慶應義塾

【特集:脳科学研究の最前線】座談会:人類の可能性を開拓する総合知の未来

登場者プロフィール

  • 皆川 泰代(みながわ やすよ)

    文学部 教授

    1993年国際基督教大学教養学部語学科卒業。2000年東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻認知・言語医学講座博士課程修了。博士(医学)。専門は言語心理学、発達心理学、認知神経科学。17年より現職。

    皆川 泰代(みながわ やすよ)

    文学部 教授

    1993年国際基督教大学教養学部語学科卒業。2000年東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻認知・言語医学講座博士課程修了。博士(医学)。専門は言語心理学、発達心理学、認知神経科学。17年より現職。

  • 柚﨑 通介(ゆざき みちすけ)

    医学部 生理学教室教授医学研究科 委員長

    1985年自治医科大学医学部卒業。93年同大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。専門は神経科学、シナプス形成、シナプス可塑性。2003年より現職。21年より医学研究科委員長。日本神経科学会会長。

    柚﨑 通介(ゆざき みちすけ)

    医学部 生理学教室教授医学研究科 委員長

    1985年自治医科大学医学部卒業。93年同大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。専門は神経科学、シナプス形成、シナプス可塑性。2003年より現職。21年より医学研究科委員長。日本神経科学会会長。

  • 牛場 潤一(うしば じゅんいち)

    理工学部 生命情報学科准教授

    塾員(2001理工、04理工博)。博士(工学)。専門は神経科学、リハビリテーション神経科学、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)。重度運動障害の治療実現のためConnect株式会社を2018年設立。

    牛場 潤一(うしば じゅんいち)

    理工学部 生命情報学科准教授

    塾員(2001理工、04理工博)。博士(工学)。専門は神経科学、リハビリテーション神経科学、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)。重度運動障害の治療実現のためConnect株式会社を2018年設立。

  • 南澤 孝太(みなみざわ こうた)

    メディアデザイン研究科 教授

    2005年東京大学工学部計数工学科卒業。10年同大学院情報理工学系研究科博士課程修了。博士(情報理工学)。19年より現職。専門はハプティクス(触覚)、身体性メディア、身体情報学。

    南澤 孝太(みなみざわ こうた)

    メディアデザイン研究科 教授

    2005年東京大学工学部計数工学科卒業。10年同大学院情報理工学系研究科博士課程修了。博士(情報理工学)。19年より現職。専門はハプティクス(触覚)、身体性メディア、身体情報学。

  • 駒村 圭吾(司会)(こまむら けいご)

    法学部 教授

    塾員(1984法、89法博)。博士(法学)。助教授を経て2005年より現職。2012年~13年慶應義塾高等学校長。2013年~21年慶應義塾常任理事。専門は憲法、人権基礎論。

    駒村 圭吾(司会)(こまむら けいご)

    法学部 教授

    塾員(1984法、89法博)。博士(法学)。助教授を経て2005年より現職。2012年~13年慶應義塾高等学校長。2013年~21年慶應義塾常任理事。専門は憲法、人権基礎論。

2022/03/07

脳を探るアプローチ

駒村

近時、人類の知的フロンティアは、およそ3つほど想定されているようです。まずは「宇宙」ですね。ご存知のようにテスラのイーロン・マスクやアマゾンのジェフ・ベゾスが巨額の投資をし、開発と商業化が加速している。

もう1つは「地球」です。SDGsが提唱され持続可能な地球社会の建設が推進されていますし、ビル・ゲイツなどは、「宇宙よりもまず地球でしょう」と地球環境に関心を集中させています。

そして3つ目が、「脳」になるかと思います。イーロン・マスクはこの分野でも「ニューラリンク」を立ち上げ、埋め込み型デバイスの脳内チップを開発して、神経疾患の改善に役立てようとしている。今、ヒトでの治験を始めるためにFDA(アメリカ食品医薬品局)と交渉中という段階のようです。

このように「脳」そして「脳科学」は今や非常にホットなトピックになってきています。『三田評論』では、12年前にも脳科学の特集をやっていますが、今日はその後の流れも含めて、脳科学の最前線に立つ、慶應義塾を代表する4人の方にお話しいただきたいと思います。

まずは自己紹介も兼ねて、どんな研究をおやりになっているのか。そしてどうして脳科学に関心をもたれたのかをお話しいただきたいと思います。最初に皆川さん、いかがでしょうか。

皆川

私は文学部心理学専攻に所属していますが、「人の心を科学的に理解する」のが心理学ですので、実験心理学、認知神経科学といった脳科学的な手法も使いながら心を明らかにしています。特に子どもの言語発達やコミュニケーション発達における脳の発達に興味をもって研究をしています。

脳科学への関心ですが、私はもともと言語学がバックグラウンドで、特に第二言語の習得に興味がありました。その中で、例えば「どうして日本人は英語のRとLを聞き分けることができないのか」といったことに興味をもち、研究していました。

そこで、いろいろな心理実験をすると、どうしてRとLが聞き分けられないか、というようなことは、突き詰めると結局、脳の違いになってくるんですね。さらに言語を獲得するということを考えるうちに、言語の脳機能、脳内基盤というものを見てみたいと思い、脳科学に興味をもっていきました。

駒村

慶應義塾内で「赤ちゃんラボ」というものをおやりになっていますが、どのような活動をされているのですか。

皆川

赤ちゃん、つまりゼロ歳児、1歳児というのは脳の発達が目まぐるしい時期で、このラボではいろいろな認知獲得に伴う脳機能を明らかにし、脳科学的なことばかりでなく、行動学的研究も含めて研究しています。

現在、私は主に2つ、大きな研究を進めています。1つは、自閉症など発達障害の子たちの脳がどう発達するのかという研究です。定型発達の子と比較することによって、コミュニケーション能力と脳の発達を明らかにして、早期診断、早期療育に役立てています。

