除したと言っています。しかし、戦争前、ウクライナ国内でそうした過激な民族主義的傾向が強まっていたのは確かです。もちろん、だから戦争をやっていいわけではなく、それを理由に戦争をするというのはおかしいのですが、ロシア側としてはそれを戦争の理由にしてしまったということですね。

ロシアが「非ナチ化」と言っているのは、そうしたいわゆる民族主義的な人たちを排除するという意味です。

19世紀的な国際秩序観との対決

加茂

ロシア側からの侵攻目的の説明がありましたが、ヨーロッパの視点から、細谷さんいかがでしょうか。

細谷

私はちょうど先週ポーランドに行き、ポーランドの国際政治学者およびロシア専門家の方々と意見交換をし、貴重な意見を伺うことができました。また、8年前に開設されたワルシャワ蜂起博物館にも行き、その壮絶な歴史を学んできました。

ワルシャワ蜂起前のワルシャワの人口は130万人だったのですが、蜂起後の人口は9000人に減っています。つまり129万人が亡くなるか、避難している。誰によって殺戮されたかといえば、ロシア軍とドイツ軍です。最初に独ソ不可侵条約によって東側からソ連が攻め込みポーランド東部は侵攻され、その後、独ソ戦が始まってナチスドイツが支配したわけです。

今回のロシアによるキーウの包囲と攻撃で、最初に多くのポーランドの人が思い出したのはこの第二次大戦下のワルシャワでの経験のようです。つまりいずれキーウも、ワルシャワのように徹底的に破壊されるだろうと、多くの人たちが想定していた。しかし、そうならなかったことにポーランドの人が驚いている。つまり思った以上にウクライナが抵抗し、そして思った以上にロシアの作戦が上手くいっていない。

しかし、ポーランドの研究者の意見が一致したのが、「ロシアは容赦がない」という点です。つまり、これで簡単にプーチンが軍事作戦をやめるとは思えない。おそらく再びキーウを攻撃して破壊するだろうと。

伝統的にロシアはポーランドやウクライナに傀儡政権をつくり、そこを自らの勢力圏にする。さらにはそれに抵抗する勢力は容赦なくつぶす。この背後には、ロシアの中でウクライナやポーランドを「国家」と見ていないということがあると思います。

プーチン大統領ははっきりと「ウクライナはそもそも国家ではない」と言ったわけですが、私はこれは19世紀的な国際秩序観だと考えます。つまり、大国支配により国際秩序をつくり、小国はあくまでも大国の意向によって生存が決まっていく。大国が「生存してもいい」と言えば生存できるし、そうでなければ、軍事力によって支配し、自らに従順な傀儡政権をつくる。

この19世紀的な、大国主義的なパワー・ポリティクスの秩序観が一方においてある。そして、一方でわれわれは20世紀において、小国であっても主権国家として生存する権利があるという規範を守ってきた。これが国際連盟の連盟規約であり、また国連憲章の基本的な原理です。自決権さらには主権国家、主権平等の原理によって主権国家が生存する権利を得て、それに対して侵略した国に対しては、集団安全保障によって制裁を加えるというのが、基本的に20世紀の国際秩序の根幹だったと思うのです。

それゆえ、今回の戦争を「ロシアとウクライナの戦争」として見てはいけないのではないか、というのが私の考えです。つまり19世紀的な、大国主導によるパワー・ポリティクスの国際秩序観と、20世紀に発展したリベラルな国際秩序を擁護する立場との対立であると見るべきではないか。したがってウクライナはアメリカの傀儡で、この戦争はアメリカとロシアの対立なのだという見立ては、典型的な19世紀的な世界観の陥穽なのです。

それはロシアから見える国際秩序観で、つまり、その秩序観をわれわれは容認すべきでない。そうではなくて、ウクライナには自決権があり、自らの意志でロシアに抵抗して戦って、主権国家として生存する権利を求めているということです。なので、アメリカの傀儡国家だと言った瞬間にプーチン的な、19世紀的な国際秩序観を擁護することになってしまうと思います。

ですから、岸田総理が侵攻の翌日に、すぐに「国際秩序の根幹を揺るがす行為である」と述べたのは正しい発言だと思います。つまりこれはロシアとウクライナの二国間の戦争ではない。国際秩序の原理をめぐる対立なのです。

現行秩序へのチャレンジ

加茂

この戦争をどのように見るのかという大きな視点でお話をいただきました。次に森さんお願いします。

私もひとまず大きめの視点から2点ほど述べたいと思います。1つ目は秩序の話で、2つ目は戦略の話になります。

秩序に関する問題は、まさに今、細谷さんがおっしゃったこととも重なるのですが、現行の国際秩序という意味での「現状」を、力で一方的に変更しようとする大国が出現した時に、それにどう対応できるのかという問題を非常に先鋭化させたのが、このウクライナの問題なのではないかと思います。

国際秩序という観点からみたロシアによるウクライナ侵略の意味は、国連憲章2条4項という戦後国際秩序の根本原則の違反が1つと、ウクライナにおける非武装の民間人に対する残虐行為や大量殺害という国際人道法の重大な違反。この2つが秩序へのチャレンジとしてみなされるのだと思います。

これらの現行秩序を下支えする根本原則が侵されていることを受けて、ロシアに対する非難決議は141カ国が賛成しました。しかし、国際法違反に対して制裁を科す国は40カ国あまりに限定されている。したがって国際秩序が破られた時に、違反国に対してコストを負ってルールを執行する国は、世界の諸国家の約5分の1というのが現実です。このように限られた自由主義的な民主主義国家によって秩序が担われているという実情が明らかになりました。

こうした状況で、核兵器を保有するロシアが、制裁を科されながらも、非人道的な武力行使による領土的現状の変更を既成事実化することに成功していくのかどうか。この顚末次第で、世界の国々の安全保障環境、そして国際政治のダイナミクスが変わっていく可能性があります。

