登場者プロフィール
待鳥 聡史(まちどり さとし)
京都大学法学部教授1996年京都大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(法学)。大阪大学法学部助教授を経て、2007年より現職。専門は比較政治論、アメリカ政治。著書に『アメリカ大統領制の現在』等。
待鳥 聡史(まちどり さとし)
京都大学法学部教授1996年京都大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(法学)。大阪大学法学部助教授を経て、2007年より現職。専門は比較政治論、アメリカ政治。著書に『アメリカ大統領制の現在』等。
金成 隆一(かなり りゅういち)
その他 : 朝日新聞国際報道部機動特派員法学部 卒業塾員(2000政)。朝日新聞社入社後、大阪社会部、ニューヨーク特派員、経済部記者を経て現職。ボーン・上田記念国際記者賞受賞。2016年選挙よりアメリカ各地を精力的に取材。著書に『ルポ トランプ王国』等。
金成 隆一(かなり りゅういち)
その他 : 朝日新聞国際報道部機動特派員法学部 卒業塾員(2000政)。朝日新聞社入社後、大阪社会部、ニューヨーク特派員、経済部記者を経て現職。ボーン・上田記念国際記者賞受賞。2016年選挙よりアメリカ各地を精力的に取材。著書に『ルポ トランプ王国』等。
岡山 裕(おかやま ひろし)
法学部 教授1995年東京大学法学部卒業。博士(法学)。東京大学大学院総合文化研究科准教授等を経て、2011年より現職。専門はアメリカ政治・政治史。著書に『アメリカ二大政党制の確立』、『アメリカの政党政治』等。
岡山 裕(おかやま ひろし)
法学部 教授1995年東京大学法学部卒業。博士(法学)。東京大学大学院総合文化研究科准教授等を経て、2011年より現職。専門はアメリカ政治・政治史。著書に『アメリカ二大政党制の確立』、『アメリカの政党政治』等。
中山 俊宏(なかやま としひろ)
総合政策学部 教授2001年青山学院大学大学院国際政治経済学研究科博士課程修了。青山学院大学国際政治経済学部教授等を経て14年より現職。博士(国際政治学)。専門はアメリカ政治・外交。著書に『アメリカン・イデオロギー』等。
中山 俊宏(なかやま としひろ)
総合政策学部 教授2001年青山学院大学大学院国際政治経済学研究科博士課程修了。青山学院大学国際政治経済学部教授等を経て14年より現職。博士(国際政治学)。専門はアメリカ政治・外交。著書に『アメリカン・イデオロギー』等。
渡辺 靖(司会)(わたなべ やすし)
環境情報学部 教授1997年ハーバード大学Ph.D. パリ政治学院客員教授等を経て2005年より現職。専門は社会人類学、現代米国論。著書に『アフター・アメリカ』、『リバタリアニズム』、『白人ナショナリズム』等。
渡辺 靖(司会)(わたなべ やすし)
環境情報学部 教授1997年ハーバード大学Ph.D. パリ政治学院客員教授等を経て2005年より現職。専門は社会人類学、現代米国論。著書に『アフター・アメリカ』、『リバタリアニズム』、『白人ナショナリズム』等。
2021/02/05
コロナ禍のアメリカで見た選挙戦
2020年11月にアメリカ大統領選挙が行われ、その後投開票をめぐってやや混乱がありましたが、民主党のバイデン氏が勝利しました。今日は、「なぜバイデンが勝ったのか」「トランプ現象は続くのか」といった議論の、少し先を見越したものにできればと思っています。
まず、岡山さんは春からアメリカに滞在され、金成さんも選挙前後に取材に行かれていますので、日本の報道や世論調査と現地でお感じになられたことの温度差について、お話しいただければと思います。
私がこちらで所属しているコーネル大学は、ニューヨーク州のイサカ市にあります。ここはマンハッタンから北西に自動車で3時間程というかなりの田舎ですが、大学町なので非常にリベラルで人種的にも多様です。
ところが車で町の外を10分も走ると、「トランプ・ペンス」のサインボードだらけで、2つの世界を見ているようなところがあります。
コロナが蔓延して基本的に閉じこもっている状況ですが、ご質問に関連して、こちらの人と話していて改めて思うことがあります。日米の報道で注目される人たちは、民主党・共和党どちらかの陣営に肩入れしている人ばかりです。そういう人は実際多いわけですが、一般の人には、ある意味当然ながら、この状況下でも政治に大した関心がない人もそれなりにいるわけです。
そういう人は、保守とリベラルのイデオロギー的立場の違いもよく分かっていない。こうした人たちの存在を忘れてはいけないと思わされました。
他方で、政党に肩入れしている人の支持の仕方も特徴的で、今日のアメリカ人の党派性については、政治学でも2つ特徴が指摘されています。1つはネガティブな性格をもつこと、もう1つは感情的なものだということです。
ネガティブな政党支持とは、好きな政党でなく嫌いな政党が先にあって、嫌いでない方を支持すること。感情的とは、政党への態度が争点への立場などでなく文字通り好き嫌いに基づいていて、「あっちは気に食わない」とその対立政党を支持するということです。
ですので、多くの人はトランプなどその党の政治家と反りが合うかどうかで、感覚的に支持を決めている人が少なくないのです。また所詮「嫌いでない方」への支持なので、実は政党への支持意識が格別強いとは限りません。こうしたことを踏まえる必要がある、と改めて思いました。
バイデンが勝利したことについてのキャンパス内外での反応はどんな感じですか。
当確が出た時には、リベラル色の強いキャンパス内は大騒ぎという感じでしたね。一方で、市の中心部ではたまにプラカードを掲げて車に箱乗りして快哉を叫ぶ支持者が通るという程度で、集まって盛り上がる様子は見られませんでした。保守派も多い場所柄、暴力沙汰も懸念される状況で大きく騒ぐのは憚られたのかもしれません。
なるほど。岡山さんの肌感覚として、コーネル大学でもトランプ支持者はそれなりにいるような感じがしましたか。