もう1つが、二者間でコミュニケーションをしている時の脳活動を明らかにすることです。MRIなどの脳機能研究では一般的に一人で何かしている時の脳活動を見るのですが、近赤外分光法や脳波では二者間相互作用の脳活動を見ることができる。この二者間のコミュニケーションが上手くいくと、脳活動が同期していきます。

そうした脳の同期を評価したり、AさんがBさんに何かコミュニケーション信号を与えた時に、どう反応するかといった相互作用のダイナミクスを脳のレベルで可視化するような研究をしています。これは自閉症研究の応用にもなりその解明にも役立ちます。

駒村

次に柚﨑さん、お願いします。

柚﨑

私の脳科学への関心の契機は、まだ多感な高校生だった頃、長期入院していたことがあったんですが、その時、退院してまた同じ症状で戻ってくる人が結構いることに気づいたことに始まります。

その時、高校生ながらに、例えば胃潰瘍が薬で治ったとしても、イライラしてストレスをため込んだりする原因にきちんと対処しない限り、また胃潰瘍が再発するのだろうと思ったんです。つまり、いわゆる心と体の関係を研究してみたいと思ったんですね。

医学部に入り、心や脳について勉強していくと、そもそも心の基盤であるべき脳の物質的基盤すら全然わかっていないと知り、まずはそこをしっかり理解したいと思いました。それが脳科学を研究した動機です。

脳は数百億の神経細胞がつながり合っていて、つながっているところをシナプスと言います。そのシナプスによっていろいろな神経回路をつくっている。神経回路がトータルとして働いて、いろいろな精神活動を起こすわけです。

先ほどおっしゃった自閉スペクトラム症という発達障害、あるいは統合失調症のような精神疾患、さらに認知症のような神経疾患にしても、多くの疾患のもともとの病変はシナプスに由来します。つながっているところがつながりすぎたり、逆に外れすぎたり、といったことが原因と考えられ、これはシナプス病とかシナプス症という概念となっています。

私たちの研究室では、このシナプスがどうやってつくられ、どういう時に失われるか。あるいは、つながりが機能的に強くなったり弱くなったりするのは、どういう分子機構で起きるのかを解明することで、シナプス病の新しい治療戦略につなげていきたいと思い、研究を続けています。

脳の可塑性を引き出す

駒村

それでは牛場さん、お願いします。

牛場

私は理工学部で脳科学を20年ほど研究してきました。脳の研究への興味は、小学生の頃、新聞社の市民講座で、松本元先生という脳科学の大変有名な先生が、子どもたちに向けて授業をしてくれるというので、リュックを背負って、ドキドキしながら聞きにいったことに始まります。

今も鮮やかに思い出すのが、松本先生が交流していた、ある少女の話です。実は、その少女は外科的な手術で脳が半分切除された方だったのです。でも、そういうことをまったく感じさせないぐらいリカバーしていて、人間らしい生活を送っている。MRIを見ると本当に脳がほぼ半量なくなっているのに、見た目では全然わからないぐらい聡明だったというのです。すごくショックでした。

その時、脳というのは、1つの個体の中でそれほどダイナミックに回路を組み替えて、失ってしまった機能を復元する大きな可能性があるということを知り、すごくわくわくしました。

一方、そういう「可塑性」と呼ばれる脳のやわらかさを外から上手く引き出す技術がまだない。そこで、それをつくってみたいと思い、理工学部でテクノロジーの研究を始めました。

矢上の研究室に入るなり、先生に無理を言って医学部のリハビリ科の医局に席をつくっていただき、医療従事者の先生方と一緒に同じ釜の飯を食べながら診察の現場を見て研究のトピックを見出し、矢上でものをつくって、それを医学部にもち込むような往来を20年来してきました。

私の専門は、そういった脳の可塑性を引き出すテクノロジーである「ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)」の研究です。ウェアラブルの脳波計と、AIで脳内状態を分析するプログラム、その分析した結果に基づいて動作するロボティクスや神経電気刺激装置といったものを体に取り付けて運動をしてもらうのです。

脳卒中後に脳損傷が起き、手が麻痺した人でも、BMIを付けた状態でトレーニングをしてもらうと、いわゆる「ブレイン・イン・ザ・ループ(Brain in the loop)」の状態になるんですね。そのループが上手く回ると脳の可塑性が誘導され、今までの標準治療では治せないような重度運動障害をもつ7割ぐらいの方を、ある程度回復に誘導することができるようになってきたのです。

つまり、AIと脳をどのように統合すれば、脳の可塑性を引き出すことができるのか、という研究を行っています。

駒村

では南澤さん、お願いします。

南澤

僕は「身体性メディア」といって、人が身体を通じて感じる経験をデジタルテクノロジーとつないでいく研究をしています。特に五感の中でも触覚ですね。ものに触れたり、触れられたりする感覚を人がどう知覚し、どのように行動するのかを理解し、工学的に再現するという研究をやってきました。

触覚を通じて、われわれは様々なことを経験し、人との関係性を構築していきます。研究を続けるうち、人の身体性と社会性のメカニズムそのものにだんだん興味が移ってきました。現在は、人と環境や他者といった外部とを繋ぐインターフェースとして身体を捉え、技術を使ってその身体を拡張したり支援することで、人と外界との関係性がどう変化していくのか、それを探索しています。

そうした経緯から、現在、内閣府とJST(科学技術振興機構)によるイノベーション創出プログラム「ムーンショット型研究開発事業」では、「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」する、目標1のプロジェクトマネージャーを担当しています。