2つ目は、中ロと近接する国々は、アメリカとの同盟関係がないと自らの独立や平和を維持するコストが極めて高いということが鮮明になりました。フィンランドとスウェーデンのNATO加盟申請の動きにも表れているように、かなり不安が高まっている。台湾でも中国に対する警戒心がこれまで以上に高まっているようです。

覇権国の下で従属関係に入っていくのか、あるいはアメリカとその同盟国から支援を受けながら、独立を守るために多大な犠牲を払ってでも戦うかという、極端な選択肢に直面する中小諸国に対し、アメリカがすべて「抑止」できるというわけではない。それら脆弱な中小国に対して、自由で開かれたルールに基づく秩序を標榜し、その中に平和と繁栄を見出す国々が、一体どのような戦略的な選択肢を提供できるのかが問われています。

中国の姿勢

加茂

私からは中国の視点を話したいと思います。ロシアによるウクライナ侵攻に対する中国の行動を観察していくと、中国が既存の国際秩序をどう評価し、その中で自分たちの立ち位置をどのように示そうとしているのか、理解することができると思います。私は2つ論点を示します。

1つは中国の対米認識です。ウクライナ侵攻の直前に「限界のない友好」を唱う共同声明を中ロは交わしました。国際社会は中国が「親ロ」をどの程度貫くかに関心を持ちました。実際にはこの間の中国の言動を見ると、その外交の基軸は、親ロと捉えるよりも「抗米」、反米とは言わなくても、アメリカへの対抗にある。中国外交の基軸は対米関係なのだと確認する3カ月でした。

もう1つは、中国が国際社会の行動を冷静に観察していたことです。安保理常任理事国として戦後国際秩序の根本原則を擁護する立場にあるロシアを効果的に制裁するために中国の行動はカギでした。この3カ月間、中国はロシアの行動を支持していない。一方で中国は、国際社会がロシアの行動を「侵略」と言うことに同調せず、ロシアを非難せず、制裁にも賛成しないという立場を取りながら、自身は国際社会が一体どこまでロシア制裁に付いていくのかを見ていました。

アメリカとヨーロッパの国々がロシア制裁に踏み込むのは当然として、東南アジア、アフリカ、南米といったグローバルサウスがどういう立ち位置を取るのか、ずっと観察をしていました。その中で中国自身はある種の確信を得た。つまり、必ずしも世界はアメリカとヨーロッパと一体ではない、アメリカと自国との間に広大なもう1つの空間があるということです。

こうした行動を選択した中国は、戦後の国際秩序を擁護する役割を担っているとはとても言えない。そこで次の問いが浮上します。中国が自身のレピュテーションリスクをどう捉えているのか。この点は、今後の国際秩序の行方を展望する上で大きな論点になるのだろうと思います。

国際社会は団結しているのか

神保

私は国際秩序、安全保障の秩序という視点から3つほど問題提起をしたいと思います。

1つのキーワードは、古典的な戦争が再来したということです。私も、まさか21世紀に大国が国境を接する隣国に大規模な地上作戦を展開するとは想像していませんでした。私が安全保障を研究するきっかけは1991年の湾岸戦争で、アメリカ軍を中心とする多国籍軍が一方的にイラク軍を攻撃する映像を見て、これが未来の戦争かと鮮烈な印象を持ちました。

ところが今年のロシアの戦争は、まるで出来の悪い過去の戦争を見ているような印象に襲われます。昨年まで私は、現代の戦争はサイバーや情報戦が常態化し、物理的な衝突を伴う戦闘は短い期間で勝敗が決すると考えていました。しかし、現実にそれとは全く異なる古典的で長期的な戦闘が展開している。この衝撃が最初のポイントです。

2つ目のポイントは、何でこの戦争を防げなかったのかということです。冷戦が冷戦たり得たのは、米ソ両大国の直接の戦争が核戦争によって人類を滅ぼしかねないという、エスカレーションに対する恐怖が常に目の前にあったからです。まさに核戦争に対する恐怖によって抑止されていました。

ロシアのウクライナ侵攻は、侵攻と占領が短期間で終了し、その間にアメリカとNATOは軍事介入できないという想定で決断されたように思います。ロシアは念入りに核兵器使用をほのめかし、第三次世界大戦を示唆しながら侵攻を進めました。ロシアが一方的にNATOを抑止しながら展開した戦争のようにも見えます。

実際には戦争はウクライナ軍の抵抗で膠着し、NATO諸国は武器と情報の供与でウクライナを支えています。ロシアがこの戦争の帰結を過小評価したことは明らかです。ただ、こうした帰結を事前にロシアの計算に含めることはできなかった。

3番目は、国際秩序の岐路であることです。ロシアは領土の一体性とか、主権の尊重という原則を堂々と無視して他国を侵略している。あからさまな国連憲章の違反になるわけです。この行為に対して国際社会が効果的なペナルティーを与えることができなければ、本当に『リヴァイアサン』の世界に戻ってしまう。

確かにロシアが従来求めていたNATO拡大阻止は失敗し、フィンランドやスウェーデンが加盟の動きを加速してしまった。また、ウクライナはもはやロシアの勢力圏に回帰することはないだろう。さらにロシアには未曾有の規模の経済制裁が課せられている。しかし、それでも3カ月たって、まだロシアを完全な敗北には追い込めていない。

ロシアを追い込めない理由は、軍事的な膠着が続いていることに加え、加茂さんが言われたように、ロシアに対抗する国際社会の団結が、十分に固くないということが大きい。中国も貿易を続けているし、インドも国際社会に同調しないばかりかエネルギーの買い付けに走っている。そう見ると、国際秩序を崩したことに対するペナルティーを与える、という使命感を国際社会は十分に共有していないのではないかと思っています。

加茂

国際秩序が大きく揺らいでいるという問題意識を実は国際社会は必ずしも共有できていないという問いは、間違いなく国際安全保障・国際協力体制のゆくえを論じる上で、極めて重要な点だろうと思います。