正直、量的にはわかりにくいのですが、1つ印象に残っていることがあります。春頃にコーネル大学の学生新聞の中で、大学の共和党学生団体のリーダーの学生が、自分たちは今回基本的に「ロー・プロファイル(控えめな姿勢)を維持する」と書いていました。恐らく「トランプを強く支持するわけではないけれど、民主党支持に回るのではなく、自分たちの信念に従って慎重に行動する」というスタンスだったのだろうと思います。
有り難うございます。金成さんは機動特派員というお肩書で、アメリカに行かれていましたね。
残念ながらコロナ禍で機動があまりできませんでした(笑)。今年(2020年)は3月の1カ月間と、あとは選挙前と選挙後の計1カ月間アメリカに行き、いずれもパンデミックが悪化したことに伴って帰国しました。
今回の大統領選は仕方なく電話取材がメインとなりましたが、最初に気づいたのは世論調査とのギャップでした。バイデンが世論調査で、相当強く出ていることが分かっていました。しかし、「そうであれば、この人はもうそろそろトランプ支持から離れているだろう」と思って電話をしても、意外なことに支持が逆に強まっている人が複数人いた。それで「あれ、おかしいな。世論調査と一致しない」と感じていました。結果論ですが、トランプは得票数を前回より大きく伸ばしたわけで、あの違和感は間違っていなかったと思っています。
トランプはコロナ対応を批判されたり、人種問題が噴出したりと逆風だったわけですが、それでも支持がはがれないという理由はどんなものだと感じましたか。
私が取材してきた人は、アパラチアや、オハイオなどラストベルト地域の人が多く、エネルギー関連産業で働いていたり、その恩恵を受けている人が相当数いる。するとバイデンが掲げる、化石燃料からのトランジション(転換)という話は相当マイナスに効くんですね。当然バイデンは「ゆくゆくはそうなるだろう」と発言しているわけですけれども。
最後の討論会で、バイデンがそれを言った時に、「一定の支持が離れる」と感じたんですが、やはり、これまで2016年の大統領選以外はすべて民主党に入れているような人も、バイデン政権では賃金のよい雇用の場がなくなってしまう、と懸念し、「今年もトランプにした」と言っていました。
もう1つ、民主党が左傾化している、過激になっているという認識が、おそらくメディアを通して実態以上に増幅されている気がします。民主、共和のどちらかを選ぶ選挙ですから、民主党のそういうイメージが強まると、鼻をつまんででもトランプに入れ続ける人がいるとは感じました。
2019年の11月に、ウィスコンシンで講演した時のことです。その時は、民主党がまだ候補を絞り込めておらず、全体の雰囲気で何となくトランプが押している感じでした。
日本の大学教授が話すところにわざわざ来るのはリベラルな民主党系の人が多かったのですが、講演が終わった後に小さなメモを持った人が、「聞きたいことだけを聞くな」というメモを置いて去っていきました(笑)。実は数年前、テキサスでも同じことがありました。
露骨に、「私はトランプ支持者だ」とは言わないけれど、微妙な感じで自分の存在を示した人がいたことが印象的でしたね。
トランプ現象と「分極化」
不気味ですね(笑)。反トランプ感情が勝ってバイデンが勝った。ただ、トランプに対する得票率も得票数もそれなりにあるので、共和党内への影響力も保持してトランプ時代は続く、と言われています。
この4年間、トランプがここまで躍進をして、共和党の主流派たちをなぎ倒してアメリカの大統領であったことをどう位置付けるのか。
私から見ていて、もちろん批判点もいろいろあります。しかし、金成さんが接してきているような、これまで共和党の主流派からも完全に見放されたと思っているような、「忘れられた人々」が、トランプという過激な存在を通して選挙プロセス、政治プロセスの中に回帰したという面もある。そうすると、必ずしもトランプが、民主主義の破壊者であるというよりは、むしろアメリカ民主主義の健全さを示している、という解釈もできるかもしれない。
かつてアンドリュー・ジャクソン(第7代大統領)が、東部出身のエリートばかりだった大統領の中で、初めて西部の極貧の出身で教育も特に受けてないにもかかわらず当選し、今もある政治任命(猟官制)のシステムを導入した。エリートだけにワシントンを支配させないように、言ってみれば大衆からの反逆を体現したこともあります。
そう考えるとアメリカの中で、社会がピラミッド化した構造になってしまった時に、何かトランプ的な力で、それを平坦にしようとする動きというのは、政治以外の分野、例えば宗教などでも起きている。それはリチャード・ホフスタッターの言う「反知性主義」、つまり反権威主義と言い換えてもいいと思います。
ある意味トランプ現象は、ヨーロッパのような身分制社会は避けたいという、アメリカ的な動きとして前向きな評価もできるかもしれない。
待鳥さんはトランプの強さ、あるいはトランプ現象を、どう位置づけられますか。
トランプやトランプ現象は、アメリカ政治の分極化を抜きに考えることはできないと思います。
20世紀以降のアメリカ政治を長期的なスパンで眺めた時に、重要な柱が2つあります。1つは民主党と共和党の2大政党が争っていること。もう1つは、議会と大統領に権力が分立していることです。そして、この2つの柱の関係が政治のあり方に影響してきました。権力分立と2大政党の軸の間で、綱引きのように競争する状態がずっと続き、それがアメリカ政治の変化をもたらしてきた、ということです。
ところが最近は権力分立側が一方的に負けていて、アメリカ政治の中で政党間対立が圧倒的な意味を持つようになっている。本来、どちらかが圧倒的にならないのが、アメリカ政治の特徴だったと思うんですが、それが失われ、変わってきていると感じます。
政党間対立の極端な強まりを「分極化」と呼びますが、分極化が権力分立を圧倒するようになったのは2010年代に入ってから、という印象です。9・11のテロ(2001年)では、一種の戦時として大統領に集権化しました。その後に通常の権力分立に戻らず、政党間対立がすべてに優先される状態になって、オバマ、トランプの時代が続いてきたと私は思います。