僕のプロジェクトでは「サイバネティック・ビーイング」という言い方をしていますが、自分の生まれもった肉体以外の体をもてるような世界が今、近づいてきています。例えばバーチャル世界の中でのアバターと呼ばれる体、あるいは別の場所にあるロボットを自分の脳や意識とつないで操作することで、遠隔で活動することが技術的にできるようになってきている。

そういったバーチャルな世界やロボットアバターを使った時に、われわれの経験、コミュニケーション、それから働き方、生活スタイルがどのように変化していくかを、いろいろな技術を駆使して、いろいろなフィールドの方々と共創しながら探索しています。

多様な脳科学研究

駒村

今伺っただけでも、脳科学に対するアプローチやディシプリンは本当に多様だということが分かります。

ところで、法学部とロースクールで憲法・人権論を教えている私がなぜ司会をやっているのか、自己紹介を兼ねて説明しておきます。法学では「意思」や「人格」というのはとても重要な基本概念で、しかもそういったものは「自律している」、「自律しているべきだ」という前提に立って今まで議論してきました。でも、どこかで嘘くさいものをずっと感じていたところ、意思や人格の自律性をゆさぶる脳科学に出会いました。

先ほど南澤さんが言われたJSTのムーンショット型事業の目標1は脳科学系のプロジェクトですが、私もそこで昨年10月からELSI(倫理的・法的・社会的課題)担当の課題推進者をやっています。また、同じプロジェクトで牛場さんはサブ・プロジェクト・マネージャーをお務めです。

ただ、脳研究に関する公的研究推進については、慶應義塾の研究者が関わるプロジェクトがもっとたくさんあると思うのですが、そのあたりの広がりを少し柚﨑さん、補足していただけますか。

柚﨑

慶應の医学部が関連している脳科学関連の公的な大型研究としては、臨床系だと例えばAMED(日本医療研究開発機構)の「脳とこころの研究推進プログラム」で、精神神経科の三村將先生などが、気分障害(うつ病)をMRIで縦断的に追いかけて国際比較をしています。

あるいは生理学の岡野栄之先生が、同じAMEDの再生医療実現化事業で、iPS細胞を使って脊髄損傷や脳梗塞の治療につなげる研究を行っています。もう1つAMEDには、「革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト(革新脳)」というものがあり、できるだけ人に近い実験動物であるマーモセットを使って、精神神経疾患や発達障害の病態モデルの解明を目指しており、ここにも医学部の教員が参加しています。

もう少し基礎系に近いところでは、JSTのERATOのニューロ分子プロジェクトがあり、浜地格先生の京大拠点とともに私たちの教室が慶應拠点となっています。また私たちの教室ではJSTのCREST「オプトバイオ」にて、光によって脳の活動を操作するプロジェクトや、特別推進研究にてシナプス形成メカニズムの研究も進行中です。このように結構、大型の研究費が動いているような状況です。

駒村

皆川さんは何かありますか。

皆川

文学部の脳科学研究にはそれほど大型のものはありませんが、先ほどの私の自閉症の脳発達の研究は、日本学術振興会の科研費の基盤研究(S)というものです。またコミュニケーションに関する脳科学研究はJSTのCRESTの一部で、これは牛場さんも関係されていますよね。CRESTでは相互作用の脳科学知識をAIや工学的な技術デバイスなどに活かして、コミュニケーション行動を支援する試みも行っています。

心理学専攻は9名の専任教員のうち7名が認知神経科学や神経科学を専門としているので、柚﨑さんがおっしゃったプロジェクトのいくつかにも関係していますし、AIとロボットの共進化のムーンショット型研究(目標3)に参加されている先生もいます。

企業の積極的な参入

駒村

公的ファンドあるいは政府系も含めて非常に多様なアプローチ、プロジェクトがあるのですね。一方、企業の関心も高いと思うのですが。

牛場

昨今、「ブレインテック」という言葉をよく耳にするようになりました。大きな企業は昔から感性工学、つまり、どういうものを消費者がよいと感じているのかということをマーケティングや製品開発に生かしたいというニーズがあります。

例えば凸版印刷や電通サイエンスジャムはこの分野に昔から関与されているし、他にもNTTデータ経営研究所とかマクニカという半導体メーカーがビジネスを立ち上げています。それ以外にもスタートアップが海外だけではなく国内でもどんどん増えてきています。

私自身も、脳卒中後の運動障害を治療するウェアラブル型のBMIを、医療機器として事業化しようと会社を立ち上げ、医療機器の承認・認証を取って、今年中に販売しようとしていす。

このようにマーケティングと医療機器、ヘルスケアといった分野で、だいぶブレインテックというものは進んでいる。この3年ぐらいで、ずいぶん耳にするようになりました。

駒村

南澤さんはいかがですか。

南澤

僕の周りだと、脳そのものというより身体のほうですが、コロナで皆がリモートワークをするようになり、距離を問わずに活動するためのテクノロジー、あるいは自分と異なる他者の感覚や体験を別の人に伝えるためのテクノロジーが非常に求められています。

例えばトヨタやANAのような「移動」を生業としてきたような企業が、車や飛行機で物理的に移動しなくても活動できるような未来を見据えてアバターロボットの領域に参入してきています。通信各社でも、5Gの高速通信を使うことで、サイバー空間を活用した新しい形態の人の活動領域をつくりあげていくことが、この3、4年でとても大きな産業になり始めていて、研究開発と事業化が加速しています。

僕らもTelexistence(テレイグジスタンス)株式会社という会社を東大と慶應の大学発スタートアップとして立ち上げ、アバターロボットを通じて新しい働き方をつくっていこうとしています。

シナプスから見た脳

駒村

脳科学研究と事業化は、その裾野がとても広がっているわけですね。

次に今、皆さんの取り組みを踏まえて、近未来がどのように展開していくのかを伺いたいと思います。今いる現場や技術の進展から、脳科学にはこんな可能性もあるとか、あるいは近年こんな劇的なポイントがあったというようなお話は何かございますか。

柚﨑

脳科学研究の大きな方向性の1つは、脳の配線図の全貌がわかれば、脳の働き方がわかるのではないかというアプローチです。電気回路の働きを知ろうとすれば配線図がないとわかりようがない。ただ神経細胞は数百億あり、さらに一個一個の神経細胞が千個ぐらいのシナプスをつくっているので、シナプスの総数は100兆個規模に達します。このような複雑な配線図を果たして決めることができるのでしょうか?