細谷

とても重要なことをおっしゃられたと思います。つまり国際社会が十分なペナルティーをロシアに与えられていないことが、今後の国際秩序の動揺につながってくるということです。

思い起こすのが、1931年の満州事変です。満州事変が起きた時、当然ながらかなりの程度、国際連盟規約の違反だったわけですが、結局国際社会、連盟理事会は侵略行為とは認定しなかったわけです。それを見て、大国は軍事行動を起こした際、国際社会がそれに対して十分な制裁ができないということを、ある意味、学習してしまった。

その後、1935年にイタリアがエチオピア(アビシニア)を侵略します。それに対して国際連盟は一応理事会で侵略と認定したのですが、事実上制裁はほとんどしなかった。

この後にヒトラーが出てくるわけですね。国際社会は十分な制裁ができない、つまり軍事力を持った大国が行動した時に各国が自国の利益を考え、経済的には、根幹となる貿易を継続できる。軍事的には他国の安全保障のために自国が犠牲を伴うことは嫌うという素地があったということです。

それは今で言えば、核兵器を使うという脅しが、結局アメリカを含めてどの国にとっても、果たして核戦争をしてまでウクライナを救済する価値があるのかという、非常に残酷な問いにつながってしまっていると思うのです。

ですから先ほど申し上げた通り、ウクライナの戦争も極めて重要なわけですが、同時にそれを見て、中国をはじめとする国際社会が何を学び、その後の行動原理や規範にどのような影響を与えるかということはさらに大きな意味を持つのだろうと思います。

ヨーロッパの安全保障構築のつまずき

加茂

具体的なヨーロッパの安全保障体制の再構築については細谷さんいかがでしょうか。

細谷

今回の事態は、冷戦終結後の30年間に、安定的なヨーロッパの安全保障秩序をつくることにつまずいてきた帰結でもあるとも考えられます。冷戦終結時にはヨーロッパ全体を包摂するような、当時ゴルバチョフ大統領が「欧州共通の家」という言葉を使って、CSCE(後のOSCE:欧州安全保障協力機構)を基礎にした、より包摂的な安全保障・秩序をつくろうとした。

さらにはフランスが中心となって、ヨーロッパが主体的、自立的に安全保障秩序をつくろうとした。これはEC・EUが中心になります。それに対して米英が中心となって、NATOを軸とした自由な民主主義の価値に基づいた欧州安全保障秩序をつくろうとした。

結局、米英型のNATOを中心とする安全保障秩序が冷戦後の秩序の基盤となったわけですね。しかしヨーロッパから見ると、アメリカもイギリスも欧州大陸の国家ではない。ですから、結局欧州大陸が主体的に安全保障秩序をつくることにつまずいていた、とも言えます。つまりフランスやドイツやロシアが主体的に包摂的な安全保障秩序をつくることができなかった。

ある意味、それに一番近かったのが、私は2015年の「ミンスクⅡ」だったと思うのです。フランスとドイツとロシアが中心となって、ウクライナの問題を解決しようとした。これは相当程度ロシアに譲歩をした合意だったと思いますが、結局のところ、プーチン大統領自らがそれを損なうような軍事的な決断に至った。もちろんロシアは、ウクライナが約束を遵守していないと批判するわけです。

私は本当の意味でウクライナ戦争を終結させるためには、冷戦後の安定的な欧州の安全保障秩序を、欧州が包摂的かつ主体的に構築することがカギになると思うのです。軍事的にはロシアが勝つかもしれないし、負けるかもしれない。膠着したままかもしれない。しかし、戦闘の継続とは別に、欧州における安定的な秩序をつくらなければならないわけです。

これはねじれ現象で、米英が軸となったNATOを基礎とした欧州安保秩序はむしろフィンランドやスウェーデンの加盟で拡大し、より強固になっている一方、それ以外の選択肢は今、失われつつある。本来であればロシアが加わって協調的な安全保障秩序をつくるべきところが、より一層ロシアが嫌う米英中心のNATOを基礎とした欧州安保秩序が確立する方向に向かっている。私はこのことがこれから50年、100年、欧州の国際秩序に巨大なインパクトを与えることになるのではないかと思っています。

ロシアの思惑

加茂

ロシアから見て戦争の目的はもはや大失敗しているのだけれど、なぜ今ロシアはこういう選択をしなければいけなかったのか。ロシア自身の国際秩序観がどういうところにあったのか。大串さんいかがでしょうか。

大串

神保さんが、古典的な戦争がこれほど大規模なものになると思わなかったと言われましたが、ロシアも最初は短期決戦で終わらせるつもりだったのだと思います。ところが思った通りに行かなかったということですね。

これはどうしてなのかというと、ドンバスを守ることとウクライナをNATOに入れないことが、根本的に矛盾するのですね。推測ですが、プーチンが決断するプロセスでは、ウクライナ軍がかなり攻勢を強めていたようなので人民共和国に泣きつかれたのだと思います。しかし、「ドンバスの地域だけ保護しますよ」といって軍隊を出して、ドネツク・ルガンスクだけを取ると、ウクライナがもっと右傾化し、NATO寄りになるのは明らかなわけです。

だから、これらの人民共和国を守るということと、ウクライナをNATOに入れないということの両立がそもそも難しくて、だったらもう政権を転覆するしかないということになったのではないか。もっとも軍隊内でも全面侵攻派とドンバス限定派の中で随分対立があったようで、結局全面侵攻派のほうが勝利したようです。

ただウクライナを完全に占領するには兵力が足りないのは、やる前からほぼわかっていたので、おそらく少ない兵力ですぐにキーウを取れるという思い込みがあったのではないか。それが思った通りにいかずに、ずるずるとドンバス限定案に近いものになりつつあるのが現状なのかと思います。