トランプは2016年の大統領選挙では、分極化とは一線を画する姿勢も見せたわけですが、就任後は非常に党派的になり、自分の支持者にだけ、あるいは共和党の支持者にだけ訴求することを厭わない大統領になりました。
普通は逆で、選挙中は党派的であっても、当選すると一応ポーズだけでも国の尊厳的地位を担って、ワシントン以来の伝統を引き続く超党派的な指導者になるんだ、と言うはずですが、トランプはそういうことをほとんど言わなかった。むしろ、当選後の方が党派的になったとさえ言えます。
その一因は、政党間対立が強すぎて、超党派的な大統領という位置づけの意味が失われたことにあるのでしょう。権力分立と政党間対立の間に綱引きがあって、初めて超然とした大統領の存在意義が出てくるわけですから。
岡山さんのお話にあったように、一般の有権者は、政治に関心がない人が多い。それでも、有権者の政党支持には復活の兆しがあり、しかもかつてに比べてはるかに民主党支持者と共和党支持者の間の懸隔は広がっている。分極化を推進したのは、トップエリートと一般有権者の間にいる活動家層だったのですが、今や上から下まで全部離れている状態です。こうなると、政党間関係がアメリカ政治を覆い尽くしてしまい、脱却が難しくなります。
政党政治が前面に出てきて、より重い存在になったのは、どうしてだと思われますか。
最近10年に注目すれば、特に民主党側の動きが顕著ですね。もともと民主党は、経済的弱者と文化的少数派の利害関心を表出する中道左派政党でした。ところが、世界の中道左派政党はリーマン・ショック以降、経済政策で支持を確保するのが難しくなり、民主党も例外ではなかった。
そこで活路を求めたのが文化的少数派の重視でした。具体的には、地球環境問題や性的少数派の権利擁護などで、オバマはそれを先導する象徴という役割を果たしました。結果的に、民主党内でのバランスが変わり、共和党も対抗する動きを見せますから、非経済的な文化的争点を重視するように、2大政党内部も政党間競争も変わってきたのだと思います。
ラストベルトの有権者には、経済的弱者であっても文化的少数派ではない人が多い。こうした人たちの動向が決定的な要因かどうかは、いろいろな考え方があると思いますが、非経済的争点が重視されれば、伝統的な民主党支持からは離反せざるを得なくなるのだろうと思います。
トランプ現象を生み出したもの
中山さんはいかがですか。
私はトランプ現象は以前からあったものを、増幅させたに過ぎないところがあると思っていて、トランプ主義は、少なくともそのコンテンツは一切オリジナルではない。
ツイッターによる発信、排外主義やナショナリズムの扇動、グローバリズムに対する抵抗、対外介入に対する違和感も、政治のエンターテイメント化も、一切トランプがつくり出したわけではない。それらが受け入れられる状況があって、トランプがそこにうまく合致した。トランプ現象というのは、ここ10数年のアメリカにおける諸々の傾向が生み出したものだという感じがします。
予兆は明らかにいくつかありました。決定的だったのは2008年の共和党副大統領候補サラ・ペイリンですね。ペイリンを政治空間に本格的に呼び込んだのが、後に反トランプのシンボルになるジョン・マケインだったことも皮肉です。
それから、2010年頃にソーシャルメディア空間をベースにティーパーティー運動が突如出現した。あれはリバタリアン的な衝動を内に抱えた、連邦政府の肥大化に対する抵抗運動だ、という形でわれわれは理解しようとしましたが、中心的なモチベーションは、やはりオバマに対する違和感です。
ペイリン的なるもの、ティーパーティー的なるものがあり、さらにトランプが同時期にバーサーイズム(オバマについて、アメリカ国外で生まれたのだからアメリカの大統領になる資格がないと主張する運動)を立ち上げた。そう考えるとトランプ主義は、ここ十数年間アメリカが内に抱えてきたものが、トランプを媒介にして表面化したものに過ぎない、と捉えるべきだろうと思います。
では具体的に、トランプはどういう影響を共和党にもたらしたか。共和党というのは保守主義の政党ということで、「小さな政府」「理念と力に依拠した国際主義」「信仰と伝統に依拠した良き生活」を追求する、という3つの軸を掲げてきました。しかし、トランプ政権の4年間は、結果として、この3つの軸の否定だった。
今、共和党がいわば軸となるような統治思想を失い、他方で今回トランプが負けたので、それに対するある種の反動が党内で起きるのかどうかが注目されます。
民主党のほうもトランプという現象を前にして、バイデン、クリントンに象徴される、従来型の穏健な中道左派的なポジションに対する違和感が高まった。金成さんから、メディアが左傾化を強調しすぎでは、という指摘がありましたが、例えば「社会主義」という言葉に対する許容度の高まりなど、明らかにある種の変化は起きているのだろうと思います。
トランプ大統領自身が、分断を乗り越えるという発想がほぼゼロの人だったので、結果として両党の中のフリンジ(極端な立場の人)を勢いづかせて、妥協を模索して何かを解決していくという政治文化を破壊した。
確かにアメリカのデモクラシーの健全さの表現でもある、という部分がなきにしもあらずですが、やはりアメリカの民主主義が機能不全に陥っている兆候として、トランプ現象を捉えたほうがいいと私は思っています。
なぜトランプは大統領になれたのか
岡山さんは、『アメリカの政党政治──建国から250年の軌跡』を最近出されました。改訂版が出た時に、もしトランプについて評価を書き加えるとすればどう記すでしょうか。
その本ではアメリカ建国以来250年分の話を書いたのですが、その超長期の流れにトランプを位置付けるとして、そもそもなぜトランプみたいな人が出てこられたのかが1つのポイントになると思います。そしてそれは、19世紀終わりぐらいから進んできた変化が行きつく所まで行きついたことの表れではないかと考えています。大きく3つのポイントがあります。
