慶應義塾

【特集:学塾の歩みを展示する】座談会:ストーリーで見せる 開かれた展示施設へ

登場者プロフィール

  • 井上 潤(いのうえ じゅん)

    渋沢史料館館長、(公財)渋沢栄一記念財団業務執行理事

    1984年明治大学文学部史学地理学科日本史学専攻卒業。同年渋沢史料館学芸員。同館学芸部長等を経て2004年より現職。専門は渋沢栄一研究、日本村落史。著書に『渋沢栄一伝 道理に欠けず、正義に外れず』等。

    井上 潤(いのうえ じゅん)

    渋沢史料館館長、(公財)渋沢栄一記念財団業務執行理事

    1984年明治大学文学部史学地理学科日本史学専攻卒業。同年渋沢史料館学芸員。同館学芸部長等を経て2004年より現職。専門は渋沢栄一研究、日本村落史。著書に『渋沢栄一伝 道理に欠けず、正義に外れず』等。

  • 村松 玄太(むらまつ げんた)

    明治大学史資料センター専任職員

    2002年明治大学大学院政治経済学研究科単位取得退学。2003年より現職。専門は日本政治史、大学史。全国大学史資料協議会東日本部会事務局担当。

    村松 玄太(むらまつ げんた)

    明治大学史資料センター専任職員

    2002年明治大学大学院政治経済学研究科単位取得退学。2003年より現職。専門は日本政治史、大学史。全国大学史資料協議会東日本部会事務局担当。

  • 松岡 李奈(まつおか りな)

    その他 : 中津市歴史博物館学芸員文学部 卒業文学研究科 卒業

    塾員(2015文、19文修)。慶應義塾福澤研究センター嘱託、国士舘大学国士舘史資料室を経て2019年より現職。福澤研究センター客員所員。

    松岡 李奈(まつおか りな)

    その他 : 中津市歴史博物館学芸員文学部 卒業文学研究科 卒業

    塾員(2015文、19文修)。慶應義塾福澤研究センター嘱託、国士舘大学国士舘史資料室を経て2019年より現職。福澤研究センター客員所員。

  • 都倉 武之(とくら たけゆき)

    研究所・センター 福澤研究センター准教授

    塾員(2002政、07政博)。福澤諭吉記念慶應義塾史展示館副館長。武蔵野学院大学専任講師を経て、2007年より慶應義塾福澤研究センター専任講師。11年より現職。専門は近代日本政治史。

    都倉 武之(とくら たけゆき)

    研究所・センター 福澤研究センター准教授

    塾員(2002政、07政博)。福澤諭吉記念慶應義塾史展示館副館長。武蔵野学院大学専任講師を経て、2007年より慶應義塾福澤研究センター専任講師。11年より現職。専門は近代日本政治史。

  • 平野 隆(司会)(ひらの たかし)

    研究所・センター 福澤研究センター所長商学部 教授

    塾員(1986商、92商博)。福澤諭吉記念慶應義塾史展示館館長。1996年慶應義塾大学商学部助教授、2005年教授。専門は産業史、経営史(日本・近代)。本年4月より福澤研究センター所長。

    平野 隆(司会)(ひらの たかし)

    研究所・センター 福澤研究センター所長商学部 教授

    塾員(1986商、92商博)。福澤諭吉記念慶應義塾史展示館館長。1996年慶應義塾大学商学部助教授、2005年教授。専門は産業史、経営史(日本・近代)。本年4月より福澤研究センター所長。

2021/05/11

「展示」に至るまでの道のり

平野

来る5月15日に、福澤諭吉と慶應義塾の歴史を展示する福澤諭吉記念慶應義塾史展示館が、三田キャンパスの図書館旧館に開館します(※現在、新型コロナウィルス感染拡大により、開館を延期しています)。

今日は、これを機に大学史あるいは学校史をどう伝え、さらにそれをどのように展示していくのか、そしてそこにどのような意味を見出し、それをどうやって継承していくのかについて、ご専門の方々とお話しできればと思います。

まずはじめに、塾史展示館開設の経緯や意義に関して、中心的な役割を担ってきた都倉さんからお願いします。

都倉

この展示館は慶應義塾の160年あまりの歴史と福澤諭吉の生涯、さらにそこに連なる人々を展示します。単に慶應関係者に価値のある歴史ではなく、これは「近代日本の格闘そのもの」であるというキャッチコピーをパンフレットに載せました。

展示の方法は奇を衒わないオーソドックスなもので、説明文により写真と実物を見せていく形式が中心で、できるだけ実物に触れていただくことに重点をおきたいと考えています。

慶應では福澤という人物を伝えるために大正期に伝記編纂を行ったり、全集を編んだりしていますし、学校史も戦後間もない時期の百年史編纂は先駆的と言われ、歴史を大事にしてきたように見えますが、不思議なことに展示施設だけは実現を見ませんでした。調べた限り1937年から度々記念館をつくる話が残っていますが、最初は戦時体制による物資不足、戦後は校舎再建優先で見送り、有力な寄付者が突然亡くなって立ち消えたこともあったりと、何度も何度も流れました。

福澤研究センターは1983年にできた組織で、当初から史料を編纂するとともに、それを展示する役割が想定されていましたが、40年近く経ってしまいました。

慶應は創立者や学校の歴史を研究所での学術研究で伝えていくという点では先導的な役割を果たしたと言えると思いますが、「展示」で歴史を伝えることは、完全に出遅れました。

私の理解では、今回の展示館ができる直接のきっかけは、2015年に当時の清家塾長一行がハーバード大学を訪問して、そこで慶應とハーバードのゆかりを示す福澤書簡を見せていただいたことにあると思います。丁度、図書館旧館の建物が耐震補強工事のため改装されることになり、新装なった時に歴史展示施設をつくろうという機運になりました。