これは10年前は不可能と考えられていましたが、今はコネクトミクスと言って、例えば電子顕微鏡にしても電子銃1本では1立方ミリメートルの回路を決めるのに数年かかっていたものを、電子銃を61本並べて61倍の速度にした電子顕微鏡が開発されました。こんな電子顕微鏡を数十台使っても、人の脳の全配線図が決まるのに数十年はかかると思いますが、小動物の脳の全配線図はだんだん決まってくると思います。

ただ、配線図が決まってくるだけでは、神経回路がどう動いているのかはわからない。そこで、より多くの神経細胞から、より高精度の時間・空間分解能でその活動を記録する技術開発が進んでいます。究極的には、行動したり、考えたりしている時の個々の神経細胞の活動を数百億の神経細胞から同時に記録できるようにすることを目指しています。

ファンクショナルMRI(脳の機能活動がどの部位で起きたかを画像化するもの)は磁場を高めると解像度は上がり、脳全体の各部位での数万個ほどの神経細胞の活動の平均値が見えてきます。ニルス(NIRS)という近赤外線で見ると、脳表に近い10万個ほどの神経細胞の平均活動が計測できます。脳波はNIRSよりも時間解像度が高いですが、やはり脳表近くの神経活動の平均値です。ヒトの脳全体での神経活動を高時間解像度で記録することは難しいです。

実験動物でしかできませんが、1つ1つの神経細胞が活動すると蛍光の強度が変わるようなものをあらかじめ神経細胞に仕込んでおいて、数十万から数百万個単位で、個々の神経細胞の活動を記録することは可能になってきています。この結果を解析することで、どの神経回路がどういう計算をして、その結果、動物がどのような行動をするのかがどんどんと判明されていく。それが今後の研究の大きな流れの1つであり続けると思います。

駒村

神経回路の構造を正確に全部読み出し、それを機械にアップロードすれば、脳の果たす機能も遂行できるようになるということですか。

柚﨑

そういうアプローチです。最終的には、それをスーパーコンピューター上に再構築し、病気の時の脳のはたらきもシミュレーションできるようにします。「全脳シミュレーション」という世界ですね。全脳シミュレーションを行うには、神経細胞の活動についてより高精度の空間・時間情報が必要です。

ただし、ヒトにおいて脳の深部の神経細胞の活動を全部記録し、その結果をリアルタイムで解読してアバターに完全に表現させるということは、たぶん無理です。でも、脳の表面から得られる情報から、深部を含む神経活動を推定して、例えば、マヒの患者さんの「手を動かす」といった技術開発は進んでいくと思います。

駒村

これが進んでいけば、シナプス病の1つである、認知症なども解決のめどが立つのでしょうか。

柚﨑

進展するとは思いますが、ただ、やはり生物学的な側面というものもありますからね。電気回路はつないでしまえば終わりですが、われわれの脳神経は、使えば太くなっていくし、使わないと弱くなって最終的には失われ、病気になっても失われる。

その状態を情報工学的なシミュレーションで完全に全部再現できるかというと、やはりそれは無理です。やわらかな脳、先ほど牛場さんが言ったような可塑性の解明には、生物学的なアプローチが必要です。そこで私たちはやわらかさの実体であるシナプスの研究をやっています。

システムとして見る次元

牛場

脳の構成素子は細胞とか血管など、いろいろと必要不可欠な要素がありますが、私の立場から言いますと、もう1つマクロなところに、「脳はどういうインプットに対して、どんな処理をしてアウトプットを生み出すのか」という、計算論の次元があることに言及したいと思います。いわばパソコンのプログラムのようなもので、脳が何を目的として計算をしているのか、情報処理マシンとして脳を捉えるという見方です。つまりシステム思考で考えると、また少し違う視点が見えてくると思います。

脳があって、体があって、外界と連関しながら自己を形成したり、体を上手に動かしたり、ものごとを学習したりというプロセスは、全体をマクロな視点で捉えることで理解が深まると思うのです。

そうすると、脳の一部が傷ついて機能が維持できなくなった時に、AIで足りない部分をどう処理して補い、ロボットで上手く応答させるか、ブレイン・イン・ザ・ループをどうつくるかというようなことが設計できるようになる。こうした設計が可能になると、脳と機械が相互作用する過程で脳がダイナミックに変化するので、脳機能の回復を誘導したり、機械に意思を統合して円滑なコミュニケーションをしたりすることができるようになります。そのようにして、今までの医療や福祉ではできなかったことができるようになる側面もあると思っています。

科学技術の世界では、量子力学や量子コンピューティングが今、すごく流行っていて、1個の量子の小さな粒のレベルで見えてくる物理特性や原理に立脚すれば、今までの解き方では解けないような計算ができるようになる、という世界が広がっています。

一方、センチとかメーターのサイズになると、量子の性質は見えにくくなり、ニュートン力学が支配することになります。どちらもすごく大切ですが、どこの世界を切り出すかによって、その世界を支配する物理原理が全然違っている。それと同じように、脳の中もやはり遺伝子、分子、神経回路レベルの話もあれば、システムや計算論としてマクロな世界で見て理解したり、使いこなす世界もある。