1つは、2大政党以外の第3党が選挙に参加すること自体が難しくなったこと。先ほど金成さんがおっしゃった、2つから1つを選ぶ状態になっていったということですね。しかし2つ目に、この間にそれぞれの政党や政治家が外部の主体から影響されやすくなってもいます。選挙資金を外部から投入するのも容易になり、そしてトランプがまさにそうであるように、もともとある党の政治家でなくても、その党から選挙に出ることがしやすくなってきたのです。
そして第3に、そのような状況下で、待鳥さんも触れられた2大政党の分極化が起き、両党の対立も深まった。その結果、独自の支持層やまとまった資金を調達できれば、誰でも大統領選挙の予備選でそこそこ以上に勝負できる。さらに候補指名を勝ち取ってしまえば、自党の支持者の票を得られるので、トランプのように政治家でなくても当選してしまえたりするわけです。
実は、これは前任のオバマも似ているところがあります。彼も政治経験はかなり浅く、演説がうまい以外まだ政治的実績の少ない新人が大統領になったことは「ベンチャー民主主義」と呼ばれたりしました。その次がトランプだったわけで、今はこうした政党政治のアウトサイダーがどこからか登場して、政治を目いっぱい攪乱し得る状況が生まれている。たまたまトランプがそういう構造を実に巧みに使った、と説明できるように思っています。
これは構造的なことなので、今後も似たようなことは起き得ます。同じアウトサイダーでも、トランプっぽい人からまったく違うタイプまで、いろいろな候補者が出てくる可能性があります。後から見ると、トランプはそのさきがけだったと思うのかもしれません。
ポピュリズムと日本の政治構造
少し日本の話につなげたいと思っています。
今アメリカで起きている反エスタブリッシュメントの動き、中山さんがおっしゃった左右のポピュリズムのフリンジが台頭している現象は、ヨーロッパでも起きていると思います。それから自国第一主義的な内向きのナショナリズムも、またヨーロッパで台頭しているところもある。
これは理由を探っていけば、技術革新が起き、それによって産業構造や情報環境が大きく変化している中でどうしても適応できない人たちが没落していき、それがミドルクラスの瓦解や経済格差を生んでいると言えます。
一方で移民や難民が増えて人口構成が大きく変わり、国としてあるいは社会としてのアイデンティティが揺らいでいくことへの不安が根本的なところにある。そうだとすれば、これはアメリカだけの現象でもない構造的な問題で、ポーランド、ハンガリー、トルコ、フィリピンなどでも、似たような現象が起きている気もします。
その中で、よく先進国の中で日本は欧米のようなポピュリズムやナショナリズムがさほど台頭していないと言われます。この理由は、日本の政党政治や政治システムの部分で説明できるのでしょうか。
ポピュリストが、日本でも台頭してくるには、いわば需要(社会的なニーズ)と供給(台頭したいと思っている政治家)の話になるかと思いますが、それを媒介するメカニズム、市場構造みたいなものが、日本の場合、少なくとも国政レべルでは成り立っていないわけですね。
でも、地方政治では明らかにポピュリストが出てきていると私は考えています。日本の地方政治は、制度類型としては大統領制です。大統領制は、政党の力を借りずに個人が短期間にトップリーダーに登りつめられるので、ポピュリストの台頭に対して親和性が高い。関西人のひがみと言われたらそれまでですが(笑)、大阪の維新よりも東京の小池百合子知事や河村たかし名古屋市長の方が、明らかにポピュリストとしての性格が強いと見ています。
しかも日本の首長は権限が大きいという特徴も持ちます。権限が大きいと、その支持者の受益の程度も大きくなります。こういうタイプの政治制度は、ポピュリズムに対して脆弱です。
しかし、国政ではそうなっていません。その理由の1つは、国政が議院内閣制であることです。個人が短時間でトップリーダーになれない議院内閣制は、ポピュリズムへの耐性が相対的にあるのだと思います。
もう1つ、政党の問題もあります。今の国政でポピュリスト政治家が台頭するには、自民党を乗っ取らないといけない。ところが自民党を乗っ取ることは非常に難しい。二世議員の方などは典型的ですが、ポピュリストとは異なる政治的資源を使って、勝ち上がってきている人たちが相当数いる。
裏返せば、日本の国政レベルでポピュリストが台頭してくるとすれば、非自民の側から新興政党が出てきて、非常に短期間に勝ち上がることだと思いますが、そうであっても一気に過半数の議席を取ることは難しいでしょう。
フランスでマリーヌ・ル・ペンなどのポピュリズム的なナショナリズムの台頭が顕著なのは、さびれて人口も減ってきている地方です。アメリカも、いわゆるラストベルトがその象徴のように語られています。名古屋や東京といった都市部ではなく、日本の中でも過疎地域のようなところが日本におけるポピュリズムの震源地になる可能性はあるのでしょうか。
国政の既成政党が、地方の農村部を本格的に切り捨てる政策を取った時には、そうなるかもしれません。日本の場合、少なくとも自民党をはじめ、多くの政党はそういうことをしない。それは、農村部のほうが有利な代表のメカニズムになっていることと無縁ではないと思います。
もう1つ大きいのは、国政と地方政治の制度が食い違っていることです。これは負の側面もたくさんあるのですが、少なくともポピュリズムの台頭に関しては、非常に強い障壁として機能しています。例えば地方政党をつくり、首長ポストを確保して出てくるとしても、国政で短期間に政権を獲得するのは極めて難しい。
「分断」とメディアの役割
しかし、一方で日本でもトランプを支持する人とか、Qアノンのようなものを信じている人も散見されている。政治的には力がないかもしれませんが、反エスタブリッシュメントの機運はないわけではないと思います。
日本学術会議の問題もいろいろな側面がありますが、さほど積極的に政策提言を行っていない学者の集まりに、年間10億円と多くの専従職員を付けているのはおかしい、という反発の側面もあると思います。
アメリカにおけるトランプ言説を、そのまま引きずっているような人たちが日本にも出てきている。この現象にどう向き合っていけばいいのか。これは結構重要な問題のような気もします。主要メディアでご活躍されている金成さん、いかがでしょうか。