戦争前は、ミンスクⅡをウクライナに受け入れさせ、ドンバスをウクライナに押し付けてウクライナを連邦化し、ドネツク・ルガンスクが拒否権を持つのでNATOに入れない、というのがロシアのプランだったと思うのですが、これはウクライナも受け入れる気がなかったし、実は人民共和国側も受け入れる気がなかった。両当事者が受け入れる気が全くない協定だったので、これを飲ませるのは非常に困難だったと思います。

ですから、この後の秩序を仮にドイツ、フランス、ロシアでつくるにせよ、当事者たちが受け入れられるようなものでないと、おそらく実行は難しいと思います。

さらに言えばNATOの拡大はロシアから見るとロシア封じ込めに見えますが、実際は東欧諸国はロシアが怖いから入れてほしいのであって、アメリカも遠慮がちにしょうがないから入れてあげると、ロシアは、「これは封じ込めだ」と受け取るという、ある種不幸な連鎖があったのだと思うのです。

そこでも仮にNATO拡大以外にチョイスがあったとしても、当事者の東欧諸国が受け入れられるようなものでないと、おそらく難しかったのだろうという気がします。そうすると「戦争は起こるべくして起こった」みたいな話になってしまうのですが……。

結果として戦争をやってしまい、これはロシアの壮大なオウンゴールになってしまったのは間違いがない。今のところロシアがこれだけのことをやっても上手くいっていないというのは、現行の国際秩序にとっては、おそらくまだましなのでしょう。これでロシアが何らかの意味で得をしてしまうと、細谷さんがおっしゃった通り、真似する国々が出てきかねない。

ただその反面、言われたように、意外にいわゆる先進諸国以外の支持はない。そうしたところから見ても、ここから先この戦争がどう終わるにせよ、欧米とそのほかの国々の溝はこの戦争でかなりはっきりして、そのまま当面の間、残るのではないか。

細谷さんがおっしゃった19世紀的な国際秩序という話ですが、私はソ連にせよロシアにせよ、一貫して秩序観は19世紀的だったような気がします。ソ連時代は東欧諸国までは勢力圏で、だからハンガリー動乱を鎮圧したり、チェコスロバキアに兵隊を入れたわけです。ウクライナ侵攻も発想としてはその延長線上のような気がしていて、冷戦が終わった時に西側の秩序が全世界を覆ったかのように見えたわけですが、実はロシア側の秩序観はほとんど変わっていなかった。このひずみが、この段階で爆発してしまったというところもあるのかと思います。

アメリカの戦略

加茂

中国の視点で話すと、今後の国際秩序のゆくえを考える時に、中国がウクライナ侵攻を通じて何を学習しているのかという視点は重要でしょう。

中国があらためて確認したのは、1つには、先ほども述べたように、ロシア制裁に対して国際社会は一枚岩ではないということです。東南アジアに目を転じればシンガポール以外は制裁に賛同していないという姿は、中国から見れば、さまざまな可能性のある世界が広がっているのだと思います。

もう1つ、中国自身はロシアの戦い方を通じて、核兵器の使い方を学習しているのではないのかという気がするんです。結局のところ、ロシアの核兵器は、アメリカとNATOの地上軍による介入を効果的に抑止しているように中国からは見えるのではないか。中国の核兵器の使い方は、今、日本を含む国際社会が再確認しておくべき論点かと思います。

一方、アメリカはいかがでしょうか。

今回のウクライナへの対応でのアメリカの軍事支援のあり方の問題ですが、「ポスト・プライマシー」時代のアメリカの現状防衛の戦略は一体どうなっていくのかが1つの重要なテーマになっていくのではないかと思います。

プライマシー時代(卓越した優位にある時代)のアメリカの現状防衛のアプローチはやや誇張して言うと、ルール違反のあるところに世界の警察官として出ていき、違反国に対して必要な経済制裁を科し、場合によっては武力で制裁する。これが親ブッシュから子ブッシュまでのアメリカの姿だったと思います。

それがオバマ、トランプ、バイデンという「ポスト・プライマシー」時代のアメリカの指導者の下では、やや極端に言えば、諸外国を2つに分けて、守り方を変えていくという発想の下で判断を下しているように見えます。つまりアメリカの平和と繁栄にとって重要な同盟国は直接防衛し、それ以外の国は軍事援助と侵略国への経済制裁という組み合わせで対応していくという、「ウクライナ・モデル」の発想で対応するように見えます。要するにアメリカは誰のために血を流すのかということで、同盟国とそれ以外を分けている。

ただし、注目を集めている台湾については、いわゆる同盟国ではありませんが、冷戦期の西ベルリンのような位置づけになりつつあります。サリバン国家安全保障問題担当大統領補佐官は、「台湾関係法があるから、台湾はウクライナとは違う」と説明しました。バイデン大統領も、もし台湾が中国に攻撃されれば、アメリカは台湾を防衛すると明言している。つまり、同盟国でなくとも、アメリカが死活的に重要とみなす相手であれば、同盟関係がなくとも直接守るということです。

このような「ポスト・プライマシー」のアメリカの出現は、諸外国にとって何を意味するのか、その含意を2つほど指摘したいと思います。

1つは西側諸国で現行秩序を守りたい国々は、秩序の主たる担い手はアメリカだという意識を変え、自分たちでコストを負って秩序を守らなければいけないという自覚を持ち、ルールに基づく秩序の担い手としての役割と責任を積極的に負っていく必要があるということだろうと思います。

もう1つは、アメリカが「世界の警察官」をやめるということが直ちに同盟国を見捨てることを意味するわけではないので、過剰反応する必要はないということです。同盟国を侵略国から守るという意思は、オバマですら強固でした。オバマの回顧録を読むと、2014年にウクライナの問題に対応した時のオバマの判断は、ウクライナは、アメリカが直接介入して守れる国ではないと、冷徹なことを言っている。