だから脳の世界はやはりすごく大きくて、多様な立場でいろいろな発見があり、テクノロジーができてくるところが、すごく面白いポイントではないかと思います。

駒村

荒っぽく言うと、人間機械論みたいなものが昔からあったけれども他方で、やはり人間は生命体、生きものだと。この関係をどうするのかという問題は人文知的にも大きな課題ですね。

それから、情報→シナプス→細胞→身体→人間や社会と、どのレイヤーにフォーカスして見るのか。それらをシステムとして統合する視点に立つのか。たいへん面白く伺いました。

皆川

今のお話でいうと、私はざっくり柚﨑さんと牛場さんの間ぐらいにいる感じだと思うのです(笑)。脳機能の仕組みの、細胞、分子レベルではなくて、もう少し大きい脳のリージョンレベルというレイヤーで見ているかと思います。

例えば少し前までは、何かの認知タスクでどこの領域が活動したということしかわからなかったけれど、最近では深層学習や計算論的な進展によって、脳の結合にも細かい段階や状態があって、それがどのように繰り返されているかというレベルまで明らかにできるようになりました。

私の専門の発達で言うと、早産児は生まれた時の、シナプスも関係する脳の結合状態が、初めは短いレンジでしか結びつかない。しかし、外界の刺激を受けると、だんだんと長距離の結合ができていく。そういった特徴が、より細かく見られるようになったところが大きいと思います。

人文系の観点からはその脳の発達が外界の環境ばかりでなく、人との相互作用の要因からどのように発達しシステムを作っていくか、さらにその個々の脳がどのように社会や文化を作っていくか、という問題にもつながります。このような心理学の脳科学的知見は工学系にも役立てられますし、現在行動経済学でも頻繁に引用されています。

脳はどこまでポテンシャルがあるか

南澤

僕の立場は、牛場さんよりもう1つマクロのレイヤーになるかなと思います。つまり、個々の人間の中で起きていることにも着目しつつ、人間同士のネットワークとして社会やコミュニティのレベルでどのようなことが起きているかに興味があるのです。

僕らのムーンショットでやろうとしていることは、今までの脳科学が前提としていた、脳が肉体の中に収まっている状態ではない境界条件の時に、脳の可塑性はどこまで発揮できるのかということです。

例えば人が自身の肉体とは別の体をもっていて、それが異なるジェンダーだった場合、認知行動システムそのものが変化したりアップデートされることが起きうるのか。あるいは、人がバーチャルな鳥の体をもった時、新しい体に脳がアダプトして飛べるようになるのを支援できるのか。先ほど脳が半分になっても機能が回復するという話がありましたが、逆に、脳というのは現在の1つの体に収まらないポテンシャルをもっている気がしています。まったく新しい境界条件をわれわれの脳に提示した時、脳がそこに対してどうアダプトしていくのか。

例えば遠く離れた別の人の意識や経験が流入してきたり、アバターによって本来の自分とは全然違う形状の体をもって、まったく異なる空間で活動するという可能性を考えると、実は人間の脳はそういうことも捉えられるポテンシャルをもっているのではないか。そこを探っていきたい。

それはSF的な話だけではなく、例えば、僕らのプロジェクトでは今、身体障害やALSにより寝たきりの状態にある患者さんがアバターを使って働いたり、学校に行ったり、社会活動をすることを支援しているのですが、生まれて初めて追いかけっこをしたとか、生まれて初めて手を振ったら振り返してくれたとか、彼らにとって全く新しいフロンティアがそこにあるのです。

そのように人間の脳はどこまでのポテンシャルがあるか。そこをどう理解していくかが、僕の立場での研究になるのかと思います。

柚﨑

それは目茶苦茶面白いですね。自分と他者との境界があやふやになるのはまさに統合失調症の病態であり、自分の声なのか思考なのか、外からの声なのかわからないという状態です。

ヒトだけではなくて、魚は側線で水の流れや音を感知しますが、自分が泳いだことによって発生するノイズを聞いていたら、もううるさくて泳いでいられない。だから、自分の体動に由来する成分は抑制する神経回路があるんですが、アバターなどで身体が拡張していくと、たぶんそういう神経回路も変わっていくんだろうなと思います。それはぜひ見てみたい。

南澤

触覚はもともと、魚の側線から発達したと言われていますね。触覚というのは自他境界の認知機能をもっているわけですが、認識を広げていく方向にももっていけると思っています。

柚﨑

究極的には、これもシナプスですね(笑)。

「人間」はどこに行くか

駒村

今のお話は非常に面白いですね。先ほど触れたムーンショットの目標1のテーマが、「2050年までに人間を脳、身体、時間、空間から解放する」ことを目指すというものなんですね。しかし、人間が脳、身体、時間、空間から解放されたら、実は人間が残らないのではないか(笑)。

逆に言うと、脳と身体と時間と空間に拘束されているのが人間なのではないか。解放されたら人間はどこに行ってしまうのか。人間原理自体が消失して宇宙の捉え方が変わってしまう可能性もあると思うんです。

そういった方向性に対する茫漠とした不安と、あるいはそっちへ跳躍してみたいという期待の両方あると思うのですが、このあたりについてはどうお考えですか。

南澤

僕のプロジェクトの1つのポリシーとして、自己主体性の担保というものを強く掲げているのです。今、アバターという概念の中には2つの流派がありそうで、1つは自分とまったく切り離された分身をつくって、自分の意識の外側でどんどん社会活動をし、働いてほしいという方向の研究。一方、僕らはそうではなく、あくまでも自分の意識の拡張をしていきたい。そして、その経験がフィードバックされてその人自身の成長に取り込めることを前提として、新しい身体をデザインしていきたいと考えています。

