執筆者プロフィール
橋口 勝利(はしぐち かつとし)
経済学部 教授橋口 勝利(はしぐち かつとし)
経済学部 教授
1、復興の芽
「あっ、スーパーができている!」
思わず声が出ました。2026年4月末。塾生たちと福島県双葉町を訪れた際のできごとです。JR常磐線双葉駅を降りてみると、目の前に、食品スーパーが開業していたのです。「昨年の8月にオープンしたんですよ」と、案内をしてくれた一般社団法人ふたばプロジェクトの方は、満面の笑顔で教えてくれました。私がこの地に初めて足を踏み入れたのは、2020年9月。双葉町の一部で避難指示が解除された直後のことでした。この解除の決定は福島県で最も遅く、双葉町にとっては住民帰還の足かせとなりました。当時の町に人の気配はなく、崩れた家はそのままで、ひび割れたアスファルトを歩いたことを覚えています。それから5年後にスーパーができる日を思い描くことはとてもできませんでした。それほど町には復興の気配がなかったのです。震災から15年、震災の傷は今も残っています。しかし、双葉町は復興への道を確かに歩んでいるのです。
2、失われゆく痕跡
「あっ、なくなっている!」
またしても、思わず声が出ました。同じく双葉町でのことです。なくなっていたのは双葉町消防団第2分団の建物です。この建物は、15年前の震災発生時からずっと残っていました。時計は、震災時の午後2時46分で止まったまま。屋内はヘルメットやパイプ椅子があちこちに転がっていました。大きくへし曲がったシャッターからは、消防隊員が慌ただしく出動した切迫感が伝わってきます。しかし今、その建物は、白い布に覆われて解体工事の最中でした。隣には、新しい消防団の建屋がすでに完成しています。私は塾生たちにこの建物を見せて、震災当時の双葉町を伝えようと考えていたのですが、その伝える術を失い、そして言葉をも失ったのです。
3、「歴史化」する東日本大震災
「2011年3月11日、みなさんは何をしていましたか?」
授業の際、塾生たちには、時々この問いかけをします。数年前なら「津波をテレビで見た」、「お母さんと一緒に避難した」という話をよく聞きました。しかし最近は、目に見えて戸惑う学生が増えました。無理もありません。今の大学生たちは、震災時は小学校にすら入学しておらず、震災については断片的な体験でしか残っていないからです。ですから、これからの学生たちは、震災を「歴史的事実」として学ぶ。つまり、東日本大震災の「歴史化」は、すでに始まっているのです。
4、今、見えているものとは
私たちは、どうしても、「今、見えているもの」で物事を判断してしまいます。では、今、双葉町を見たときに、我々は何を考えるのでしょうか。
震災時の建物は解体が進み、新たな建屋が生まれていますが、更地もあちこちにあります。駅の反対側には、広大な住宅地が整備され、帰還者と移住者がすでに生活を始めています。この姿は、震災直後とは明らかに一変しています。
同じく福島県の沿岸部に位置する富岡町も同じです。震災前、富岡駅周辺には、商店や飲食店が並び、人々の笑い声や往来が確かにありました。しかし建屋やその生活の営みの多くが地震で破壊され、津波で姿を消しました。それからの道のりも長いものでした。この地に放射性廃棄物が詰まった黒いフレコンバックが山のように積み上げられた景色を私は忘れられません。そして今は、新しい駅舎からは海に向かってまっすぐ遠くまで見渡すことができます。この広大な緑と海、そして空を見て、震災があったことを想像することはもはやできないでしょう(それはもしかしたら、震災を思い出さずに済むという意味では、良いことなのかもしれません)。
5、「流動化」する課題
我々は、福島をめぐって重大な決断を次々に迫られています。汚染処理水の海洋放出、放射性廃棄物の最終処理場、原発の廃炉と再稼働はすべて、地球温暖化、エネルギー、企業と地域の関係、人口減少と高齢化の課題にも直結します。福島が直面する問題は、日本人が世代を超えて考えるべき共通のテーマです。そしてこの決断に向き合うのも、やはり学生たちなのです。そうであるならば、福島をめぐる問いが時間とともに変化するなかで、学生たちに何をどう伝えればよいのでしょうか。この問いは、教育者としての私にそのままふりかかってくるのです。
6、今、福島が問いかけるもの
「また、学生さんと一緒に来てください。待っていますよ」
ふたばプロジェクトのみなさんは、いつもこう言ってくれます。そして、「福島を学びたい」という学生も、私のゼミの門を叩いてくれます。「東日本大震災から何を学ぶのか」。「15年目の福島」が投げかけるこの大きな問いの答えはすぐには見つかりません。だからこそ、この問いに、学生たちと向き合っていきたいと思います。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。