ウクライナを巡ってもしロシアと直接戦うことになれば、最終的にロシアにとってのウクライナの重要性とアメリカにとっての重要性を比べれば、当然ロシアにとっての重要性のほうが高い。だから、結局エスカレーション合戦で根比べをすれば、最終的に降りるのはアメリカなので、はじめからエスカレーションのスパイラルを招くような関わり方をすべきではないという判断をしていた。極めてオバマ的と言いますか、学者的で論理的な判断基準で対応している。

一方で、クリミアの併合をめぐる動きが出てきた直後、オバマは側近に、「NATO諸国にもし手を出したらアメリカは戦争するということを、しっかりとプーチンに理解させなければいけない」と述べていたことがわかっています。要するに、アメリカがウクライナに直接介入して防衛するという選択肢をとらないからといって、同盟国に対するアメリカの防衛コミットメントまでが揺らぐわけではありません。トランプはかなり危ういところがありましたが、戦争を覚悟して同盟国を防衛するという認識は、バイデン大統領に引き継がれていると思います。

アメリカが力の行使を自制すると、アメリカは内向きだからもう駄目だといった極端な反応がすぐに出てきますが、そういう印象論ないし感情論は不正確なアメリカ理解を導き、過剰反応の原因になりかねません。

今回ウクライナに直接軍事介入しないというバイデンの判断は、核戦争に至るかもしれないということと、ロシアと戦うコンセンサスがNATO諸国の間でできていなかったということが大きかったのではないかと思います。また、アメリカ世論をみると、核戦争を覚悟してまで戦えるかという質問に対しては、6割ぐらいが戦うべきではないと回答しています。この3つの要素がアメリカの直接武力介入を止めていると思います。

核戦争のリスクと国内世論、そして同盟国に配慮する政権だからこそ、そこでブレーキがかかってしまうわけです。国内世論を強く意識した対応をとろうとするアメリカに対する一抹の不安があるのはわかりますが、国内世論の動向だけで対応を決めているわけではないという理解を持つことも重要だろうと思います。

「戦後」の欧州をどう考えるか

神保

細谷さんが冷戦後の30年間における欧州の安全保障の枠組みについて述べられたことは大変重要だと思っています。

欧州もまたどういう秩序が安定的に推移し得るか、その際にロシアをどう扱うべきかと、何度も試みたわけですよね。その中で、NATOをロシアと共存可能な形にしようとする試みもあれば、EUの戦略的自立性を強化してヨーロッパの秩序をつくっていく中間解のようなものを強化する時期もあった。しかし、やはり制度を一元的に定義するのが難しい時代に入ったと感じます。

3月下旬から4月上旬ぐらいまで、ウクライナが中立化は受け入れてもいいという時期がありました。つまりNATO加盟についてはロシアの言う通り、将来の加盟はないというところから議論をスタートしてもいいという交渉ポジションを取った。

そしてNATOとは異なる安全保障を多国間で模索した時期は確かにあったのですが、ブチャの虐殺発覚以後、そしてトルコにおける交渉が不調に終わって以後、それらのユニークな安全保障モデルの話は消えていった。ウクライナに対して米欧諸国とロシアを含む、新たな多国間の「安全の保証」を成立させるのは困難です。

残された道筋は、具体的な戦況がどう推移し、それが紛争の終結にどう結びつくかという形から逆に秩序が定義されていく形態となる。

その中にも、いわゆるベルサイユ体制型か、それともミュンヘン型かみたいな振れ幅があります。ベルサイユ型というのはロシアに敗北を決定的に認めさせ、奪った土地を全部返させてウクライナの主権を回復し、賠償を含む経済的なペナルティーを与えるというやり方ですが、その後のアナロジーを考えると、それで本当に欧州とロシアとの中長期的な関係を築けるのか。ナチスドイツ台頭の悪夢がヨーロッパの中にはあるのだと思います。

もう1つはミュンヘン型ですが、これはドンバスを認めるということが、やはりミュンヘン協定の時のズデーテン割譲を認定してしまうことを想起させる。つまり、ナチスに対して妥協して失敗したという歴史が、身体知みたいな形でヨーロッパの中には染み付いている。だからドンバスでケリをつけようじゃないかということに対する抵抗は、相当強くある気もします。

実際、ロシアがドンバスで軍事的な優位に立った後は、再びキーウを侵攻する可能性がまことしやかに語られることから考えても、停戦を定義することがいかに難しく、またそれを支援するヨーロッパ側の着地点も難しいと感じます。それゆえに今年末まで戦闘は続くという見通しになっているのではないか。

最後に、広い意味での世界の秩序が今後も本当に続いていくのだろうかという不安があります。国連安保理はそもそも期待は高くない。しかし、過去10年、20年かけてつくった、ロシアをインクルーシブな形で巻き込んだ国際組織はたくさんあるわけです。

G20とか、アジアではAPEC、そして東アジア首脳会議、すべて首脳級の多国間の枠組みとして協力をしていこうということでした。しかし「国際秩序を根本から揺るがす」ような首脳が会議場に出てきて握手をするなんてことは想像できない。

そうであれば、むしろ新しい枠組みをつくるとか、あるいは紛争当事国である国は一時的に資格を停止する発想が必要となるのか。このあたりの話は私もまだ判断がつきませんが、重要な論点だなと思っています。

細谷

神保さんがおっしゃった、ドンバスとズデーテンラントのアナロジーは、私も全く同じことを考えていました。これはミュンヘンの時と非常によく似ていて、ミュンヘンの時もチェコスロバキアの意向を無視し、大国だけで合意をしてそれを押し付けようとして破綻した合意でした。破綻のロジックがまた違いますが、大串さんがおっしゃった通り、ロシア、ソ連は一貫して勢力圏の構想を持っていて、19世紀的な秩序観というのは、私も全くその通りだと思います。

冷戦終結後に描いたような自由主義、民主主義、資本主義が世界中に広がっていくというのはやはり幻想だったと思うんですね。世界の中でそれが共有可能な国々、地域は非常に限られているし、グローバルサウスを考えた時に、今、日本が欧米と協力してロシアを批判している勢力が、必ずしも国際社会のマジョリティーになっているわけではないという冷酷な現実がある。