生産性の高い工場をイメージするなら、分身させてしまったほうが効率がいいんですね。自分の知らないところでアバターが100人分働いて、勝手に稼いでくる。これも1つの考え方ですが、そうすると、いずれ人間が不要になってしまうのではないかという危惧を感じます。

脳科学やアバターの技術によってよりよい人生経験を積み重ねて自分自身を広げていけるのか。ここをきちんと押さえておかないと、人間のコアが消失してしまう懸念があるので、自己の主体性や行為の主体感といったものを僕らは常に重視しています。

駒村

なるほど。今日お集まりいただいた方に、これはぜひ聞きたいと思っていることが1つあります。「人間を脳、身体、時間、空間から解放する」と申しましたが、その解放の契機を提供してきたものは、科学ではなく、やはり「死」だと思うんですね。死んでしまえば、これらから解放される。すると、今、行われている脳科学研究は「死」に代替する何かを提供する可能性があるような気がするんです。

これは、ロマンチックでは済まないリアリティもすでにもっていると思うのですが、医療現場にいる柚﨑さん、そのあたりはどのように捉えていらっしゃいますか。

柚﨑

面白いですね。けれど、あまり考えていないです(笑)。死というのは確かに身体条件からの解放だけれども、意識がなくなれば解放かどうかはもうわからない。身体・時間・空間から解放されるのならば、むしろ宗教体験に近いものなのかなとか思いました。お釈迦様の「宇宙即我」のように、自分と相手との境界がすべてなくなってしまうようなことでしょうか。

こういう領域になってくると、まさに倫理的な分野であり、それをやっていいのかという感じもします。死の直前には幽体離脱体験があるという話もある。今は一定の場所を刺激すれば、体から抜け出して自分を俯瞰して見るような体験ができるとも言われていて、個人的にはやってみたいなとも思うんですが(笑)。

皆川

まさに自己/他者の境界や自己主体感というのは、心理学の大きなトピックの1つです。人間が進化してきた1つの理由は、いろいろな人と協力しながら集団として助け合ってきたことです。常に人間は相手の心の状態を推しはかりながらコミュニケーションをとっていたお蔭で、いわゆる社会脳というものが発達してきたわけですね。

そこで、脳に対する技術で相手の感情がわかったり、相手の心を推測しなくて済むみたいな状態、本当に自己と他者の境界がなくなってしまうということがあるのなら、そういった社会脳がだんだんと劣化していくのではないかという気がします。

実際、子どもは自己主体感みたいなものが初めはないんですね。1歳半ぐらいまでに、だんだんと自己というレベルが完成してくる。それは外界とのコミュニケーションを通して獲得されるし、それにつれて脳も活動する場所があるんです。そう考えると、自己の分身であるアバターにしても、やはり南澤さん流の自己主体感をもっているもののほうがいいなと思いました。

人間らしさに寄り添う技術

牛場

南澤さんが先ほど話された2つの流派の話ですが、サイバネティック・ビーイングと掲げられている、「ビーイング」というところに、言われたような意味が込められているということですね。

南澤

そうですね。僕としてはそのつもりです。

牛場

僕もすごく同感です。僕もBMIで脳と機械を連携させているので、それはどこまで人間なのかみたいなことをよく聞かれるんですが、僕自身の研究は南澤さんの視点に近く、身体等が不自由な方が、自分らしい生き方ができる日々を支えたいというのが、自分の研究の原点なんですよね。

自分の祖父がある日、脳卒中になってしゃべれなくなった。言葉を発しようとすると、神経がミスワイヤリングして、全然違う言葉が出て失語になってしまう。それにイラついて怒ってしまうんです。だから本人も苦しいし、周りも大変です。

脳の半分がなくなっても、劇的に機能が回復するような人がいることを考えると、本来、人間にはそういう生物学的なポテンシャルがあるはずだし、そのことによって人間の尊厳を本来取り戻すことができるはずなのに、脳のことがわかっていなかったり、能力を上手く引き出してあげるテクノロジーがなかったりしてそれができない。

そういう状態のほうが、何か不当で不完全なのではないかと思うのです。もっと人間らしさに寄り添って、本来あるべき当たり前の状態の社会をつくるような形のテクノロジーを生み出せたらと思うのです。BMIも人間本位の生き方というものが中心にあってほしいと思います。

駒村

ELSI課題として、この問題はとても重要だと思いますね。

法学に限らず人文社会系の新しい技術に対する知的反応は、大体初めは警戒的です。何かまずいことが起きるんじゃないか、のっぴきならない事態になるんじゃないか、というある種の拒否反応が自動的に出てくるわけですね。

ただ、法学者を含めた社会科学者は、次に、この違和感とか警戒感は果たして正当化できるのかを考え出します。そうすると、意外に思い込みに過ぎなかったなとか、冷静にいい面を伸ばして、悪い面だけ排除すればいいじゃないか、という理路を立てることができる。

一方、技術の社会実装に対して、社会がそれにどう反応するのかと言えば、未知のものに対して過剰な警戒感が示されるのと同時に、それとは真逆に、過剰な期待感が増幅されることもある。法学者はおそらく両方を上手く制御し、過剰な警戒感も過剰な期待も上手い具合に着地させることが必要なのかなと思っています。

総合知としての脳科学

駒村

脳科学は、脱領域、学際的、総合的な学問研究であると思いますが、それについてお話しいただきたいと思います。慶應義塾の内外で、分野を超えた交流、連携を推進するとしたら、脳科学は、そのためのプラットフォームになりますでしょうか。

柚﨑

脳の研究の一番の特徴は、やはり階層がマクロレベルから分子レベルまで多岐にわたっていることです。もちろん、どの臓器もそうなんですが、脳は最も多階層です。個体レベルで集団としての神経活動を記録してアプローチしていく方法もあれば、シナプスをつくっている分子レベルを研究する方法もあります。それぞれの階層ごとの研究をつないでいくことは必須になってきますね。