平野

これまでも図書館旧館の1階部分に、ごく小さな展示室があり、そこに福澤ゆかりのものなどが並べられていましたが、普段は公開していませんでした。だから本格的な展示施設としては初めてということですね。

それでは人物に関する展示館として先輩に当たられる渋沢史料館の井上さんからお願いいたします。

井上

当館がオープンしたのは1982(昭和57)年のことですが、当館自体の原点は、1937(昭和12)年に孫の敬三が提唱した日本実業史博物館構想にあります。

これは、単に渋沢栄一だけを紹介するのではなく、渋沢が生まれる少し前の文化文政期から明治末までを1つのスパンとして考え、その文化の変容を捉えるという非常に大規模な構想でした。当時としては珍しく錦絵や写真などビジュアルな史料収集にも着手し、その時代を物語る生活用具、文献等を大量にそして体系的に収集していました。その時代を担った人たちの肖像写真を集めて紹介する、肖像室の構想も含まれていました。ところが、これもやはり戦争等の影響で、結局、断念せざるを得なかったのです。

もう1つの渋沢財団の事業の柱に『渋沢栄一伝記資料』という全68巻でまとめられた膨大な資料集の編纂・刊行があります。これは渋沢の事績について関係した事業の経営資料、交流のあった人々の書簡等の一次資料から新聞・雑誌記事による参考資料までが網羅的に掲載されています。この『渋沢栄一伝記資料』は戦争を経て、40数年かけて1971年に最終巻がまとまりました。

日本実業史博物館構想は途絶えましたが、伝記資料の編纂時に収集されたものを中心に、実業史博物館構想にあった渋沢栄一を紹介する内容に限定して1982年にオープンしたのが当館です。開館当初は旧邸跡に残っていた大正時代の建物である青淵(せいえん)文庫という書庫をメインの建物として、細々とスタートしました。

98年に現在の本館でリスタートしました。それ以降、設備面も充実し、企画展示室が設けられ、史料もきちんと保管ができる収蔵庫に収めることができるようになりました。

開館当初から、私は学芸員として勤めてきましたが、2004年から館長という役割を担い、館の様々な情報を強力に発信するべく、情報資源化構想というものを打ち立てました。様々な資料のデータベース化、資料情報を抽出してデジタルコンテンツの作製に取り組み、ウェブを通じて多くの方に情報提供して、ご活用いただけるようにしています。

また、渋沢を通じて世界中の様々な大学等の研究機関との連携強化をはかり、共同研究を進め、研究成果をもとに啓発事業に着手してきました。研究機関として、情報提供するハブ機能も併せ持つようにしました。よく言われるMLA連携(博物館、図書館、文書館の連携)を目指したのですが、私としては連携ではなくて融合させていきたいという思いでやっています。

平野

渋沢史料館は昨年リニューアルされたのですよね。

井上

はい。コロナの影響で半年ほど遅れましたが、昨年11月にリニューアルオープンしました。

今回の展示では、まず、渋沢栄一がどういう事績を残したかを、1年ごとに編年の形で「たどる」ことができるようになっています。また、より深く「知る」、渋沢を体感してもらうように「ふれる」、といった構成になっています。原史料を上手く展示すると同時に、その中に含まれている情報をデジタル化して、例えばQRコードでスマホから読み取ってもらい、さらに理解を深めてもらえるようにしていきたいと思っています。

「大学史」を展示する

平野

それでは明治大学史資料センターの村松さん、お願いいたします。

村松

明治大学史資料センターは福澤研究センターの開設からちょうど20年後の2003年に開設しました。そして2004年から駿河台キャンパスのアカデミーコモンという建物の中の100平方メートル程度の小さなスペースに、常設の大学史展示室を設置しています。2011年度には明治大学では「校友」と呼ぶ、卒業生の作詞家阿久悠さんの展示施設、「阿久悠記念館」を設置しております。

明治は慶應と違い、創立者が著名ではなく、かつ3名います。慶應や早稲田以外の私大では、創立者が複数いる場合は決して珍しくありません。また創立者の史料が明治大学の場合、ほとんどないため、展示の比重は比較的小さく、展示室の大部分は通史展示、学部の歴史、キャンパスの紹介、またモニュメンタルな建物や著名卒業生の紹介という形で構成されています。

私自身は、各大学の110あまりある中の連合組織である全国大学史資料協議会という団体の事務局等の役を仰せつかっています。この大学史資料協議会で情報交換や連合体での共催展示等を実施しています。またそれとは別に自分で科研費を取って、神田の法律学校に由来のある5大学(専修、中央、日本、法政、明治)間で連携し、研究会や共催での展示もしています。

平野

それでは中津市歴史博物館と新中津市学校で中心となって研究調査活動に携わっていらっしゃる松岡さん、よろしくお願いいたします。

松岡

私は今、新中津市学校にいますが、ここはもともと歴史民俗資料館という資料館で、その前が小幡記念図書館でした。そこが2019年にリニューアルされて、新中津市学校という、明治4年に福澤の提言で設立された中津市学校にちなんだ文化施設になっています。また、新しい博物館として、同年に中津市歴史博物館が中津城の近くに設立されました。これらの施設には収蔵庫も整備されており、慶應との連携協定の強化ということも兼ねて福澤や小幡など、中津出身の慶應義塾関係者の研究を深化させようと、設立時から共同研究が進んでいます。

私は以前、福澤研究センターで嘱託をしていましたが、中津のアーカイブス講座という慶應義塾と中津との連携の一環の事業に参加していた縁もあり、今は中津市で学芸員として勤務しています。