これはドイツも含めてですが、各国とも自国の利益の下に行動すれば、ロシアとの天然資源の貿易を優先したいということもあり、それを犠牲にするのはあまりにもコストが大きいという発想がある。あるいは自国の利益と直接関係ないウクライナの問題で、ロシアと全面的に対決をしたくないという思惑もあるかもしれません。

冷戦終結後のヨーロッパとアジアの平和や秩序の根底には、ロシアや中国に認められるべき「正統な利益」なるものはあるのか、あるとすればそれは何なのかという難しい問いがあったのではないかと考えています。中国とロシアが外交を通じて安全保障の問題に取り組んでいる間は、「正統な利益とは何か」という対話が可能です。しかし、交渉せずに、一国主義的な大国主義に駆られた、一方的な現状変更や他国への威圧を始めると、対話や交渉ができなくなっていくわけで、2014年以降のロシアや中国と西側諸国との関係は、そのようなプロセスを辿ってきたとみることができるかと思います。

国際政治にorder とjustice という言葉があります。1つは細谷さんが19世紀的秩序観とおっしゃった、主要国の安全保障をある程度満足させる最大公約数としての了解に裏打ちされた「均衡」をとにかく重視する秩序重視の国家の営みです。最低限のルールの共有の上に成り立つ均衡ですが、ある種の没価値的な側面を有しています。

いま1つは個人の精神的な自由などを尊ぶリベラルな価値規範を重視する正義重視の国家の営みがあります。それぞれの国が自らの選択によってリベラルな価値規範を受け入れたなら、諸外国はそれを尊重すべきで、それは究極的には人類の発展と進歩に資するという考え方で、普遍主義的な側面があります。

政治体制の異なる諸国家間の利害対立を巧みに管理していくためには、これら2つの考え方を上手くバランスさせていかなければならないわけですが、ここ10年ほどの国際関係の大きな流れの本質は、一国主義的な大国主義に憑かれた指導者の下にある中ロが、現状変更行動やリベラルな価値規範を踏みにじる行為を重ねていく中で、西側諸国で正義重視の発想が強まり、それに中ロがさらに反発していくという国際政治の力学にあるのではないかと思います。この問題は、ウクライナにおいては、戦争の出口をどこに設定すべきかという問題として現れてくるわけで、交渉のあり方を非常に難しくしています。

結局、「正統な現状」に合意していない国々が互いに認め合うことができるかもしれない「正統な利益」は、客観的に決まるというよりは、外交プロセスや相互作用の中で、信頼が築けるか築けないかで大きく変わるのだと思います。私は、アメリカはいわゆるポスト冷戦期に、中ロとの信頼関係を構築するために、不十分なところもいろいろありましたが、他方で中国のWTO加盟を後押ししたり、ロシアのG8入りを実現させたり、それなりに努力してきたと思います。そしてそうした取り組みを批判する声は圧倒的少数だった。

しかし中国とロシアの指導者らは、国際協調を表面的に謳いながら、一国主義をベースにした政策や行動を進めていきました。その結果、諸外国からの反発に遭い、自分たちが国際社会に認めさせようとしてきた、自らが「正統」と考える利益の正統性をどんどん低下させることになりました。

また、地域大国の指導者が軍事力で自分の利益を実現しようとすることにはもう1つ大きな問題があります。それは独裁者が自分の信念に基づいて侵略行為に及んでしまうという「独裁者リスク」みたいなもので、今回ウクライナでそれが現実化してしまったということだと思います。

独裁者相手との交渉では、リベラルな価値規範というものが紛争解決の共通基盤として機能しませんので、力のせめぎ合いの結果結ばれる暫定合意は極めて心許ないものになります。そうすると、「中長期的には」、その体制自体が変わらなければならないという考え方がやはり出てくると思います。無論、混乱や混沌を望むということではなく、ロシアに対しては、侵略を巻き返しながら広範に及ぶ制裁をかけていくということで、それが長期的な封じ込めになっていくのではないかと思います。西側諸国は、同じような発想を持たない国々とどのような考え方に立って関係を築いていくのかが重要な課題になっています。

自立的な外交と日米同盟

加茂

このように不確実性が増す国際情勢の中で、日本はどのような役割を担うべきでしょうか。

先日、5月23日の日米首脳会談の後の共同声明では「欧州で進行中の危機のいかんにかかわらず、両首脳は、インド太平洋がグローバルな平和、安全及び繁栄にとって極めて重要な地域であり、ルールに基づく国際秩序に対する高まる戦略的挑戦に直面していることを改めて確認した」という文面がありました。このことは極めて重要な論点で、まさにこのウクライナ戦争というのは、ヨーロッパで起きているという問題ではないのだということをわれわれ自身が強く認識した上で、これからの東アジアの秩序、あるいは日本はどういう秩序の中でどういう役割を担うべきなのかということを考える重要なメッセージだと思います。

細谷

1世紀以上前の1905年、当時ロシアの支配下にあったポーランドの独立運動の指導者であるヨゼフ・ピウスツキが日露戦争中に日本に来て、ポーランドの独立を日本に支援をしてほしいと要請しています。このことが何を意味するかというと、1世紀前からヨーロッパ情勢とアジア情勢が連動しているということです。

このことのアナロジーで私が考えたのが、先日のフィンランドのマリン首相の日本訪問時に、フィンランドのNATO加盟に対する意向や、強い言葉でロシアを批判したことに対して日本で非常に共感が広がったことです。ヨーロッパの問題とアジアの問題は国際秩序全体に関わる問題として連動しているという視点を日本で持つことが、非常に重要だろうと思います。