今、情報科学が大変発達して簡便にシミュレーションできるようになり、さまざまなアルゴリズムを使って計算できる。多階層をつないでいく方法としてはこれが1つあるかと思います。

先ほど牛場さんが言ったように、インプットとアウトプットで脳のどこの場所でどんな計算をしているのかがわかってくれば、その場所の神経回路を分子レベルでわれわれが調べることができるわけです。

日本では神経科学への情報系の人の参入がまだまだ遅いですね。でも、今年の日本神経科学大会は、日本神経科学学会、日本神経化学会に加えて、情報工学系の人が中心の日本神経回路学会との合同大会として行われます。

人工知能の分野との融合は必須です。人工知能にも2つ流派があって、別に実際に脳がどうやって計算していようが、上手くいけばいいじゃないか、という方向もある一方、「ネクストAI」として、脳が使っている計算原理を理解することで、次世代の人工知能をつくっていこうという流れがある。そういったところとのインタラクションも必要と思っています。

このように多階層をつなぐための努力に加えて、脳科学は周辺領域が広いので、社会実装をしようと思うと、法学や教育学などと学際的に関係してきますね。

駒村

皆川さんは、もともとの学統が比較文化とか言語学でしたね。文理融合といった観点からいかがですか。

皆川

私は大学院は医学系なんです。しかも、指導教員が工学系の先生だったので、大学院の研究の時に、すでに領域を超えているところがあり、医学系、工学系、心理系、言語系と学際的に研究してきました。

慶應という総合大学は、そういう意味で私にとっては非常によい環境で、矢上、信濃町、三田を1日で回る時もありますし、私の研究は常に理工学部の先生との共同研究で、医学部小児科や耳鼻科とも共同研究してきました。

自閉症の研究も、例えば社会行動などを画像解析して、いろいろな行動をラベリングするといった技術を理工学部の先生にお願いしています。一方、早産児にも発達障害が多いのですが、在胎30週前で生まれると、脳神経の結合が悪くなることが多く、それはやはり脳の細胞レベルの発達のことがわからないといけないので、胎児の脳のレベルの研究が必要になってきます。

柚﨑さんがおっしゃったように、分子、細胞のレベルから大きなレベルまでつなげないと、いろいろなことが解決しませんし、発達障害の療育になると、社会システムの問題になってくるので教育の問題にも関係します。当然、社会学や法学的なものとのつながりも出てきますね。

問題解決のためのアプローチ

南澤

結局、人や社会が抱える課題を直視して、未来をこうしたいという共通の目標をもち、あらゆる領域の人が、「それなら自分はこうやる」と、それぞれの専門性をもってその課題を解決することに向かう体制をつくれればよいと思うのです。それが、融合やコラボレーションの一番大事なところかなと思っています。

学問としてどうするかという視点もある一方、われわれがやっていることが実際にどう人類の未来に貢献するのか、困難を抱えている人たちの10年後や数十年後にどう貢献するのかだと思うのです。皆川さんは、自閉症の子どもたちの10年後にどう貢献するのかを考えているから、いろいろな連携が動いていると思いますし、僕ら自身もいろいろな課題を抱えています。身体や脳や空間の制約が、社会で様々な不便や障害を生み出していて、それを皆で解決してより良い未来をつくろうというスタンスです。

企業や個人で活動している方ともよく一緒に協業するんですが、企業の方もデザイナーの方も、法律家の方も、ここを解決しようという共通認識ができると、上手くいきます。

そういうドライビングフォースとなるようなもの、課題や未来像を具体的に描いて、社会の現場で共創的に研究するという方法論を、大学という組織全体でも行っていくことが重要ですね。慶應はそもそも実学という理念を掲げているので、社会とのつながりの中での科学の探究がダイナミックに動くようになると面白くなると思います。

牛場

私は理工学、それから医学を核にしてやってきましたが、脳科学は人文社会分野にも延伸する可能性が大きい分野で、とても面白いと思います。

私の父(牛場暁夫名誉教授)は文学部でプルーストという作家の分析をしていました。父の話では、プルーストの執筆当時のハイテクノロジーとして、自分の意思がはるか彼方にいる人に一瞬で伝送できる電話が発明されました。プルーストの作品の中にも、電話で祖母と会話をするというシーンがあるそうですが、そこはギリシャ神話の黄泉の国に落ちた妻を必死に連れ戻そうとするオルフェウスになぞらえて、電話というハイテクなものが使われているそうです。

そのように今、古典として扱われている文学作品も、それが生まれた当時はいろいろな世の中や生活を変えていく新しい技術の登場とともにあったのかなと思います。そこに何かいろいろな人の思いや感情、あるいは想像力が積み重なり、死期が近づく祖母との対話や、遠方で会えない彼女と心を重ねる瞬間といったロマンチックな話として、テクノロジーの上にストーリーが編み出されていく形があったと思うのです。そしてそこに、古代からの普遍的な美的感覚との共通点を見出すこともあったのでしょう。

だから法学などの社会科学に加えて、文学の世界でも、われわれの文化や文明をつくっていく1つの要素としてハイテクノロジーをどう捉えるかという視点があると思います。そういう視点で文学や美学などをやられている方とテクノロジーについて対話できたらいいなと思ってもいます。

駒村

クリスチャン・サイエンスの創始者のお墓がケンブリッジ郊外にあるんですが、そのお墓の下には、電話が埋められているという都市伝説があるそうです。やがて脳科学技術が発達すれば、受話器をとると、あの世と通信ができるかもしれません(笑)。こういう発想は、やはり昔からあったということですね。

