慶應義塾

鴨池の碧(みどり)と大山の蒼(あお)|政策・メディア研究科委員長 高汐 一紀

公開日:2026.09.29

わたしたちのキャンパスには「鴨池」と呼ばれている池がありまして、、

万年筆の界隈でインクブレンダーと呼ばれる人たちがいる。文字通り、インク調色のプロだ。なかでもセーラー万年筆の石丸治さんは、その腕と人柄から誰からも慕われるカリスマインクブレンダーだ。そんな石丸さんを目の前にして、冒頭そう切り出した。まだまだ暑い9月某日、丸善丸の内本店で開催されていたイベント、「インク工房」でのことだ。

「インク工房」は、セーラー万年筆が誇るインクブレンダーが、客ひとりひとりの要望を聞き、様々なインクをブレンドして好みの色を調合、その場でオリジナルの万年筆インクを作ってくれる人気のイベントだ。ひと月ほど前、同社の限定インクを入手しに出向いた折に、店員さんから「今度、石丸さんいらっしゃいますよ〜」と誘われた。速攻、空き枠を押さえてもらった、、のは言うまでもない。

「どんな色を作ってもらおうか」悩むこと数日、ひとつのイメージが浮かんだ。鴨池に浮かぶ鴨たち。なかでもマガモのオスにみられる、首まわりから頭部の光沢のある緑。アレだ、アレがほしい。やや濁った池の水色までも伝わる色がほしい。「鴨」じゃない「鴨池の鴨たち」の色、キャンパスの色を作りたい。漢字で書けば、ただのダークな「緑」ではなく「碧」だろうか。イメージが伝わるよう、自分で撮った春夏秋冬の鴨池の写真、イメージに近いマガモの青首色の画像、可能な限り言語化した素材を揃えて当日に臨んだ。

頭を抱えられてしまった。石丸さんが頭を抱えている。

イメージはあった。インクにはフラッシュ(シーン)がある。万年筆やガラスペンで文字を書く際、インクが濃く溜まった場所に光が当たると、もとのインクの色とは異なる金属のような輝きが目に映る。これがフラッシュ。ラメとは異なる、ブレンドしたインクの成分自体が光る現象だ。フラッシュが顕著なインクはシーンインクとも呼ばれる。マガモの青首はまさに光の反射によって変わる構造色だ。見る角度によって紫に見えたりピンクが強くなったりもする。ベースになるダークグリーンにこれらの色を、、などとラフに考えていた。

そりゃそうだ。コトはインクのブレンドだ。簡単なワケがない。ただ混ぜればぐちゃぐちゃの色になる。「緑は難しいんですよね..」そうおっしゃりつつ、石丸さんは試行錯誤を続けてくれている。最終的には、その日持ち込まれていた濃いめの緑をベースにピンクを少しずつ加えていく方法に落ち着いた。何種類かサンプルを用意してもらい、つけペンで紙に文字を書きながら印象を確認、さらに細かく注文していく。

できた!!

フラッシュは少なめだけど、イメージ通りの「碧」ができた。ただの青首色じゃない。わたしの印象にある「鴨池のくすんだ水色」、「周りの木々の色」まで練り込んでもらった、この世にひとつだけの色。最後にシェーカでカクテルよろしく瓶1本分の量を調合、専用瓶に注ぎ入れて完成。いまのところ世界に1本、わたしだけのインク瓶が目の前にある。

「名前はどうしましょう?」

「鴨池グリーンで、、」

「では、こちら『鴨池グリーン』になります。お楽しみください。」

キメの台詞も痺れる。嬉しい。本当に嬉しい。はしゃぎついでにツーショもお願いしてしまった。石丸さんとのおしゃべりは実に楽しく、あっという間に時間が過ぎてしまった。ファンが多いのも納得。と同時に、モノを生み出すプロセスでイメージを言語化することの難しさを改めて実感した時間でもあった。

鴨池グリーン
鴨池グリーン

実は、調合してほしい色にはもうひとつの候補があった。伯耆富士とも呼ばれる大山を遠くから眺めたときの「蒼」だ。

このおかしら日記でも何度か話題にしてきたが、2021年来、年に幾度となく鳥取県西部を訪れている。きっかけは高校生・高専生を対象とした未来構想キャンプ。鳥取開催の未来構想キャンプは、キャンパスを飛び出し自治体の支援を受けて実施する、新しいスタイルの滞在型ワークショップだ。2022年の大山町・南部町での開催を皮切りに、日南町(2023年)、米子市(2025年)と実績を積み上げてきた(2024年は東部の鳥取市開催)。昨夏のおかしら日記(4年目の挑戦 〜未来構想キャンプ in 鳥取〜)でも詳しく触れたので、ご記憶の方も多いと思う。毎年、綿密なフィールド調査のもと新たな研究プロジェクトを立ち上げ、キャンプ本番に臨む。加えて、終了後にはより密な社会実装と地域への還元を目標とし、数年スパンでの自治体との共同プロジェクト化を図ってきた。自ずと現地滞在の機会も増える。実のところ、この原稿も米子便に乗る前の羽田空港で書いていたりする。

今年の「未来構想キャンプ in 鳥取」は、米子市皆生温泉を拠点に2泊3日のスケジュールで開催された。テーマは「人の変化と日常・非常をつなぐ、レジリエントな技術と地域の未来」。内容の詳細は、キャンパスニュース「SFC未来構想キャンプ2026 in鳥取開催」での報告や、各種メディアの取材記事・動画をご覧いただければと思うが、今回も滞在したホテルの窓から大山がよく見えていた。

大山の遠景

これまでの麓から見上げる大山は「翠」だったように思う。皆生から眺める大山は「蒼」かった。その日その日で表情も変わる。滞在した1週間、飽きることなく窓の外を眺めていた。次、石丸さんに会うときは、あの「蒼」をお願いしよう。

未来構想キャンプ in 鳥取 2026

10月31日と11月1日には、同じく鳥取県西部の日南町で、同町が進める大学交流拠点の取り組み「いろフェス」が開催される。サクラクレパス創始者の出身地であったり、秋に黄金色に輝く大イチョウや美しい星空のような季節ごとの豊かな自然の色合いの魅力を全力で発信していたりと、なにかと「いろ」にまつわる話題の多い日南町ならではの企画だ。わたしたちのラボも「いろ」にちなんだワークショップを主催する。が、それとは別に参加の皆さんとこんなインクよもやま話ができたらいいな、、と思う。

そういえば、インクを手渡ししていただいたときの石丸さんの指、インクで真っ青に染まっていたな。

P.S.

画像では色味がうまく伝わらない鴨^Hかもしれません。キャンパス教職員の皆さま限定かつ少量ずつにはなりますが、空のカートリッジか小瓶、コンバータ付きの万年筆をお持ちいただければ「鴨池グリーン」をお分けできます。キャンパスでお声がけください。