もう1つ、そうは言いながら日本の自立した行動、「自由で開かれたインド太平洋構想」であるとか、CPTPP(TPP11)のようにアメリカが加わっていない秩序構想、日本が主導してイニシアチブを取って秩序を描いていくことを、過去10年間、積極的に行ってきたと思います。グローバルサウスに対してアメリカとは異なった行動原理を示した日本に対する一定の共感が見られている。このような日本の自立的な外交行動というものが非常に大きな価値を持っていることを、日本は自覚する必要があると思います。

最後に、実はこれと矛盾することなのですが、しかしながら国際社会がパワー・ポリティクスで動いているということを考えると、やはり日米同盟に日本は依拠して、中国やロシアなどに対して抑止力、十分な力の論理というもので行動しないと、結局のところは大国のパワーゲームの中で埋没してしまうことになる。

ですから日本が十分な国力を持つということと、日米同盟を基礎に抑止力を強めるということ。つまり外交における自主的な行動と日米同盟を基軸とした抑止力の強化という、一見矛盾したベクトルを両立させることが、今後も引き続き日本外交にとってのカギになるだろうと思います。

安全保障の受益者から提供者に

日本がどのような役割を果たすべきかについては、やはり世界と地域の平和と発展が保障されるとわれわれが信じるルールに基づいた、国際秩序の構築と推進が基本になるのではないかと思います。

自由で開かれたインド太平洋というビジョンは、協力のネットワークを張り巡らせ、地域諸国が中国一辺倒にならずに済むような開放性を確保していくということです。その中で各国が自由意志と独立を尊重されながら発展する環境を整備していくのが大きな目標になっていると思います。自由で開かれたルールに基づく秩序の構築や推進、普及という取り組みと、中国の覇権阻止や地域支配阻止は、レトリックとしては、前者を強調し、後者は伏せるのが一般的ですが、基本的にこれらは表裏一体だと思います。

日本は今、アメリカと一緒にクアッドをはじめ、いろいろな地域のイニシアチブをアジアで進めています。戦争を防ぐという観点からは、安全保障面、軍事面での日米同盟あるいは日米豪という3カ国が中核になった抑止の体制の強化がやはり不可欠になります。

日本の防衛費の増大に関連して、対GDP比2%という数字が先行すべきではないという意見があり、一理あるとは思いますが、私はこの手の数字には政治的なメッセージがあると考えています。日本が本土防衛を超えて、世界の安全保障でこれまで以上の役割を果たし、武力行使を抑止して、現状変更に対抗する現状維持勢力の一翼を担わなければならない国際環境がすでに眼の前にあります。安全保障の受益者から提供者としての役割を担っていくことをはっきりと行動で示していくことが求められています。端的に言えば、平和を担保するのに必要な方策が今、大きく変わりつつあり、今後5年、10年、15年の単位で現状を防衛する日本のコミットメントを口だけではなく、具体的な行動で見せていくことが平和と安定につながっていきます。

日本の平和主義が、他の地域諸国と協力しながら平和を守るという意味での国際主義を埋め込む形で再定義されていかなければならない局面が来ているのではないかと思います。防衛・安全保障はアメリカにお任せで、自分はリスクをとらずに済んだ時代はすでに過ぎ去ったという認識を持つことが、日本が自由と独立を守りながら生き残っていく上での大前提になっているのではないかと思います。

弱肉強食の世界への回帰?

大串

私は日本がどのような役割をすべきかということには、あまり定見を持っていません。日本国内ではウクライナに対して「もっと頑張れ」とか、「降伏すべきだ」とか、いろいろ言う人がいるみたいですが、私は具体的な顔が浮かんでしまうんですね。

現地に友人が多くいて、彼らがモロトフカクテル(火炎瓶)を作ったという投稿をSNS上で見ると、とにかく「死なないで」と思ってしまう。と同時に本人が戦う覚悟を決めているのだから、それに対して何か言うのは非常におこがましいわけです。だからといって「頑張れ」と言って仮に死んでしまったら僕は何と思うのだろうと考えてしまい、言葉を失って何も言えなくなってしまう。

戦争の出口に関しては、ドンバスとクリミアの帰属に関しては、軍事的にしか決まらないのではないかという気がしています。

まずドンバスに関して言うと、ウクライナの国民感情としては「取り戻せ」ということになっていますが、実際に取り戻したら大問題になると思います。つまり現地住民はウクライナ政府に戻りたいとこれっぽっちも思っていない。むしろ「こんなにひどい目に遭わせやがって」というのが住民の声です。

2014年にウクライナ正規軍が入ってきた時から、その戦い方がかなり一方的だったので、ドンバス地域がロシアに助けを求め、ロシア正規軍が入ってきたという経緯があります。仮に取り戻してしまったら、現行のウクライナ政府に対してものすごく批判的な選挙民がどんと生まれることになる。

これに対抗するため、またウクライナ政府も力で抑え込む可能性が高い。なので、国際監視の下で独立させてしまうとか、他の方法を取るしかないのではないかと思うのですが、最終的には戦争のゆくえによってしか決まらないような気がします。

もっと難しいのはクリミアです。クリミアはロシアが併合して「国内」にしてしまったので、仮にウクライナ軍が入ってくると、ロシアとしては領土に攻め込んできたという話になります。ロシア政府は何度も「ロシアの外側では核は使わない」と言っていますが、クリミアへの侵入はロシア的な理屈では国内に入ってきたということになるので、核抑止の対象になるわけです。すると、仮にクリミアを何らかの形でウクライナが取り戻したら、ドンバス以上に難しい話になると思います。

クリミアも、クリミア・タタールは別として現地住民がウクライナ政府を支持しているなんてことはない。むしろ2014年当時の政治指導者たちがロシアに「併合して」とプーチンにお願いして、併合してしまったのがクリミア併合でした。ウクライナは譲れないでしょうが、取り戻したら大変なので、最終的には軍事的な力によってしか解決しないのだろうと思います。