中津市歴史博物館は中津の歴史を縄文から近世近代にかけて通史で展示しています。一方、福澤旧居近くの福澤記念館は近代の部分を担当している形になります。そこで、歴史博物館と福澤記念館で共同の展示を行う際、現在、記念館には専門の学芸員がいませんので、史料の出し入れなどを私が担当しています。特に福澤諭吉の展示では、中津市は記念館と歴史博物館の連携をしながら、まち全体で福澤諭吉を感じるような展示を行っています。

“内輪褒め”にならない工夫

平野

皆様有り難うございました。それでは、まず、大学史や学校史を展示することの意味について考えていきたいと思います。大学史の展示施設が対象とする見学者は、大学や学校という共同体の中の人たちと外の人たちに大きくは分かれると思います。中の人たちというのは在学生、教職員、卒業生、それから学生や卒業生のご家族も中に入ると思います。

外はそれこそ非常に多様ですが、そのように多様な見学者に対して、大学の歴史を見せることに、どのような狙いや意味があるのか、お伺いしたいと思います。

都倉

私立大学には何らかの理念や建学の精神というものがあり、若者を育てていこうという思いが出発点としてあります。その部分を、特に関係者向けには確認し続けていくことが大事だと思っています。我々の存在意義、ミッションということです。

それだけでなく、学外の方に向けても、その理念が共有できるところがあるならば、それを問いかけていくことに意味があるのだろうと思います。大きく言えば「教育とは何なのか」そして学んだ先に「どのように生きるか」ということを問い続けることだと考えています。学外の方にも共感してもらうというのは非常に難しいことで、慶應の自己点検の場でもあると思います。

展示をつくる上で、愛校心があり、創立者に愛着がある人に興味深く感じてもらうことはもちろん大事ですが、それが内輪の限られた人たちだけに向けた言葉で語られてはいけないのではないか、と注意しました。

「塾員」とか「社中協力」といった言葉は得てして内輪な感じが出てしまう。他大の「校友」などもそうです。

大多数の人を疎外する言葉で語ると、その施設は誰でも来られる場所であっても閉じたものになってしまいます。ですので、どのような言葉で発信していくのかということは、今回の展示に当たって非常に考えました。

村松

私も同感で、やはり内輪褒めになってはいけないというところはとても重要だと思います。

明治の場合、まず自分のいる場所をどう位置づけるかということが、自校史教育では大事だと思っています。そして、外の人に対しては、全体から位置づけて明治はどういう位置にあるのか、ということを知っていただくことを考えています。

このことは、やはり明治は創立者が有名ではないということが関係していると思います。もちろん私たちも建学の精神の浸透や帰属意識の醸成といったことを考えていますが、他方で私立大学総体、日本の大学総体、世界の高等教育総体の中で、また日本の近代史や世界史の広がりの中で、自らの大学史をどのように位置づけていくのかということが沿革史編纂の中でも非常に重要であるとされ、現在までそれは一貫した姿勢になっています。

どうしても1つの学校の自校史となると、普遍性がなくなり、内輪褒めになってしまう危険性がある。そのため、大学で教育や展示等を行う以上、歴史研究としての水準を備えたものとして質的な保証をする必要があります。そして授業や展示においては比較の視点や最近の調査研究の知見を反映させるようにしたいと思っています。

例えば明治大学ですと、「30歳そこそこの創立者が若くして大学をつくって偉かったんだ」とつい言いがちですが、1880年代にできた大学の創立者と比較すると、明治の創立者たち(岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操)が突出して若かったわけではない。

明治1桁代から10年代にかけて、10代後半や20代で海外留学する人が増え、新知識を吸収して日本に帰ってくる。戻ってくれば自らがトップランナーで、周りには先達が誰もいない状況ですから、社会的には若い世代が責任者になって学んできたことを教育を通じて還元しなくてはいけない。そのような社会的、国家的な要請があったわけで、1880年代に設置された学校の創立者は大体若いんですね。

こういうことは他の学校史等を見ていけば分かることで、やはり全体の中で比較するという視点は非常に重要だと思います。

平野

自校を大学全体の中で位置づけて相対化するということですね。

松岡さん、新中津市学校は中津市と慶應義塾の連携の事業ということですが、大学から離れた地域にこのような展示スペースがあることについてお考えがありますか。

松岡

中津では慶應に進学する人が多いかと言われると、特にそうでもないと思います。しかし、やはり慶應という言葉には、かなり敏感に反応される、とは感じています。

一方、現在、地方の学生が慶應義塾大学に進学する率は年々下がってきていると思います。私自身も地方の公立校から慶應義塾大学に進学しましたが、私の出身高校では早稲田に絶対行きたいとか慶應に行きたいとか、明治に行きたいという思いは薄れてきているように感じていました。そのような中で、中津のように福澤諭吉という共通点があるところで、慶應義塾の特色を出す展示が可能であることは、1つの強みかなと感じています。

大学の社会貢献の面からも、やはり地域連携は非常に重要だと思います。いろいろな方法があると思いますが、共同研究やいろいろな面で創設者を見つめ直すという点では1つ大きな役割が果たせるのかなと思います。

平野

渋沢史料館の場合、大学と違って、内や外ということはないかもしれません。ただ見学者が非常に多様で、それこそ実業界の方や、あるいは歴史愛好家の方など、様々な方がいらっしゃると思います。

井上

そうですね。もちろん渋沢個人をという視点で来館される方も多くいます。渋沢の事績は、様々な大学をはじめ多くの企業等に関わっているので、各事業史の関心から来られる方もいます。

館としても、渋沢栄一という人物を触媒としてそれぞれの事業体の歴史、業界なりの原点を探っていこうという企画をしたことがあります。現在受け継がれている企業の、いわゆる社史の担当者の方々とお互いの史料、情報を共有しながら、共同研究のような形で展示を組み立てました。今後はいわゆる社会事業にも目を向けて、社会福祉の様々な事業団体や学校にも関わっていこうと考えています。