広範な人材育成のプラットフォームに

牛場

僕のもう1つの興味は、やはり一貫教育校から大学、大学院に至る教育です。慶應のように縦の線と横の線が伝統的に豊富にある学校は本当に少ない。私自身、幼稚舎から学んでいますが、理工学部の中西正和先生のコンピューター教室が矢上で幼稚舎生を集めて、大学院生が教えてくれるという機会があり、そこでAIに触れたことから今の私があるんです。

今は伊藤塾長がつくられた全塾組織のAIC(AI・高度プログラミングコンソーシアム)でAIを学ぶことができます。ここには医学部の学生も経済学部の学生も来ている。本当に素晴らしい取り組みにリニューアルされて活動していると思います。

また、医学と理工学の連携でいうと、バイオデザインといって、新しい医療を工学が支援したり発明したりしながら、つくっていく仕組みもブームです。産学連携の取り組みも、今はスタートアップという創業の形で事業を育てていく仕組みができてきて、その中で社会と大学の連携が進んできています。

そういう取り組みが慶應のいろいろなところで起きているので、もっと全塾的に応援できるような取り組みがあれば、これからの社会で求められる人材をたくさん育てられるんじゃないかと思います。

自分が学生の頃は、まだそこまでの連携がなく、医学部の単位1つを理工学部の単位に認定してもらうのもとても大変でした。「ダブルメジャー、僕は日本でやりたいんです」と訴えながらやっていました。そういうことがもっと普通になれば、若い人たちの可能性をたくさん引き出せる学塾になるのではないか。脳科学は、それがいい形でできるプラットフォームの1つだと思います。

駒村

私も日吉の高等学校長をやっていたこともあり、やはり高大連携、高院連携を強化していく必要を感じています。私は法学部にいますが、一貫教育校の子たちは早熟だから、中学の頃から司法試験の準備を始めるのです。そして、高校3年で予備試験には受かったりする。すると、大学の学部では何をするんだという話になる。

義塾が提供する教育は、法曹資格を持った後、法律家として自分をどう差別化するのかというところに照準するようになるでしょう。その時、科学技術でも留学・語学でも、所属学部の領域を超えて関心を開かせるということが必要になってくると思います。

今の若い学生は頼りないと感じる面もありますが、彼ら彼女らはそれなりに自分たちの将来をとても心配していて、実は、新しいアイデアや学術的志向性をかなりちゃんともっている。むしろ、それに対応できるものを大人のほうが提供できていないことが問題ではないかといつも思います。研究科相互のダブル・ディグリーも、一貫教育校との連携もますます重要ですし、領域横断・文理融合をにらんだ人材育成のプラットフォームを義塾の中にぜひとも打ち立てていかないといけない時期だと思います。

柚﨑

現在「世界脳週間」に連動して、医学部の脳科学関係の5つの研究室が「脳学問のすゝめ」という動画を高校生を対象にオンデマンド配信しています(慶應義塾大学医学部世界脳週間 - 世界脳週間2021)。これを他のキャンパスの脳科学関連教室と一緒に広げられたらいいですね。

また、私は今、日本神経科学学会の会長をしており、アウトリーチ活動として文科省の後援で「脳科学オリンピック」というものを3年前から行っています。これは中高生にチューターをつけて脳科学の勉強をしてもらい、試験をして選抜して優勝者1名を世界大会に送る、という試みです。慶應の一貫教育校ももちろん大事ですが、地域の他の中高生も巻き込んで、慶應一丸でできたらなと思います。

脳科学研究はあるプログラムを決めて、それに対して、各分野からいろいろな人が集まっていくのが理想だと思うのですが、塾内でどんな脳科学研究が行われているのかがまだ十分に見えていないので、まずはお互いにそこを把握したい。ぜひ皆が集まって、「こんなことをやっているんだ、じゃあ、一緒にやりましょう」とできたらいいなと思います。

南澤

僕らのプロジェクトでも、実際に障がいをもっている方がアバターで働いた瞬間にいろいろな問題が起きるのです。まず介護保険が使えなくなる。海外でその仕事を行った瞬間、これは入国なのかどうか、最低賃金はどちらの国のものなのかとか、法的なことだけでもいろいろな課題が現場でどんどん生まれてきている。

やはりAIやロボット、脳科学やBMIもそうですが、こういう新しいテクノロジーはいろいろなポテンシャルをもつ一方、様々な課題をはらんでいる。でも、そこから生まれてくるダイナミクスがすごく面白い。学生にもそのダイナミクスを感じてもらえると、それぞれの学問分野から見た時に、どう自分とかかわるのかを実感してもらえるかなと思っています。

駒村

もう10年以上前になりますが、ハーバード・ロースクールに行った時に、当時のディーンが一年生の必修科目としてプロブレム・ソルビング(課題解決)という科目を導入すると言っていました。要するに、これから法律家になろうという人たちに、法学以外のいろいろなディシプリンを総合して問題を解決する試みを見せる。その上で法学はこんな役割があるということを意識させるわけですね。

それにならうと、各学部で固有のディシプリンを叩き込む前に、解決しなければいけない課題や現実そのものを知り、共有する必要があるのだと思います。問題や課題の共有こそが学部や領域を超えて普遍的な意味をもつ。大学はそういう地平をもたなければいけないと思いますね。

私もIoB-S(インターネット・オブ・ブレインズ・ソサエティ)という小さい研究会を立ち上げ、活動を開始しました。主に法学者、弁護士、政治学者が脳科学について勉強しているんですが、この小さなユニットを含めて、塾内外のいろいろなプロジェクトが共鳴すればシナジー効果がきっと生まれると思います。脳科学こそはそれを可能にする最適なトピックになる。

今日のこの座談会はその手始めということで、引き続き対話を続けてぜひ一緒にオール慶應で頑張りましょう。

本日は大変お忙しい中、有り難うございました。

(2022年1月19日、三田キャンパス内にて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。