慶應義塾

不思議な慶應グッズ|健康マネジメント研究科委員長 前田 正一

公開日:2026.05.26

最近は、慶應義塾の三田キャンパスへ足を運ぶ機会が増え、時々三田インフォメーションプラザに立ち寄っている。会合や待ち合わせまでの時間を過ごすのに、ちょうどよい場所である。各部局を紹介するパンフレットを眺め、その取り組みに触れたり、1階奥にある慶應義塾公式グッズコーナーをのぞいたりするのが、ちょっとした楽しみになっている。グッズコーナーでは、ボールペンやマグカップといった定番商品だけでなく、賞味期限の短い食品やマスクまで販売されており、学校グッズの幅の広がりを感じさせる。

学校グッズと言えば、昔から縁があり、海外の大学関係者が来訪された際には、かなりの確率でそれをお土産としていただいてきた。不思議なほどぴったりなものもあれば、海外サイズゆえか、かなり大きめのTシャツやパーカーもある。いただくものはアパレルだけではない。ボールペンやマグカップなど、基本的にはどれも日用品である。

しかし不思議なことに、そうした品々は日用品でありながら、なぜか日常的には使いにくい。ボールペンでさえ、私の手元では妙に“格上”の存在感を放っている。希少性だけでは説明しきれない。確かに海外の大学グッズについては簡単には入手できないが、少なくとも慶應グッズは、三田キャンパスに行けばいつでも購入できる。私の中に、そのロゴが象徴する大学や共同体への敬意、あるいは少しの遠慮のようなものがあり、気軽には消費しきれないのかもしれない。それが自分の属する共同体のものである場合には、なおさらなのであろう

ところで、この春の大学院学位授与式か大学院入学式の際のこと。壇上へ向かう、いわゆる楽屋裏で、登壇者同士がその日のネクタイについて話しているのが耳に入った。「慶應のネクタイを持っていないので……」とのことである。実は、私も同じだった。紺色と赤色が交互に並ぶ、あの柄のネクタイには憧れはあるものの、紺・赤・紺が持つ意味に、自分は追いついていない、という無意識の遠慮からなのか、それを身につけることに気恥ずかしさのようなものがあり、私にとっては長らくウィンドウショッピングの対象のままだった。

インフォメーションプラザを後にすると、下校途中の中等部の生徒と思しき一団に出会った。そこには、先ほど見ていたKeioの文字が入ったパーカーを、ごく自然に着こなしている生徒たちがいた。学校指定の体育着や運動部のユニフォームならともかく、通学時の私服の中にロゴが溶け込んでいる光景は、私には印象的であった。通学用バッグにも慶應グッズが下げられている。そこには、ボールペンさえ格上扱いしてしまう私とは異なる、もっと自然な付き合い方があった。

そんな風景を見ていると、慶應義塾の公式グッズは、単なる記念品や土産品ではなく、帰属意識や連帯感を、日常の中で少しずつ形にしていくものと思えてくる。もちろん、生徒たちと私とでは、グッズとの距離感は異なる。それでも、グッズが果たしている役割自体は、私にとっても同じなのだろう。

ちなみに、慶應義塾公式グッズの売り上げは、奨学基金に充てられ、塾生に還元されるとのことである。グッズは単なる商品ではなく、義塾という場を支える循環の一部でもある。

――――などと、慶應グッズのことをあれこれ考えながら、今日、ついに慶應カラーのネクタイを購入した。もっとも、しばらくはこのネクタイも研究室で“格上扱い”されることになりそうではあるが。

ということで、いつものように、今回もとりとめもない日記でした。

追伸:財布に余裕のある卒業生の皆様は、売り切れる前に、ぜひグッズ購入をご検討ください。オンラインストアもありますよ(慶應義塾公式グッズストア)!ちなみに、私は慶應グッズの販売促進担当者ではありません。