そのような試みの中で、渋沢栄一が当時思い描いていた、近代を築いていくことの意味が、それぞれの事業の中で読み取れると思いますし、多様な活動の中で渋沢栄一の目指すところはどういったことだったのか、その中において貫かれている理念というものを見出していき、広くお伝えしたいと思っています。

沿革史編纂から展示へ

平野

私が少し調べたところでは、大学史の展示施設というのは2000年以降の比較的最近、たくさん開設されている感じがします。これは村松さん、どういう事情があるのでしょうか。

村松

大学の沿革史編纂のところからお話しすると、明治は慶應から約20数年遅れて沿革史編纂を始めています。慶應は、戦前から福澤研究と関連させながら、非常に早く沿革史編纂を始めていますが、戦後、大学沿革史の先駆けとして『慶應義塾百年史』が1958年から出始めたことが画期的でした。

戦前では『東京帝国大学五十年史』が出ていますが、それ以降ではやはり戦後初の最大規模のものが慶應の『百年史』です。それに遅れて明治大学を始め1880年代にできた学校の多くは、1970年代から80年代に沿革史の編纂に取り掛かり始めます。その完結が大体90年代です。ですので、慶應は大学史に関しては国立を含めてトップランナーで、各大学は2、30年遅れてそれを追いかけてきました。

この沿革史編纂を通じて、収集した史料や知見、知識をどのように活用するかが、各大学にとって大きな課題でした。『東京帝国大学五十年史』の編纂終了時は、それを保存しておく部署もなく、史料が散逸してしまいました。それが大きな反省点になり、90年代から2000年代にかけて国立大学では情報公開法、公文書管理法といった法律の制定をきっかけとして大学文書館をつくる動きになります。

その先駆けが2000年にできた京都大学の大学文書館です。私立大学ですと作成した文書や史料は公文書ではないので、文書館ではなく展示施設あるいは史料保存という意味で大学アーカイブスの設置が盛んになります。

とりわけ自校史教育では1991年の大学設置基準の大綱化に伴う教養基礎教育の見直しが契機になって、建学の精神を学生に知ってもらう、卒業生の帰属意識を高めることを目的に、自校史教育あるいは展示を活用するという流れが生じてきたと思います。

展示施設の開館状況をみると、創立者の位置づけが大きいところは割と早めに展示施設を設置していると思います。1984年の日本女子大の成瀬記念館、1988年設置の成蹊学園史料館などです。これらは沿革史編纂とは別の動きで行われていますが、それに対して大きな沿革史編纂を終えた大学が施設をつくっていくことが2000年代になってかなり増えていきます。

主だったところですと、明治大学の大学史展示室が2004年、2006年に関西大学の年史資料展示室、同年にお茶の水女子大の歴史史料館、2013年に同志社のハリス理化学館同志社ギャラリー、國學院大學博物館、2014年には立教学院展示館、東北学院資料室や神奈川大学の常設展示、2015年には帝京大学の総合博物館。2018年には早稲田大学が非常に大規模な大学歴史館をつくり、2020年には HOSEIミュージアムができました。

やはり最初は人物展示の要素が強いところが多いですが、さらに大学の通史展示やキャンパス、建物、著名な卒業生や教職員など、また、地域連携など、幅広い展示にシフトしてきている印象があります。

見せ方も、どうしても大学史の展示は紙、物が増えてきてしまうので、デジタルサイネージを活用したり、ハンズオン展示(手に触れることができる展示)にしたり、あるいはVRといった形の展示をしているところもあります。

そういう形で沿革史編纂で収集した史料を活用し、展示をしていく方向になったのが、ここ10年~20年というところではないかと思います。

平野

非常に詳しい情報を有り難うございました。まずは沿革史の編纂が先行して、その史料が集まったところで今度はそれを見せていくようになったという流れだということですね。

さらに私が思うのは、特に私立大学の場合は最近の少子化で、やはり新入生をたくさん呼び込まないといけません。そういう点で広報的なことを強める動きもあるのではないかという感じがします。

関心の種を蒔く

平野

展示するテーマに関してですが、塾史展示館の場合は特にどのようなテーマに重点を置こうとしているのでしょうか。

都倉

一般的に展示は最新の研究成果を示すいわば玄人向け展示という方向性と、啓蒙的にいろいろな人に関心を持ってもらう、裾野を広げる方向性が、あると思います。

福澤という人は、知名度は高いですが、その生涯は必ずしも知られていないので、基本的な情報を出していくだけでも、ものすごくボリュームがある。そして慶應も160年と、私立では一番長い歴史を持っているので、主だったところを見せていくだけでも十分な量になる。ですから新奇なことを示すよりは基本的な情報を出していくことが中心となりました。

ただ基本的な情報だからこそ、親切丁寧に説明して、見に来た人が何かしらそこにヒントを得たり、探求の糸口を見つけたりという発展につなげられるようにしたいと思いました。

渋沢もそうだと思いますが、福澤は、多様な分野に広がっていきます。ビジネス、保険、統計、政治、メディア、文学、スポーツ……と、きりがないので、深い話は企画展などで最新の研究も踏まえて折々取り上げていくことにして、できるだけ多様な種を蒔いていく感じにしました。先ほど井上さんは触媒とおっしゃいましたが、展示をきっかけにひらめきを得たり、何か調べてみようと思うことを見つけたり、きっかけづくりができたらいいなと考えています。

平野

人物を取り上げる際、どのようなことがポイントになるか。つまり顕彰という一面と、その一方で客観的学術的に展示をする、そのバランスをどう考えるかということがあるかと思います。

あるいは人物には様々な評価がありますから、プラスの評価、あるいは正当と言われる評価と、そうではないような異説があったりする。そういったことを展示する際にどのように考えられていますか。