おっしゃる通りだと思います。1つ思うことは、ジャーナリズムで「真ん中」が今、影響力を失っている点です。私も記者をやっていて感じるのは、どこかある一定のポジションからの発信者になって、自分の応援団を形成すれば非常に楽だろうということです。
アメリカではチャンネルを回すと別世界が広がっている。そのため普段視聴しているメディアを聞けば、その取材対象者のその後の政治的な主張の中身までが見えてしまうことが少なくない。
ワシントンD.C.では「トランプ敗北、バイデン当選」という一報が出ると、街はもう沸き立つわけです。しかし翌日、私はレンタカーを借りて、アパラチア、ペンシルベニア中部のベッドフォード郡に入ったのですが、ヤードサインを数えると、最初の百本は全部トランプ支持で、バイデン支持は、ピッツバーグの郊外に行くまで1本も見なかった。人気ラジオは当然ショーン・ハニティとラッシュ・リンボー(いずれも右派のトランプ支持の論者)の番組です。
私は、どの立場からも耳を傾けてもらえる、ジャーナリズムを維持する必要があると思っています。それは結局、何なのかと言われればオピニオンに傾斜せず、ファクトに徹底的にこだわる媒体を維持するのがやはり大事なのではないかということです。ジャーナリズムが恐怖や憎しみを増幅する装置にならずに、むしろそこを軽減するファンクションを持つ必要があるのではないか。
アメリカでは多くの人が日々、毎月の給料を使い切るような生活をしている。それは日本も同じで、おそらくこのコロナ禍でその度合は強まっていると思います。労働時間が長くなると自分と異なる世界の人の暮らしぶりに直接触れる機会も余裕も、どんどんなくなっているのでしょう。ですから、ジャーナリズムが異なる立場世界に暮らしている人たちの話を、お互いに伝え続ける必要があるのだと思います。
ジャーナリズムに身を置く人間としては、それをしっかりと肝に銘じ、アメリカのようなメディアによる分断には、加担したくないと感じています。
日本の言論レベルでは、トランプ的なものに共鳴する層もあって、そこに照準を合わせたメディアもあるような気がします。
例えば、雑誌『WiLL』(2021年1月号)でも「トランプは負けていない」というような言説が並べられている。それなりの知名度のあるメディアがそういう言説をとり始めると、かなり言論空間の分断が進んでいくのではと思います。
どう捉えればいいんでしょうね。これは、そこにマーケットがあることに気づいてそういった言説を流し込んでいるのか、一定の集団が何らかの意図をもってやっているのか。どちらもあるのかもしれません。
以前スティーブン・レビツキーさん(ハーバード大教授)とFOXニュースについての話をした時、右派言説を待ち望む一定規模の市場があることを発見して、流し込んだら人気を博した側面と、その右派言説で一部の有権者がいっそう右傾化する側面の両方があるのではないかと指摘されていました。
日本の「マイルドなトランプ現象」
日本における妙なトランプ現象は、つい先日も日比谷で「ストップ・ザ・スティール」のデモ行進がありましたが、大して大きくないので、あまり過大評価すべきではないと思います。
より問題なのは、日本には外交安保サークルやビジネスリーダーの人たちの中に「トランプさんは悪くないんじゃない?」という層が、結構多いことです。なぜ日本にそういう人たちが多いのかというと、まず、安倍総理がトランプの懐に入り込んで、トランプショックを吸収してくれたことがあると思います。これは日本に特殊な事情ですね。
2番目は、やはり中国でしょうね。オバマの対中政策に対する不信感が日本では非常に強い。これはちょっとアンフェアで、2期目のオバマ政権は、それなりに中国に対してはタフだったのですが、やはり1期目のG2的な対中政策の印象が強い。それに対して少なくともトランプは、中国といつでもけんかする姿勢を露骨に出している。だから、トランプのほうがいいじゃないか、ということだと思います。
3番目としては、先ほどご指摘があった通り、日本ではなかなか本格的な反動的ポピュリスト運動が発生しにくいがゆえに、ヨーロッパからは見えたトランプの危険性が、日本では見えなかった。ある意味、トランプは典型的なアメリカの、ちょっと粗野で、傲慢で、声が大きいおじさんだよね、と思われてしまった。
日本のリーダーたちの中にも、トランプを支持する人が結構いたことが私はすごく気になって、今回は初めて大統領選挙の解説でも「バイデンのほうがいいのではないか」とあえて主張しなければいけないという感覚を持ちました。
もう1つ、実は日本がトランプにそれほど違和感を抱かない理由として、日本というのは不作為ですが、トランプ的な空間を成立させてしまっているとも言える。例えば壁の問題でも、日本にはトランプがメキシコ国境に築こうとしている壁よりも、はるかに有効な自前の壁(海)があるとか、圧倒的に男性優位の社会で、ジェンダーに対する意識が希薄、均一的で人種問題がないとか、伝統に依拠した秩序だった社会がある、等々ですね。
トランプ的なるものに対する違和を感じにくい空間で、われわれ自身が生きていたのではないか。そうであるがゆえに、ある種のマイルドなトランプ現象があるのではないかという感じがしますね。
「分断」は好転できるのか
アメリカの話に戻りますが、待鳥さんが冒頭おっしゃっていたような党派政治が非常に強くなり、結局コロナという国家的な危機が起きても、それが収斂していく気配が見えなかった。
バイデンさんは融和を訴えていますが、今後果たして本当にそれができるのか。2024年の大統領選挙でもトランプの支持基盤というのは、ある程度残り続けるでしょうし、彼自身が出馬するのかキングメーカーになるのかは分かりませんが、影響力は残り続けるでしょう。
そのことを考えた時に、果たして分断化したアメリカ社会が、どういう形で対話モードに戻っていけるのか。これは今までの歴史的な事例を見ようとしても、なかなか見当たらない。
岡山さん、分断が好転していった事例があるのでしょうか。