それが広い意味での国際秩序にどういう意味を持つのか。結局弱肉強食の世界にしかならないのではないかというのが私の見立てです。ロシア側がある程度押し込んだ形になっても、ウクライナが押し込んで終わったとしても、ウクライナにはものすごい量の武器が行きましたので、おそらくあの場所にプチ軍事大国が誕生するのではないかと思います。武器を持った人がテロリストになるおそれもあります。

どちらが勝つにせよ、最終的には力によって勝つことによって承認させることがスタンダードになってしまう可能性が非常に高いので、あまりハッピーな要素はないのではないかというのが私が思っていることです。

厳しい世界の中の日本の役割

加茂

流動する国際秩序のなかで、日本にはどのような選択肢があるのか。それを考える上で、重要な論点の1つが対中外交であることは間違いないでしょう。中国が冷戦終結後の30年間で、飛躍的な経済成長を実現し、世界経済を牽引し、大国としての存在感を増しています。その一方で中国は、期待されていたように、経済成長にともない民主的な政治の道を歩むという選択をしなかった。また中国は、自らの経済成長を実現するために、WTO加盟をはじめグローバル経済に積極的に参入することを選択しましたが、期待された経済的相互依存による国際協調を志向する国家としてではなく、国際社会はパワー・ポリティクスで動いていると信じる国家へと成長してしまった。30年前に抱いた中国への期待は、あまりにも楽観的でした。

私たちは、こうした現実を突きつけられているとしても、中国とどのように向き合っていくのかを考えなければいけないでしょう。パワー・ポリティクスを信奉する中国を、どうやって既存の法に基づく自由で開かれた国際秩序のルールのなかに規律づけていくのか。今、日本が関与している国際連携の枠組みはたくさんあります。TPP、RCEP、IPEFあるいはクアッド、AUKUS(米英豪安全保障協力)。経済・通商の枠組みから軍事安全保障の枠組みまで、中国を構成員とする、あるいは中国に対抗する枠組みが数多く展開し、いずれも日本がその構成員であることの意味は、日本には中国を視野に入れた国際秩序の青写真を描く条件があるということだろう。

これから歩みが進む国際秩序形成に日本がどう関与していくのかということは、中国を私たちが選択している国際秩序の中にどうやって位置付けていくのか、ということであるように思います。その試みは長く苦しいものでしょうが、そうした強い意志を持ち続けなければいけないでしょう。

神保

本来私は日本の国際安全保障への役割を中心に研究しているのですが、なかなか切れ味のいいことが言えない状況に陥っています。いくつか気になっているポイントをお話ししたいと思います。

1つは、ウクライナ戦争を通じた米欧同盟に対する結束というのは、日本でも問題意識が高まっていて、防衛費を増強することに対する国民的コンセンサスがかつてないほどに高まっています。報道によれば8割の人が賛成という、過去には考えられないような盛り上がり方で、しかもそれはアメリカとの同盟への支持と一心同体みたいな感じの議論になっている。

しかし、このいわゆるtransatlantic(環大西洋)とtranspacific(環太平洋)の関係が強化されている流れにもかかわらず、求心力の源のはずのアメリカはさほど介入に積極的ではない。これは結構なジレンマだと思います。

もちろん制度的にNATOを守るとか、台湾に対するコミットメントをバイデン大統領個人が明確にしたり、何とかつなぎ止めようとしていますが、今起きているパワーバランスの変化に対応していく姿勢が、それほどできているわけではないと思うのですね。

そうすると、やはり同盟国がより強靭な力を付けて、何かが起こった時に元に戻す力を付けていかないと、その先にある同盟さえも上手く機能しないということになります。森さんがおっしゃった通り、同盟国が頑張ることはすごく大事だと思います。

もう1つは細谷さんがおっしゃったことに関わりますが、日本の戦略はアメリカとの外交基軸、安全保障の基軸を保ちながらも、案外、価値に対する旗幟を鮮明にせずにいろいろな国に飛び込んでいくところに特徴があったと思います。

その結果、選択肢がたくさん生まれ、ロシアとの関係を一定程度進展させることで中ロ関係を複雑化させるような発想が働く余地はあったし、アメリカが自由貿易の原則で足踏みしている間に、インド太平洋という秩序を掲げながら日米と日中を両立させるようなこともした。そういった姿勢が多くのグローバルサウスを巻き込むような理念を生み出す素地にもなっていた。

ところが、ロシア、中国、トルコ、さらにミャンマーなど、日本が比較的いろいろな形で独自の利益を増進して、「俺は話せるんだぞ」と言っていた場所が、あまりにリスクの高い地域になってしまった。

ある状況においては旗幟を鮮明にする、国際秩序に対する日本の立場を明確にするという判断は、すごく大事だと私は思っているのですが、他方でそれが日本の戦略的な柔軟性を拘束することは当然ある。いつのまにか日本は中国を脅威、競走の本丸としながら、北朝鮮やロシアと三正面みたいな形で対峙せざるを得ない状況で、膨大な資源をそれぞれに割いていかざるを得ず、あまり動ける余地がないという状況に陥っている気がします。

ここからどう脱却するかですが、日本が一国だけで成し得ることはすごく少なくて、like-minded states(志を共有する国々)といろいろな形の協力が必要です。クアッドで何とか我慢して、インドを中長期的に結び付けていく。AUKUSのような枠組みも、日米豪とか日豪とか日ASEANといった枠組みをそれぞれ戦略的な意味を持たせて併存させていくようなことを一つ一つ積み上げていくしかないのかなと思います。

そこでいったん盤面が整うと、加茂さんがおっしゃったように、中国に対して利益の共有や協力の余地を示すことで、安定的な関係を模索する基盤ができます。極めて厳しい世界の中に日本がいるのが現実だと思うので、しっかりとその競争を戦い抜くと覚悟することが、まずは出発点になるのではないかと思っています。

加茂

大変素晴らしくまとめていただきました。今日はこれからの国際秩序のゆくえについてとても有益な討議をいただいたと思います。皆様、有り難うございました。

(2022年5月30日、オンラインにより収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。