井上

渋沢栄一は今、とても注目を浴びていますが、正直、多くの方にとって渋沢栄一という名前を初めて聞くような状況だと思うんですね。ですので、今を好機と捉え、渋沢栄一が、実は日本の近代社会が築かれていく中において、どれだけ多方面にわたって総合的に手を尽くして社会をオーガナイズしてきたのかというところを、しっかり理解してもらおうと心がけています。

また、渋沢栄一の生涯を捉える際、今回のリニューアルで一年ごとの展示を見せることができたのですが、これまでの私どもの力では、例えば実業の世界、社会福祉の事業、教育の事業、民間外交の世界というように分野ごとでの紹介にとどまっていました。そうするとやはり、実業の世界で成果を上げて、それが後半生に社会に還元するということで、福祉なり医療なり教育なりに力を尽くしていったというストーリーに見えてしまう。

しかし、編年的な手法をとると、例えば第一国立銀行が明治6年に創立されますが、その翌年には社会福祉事業に関わっているということが見てとれる。総合的な視野で世の中に関わった渋沢の生き方を、より正しく実証的に、生の史料で見ていただけるようになったかと思います。

福澤をどう相対化するか

平野

なるほど。都倉さん、福澤の場合は存命中からそれこそ論争の的になる、評価が分かれる人物でもあったわけですが、展示する際にどういう点に注意をしましたか。

都倉

そうですね。ある程度距離をおいて相対化する視点を大事にしたいと思っています。そのバランスの取り方には非常に腐心しました。

慶應というと、福澤を崇める宗教のように言われることもありますが、昔から実はクールに距離をおいて福澤を研究してきた人たちも多い。例えば小泉信三も塾長の時には「福澤先生」としか言わなかったけれど、戦後になって歴史上の人物として「福澤諭吉」として語らないといけないと反省し、「福澤先生と福澤諭吉」という一文まで書いています。近代史上の人物として見なければいけない、神様にしてはいけないという意識も慶應の伝統には強くあり、だからこそ展示施設が今までなかったとも言えると思います。

今回の展示では、「ホラを福澤、ウソを諭吉」という、同時代人が様々に福澤を評した言葉を集めたコーナーを作りました。非常に悪く言っている言葉もあるし、もちろん褒めている言葉もある。

「いろいろ言われた人ですが、あなたはどう思いますか」と、当時の言葉に語らせて、後はそれぞれに考えてもらうような工夫です。創立者を学校の中で展示する以上、どうしてもプラス前提で語られていると一般的に見られます。

でも、プラスマイナスの多様な議論自体が近代というものを考える入口にもなるのではないか。それを見せることが「多事争論」を勧めた福澤の問題意識にも繋がっていると考え、多角的に歴史を見るための導入の1つとして、かなりスペースを取ってあえて展示をしました。

平野

あのコーナーは面白いですよね。松岡さんは中津において様々な人物を展示する際に、どういう点がポイントになると思いますか。

松岡

地方という特性もあると思いますが、やはり顕彰というものが強く出てくることから逃れ難いところがあります。私個人としては平等に俯瞰的な目で判断して評価したいと思っていますが、例えば中津出身者の磯村豊太郎という人物は、基礎的に使われる一次史料が、磯村先生顕彰の記念の本だけになるということもある。

福澤や渋沢といった人物は、かなり史料が豊富で判断する際に恵まれた環境にあると思いますが、そもそも顕彰目的でつくられた一次史料以外のものが少ない人物の場合、慎重に取り扱わないといけないと思っています。

福澤自体が戦中の評価と戦後の評価がガラッと変わっている人物です。戦時中に顕彰されていた増田宋太郎という福澤暗殺を企てた人物を評価する際にも、戦中に書かれた文章だと非常に称揚されていてやはり信憑性には疑問があります。そういった点についても気を配りながら福澤門下生の展示なども行っていきたいと思っています。

物が与えるインスピレーション

平野

展示する具体的な物の話をしたいと思います。実物を展示するのと、レプリカ、あるいはモデルや模型などの使い分けに関しては、塾史展示館はどのような方針でしょうか。

都倉

これはどうしてもずっと展示しておきたいという物がいくつかありますので、それらは折々に実物を出すにしても、レプリカも併用します。

それ以外は展示で語りたいテーマの枠組みを決めて、様々な実物を定期的に入れ替えていく方針です。

展示品は、漫然と関連する資料でなく、何か語れることがあるものにしました。自分が一来場者となったときに「へー」と思えるか、を意識したんです。説明文は100字程度ですから、そこに「へー」を入れるのはかなり骨が折れました。

他の展示施設を見に行って、建物やキャンパスの歴史は、関係者とそうでない人で関心が対極に分かれると感じました。つまり自分が通っていなかった校舎の歴史は余り面白くないなと。

そこで建物については、精巧な模型をつくりました。模型であればそれ自体が展示物として魅力を持つからです。それに加えて、1つ1つの建物がその後どうなったかを丁寧に調べて書き込んでみました。読んで頂くと、建物を通して、日本の近代史が見えてきます。慶應は建築費が乏しかったので移築が多く、「日本の不動産は動産である」と言われたなんてことも模型のキャプションに書き込みました。福澤時代の三田の校舎が移築されて、昭和50年代まで日吉の慶應高校で使われていたことも、それで気付きました。

福澤の資料も、どうしても紙と字の展示になりがちなので、モノをできるだけ取り入れて構成しました。モノが持つ力、訴求力は非常に大きいと思います。そのモノ自体はつまらないモノでも、語れることがあると、俄然面白くなります。紙資料もモノとして見る面白さを意識しました。字の見た目や資料の形態などです。