あまり幸せなシナリオは見当たらないかなと思います。今日の分断に近いものとして、しばしば19世紀半ばの南北戦争期が挙げられます。このときの政党間の対立軸は、奴隷制の扱いでした。4年間の内戦を経て奴隷制は廃止され、その後、両党・南北の白人は和解しましたが、それは人種差別を棚上げして黒人を置き去りにした、その意味で不十分なものだったわけです。これは、今日の分断にも直接つながる遺恨になっています。
他方、政治的な分極化の解消を考えると、これはやはり政治家の行動が変わらないとだめだろうと思います。ではどうしたら行動が変わるかというと、制度、ルールが重要になります。
この点、近年ある選挙制度改革が注目を集めています。アメリカでは各州が選挙制度の大部分を決めます。基本はどこも小選挙区制で、有権者は当選してほしい候補者1名に投票します。それに対して、2016年にメイン州が採用した「選好投票制度」では、複数の候補者を1位、2位……と順位づけする形で投票する点が異なります。
やや複雑で恐縮ですが、この制度の下では、当選するのに最多票を得るだけでなく、過半数など予め定められた得票率を超えることが必要とされます。集計時には、まず各票をそこで「1位」の候補者に与えます。そのうえで、どの候補も既定の得票率に達しなかった場合は、最下位の候補者を脱落させ、その候補に投じられた票を、そこで次点として記載された候補者に振り分ける……ということを、勝者が決まるまで続けるという方式です。
この制度を導入する狙いは、政治家の行動パターンが変わるという期待にあります。今日の選挙戦の基本は、自党の支持者を徹底的に囲い込むというものです。しかし、選好投票制度では、幅広い有権者に高い順位をつけてもらえれば有利になるので、候補者がより穏健で妥協的な立場をとり、それだけ分極化も弱まると期待されるわけです。
選好投票制度は、今回州民投票でアラスカ州でも採用が決まりました。ただ、この制度が効果を発揮するには、有力で中道的な第3党候補がほぼ不可欠です。それでもこんな改革に希望を託さなければならないところに、分断の厳しさが表れているともいえます。
金成さん、いかがでしょうか。
ジャーナリズムには分断の芽を多少摘む作用があると思っています。
自分の話で恐縮ですが、例えば私の『ルポ トランプ王国』を読んでくれた学生が、トランプ支持者と聞くだけで拒絶していたが、彼らにも守るべき暮らしがあって、一定の理由をもって支持していることがわかった、と言ってくれた。それも1つの小さな事例かなと思っています。
著名なジャーナリスト、バーバラ・エーレンライクさんの話で「なるほど」と思ったのが、いわゆる工場労働者の現実を本当は知りたいけれど、なかなか伝わってこないので本人に書かせればいいと言うのです。例えばポテトチップス工場で働いている労働者に労働の実態を記事に書いてもらい、彼女がそれにだいぶ手を入れて発表するといった工夫をされているんですね。
ジャーナリズムに身を置く人間としては、なかなか理解できないところに声を聞きに行って、その声を伝える作業をやり続けるしかないのかなと思います。それによって少なくとも分断の芽を摘む役割を果たせればいいな、というぐらいですね。
実際に話をすれば、ある程度は共通点もある。そうすると差異ばかりに目を向けずに、こいつは地球が平らだと信じているけれど、しかし釣りが好きだという点では同じだというように、何かしらの共感が生まれていく。そういう媒介的な役割をジャーナリズムなり、有識者が果たしていけるのではないかということですね。
そうですね。これは渡辺さんから教わってきたことだと思っていますが、知らない相手を悪魔化する傾向が人間にはあって、相手を罵倒している時はその相手のことをあまり知らないことが実は多いと思っています。
産業化する2大政党制
待鳥さん、いかがでしょうか。
今、2大政党が明らかに「産業」化しています。政策や理念を実現するための政治活動だけではなく、シンクタンクや広告代理店などが典型でしょうが、政党の周辺に膨大な資金や優秀な人材が多く流入して、組織としての活動や個々人の生活の基盤になってる。産業化すると現在の政党間関係の維持に利害関心を持つ人が増えすぎて、それを解体できなくなるんですね。
歴史的には、分断の解消策は政党再編成でした。新しい争点が登場して、それまでの政党間関係がそれをうまく処理できなくなると、それに見合った有権者の再編、支持構造の再編が行われ、政党間関係が変わることで調整してきたのだと思います。その際に、古い争点は消滅する。
政党再編成が起こらなくなると、政党間関係は変化しないまま、新しい争点が従来の争点に上積みされていき、政党間対立としては深まってしまう。だからリセットが望ましいはずなのですが、産業化すると既存の政党間競争の構造を崩せないので、再編成が起きないわけです。
もう1つ、ポジションとディシプリン(専門性やそれに基づく規律)を区別することを、回復させないといけないと思うんですね。例えば、何らかのディシプリンを持つ人の専門知識や、そこから行う推論といった議論が、全部ポジショントークに回収されていくという構造が、今、明らかにあるわけです。
だからディシプリンに基づいて発言する人と、単に逆張りとかポジショントークをする人が全部一緒くたになってしまう。これがSNSやネット時代の恐ろしいところですが、でもやっぱりディシプリンとポジションは違うんだと言わなければいけない。
最初に申し上げた権力分立と政党政治の綱引きというのは、ディシプリンとポジションの綱引きだとも言えます。権力分立はディシプリンの世界です。大統領には大統領にふさわしい言説があり、連邦議会には連邦議会にふさわしい議論の仕方がある。こういうものがなくなってしまって、ポジションの世界である政党政治に覆い尽くされる現象は、ディシプリンがポジションに回収されている言論空間の動きと並行しているのだと思います。
これを止めるには、やはりディシプリンに基づいた発言や行動が、ポジショントークとは違うことが広く受け入れられる必要があります。ディシプリンへの敬意を回復すると言うことですね。「そんなこと、どうやってできるの?」と言われたら、「いや、知りません」と答えるしかないんですが。
「何でバイデンが勝ったのか」
