慶應義塾

関谷 直也:これからの福島といかに向き合うか

公開日:2026.09.24

執筆者プロフィール

  • 関谷 直也(せきや なおや)

    東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センター長・教授東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員総合政策学部 卒業

    1998総

    関谷 直也(せきや なおや)

    東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センター長・教授東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員総合政策学部 卒業

    1998総

福島第一原子力発電所事故から15年が経過した。福島をめぐる課題は、避難、放射性物質検査、風評対策、処理水などの「原子力災害」の問題から、地域をどう持続させ、経験をどう引き継ぐかという段階へ、移りつつある。


避難指示区域のうち、帰還困難区域を除く「避難指示解除準備区域」および「居住制限区域」は、2020年3月までにすべて解除された。2022年8月に双葉町でJR双葉駅周辺などの「特定復興再生拠点区域」で避難指示が解除され、対象となる福島県全市町村で住民が再び暮らせるようになった。2020年にはJR常磐線が全線で運転再開し、2021年には相馬福島道路も開通した。


福島県産米は2012年から県内全域で全量全袋検査を行っていたが、2020年から旧避難指示区域を除いてモニタリング検査に移行した(現在は6町村で実施)。牛肉の放射性物質に関する全頭検査も、福島県では、全農家を対象とするモニタリング調査、宮城県、岩手県、栃木県で抽出調査に移行した。2023年8月には議論の末、ALPS処理水の放出が行われた。


私は避難、災害対応、農業や観光の風評対策、処理水の研究や対策の議論で福島を訪れることが多かったが、そうした機会もほぼなくなった。除染土壌、廃炉、避難の問題は残るが、原子力災害ならではの問題が議論される機会は、以前に比べ減少した。復興とは、震災が語られなくなることでもある。


首都圏の電力を供給しているのは東京電力だが、福島第1原子力発電所と第2原子力発電所の廃炉が決定され、残るは柏崎刈羽原子力発電所である。様々な議論の末、柏崎刈羽原子力発電所6号機が再稼働した。私は新潟出身であることもあり、新潟県の避難計画の検証に携わった。福島の人も、関東の人も、あまり意識していないが、原子力災害をめぐる議論は、よくも悪くも、確実に次のステージに進んでいる。


では、福島の今の課題は何だろうか。


第一に〈課題先進地域〉としての地域の課題を考えていくことである。日本全国どこでも地方は人口減であり、関係人口や新たな産業の獲得に必死である。浜通り地域は、震災後から、まさにその課題に向き合い続けている。


政府の復旧・復興施策として、集中復興期間、復興・創生期間が設けられ、大規模な予算が投じられてきた。現在は岩手県・宮城県を主としたインフラ整備が一区切りし、福島県での帰還促進や産業再生に重点が置かれている。


私は縁があって、浪江町の防災計画、請戸小学校の整備、復興計画策定など復興施策に携わらせていただいてきた。やはり15年の経過は大きい。当時の小・中学生や高校生は、社会人となり、子育て世代である。仕事や子どもの学校がある中で、そう簡単に戻れない。通院、通所・デイケアや介護の必要な高齢層は、病院、介護施設・特別養護老人ホームやヘルパーも震災前の規模ではないので帰町・帰村も難しい。スーパー、飲食店も徐々に増え、移住者も増えているが、人口回復の伸びは鈍化してきている。


浜通り地域でどう広域に連携すべきか、ダウンサイズをどの程度で受け入れ、地域を持続可能なものとしていくかというステージに移行しなければならない。震災20年を超えれば、国からの支援も十分ではなくなるであろう。その現実はすぐ近くに迫っている。


第二に、東日本大震災の経験、教訓をどう伝え、残すかというものである。私が取り組んでいることは2つある。


1つは、上級研究員として関わる東日本大震災・原子力災害伝承館での取り組みである。震災をオーバービューする書籍として『東日本大震災・原子力災害全書』を発刊しようとしている。


今1つは、福島国際研究教育機構(F-REI)という研究機関での「大規模災害レジリエンス」研究ユニットの構築である。福島では多くの人が努力し、産業、地域の伝統芸能など様々な営みを残そうとしてきた。それが地域の人々の支えになるという地域レジリエンスに関する多くの教訓を有している。


原子力災害は大量の避難者の移動(広域避難・2次避難)、大量の被災物(処理水・除去土壌)の移動、大量の紛争解決、災害関連死などの課題を抱えた。これらは首都直下地震、南海トラフ巨大地震、富士山噴火の際の有用な知見となることは明らかである。防災庁の役割も念頭に置きながら、この知見を次の大規模災害対策へといかにつなげるか。それが目下の課題である。


東日本大震災を契機に、福島や東北との往復を始めたが、15年通い続けると、なぜ継続して福島に行き続けているのか理由もなく当然のものとなってしまっている。最近、福島では、東日本大震災のことは話題にも上らない。日常に戻りつつあることを喜びつつも、東日本大震災が日常に埋もれてしまわぬよう、復興が進むほど見えにくくなる震災の経験を、記録し、分析し、次の災害につなげていかなければならない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。