平野

確かに沿革史や史料集という紙媒体のものとは違い、物自体から得られるインスピレーションがあるということは強く感じますね。

ただ、学術的には例えば文章をそのまま展示し、それを実際に読めるほうがいいわけですが、一般の来場者の方にはそれだと煩わしいから、もっと楽しみたいという要求も強いでしょう。どういう配分で実物を見せる展示にするかというバランスもありますね。

井上

正直、渋沢の関係史料の中ではいわゆる物の史料というのは極めて少ない。紙史料が中心で、しかも経営資料というか事務文書の類いで、見た目においてもさほど目を引くようなものはない。その中で、この中に書かれていることがいかに意味のあることなのかを表現する演出に頭を捻らないといけません。

幸いなことに、写真や映像、渋沢栄一の肉声も残されていますので、そういったものを上手く絡め合わせながら、同じ空間の中で渋沢栄一を複合的に感じさせるように苦心しています。

例えば同時代に実業界でこんなことを言っているけど、社会福祉事業の演説の中では少し矛盾するところが見えたり、逆に人間らしい像が浮かび上がってくることもあります。事業をただ推進した、機械のような人というだけではなくて、その中で悩んだり苦しんだりしたというところが浮かび上がってくるような史料をなるべく見つけ出し、渋沢栄一の事績をできるだけ実感できるように工夫しています。

村松

大学史の展示では、大体所蔵資料は紙がほとんどというのはどこも同様です。どうしても展示が平べったくなるので、そのためになるべく物を増やすということは考えますが、それも限界があるので、例えば最近ではVRを使うこともありますね。

明治大学は敷地が狭いので、建物をつくっては壊してきましたが、モニュメンタルな建物として来年取り壊しになる和泉キャンパスの第2校舎という建物があり、先日、その建物のレーザーによる3D点群データの測定とテクスチュア撮影を行いました。データを残しておくことでCGやVRで活用すれば、建物本体は残りませんが、記憶の中に生きながらえさせることは可能だと思っています。

また、例えば創立者の声の再現などを試みている大学もあります。日本大学は学祖の山田顕義のお墓の発掘調査を行って、医学部と歯学部の先生方が協力して骨格をもとに、山田顕義の声の再現をする試みをしています。発掘は慶應の福澤諭吉の墓所の改葬の際の調査も参考にしたそうです。

そのように様々な形で新しい技術を使って見せ方を考えていくということで、展示に工夫をすることは課題になっていると思っています。

都倉

渋沢栄一のアンドロイドはどうなんですか(笑)。

井上

あれはうちのものではないですけれど(注:深谷の渋沢栄一記念館にて公開)、制作に際しては監修させていただきました。当館で所蔵するフィルムからしぐさなどを検証してつくっています。2台つくられたんですが、本当にそっくりです。

70代の渋沢栄一のアンドロイドが「道徳経済合一説」を説き始めたら、すごい臨場感があって、本当に直接教わっているような雰囲気になります(笑)。そういう影響を与えるという意味では、ものすごい装置だなと思っています。

当館などではなかなかつくれるものではありませんが、最近は、VRなどを活用して臨場感溢れるような空間をつくりあげた中で、残された原史料などを見せることによって、より身近に感じてもらえる試みは増えていますね。

バーチャルによるつながりの表現

都倉

慶應の卒業生や福澤諭吉の関係者は無数にいるわけですが、誰を展示するのかとなると、なかなか甲乙つけがたい。我も我もとなっても困る。

これを解決する方法として、バーチャルな画面の中に皆押し込んで紹介する、デジタルの技術を使った「社中Who’s Who」という仕掛けを考えてみました。肖像写真がふわふわと画面を多数漂っていて、誰か1人の人物を選ぶと略歴が開き、その人に関係する人物が集まってくる。それによって多様な人々の多面的なつながりを表現してみました。

平野

これは非常に興味深くて、例えば慶應のスポーツで活躍した人をタップすると、体育会関係の人たちが周りに出てきて、その人を押すとプロフィールが出てくる。いくらでも遊べる感じでした。

福澤諭吉も渋沢栄一も非常に人脈が多様な人でしたから、その人脈をどのように展示するかというのはなかなか難しいのかもしれませんね。

井上

リニューアル前の展示でよく使ったのは書簡です。例えば経済分野の人たちとの交流ということで、代表的な方々をピックアップし、その人の人生なりを紹介し、渋沢とはこの書簡に書かれているような交流を持っていましたと紹介する。

今はウェブサイトのほうで様々なデジタルコンテンツをつくり、そちらでもいろいろ渋沢栄一に関係する事業でのネットワークを示していきたいと考え、それを展示にも生かしたいと思っています。

平野

展示物につけるキャプションに関してはどうでしょう。どこまで専門的に書くか、それからもう1つは国際化への対応で、外国語表記をどうするかなどがあると思います。

井上

全部を多言語に置き換えることはできないので、まずは第一義的な説明は英語を必ず入れるようにしています。それからコーナータイトルも英語を付けていますが、今後、詳訳を加え、別の言語についても考えていこうということで、展示室内でスマホ等で読み込んで対訳を見ていただけるようなことを、今、構想しています。

渋沢栄一の生きた時代は様々なテクニカルターム等があり、それを単にローマ字表記にしてイタリックにしても意味が通じないところがあります。その概念をどのように表記していくかが課題です。また、いわゆるシソーラスというか、事典のようなものを、今つくりあげているところです。

都倉

塾史展示館でもすべてのキャプション、説明文に英語表記を付けています。今おっしゃったように、専門用語や、慶應義塾独特の言葉、引用などをどう訳すかは苦心しました。過去に訳例がない場合、やはり歴史的にある程度意味がある形で訳語を決める作業が必要になり、学内の翻訳チームが随分労力を割いてくれました。