私は待鳥さんの、ディシプリンを大切にされる姿勢をいつも頼もしく拝見させていただいています。中山さん、いかがでしょうか。
分断がある種構造的なものになってしまっているところで、リーダーがそれにどう臨むか、どう語るかが重要になってくると思います。過去の事例を振り返ると、分断そのものではないんですが、政治不信を収めたということで言えばフォード大統領(1974~77)がいたわけです。非常に地味な大統領で1期も務めませんでしたが、振り返ってみると、ウォーターゲート事件で深まった政治不信を修復するのに、重要な役割を果たしました。
フォードは下院議員でしたが、バイデンは73年から上院議員です。当時の上院は「最も特権的なクラブ」とも呼ばれていて、共和党員や民主党員であるより前に上院議員であるという意識が強かった。そういうカルチャーの中で政治家として育ち、異なった意見も理解し、譲歩、妥協、そして合意するということが体質として身に染み付いている人だろうと思います。
今、民主党で言えば、サンダースとかオカシオ=コルテス(AOC)みたいに、原理原則にこだわる、譲歩しない姿勢が、ともすると人気になる。しかしこの分断に向き合うためにはバイデンみたいな人がいいんだ、とアメリカ人が何となく直感的に選んだ部分はあるのかなと思うんですね。
何でバイデンが勝ったのかという観点から見ると、そういう人をアメリカが欲していたから、という見方も可能だろうと思います。
ボー・バイデン(バイデン氏長男)が亡くなった時に、唯一共和党の上院議員で葬儀に参列したのがミッチ・マコーネルだったというエピソードがあります。マコーネルも85年から上院議員で、まだ古き良き上院の雰囲気が残っていた頃の上院を知っている世代です。
今、民主党と共和党が言葉を交わすことさえできないという状態の中で、この2人なら、少なくとも電話口にお互いを呼び出せるという、こんなに小さいことが、突破口のようなものになるかもしれない。何かこの分断を少しでも融和させるような雰囲気にプラスに作用することを期待したいと思います。
ただ他方でマルコ・ルビオとか、比較的中道派でこれからの共和党を担おうとするような人たちが、早くもバイデン政権に敵対的な態度をとり始めている。それから民主党のほうも、特に左派がバイデンが共和党と妥協することに対して目を光らせている。だからバイデンが動ける余地は実はあまりない。
プラットフォーマーの影響力
なるほど。一方で、今、一番影響力があるのはいわゆる「GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)」などのプラットフォーマーだとも言われますね。選挙制度ではなくてプラットフォームのあり方を変えることによって、もしかすると政治の文化が変わってくるのではないかという論考も出てきています。
金成さんがご覧になられて、プラットフォーマーの果たし得る役割、着目されている動きなどはありますか。
GAFAのようなプラットフォーマーはおそらく従来の国家の規制する能力を超えてしまったんだと思うんですね。
今回の選挙では、プラットフォーム上に流れるフェイクニュースに対して、ツイッターやフェイスブックも前回の大統領選時に比べれば、一定の対処をしたとは思いますが、それが十分だったとはおそらく多くの人は思っていないでしょう。とはいえ、取捨選択の権限をプラットフォーマーが独占的に握るのも気持ち悪い。でもそんな仕事は、国家に任せるわけにもいかない。そこは、メディアがどこからも信用されるような機能を果たせれば本来いいのですが、流通網という意味では完全に負けてしまっている。
そうすると、今後の選挙では民主主義における情報網という意味で、GAFAの規制をどうすればいいのかということが焦点になる。残念ながら、私は解をまったく持ち合わせていないんですが、影響力は確かに相当なものがあるのです。
取材で、「そんな話、どこで聞いたの?」と情報源を突き止めようとすると、「確かフェイスブックで誰かが言っていた」と言う。多くの人は、自分がその話をどこから聞いたのか、ニュースの配信元も確認していません。これは本当に驚くほど多くて、特に選挙の直前に、何を流通網に乗せるか、乗せないのか、というところは非常に難しいと思います。
トランプ時代の教訓とは
最後にもう少し広く、トランプ時代から何を学んだか、ということをお聞きしたいと思います。
私から言うと、トランプ支持者というのは、従来の概念では摑みきれないところもあり共感するのは大変ですが、いわゆるリベラルあるいはエスタブリッシュメント、エリートと言われている人たちが、潜在的に持っている、「上から目線」のバイアスに気づかなければいけないという思いはあります。
大学に入ると、大学に進学できずに苦しい思いをしている人が、どういう価値観で、何を頼りに生きているのかは、直接知る機会がないことが多い。つまり、「なんで、地球は平たいなんてまともに信じている人がいるんだ。ばかに違いない」と毛嫌いし、拒絶感を持ってしまうことがある。
こういった身近な盲点から少しずつ変えていく必要があるのではないか。私にとっては、そのことに気づかせてくれたのがトランプ時代の4年間でした。
この4年間から学び取るべき教訓は何だったと、お感じになられているでしょうか。
今、渡辺さんが指摘されたことに賛同しつつ、あえて言うのですが、私は、むしろトランプから過剰学習してはいけないと思うんですね。確かにトランプサポーターの一部に「声なき人々」とか、出口なし感を味わっている人がいるのは事実です。
しかし、その多くは、別に声なき人々でも何でもないわけです。むしろ単に自分たちのステータスが転落していくことに対しての恐怖感があって、今は別に苦しい生活を送っているわけではない。こういった人たちがトランプ現象のコアを構成していることを忘れてはならない。話題になったJ・D・ヴァンスの『ヒルビリー・エレジー』などを読むと、「声なき人々」の存在を過剰学習して、妙な形でトランプ現象を肯定してしまう転倒が生じる可能性がある。
なので、トランプ現象に対する「理解的な態度」は、ある程度のところで止めておかないといけないと思っていて、むしろトランプの危険性はトランプの危険性として認識しなければいけない、というのが第1点ですね。