説明文について言えば、ここを見ると面白いんだよと、見方の補助線を引いてあげるように心がけました。面白さの押し売りにならないように、来場者本人が発見してくれるように、かなり意識しました。

松岡

紙ものが多いというのは中津の場合も同じです。福澤記念館も2階はほぼ書簡の展示になっています。そこをどう改善するかは現在模索中ですが、本年度「福澤諭吉の書」という展示をした際には、その時々の福澤の顔に近い写真をできるだけ展示して、くずし字が読めない方でも少しでも興味を持ってもらえるような引っ掛かりをつくるなど苦心しました。

また、記念館では福澤山脈という、福澤の人脈に関するパネル展示をしていますが、そちらはかなり網羅的に門下生の顔写真と簡単なプロフィールを展示し、「中津の福澤人脈」という、かなりローカルな人物を取り上げる展示も行っています。

『福翁自伝』の書きぶりから、福澤は中津のことをあまりよく思っていないのではないかとよく言われますが、中津市学校を創立したり耶馬溪の保全をしたり、実際はかなり中津の有力者と協力をして様々な活動をしています。ですので、中津の中で結構名前の知られている有力者との協力は必須であったという事情に鑑みて、地元ならではの人脈の展示を行っています。

「検証」と「顕彰」

平野

研究教育機能と自校史教育との関わり合いに関しては、村松さん、どんな動向が指摘できますか。

村松

先ほど申し上げたように、自校史教育というのは1990年代の後半ぐらいから各大学で始まっていますが、あわせて地域との連携という中で、明治大学も創立者の生誕地に行って創立者のことを紹介するイベントを実施したり、地元の研究者の方と交流をして、その情報交換しています。

明治大学の3人の創立者のうち鳥取市は岸本辰雄という初代校長が出身。福井県の鯖江市に矢代操というもう1人の創立者、3人目は山形県天童市に宮城浩蔵という教頭を務めた人物がいるのですが、各地で学生派遣プログラム等をやりました。地元でも創立者のことはあまり知られていないので、学生に地元の方と交流してどうすれば創立者が知られるようになるかを情報収集してもらい、地元を盛り上げるイベントも実施しました。

先ほどから人物の「検証」のことばかり言っていて、褒めるほうの「顕彰」についてあまり話していないのですが、検証と顕彰、両方とも大事なことだと思っています。同志社の新島襄の研究をされている本井康博先生は、よい人物研究を行うには褒めるほうの顕彰と調べるほうの検証の両方をやらないといけないとおっしゃっています。

明治の場合、どちらかというと突き放し一方でしたが、今、村上一博センター所長が創立者の初期の論文を掘り起こして再評価する仕事をされています。明治も慶應に倣って、褒めるほうも心がけてやっていきたいと思っています。

平野

自校史教育では、塾史展示館も、例えば一貫教育校の見学ツアーのコースになるとか、あるいは学部や大学院にある義塾史関係の授業との連携なども考えていらっしゃいますか。

都倉

そうですね。一貫教育校や大学まで、機会があればぜひ活用して頂きたいです。オープン前ですが、すでに先日、横浜初等部生に見てもらいました。開館したら、今日の授業はみんなで見学、というような形でも活用して頂けるとうれしいです。全く無関係な分野と思っている人ほど、案外純粋な目で本質的な発見があると思います。

歴史を伝える場所性について

平野

展示施設が設置されている場所や建物というのも非常にメッセージ性があると思います。その展示施設自身の建っている場所、あるいは建物が持つ歴史的な意味に関してはいかがでしょうか。

井上

最初に申し上げた通り、私どもは渋沢栄一の終の棲家になった、旧飛鳥山邸がその拠点になっています。しかもそこに残る建物が2棟、今、重要文化財として元の形に復した状態で見ていただけます。庭園の一部は往時訪ねてきた人たちが渋沢栄一と歩いた景観が残っているところがあり、実際にそこに足を踏み込むと、言葉で伝わる以上のものが何かしら体感できるような雰囲気があると思っています。

また建物内で渋沢栄一が書いたものなどを展示すると、やはり伝わり方も無機質な建物の中で見る書以上に渋沢の感情みたいなものも伝わってくるところがあると思っています。

村松

場所の問題は非常に重要で、最近各大学でも展示の中で1つの柱として位置づけています。また、キャンパスの所在する場所とまちとの関係は非常に重要で、連動して考えることが必要だと思います。

例えば明治の場合、なぜ都心部にキャンパスを置かざるを得なかったかというと、端的には専任の教員を雇う余裕がなかったからです。明治法律学校として誕生した明治大学の教員の供給元は本郷の東京大学の研究者、もう1つが丸の内、司法省の法制官僚でした。

その人たちが非常勤として明治に来るので、本郷と丸の内の中間地点の御茶ノ水にキャンパスを置かざるを得なかった。それは周辺にあった法律学校である専修、法政、中央、日本の各大学も同様で、その結果、学校が集まり、神田界隈に学生街ができていくわけです。

このようにまちの来歴と大学というのは関わりが深いので、当然研究対象になりますし、まちの人たちにも協力を求めていく必要があります。今挙げた5つの法律学校を由来に持つ神田5大学で連携して、神田という場を共有する法律学校研究会という組織をつくり、科研費を取ってその時期の法律学校の教育や人物について横断的に共同研究をやっています。その中で最近、「神田学生街の記憶、5大法律学校の軌跡」という写真展示会を行いました。

1880年から中央が駿河台から多摩に移る1980年までを対象にしましたが、これが実におもしろくて、集めていくと、神田界隈の非常に大きな写真のデータベースができました。地元の方たちとも今後協力して、写真をもう少し集めてデータベース化を本格化しようと話しています。

平野

各大学の連携という話は非常におもしろいですね。場所性ということに関して、中津はいかがでしょうか。

松岡

中津は福澤が生きていた時代の通りや街並みがかなり保全されていて当時の街並みの雰囲気を残しているところです。博物館としてVR等の体験型というのは導入が難しい状況ですが、街歩きという体験を通じて場所性を非常に重視しています。

今、私がいる新中津市学校はもともと小幡篤次郎の旧居でした。現在の小幡記念図書館も進脩館(しんしゅうかん)という、福澤は通えなかった上士の人たちが通う藩校の跡地に建てられており、文化施設が代替わりで受け継がれて、場所としての特色がそのまま残っています。

中津城も近いですし、歩いていると例えば和田豊治や中上川彦次郎の家も公園として残っています。福澤の周辺の人物の生家跡までかなり辿れるという特色ある地域です。『福翁自伝』を読んでから狭い中津の街並みを歩いてみると、ああこんなところにこの人の家がある、と感じられます。私はそういったところを細かく反映した地図をアップデートし続けています。

福澤旧居も訪れた人は家が大きいと感じられるようなので、今後は模型やVRなどを導入して、血槍屋敷(ちやりやしき)と呼ばれたほうの家を復元できれば、さらに場所性が感じられる良い展示ができるのではないかと思っています。

平野

中津全体が1つの歴史博物館みたいな感じになっているのですね。塾史展示館の建物、あるいは三田という場所性に関してはいかがでしょうか。

都倉

今年は慶應義塾の三田移転150年です。慶應は三田から動きませんでしたので、場所の連続性を意識できるのは有り難いことだと思います。図書館旧館の建物も、戦災を経ているとはいえ109年の重みを感じられます。その空間でこの学校や先人たちの歴史を語り、それを通して近代日本を生きた人々の格闘を改めて考えてもらうことができます。

場所で紐付けられることによって、この土地にまさに福澤がいて、門下生たちが学び、学生たちが住んでいたということを感じることができ、慶應関係者であるかないかにかかわらず、自分と関係のある問題として展示内容を見てもらうことができればと期待して います。

平野

展示館がある部屋はもともと図書館の閲覧室でしたし、私たちの世代だと大会議室で教授会などをやる部屋でした。あの部屋自体が1つの歴史だという感じがしますね。

展示館開設を出発点として

平野

最後にそれぞれの施設の今後に向けて、一言ずついただけますでしょうか。

井上

ベースになる調査研究が、今は本当に多岐にわたり、非常に幅広い学際的な研究の中で渋沢栄一をもう一度捉え直そうとしています。その成果をもとに、より新しい展示に置き換えて皆さんにお伝えできればと思います。

一方、我々が目指しているデジタルコンテンツを活用しての情報発信の強化にもより一層努めていきたい。リアルのほうも、物をしっかり見せると同時に受け継がれている情報を、より活用できるような形で幅広く整備していきたいと思っています。

松岡

今年は慶應義塾との市民講座で「中津留別之書」という、中津の人々に宛てて福澤諭吉が書いた書物を取り上げる予定です。中津での福澤についての印象はまだ改善されていないと感じるところもありますので、それ以外にも「福澤家の人々」という形で、子孫や先祖も含めて理解を深めていく展示も企画しています。

館が令和元年にオープンして、何度か企画展をしていく中で、少しずつ中津の人から福澤諭吉に関する反応が返ってきたという手応えを感じていて、福澤諭吉や門下生の史料の寄贈等のご連絡を受けることが多くなってきました。研究的な質も担保しながら、新たな史料を用いて、より発信にも力を向けていきたいと思っています。

慶應の展示館もオープンするので是非企画展等、連携も図れればいいなと思っています。

村松

今年は明治大学が創立140周年ですが、まさに「校友山脈」という人物の企画展示を行う予定です。これを機会に明治大学の人脈の研究の展開のきっかけにしていければと思っています。

展示はコロナ禍の影響で展示室が時間制限になることもあり、来られない方のためにも、著名な卒業生のインタビューなどを中心にした映像をYouTubeに上げ、明治大学の校友山脈を実感してもらう仕掛けをつくっていきたいと思っています。

最後に大学史の連携を担当する立場から、是非日本の大学全体を牽引するリーダー格である慶應に申し上げたいことがございます。慶應は、大学の歴史をとっても福澤諭吉をとっても、それ自体が日本の近代史の一画を担っている存在です。それゆえに展示としては慶應義塾単体で、福澤諭吉単体で十分自足できてしまうと思います。

それは分かっていますが、ここは是非、価値観を同じくする大学や機関と一緒に、大きな価値や広く共感を生む展示、あるいは大学史に関する教育を共に創り出すことについても引っ張っていっていただければと思います。今後の展示の展開に心から期待をしています。

都倉

今、村松さんから大変耳に痛い話もありましたが、やはり慶應はどうしても自己完結してしまうところがあって、卒業生の結束なども非常に特殊なところがあります。また、歴史を語る際も、もう消化不良になるくらい情報がたくさんあるので、なかなか周りを見渡してその中でどういう位置を占めたのかというところまで語る余裕がないのが正直なところです。

今回展示館ができたことは出発点だと思っています。展示という形で比較や連携等をしていくきっかけができたのではないかと思っていますので、これから大学間、人物間、地域との協力など、様々な広げ方ができるのではないかと思っています。そして共有する価値を相互に高めあうことに資することができればと思います。

平野

都倉さんのお話にもあった通り、この展示館というものが1つの教育研究のネットワークのハブになるような形で交流を深めていくことへの期待を持っています。

本日はお忙しい中、貴重なお話をいただき、有り難うございました。今後ともよろしくお願い致します。

(2021年3月10日、オンラインにより収録)

平野

塾史展示館は5月15日開館後、当面の間、事前予約制です。詳しくはホームページをご覧下さい。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。