もう1つは、トランプ現象はまだ終わっていない。池内恵さんや吉崎達彦さんが、「ウィズ・トランプ」と言っていますが、トランプが敗退してもトランプ劇場はまだまだ続きますし、それゆえに分断がこれからも続く。
今回の選挙では結局、約7400万人を超える人がトランプに票を投じ(史上第2位の得票数)、その中のおよそ70~80%が今回の選挙結果は不正の結果だと信じている。過去4年間の大統領としての数々の発言や行動、コロナ危機、人種をめぐる騒乱等々がありながらも、驚くべき数の人が過去4年をポジティブに評価し、次の4年間もトランプに託したいと思った。
トランプ現象は、アメリカにおける危険な兆候を造影剤のように映し出した。その中には「危険思想」と呼べるようなものもあります。もちろん日本にも変な運動はありますし、どの国にもフリンジの運動はあります。分かっていたことですが、こういう運動が生まれやすい風土がとりわけアメリカにはあるんだ、ということに改めて気づかされた4年でした。
大統領の持つ影響力とは
過剰学習しすぎないほうがいいと。待鳥さんはいかがでしょうか。
このトランプの4年間で、大統領に何ができるかについて、あらためて教えられたと思うんですね。
先ほどのディシプリンとも関係するんですが、トランプの登場まではそれぞれの地位にふさわしい言葉遣いや言い方があると、皆思っていたわけです。しかし、それはトップリーダーとしての大統領が、指導者として何を言うかによって、思ったより簡単に揺らぐのだと痛感させられました。
大統領ができることは制度的には少ないんですが、大統領の持つ最大の影響力は、発言や行動によって社会のムードを変えることなんですね。
オバマはその典型でした。オバマ時代の8年間で何が変わったのかと言われたら、例えば性的少数派の人たちが、社会の中で自分たちは当たり前の存在なんだ、とはっきり言えるようになった。そういうところで、オバマの果たした役割はものすごく大きかった。逆にそれに反発した人が、トランプ支持者になった面もあったと思います。
トランプは逆の方向で、それと同じ変化をアメリカの社会にもたらしたんだな、とあらためて感じますね。だから、中山さんがおっしゃったバイデンの癒やし効果みたいなものはあるのかもしれないですね。
彼が大統領として、ワシントンD.C.の政界でできることは少ないかもしれないけれど、しかし彼の言葉遣いや語り方が、アメリカ社会にもたらす影響はあるかもしれない。ご本人よりも副大統領がたくさんしゃべる状況になるとまた別ですが。
なるほど。金成さん、いかがでしょうか。
朝日新聞で働く私としては、リベラルの苦境はずっと感じていまして、なぜこのリベラル言説が、今、先進国で共通して評判が悪いのかということは、自分のこととして考えなければいけないと思っています。
私がアパラチアの飲み屋やラストベルトなどの取材でよく聞いた、印象に残る言葉が「フライオーバー」というものでした。自分たちは頭上を通過される側なんだ、という表現です。それがあるから私のような、下手くそな英語でしゃべる日本人の記者が車でやってきたことを歓迎してくれるところがあった。
このグローバル化が加速した社会で、過剰に得をした人と、割を食った人がやはりいて、後者の側への配慮といったものが、どこか欠けていたのかなという気はするので、もう少しそちら側の話を書かなければいけないと思っています。
イギリスのジャーナリストのデービッド・グッドハートさんはanywheres(どこででも生きていける人)とsomewheres(どこかに根ざして生きている人)という使い分けをされますが、私が取材してきたのは、地元に根ざしたアイデンティティを持つsomewheres の人々がほとんどでした。そんなに簡単に引っ越しできない。
トランプ支持者の多くは「卒業した高校、どこなの?」と聞くと、「ああ、すぐそこよ」という感じで、半径10キロぐらいの圏内で生活をしている。現代社会でanywheres があまりに優勢になったので、そうではない人々の日々の暮らしぶりや、彼らの認識を、きちんとメディアで載せていくことの重要性をこの4、5年から学んでおります。
岡山さん、いかがでしょうか。
今回公刊した本は、要するにアメリカの政党とは何なのかについてなのですが、そこでも述べた「柔構造」を持つアメリカの政党が、融通無碍にどうとでも変われる存在だということを、あらためて思い知らされました。
例えば、われわれは今日ここまで、トランプの煽った社会的な分断と政党間の分極化が、きれいに対応しているとして議論してきましたよね。ただ考えてみると、トランプが出てきた時に、われわれは彼をどう捉えていたでしょうか。白人労働者を民主党から奪い、また共和党候補らしからぬ保護貿易や、国内インフラの整備といった主張を唱え、というふうに、既存の分断や分極化状況を攪乱しうる存在と見ていたはずではなかったでしょうか。
ところが蓋を開けてみると、この4年間にトランプは自分の主張を曲げず、むしろ共和党にそれを受け入れさせつつ政党間の分極化を推し進めた。今度の共和党全国党大会の様子について、共和党は「トランプ党」のようだという報道も見られました。
トランプが共和党をのみ込んだのか、その逆なのかは分かりませんが、たった4年で対立の構図がここまで変わってしまう。待鳥さんがおっしゃったように、もう長いこと2大政党それぞれが産業になっていて、分極化の構造が固まっているにもかかわらず、です。そういうアメリカの政党は一体何なんだろうと、あらためて考えさせられました。
アメリカを観察していて面白いのは、常にサプライズがあるということですね。
私も研究者として、まさかオバマが当選するとは思わなかったし、トランプが当選するとも思わなかった。やはりアメリカを見ていると驚きが常にあって、そこがやっていて楽しい……、いや、必ずしも楽しくはないかな(笑)。
今日は有り難うございました。
(2020年12月3日オンラインにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。